書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

遊佐昇 『唐代社会と道教』

2017年01月19日 | 地域研究
 出版社による紹介

 非常に興味深い。とくに、敦煌文書の関係史料の原文を紹介されて見ることができたこと。講経文といい変文というも、語・表現レベルにおいては口語的要素をまじえつつ、一見文言文としての文法構造までは変容を被っていないようである。

(東方書店 2015年3月)

ロバート・ローラー著 長尾力訳 『アボリジニの世界 ドリームタイムと始まりの日の声』

2017年01月19日 | 抜き書き
 インド・ヨーロッパ語では、思考はすべて、過去、現在、未来という時制で表現されるため、時間とはちょうど、過去から未来へと動く時計の針のように、一方向にしか流れない抽象的な背景のように思われている。アボリジニの諸言語には、「時間」に当たる言葉がない。アボリジニには、「時間」という概念がないのである。アボリジニの言う「創造」では、時間の経過や歴史は、過去から未来への運動ではなく、主観的状態から客観的状態への移りゆきを意味する。アボリジニの世界に参入するための第一歩は、西欧社会の伝統ともいうべき抽象的時間概念を捨て去ることである。その代わりに、「夢見から実在が生じる」とする意識の運動モデルを想定すれば、創造プロセスに見られる宇宙規模の作用にも納得がいく。 (「第2章 夢見の時空」 本書64頁)

 〔西欧人の〕空間概念は、時間概念に基づいている。「時間」という概念は、距離を測るには不可欠のものである。だから、「長い」とか「短い」といった、空間を表現するための言葉の大半は、時間を言い表す場合にも使われるのだ。/ところがアボリジニは、空間を距離とは考えない。アボリジニにとっての空間とは、意識なのだ。空間は、意識同様、二つのモードに分けられる。空間内にある知覚可能な実在はちょうど意識に相当し、対象感に存在する肉眼では見えない空間は、無意識に当たる。〔中略〕現実には、「無意識」と「意識」とは常に同じものである。「無意識」とは、夢見という連続対の一部なのだ。 (同上 68頁)

(青土社 2003年1月)

井尻正二 『化石』

2017年01月19日 | 抜き書き
 形式論理学的思考の正しさ、というものは、自然のもつ論理性が、労働を媒介にして、何万年ものあいだ、何億回となくくりかえされる刺激〔原文傍点、以下同じ〕を通じて脳という物質に投影され、しだいに刻印され、それが反応という形でテストされているうちに、自然の論理性にしたがって運動する能力――いわば思考作用――をもった、脳という物質(神経系)――あくまで脳という名の物質(神経系)であって、論理(とよばれる思考)ではない――が鋳造されたためだ、とひそかに考えている。 (「Ⅶ 化石は考える」、“形式論理学と反映論”、本書189頁)

(岩波書店 1968年3月)