書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

魚返善雄 『論語新釈』

2017年01月29日 | 人文科学
 現代人が全面的に朱熹に追従するのは批判的精神または能力の欠乏を示すか、あるいは一種の保身術であろう。 (「あとがき」227頁)

 朱熹に限らずそれが権威と認められる誰かや何かであるなら、いつどこででもこの言は当て嵌るであろう。そしてその権威が一つきりであろうとはた複数あろうと、それはたいした問題ではない。
 このような喝破の言もある。

 進歩をとなえて活動する者がじつは意外に熱心な立身出世主義者であった例がめずらしくない。
 (同上 226頁)

 しかし、魚返氏の「あとがき」は、いま引用した此所などはどちらかといえば枝葉のおもしろさであって、本当のおもしろさは別にある。それは学問的なおもしろさである。同氏の『漢文入門』(社会思想社)も知的にスリリングな――権威に追従せず、批判的精神が満ちあふれ、囚われのない精神の――著作である。
『論語新釈』の本文は、条ごとに氏の現代日本語訳、原文、訓読文、そして現代漢語訳が、この順で並べられている。その間、条の内容理解に必要と氏が判断する事実や事項が、注として挿入される。注目すべきは事実事項の注はあるが(それとて一条に一つあるかないか)、語釈がまったくないことである。「いまを生きる現代人のための現代に通じる部分の『論語』を」がただ一点の目的であるとすれば、これは一つの、あるいは当然の、行き方であるといえる。

(学生社 1957年5月)