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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

出石誠彦 「戊戌奏稿に見えたる康有為の思想について」

2013年10月05日 | 東洋史
 旧漢字・歴史仮名遣い。
 「三、康有為の思想 時勢に対する認識」。「請尊孔聖為国教立教部教会以孔子紀年而廃淫祠摺」について、「孔子と孔教の重んずべきを根本思想としてゐる点に於いては、従来の儒家の主張と選ぶところはない」という紹介と評価(125-126頁)。ここはそれ以外の点を紹介評価すべきではなかったか。

(早稲田大学文学部刊哲学年誌別刷、出版年記載なし)

Walter Lippmann "The Public Philosophy"

2013年10月05日 | 社会科学
   The public philosophy is known as natural law,(...). This philosophy is the premise of the institutions of the Western society, and they are, I believe, unworkable in communities that do not adhere to it. Except on the premises of this philosophy, it is impossible to reach intelligible and workable conceptions of popular election, majority rule, representative assemblies, free speech, loyalty, property, corporations and voluntary associations. The founders of these institutions, which the recently enfranchised democracies have inherited, were all of them adherents of natural law.  ("The Eclipse of the public Philosophy", '3. The Neglect of the Public Philosophy', pp. 79-80. 下線は引用者による、以下同じ)

   European thought has been acted upon by the idea that the rational faculties of men can produce a common conception of law and order which possesses a universal validity. > ("The Eclipse of the public Philosophy", '4. The Universal Laws of the Rational Order', p. 81)

  The public philosophy is in a deep contradiction with the Jacobin ideology.  ("The Defense of Civility", '2. The Communication of the Public Philosophy', p. 124)

(NY: The New American Library, 1956)

成田美名子 『花よりも花の如く』 12

2013年10月04日 | コミック
 1年に1冊のペース、ようやく2001年9月11日に。前作『NATURAL』を知らないので、この作品世界の時代と時間設定が前作からの必然であるのか、あるいは意図したものなのかが判らないのだが、これを期に、ストーリー展開が一転起伏と速度を増すのは確実のようである。事件を目の辺りにした、また直接間接に何らかの影響が及んだ作中の人々の心が揺れて。

(白泉社 2013年9月)

河宇鳳ほか著 金東善ほか訳 『朝鮮と琉球 歴史の深淵を探る』

2013年10月04日 | 東洋史
 もとは韓国で1999年に出版されたもの。参考
 孫叔「第2章 朝鮮交隣体制の構造と特徴」を読んで、あらためて、両国の国書形式について、なぜ朝鮮側が「書」(対等国家間の外交文書)を使う一方で、琉球側が「咨」(中国官僚制度内の平行文書。ただし被冊封国家間でも用いる場合もある)を使用しつづけたのかが気にかかった。

(榕樹書林 2011年7月)

T. J. de Boer "The History of Philosophy in Islam"

2013年10月04日 | 東洋史
 井筒俊彦『イスラーム思想史』より続き。井筒書にある「一瞬一瞬をアラーが新たに創造している」「(イスラームの原子論は)数も時間も空間も運動も全ては非連続的な、延長を持たぬ原子に分散して考えられる」の原典である。たしかにそう書いてある(p. 58 & pp. 75-76)。しかし因果論の概念はないとまでは書いていない。
 
( London:Luzac, 1961, trans. by Edward R. Jones, originally in 1903.)

毛沢東 「矛盾論」

2013年10月03日 | 東洋史
 われわれ中国人がつねに言う「たがいに反しながら、たがいに成りたたせあう」とは、たがいに反するものが同一性を持っているという意味である。この言葉は、形而上学とは反対の、弁証法的なものである。「たがいに反する」とは、矛盾する二つの側面が相互に排斥し、あるいは相互に闘争することを言う。「たがいに成りたたせあう」とは、矛盾する二つの側而が、一定の条件のもとで、相互に連結して同一性を獲得することを言う。闘争性は同一性のなかにやどっており、闘争性がなければ、同一性はない(日本共産党中央委員会毛沢東選集翻訳委員会訳『毛沢東選集 第一巻』日本共産党出版部、1965年、421~472頁。「五 矛盾の諸側面の同一性と闘争 (2)矛盾の諸側面の闘争性」から)

 「たがいに反しながら、たがいに成りたたせあう(相反相成)」は、『漢書』巻三十「藝文志」にある「相反而皆相成也(あい反して而してあい成さしむる也)」が出典である(「諸子十家」のくだり)。しかしその意味は、毛沢東が言うような、「たがいに反するものが同一性を持っている」ではない。「互いに相反する存在だが、相反するがゆえに、互いに相手が己の存在を可能にしている」という意味である。現代語でのそれも同じである。毛沢東は知ってか知らずか論旨のために語意を歪めて使っている。(オンライン辞書のなかにはいま私が言った意味のほかに「たがいに反するものが同一性を持っていること」という語義を足してあるものがあるが、これは「矛盾論」からの逆輸入ではないか。)

梁啓超著 藤田敬一訳 「開明専制論(抄)」

2013年10月03日 | 東洋史
 再読。感想の補足。
 梁啓超は、当時の中国が共和立憲制を実行できない理由として、目下の「中国人」(注)は「個人主義」で自分一個の利益しか考えず、集団の公益というものを知らず、当然ながらそれを伸張することもなく、また己の利害をもって他者の利害を害せぬよう自制し相互に利害を調整調和させることもないとしたうえで、中国は伝統的に自治の歴史に欠けておりまたその制度的基盤も乏しい点を挙げている。彼は、開明専制をもって将来の立憲制の準備とすべきであると主張する。

 。彼はこの定義はいまのところはっきりしないと断っているのが面白い。

姚鼐 『古文辭類纂』「序」

2013年10月02日 | 東洋史
(『維基文庫』『古文辭類纂』「」)

 漢より前と言いながら太史公(司馬遷)は別だから入れると言う。「孔孟之道與文,至矣」と言いながら荘子を入れると言う。外のサイトで総目次を見てみたら、屈原の「漁父辞」も、はては『淮南子』『戦国策』のたぐいまで入っている。御都合主義というよりも支離滅裂である。道理で桐城派の言うこと(いわゆる義法)がよくわからぬはずだ。文辞の古いことが肝要なのか、道(儒教就中宋学)に法っていることが肝要なのか、当の彼らでさえ決めかねているのだから。

厳復 『天演論』「訳例言」

2013年10月02日 | 東洋史
 (『維基文庫』『天演論』「訳例言」)

 厳復の『天演論』は、秦以前の古文の文体と語彙(つまり深文言)で書かれているらしい。少なくとも出版当時の世評はそうだった。彼の古文の師匠で友人でもあった呉汝綸などは、「晩周の諸子とあい上下す」とまで誉めたそうである(『互动百科』「近代散文」項)。
 ウィキペディアの「厳復」項では、彼を桐城派に分類しているようだが(『天演論』の文章は桐城派の文体だとしてある)、彼は桐城派ではあるまい。呉汝綸は曾国藩の幕僚だったから当然のこと曾国藩と同じく桐城派に属するが、厳の文体はともかく思想は性理学(朱子学)のみではなかったから、「文は道を載す」を旨とする桐城派ではありえない。ただし漢代の語彙と表現を使わぬというのは漢代(前漢)については入れたり入れなかったりと、態度が曖昧でやや御都合主義的に見える、やたらな桐城派よりも桐城派的であるとは言える。とはいえ、この「訳例言」でも“希臘”が見えるように、語彙においては先秦にない物や事については後世のそれを用いざるをえなかったのは、言うまでもない。だがそれをできるだけ“晩周諸子”の言語でまかなおうとしたところに、厳復の苦心がある。さらに進化論という中国に全く存在しなかった考え方を表現しようとした。偉大と呼んでもいいかもしれない。
 (ちなみに曾国藩は桐城派だとされるが、彼は文章で時務や具体的政治を語ったから桐城派ではなかろう。「湖郷派」という彼一個の派を建てたとする見方もある。この文脈において厳復は曾の影響下にあったという指摘ならば、わかる。)
 ところで厳復はこの中で面白いことを言っている。『天演論』の翻訳には、浅文言よりも深文言のほうが向いていたという。その理由は、「漢以前の古文のほうが、それ以降の時代の卑俗な文章よりも、語彙の意味も表現も明晰であるからかえって訳しやすい(精理微言,用漢以前字法、句法,則為達易;用近世利俗文字,則求達難)」というものである。この“近世利俗文字”とは、漢代以降の浅文言および駢文を指すのか、あるいは白話文を指すのか。それとも両方か。