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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

鐘叔河 『走向世界 中国人考察西方的歴史』

2013年10月07日 | 東洋史
 明末16世紀半ば頃から清初康煕帝によるキリスト教布教禁止までの、西洋からの中国へ流入した知識と考え方が、中国の知識人・官僚の何人かに重大な影響を与え、明末には思想解放・啓蒙運動とも見なすべき現象が起こっており、これが後に戴震・龔自珍・魏源らのために地ならしとなった(开风气)と書いてある(「第二章 自西徂东」「十七世纪的梦想」31頁)。つまり中国の啓蒙思想は、唯物史観における必要から措定された地生えのものではなく、外来思想の影響のもとに興ったと認めているわけで、これはこれまでの通説を破った意見である。→参考また
 「地ならしとなる」(开风气)という言葉遣いが曖昧で具体的にどういうことを指しているのかよくわからないが、それにしても戴震はまだ良いにしても龔自珍や魏源まで入れていることはすこし驚きである。→参考
 康煕帝のキリスト教布教禁止は1723年、戴震の生まれたのはその翌年(1777年没)だが、彼は考証学者であると同時に天文学者でもあって、後者において、漢語訳された西洋のそれを学んでいる。彼の著書『続天文略』を観ればそれは明らかだ。
 しかし龔自珍(1792年-1841年)や魏源(1794年-1856年)になると半世紀以上後の乾隆末年生まれで、活躍しはじめるのは次の嘉慶年間の終わりかさらにその次の道光年間になる。間が開きすぎてはいないか。そして彼らは戴震とはちがって西洋の学問の影響の残っていた自然科学系の学問はやっていない。二人とも公羊学者である。
 
(北京 中華書局 2010年2月)