(『維基文庫』『古文辭類纂』「序」)
漢より前と言いながら太史公(司馬遷)は別だから入れると言う。「孔孟之道與文,至矣」と言いながら荘子を入れると言う。外のサイトで総目次を見てみたら、屈原の「漁父辞」も、はては『淮南子』『戦国策』のたぐいまで入っている。御都合主義というよりも支離滅裂である。道理で桐城派の言うこと(いわゆる義法)がよくわからぬはずだ。文辞の古いことが肝要なのか、道(儒教就中宋学)に法っていることが肝要なのか、当の彼らでさえ決めかねているのだから。
漢より前と言いながら太史公(司馬遷)は別だから入れると言う。「孔孟之道與文,至矣」と言いながら荘子を入れると言う。外のサイトで総目次を見てみたら、屈原の「漁父辞」も、はては『淮南子』『戦国策』のたぐいまで入っている。御都合主義というよりも支離滅裂である。道理で桐城派の言うこと(いわゆる義法)がよくわからぬはずだ。文辞の古いことが肝要なのか、道(儒教就中宋学)に法っていることが肝要なのか、当の彼らでさえ決めかねているのだから。