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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

毛沢東 「矛盾論」

2013年10月03日 | 東洋史
 われわれ中国人がつねに言う「たがいに反しながら、たがいに成りたたせあう」とは、たがいに反するものが同一性を持っているという意味である。この言葉は、形而上学とは反対の、弁証法的なものである。「たがいに反する」とは、矛盾する二つの側面が相互に排斥し、あるいは相互に闘争することを言う。「たがいに成りたたせあう」とは、矛盾する二つの側而が、一定の条件のもとで、相互に連結して同一性を獲得することを言う。闘争性は同一性のなかにやどっており、闘争性がなければ、同一性はない(日本共産党中央委員会毛沢東選集翻訳委員会訳『毛沢東選集 第一巻』日本共産党出版部、1965年、421~472頁。「五 矛盾の諸側面の同一性と闘争 (2)矛盾の諸側面の闘争性」から)

 「たがいに反しながら、たがいに成りたたせあう(相反相成)」は、『漢書』巻三十「藝文志」にある「相反而皆相成也(あい反して而してあい成さしむる也)」が出典である(「諸子十家」のくだり)。しかしその意味は、毛沢東が言うような、「たがいに反するものが同一性を持っている」ではない。「互いに相反する存在だが、相反するがゆえに、互いに相手が己の存在を可能にしている」という意味である。現代語でのそれも同じである。毛沢東は知ってか知らずか論旨のために語意を歪めて使っている。(オンライン辞書のなかにはいま私が言った意味のほかに「たがいに反するものが同一性を持っていること」という語義を足してあるものがあるが、これは「矛盾論」からの逆輸入ではないか。)

梁啓超著 藤田敬一訳 「開明専制論(抄)」

2013年10月03日 | 東洋史
 再読。感想の補足。
 梁啓超は、当時の中国が共和立憲制を実行できない理由として、目下の「中国人」(注)は「個人主義」で自分一個の利益しか考えず、集団の公益というものを知らず、当然ながらそれを伸張することもなく、また己の利害をもって他者の利害を害せぬよう自制し相互に利害を調整調和させることもないとしたうえで、中国は伝統的に自治の歴史に欠けておりまたその制度的基盤も乏しい点を挙げている。彼は、開明専制をもって将来の立憲制の準備とすべきであると主張する。

 。彼はこの定義はいまのところはっきりしないと断っているのが面白い。