書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

二重否定 (言語学) - Wikipedia

2017年01月27日 | 人文科学
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%87%8D%E5%90%A6%E5%AE%9A_(%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%AD%A6)

 このような言い方は2つの否定を意味する語句が対応しあって1つの否定表現を形作るもので、英語は本来はこのように否定文では否定形の語を一貫して使う否定呼応を用いる言語であった。すなわち、否定呼応を用いる言語では、二重に否定語を用いても単純にひとつの否定表現を作るだけであり、論理学的に見た場合は単なる否定である。しかし、否定呼応を用いない言語では、二重に否定語を用いることは論理学的に見るところの『否定』の否定であり、肯定である。
 (下線は引用者、以下同じ)

 しかし18世紀にきわめて人工的・作為的性質の強い規範文法が整備された際、否定呼応という言語現象に無理解な学者たちは、論理学規範を言語という特殊条件を考慮せずに適応し、『否定語を2回使うということは否定の否定を意味し、論理的に肯定である』と主張し、英語の否定呼応を抹殺した。とりわけ聖職者ロバート・ラウスが1762 年に出版した文法書 A Short Introduction to English Grammar with Critical Notes は否定呼応を否定の否定であるとみなし(今日の言語学的観点からすれば『誤解』し)、この表現を非文法的な言い方の最たるものとしている。これにより英語は否定呼応を用いる言語から緩叙法を用いる言語へと半ば強制的に変換させられた。

 ロシア語では否定呼応が残っている。ロシア人の恩師は、「それがロシア語の特徴」と仰っていた。御本人はそれほどの意味を籠めてはいられなかったのだろうけれど、いま思えばいろいろ含蓄に富む言葉だったと思う。

Басня — Википедия

2017年01月27日 | 地域研究
 https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%91%D0%B0%D1%81%D0%BD%D1%8F
 2017年01月26日「Притча — Википедия」より続き。

  Басня — стихотворное или прозаическое литературное произведение нравоучительного, сатирического характера. В конце или в начале басни содержится краткое нравоучительное заключение — так называемая мораль. Действующими лицами обычно выступают животные, растения, вещи. В басне высмеиваются пороки людей.

 これに続けて、ロシアでは18世紀中頃から19世紀初めにかけて新しく興った文学ジャンルとある。
 さらに、

  Басня — один из древнейших литературных жанров. В Древней Греции был знаменит Эзоп (VI—V века до нашей эры), писавший басни в прозе. В Риме — Федр (I век нашей эры). В Индии сборник басен «Панчатантра» относится к III веку. Виднейшим баснописцем нового времени был французский поэт Жан Лафонтен (XVII век). (下線は引用者)

 古くはイソップの作品がその先例(の一つ)と言うからには、これはまさしく「寓話 parable」である。ロシアには外来のジャンルだったこともこれで分かる。

Притча — Википедия

2017年01月26日 | 地域研究
 https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9F%D1%80%D0%B8%D1%82%D1%87%D0%B0

  Владимир Даль толковал слово «притча» как «поучение в примере».

 «притча»とは普通、「寓話」と日本語で訳される。ではロシア語によるその正確な定義は何か。

  Притча — короткий назидательный рассказ в иносказательной форме, заключающий в себе нравственное поучение (премудрость). По содержанию притча близка к басне.

 内容においてбасняに近いとある。これはつまり、形式においては異なるということである。そして«басня»もまた通常、日本語では「寓話」と訳される。だがロシア語においては両者は形式はおろか内容においてさえ正確には異なる二つのものということになる。

柴口育子 『アニメーションの色職人』

2017年01月25日 | 伝記
 昨年亡くなった保田道世女史の伝記。時期的には『もののけ姫』公開の直前。よって同作の話題が掴みになる構成。その後は女史の生まれから時を追って、最後にまた『もののけ姫』へ、そして女史の机の上にいま載っている次回作の原作本の存在へと――。

(徳間書店 1997年6月)

西尾哲夫 『言葉から文化を読む アラビアンナイトの言語世界』

2017年01月25日 | 地域研究
 出版社による紹介

 とても面白かった。『コーラン』のアラビア語は、「当時の人びとが日常的に話していたアラビア語そのものではな」いそうだ(23頁)。これは話し言葉と書き言葉の違いといった次元の問題ではなく、そこで使われているのは「カーヒン(巫者)やシャーイル(詩人)とよばれていた人たちが、宗教的伝説や詩や物語などを語り伝えるときに使った一種の社会方言だった」(同上)という。粗雑な比較だが、中国孔子の時代の“雅言”を想い起こさせる。――ではカーヒンやシャーイルといった人びとは、当時のアラブ世界において、どのような社会的な地位を占めていたのだろう。尊敬されていたのか、それとも卑しめられていたのか、あるいは一種方外の扱いだったのか。

(臨川書店 2015年8月)

聞一多著 中島みどり訳 『中国神話』

2017年01月25日 | 東洋史
 「訳者あとがき」に聞の学術上の手法について注釈がある。

 それはまず一多は議論の出発点において、ほとんど神話の原像を――といっても伏羲の場合などは、そもそも漢籍中にはほとんど物語としての実体はないのだが――つくりあげてしまっていて、そのイメージにもとづいて議論をはじめる、ということである。 (本書313頁)

 学者として、あるいは学術著書としては――聞のこれは論文やエッセイ風の考証文を編んだものだがそれらとしても言うまでもなく――、それだけでアウトである。前提が間違っているのだから、あとよしんば議論が(つまり論理が)正しかろうと、結論は間違いに決まっている。
 序でながら付言すると、聞のそのような手法を、中島氏は「仮りに」と但し書きを付けつつも「演繹的」と形容されているが(316頁)、それは何如なものであろうか。氏も指摘されるとおり、「〔聞の〕膨大な資料にもとづく論証の作業は、ただ彼の内にある原像を、誰の目にも明らかに見えるものとして現出させるための手続きにすぎない」(314頁)、また私に言わせれば、前提と結果が同じ、あるいは結論が最初から決まっている論法を――つまり中間の論理は前提が正しいということを述べるために行われるだけ――、演繹とは言わない。(もちろん帰納でもない。)これは誤解を招く表現といえる。

(平凡社 1989年2月)

付記
 だから前提が間違っている論など読むのは無用、時間の無駄だと私などは思うのだが、モルガンの『古代社会』の内容が関連学術分野の発展の結果もはや事実とはいえないし学説として通用しないと認識されているのに同書を基礎もしくは議論の前提としたエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』を、それでも「正しい」「見るべきところがある」と仰る御方々が斯界にはおられるので、「演繹的」はもちろんのこと聞一多の学術を高く評価される中島氏と同様、私とはまったく思考の枠組み(推論を含め)が違うのだと、日々痛感している。

イブン・イスハーク著 嶋田襄平訳 「マホメット伝」

2017年01月24日 | 哲学
 『筑摩世界文学大系』9「インド アラビア ペルシア集」(筑摩書房 1974年3月)所収、同書205-249頁。

 冒頭すぐ、「そなたはこの民族の支配者を身ごもった」(206頁)というくだりがでてきて、翻訳というもののもつ難しさときわどさというものをあらためて感じた。現代日本語で言う“民族”とまったく同じものがその昔のかの地にあったはずはなし、それしか当つべき訳語がないとしても、アラビア語の原語彙は、何をどう指すことばだったのか。

孫遜/鄭克孟等主編 『越南漢文小説集成』 巻14

2017年01月24日 | 地域研究
 収録作品
 野史  野史補遺  

 「提要」によれば1893年頃の成立。13巻と同様(むしろ時間的にはやや先行する)、仏領インドシナ時代(1883開始)の作品である。当巻所収の2作には、当時の新聞類に発表された複数の著者の手になるところの時事的話題を取り扱った文言文、いわゆる時文が分量・割合的に多く含まれる。そのせいもあるのだろう、前巻以上に新しい漢語が多い。「電信」「電気」「皇帝」「泰西」「欧洲」「欧羅巴」「法国」「地中海」「亜洲」「地球」「旧金山」「華盛頓」「維新」「変法」「推挙之法」「病院」「軽気球」「気燈」等。
 ただ時文への変容は語彙レベルに止まり、表現と文構造は固く伝統的文言文のそれを守っている。清末四大譴責小説康有為「上摂政王書」を思い出しつつ。

(上海古籍出版社 2012年10月)

孫遜/鄭克孟等主編 『越南漢文小説集成』 巻13

2017年01月24日 | 地域研究
 シリーズ全20巻についての紹介

 19世紀末から20世紀初にかけての作品を収める。すでに仏領インドシナ時代であり、この時期になると、フランスの侵略に直面して、近代化(西洋化)への意識と希求が、文言文で書かれた作品の語彙に反映されることになる。「愛国」「独立心」などといった、おそらくは日本から直接、あるいは中国経由で入ってきた和製漢語およびその内包する新概念が文中に現れる。それが見られるのは主として序文部分であり、すなわち作品の編纂目的、また問題意識が近代化・西洋化していることを意味する。

 収録作品  
 婆心懸鏡録  倫理教科書:人中物 南国佳事  大南行義列女伝  南国偉人伝  古怪卜師伝  武亭月円紀事

(上海古籍出版社 2012年10月)