書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

鈴木亘『経済学者 日本の最貧困地域に挑む あいりん改革 3年8カ月の全記録』

2017年01月16日 | 政治
 誰もが自分のことで手一杯、それ以上は勘弁、全体や社会のことなど考える余裕などない、できれば自分のやるべきこともやらずしかし代金だけはもらいたいというのが普通の人の普通のあり方だということを、いまさらながらに想わされる内容。だがそのような、閉塞し凝滞した情況のなかで、事態を改善せんと現実に執着(としか形容のしようのない)し、絶えずあれこれの方法を見いだしてはそれをてこに少しでも動かそうとする著者の言動の壮絶な軌跡は、まさに“志のある人”のそれと評するべきであろうか。

(東洋経済新報社 2016年10月)

飯野りさ 「中東少数派の自己認識 あるシリア正教徒の音楽史観と名称問題」

2017年01月16日 | 地域研究
 西尾哲夫編著『中東世界の音楽文化 うまれかわる伝統』(スタイルノート 2016年9月)所収、同書264-281頁。

 シリア正教徒は、“宗派的にもまたある意味で民族的にもシリア正教徒”なのだそうだ。宗教が民族的なアイデンティティの基盤にもなっているという意味である。話す言語や、それ以外の文化や伝統は、ここには関わってこないらしい。

 シリアやレバノンに居住している、ないしは居住していた人々は、アラビア語を話すがアラブ人ではなく、トルコ南東部すなわち南東アナトリア地方の場合、クルド語も話すがクルド人ではなく、ウルファにいた人々はアルメニア語も話したがアルメニア人ではない。すなわち、シリア正教徒とは、典礼語として古典シリア語を使用し、母語としてないしは生活言語として口語シリア語〔現代アラム語〕を話す人々もいる、宗教を核とした、ある種の民族的な集団なのである。
 (「1. はじめに――中東における民族と宗教」 同書265頁)