(古典籍データベース 早稲田大学)
『気海観瀾広義』他および『理学提要』より続き。
既に「理科」という言葉が見える(「序」や「凡例」)。「凡例」冒頭に、これは若年層の初心者(童蒙)向けだとはっきり断ってある。これも『理学提要』同様、蘭書を訳したものだそうが(ちなみに両者は体裁内容が類似している)、漢文としてはこちらのほうがはるかにこなれている。
医学を含む西洋科学の徒を「藝術家(技術者)」と訳す所など、明末清初の用例に沿った正統的な文言文である。明らかに最初から漢文で発想している。訳者の青地林宗は漢方から蘭学に転じた人だから、根っからの蘭学者である広瀬元恭よりも漢籍の素養が深かったのだろう。
「理」が「物理」の理であること、此方のほうが出版年代的には前だが、『理学提要』と同じい。ただ「空気」或いは「大気」とあるべきところを「雰囲気」としてある。調べてみたところ、これがこの語の第一義の由である。また、「極微」という仏教語を「分子」(あるいは「原子」)の意味に使っている。
読んでみて、広瀬元恭が『気海観瀾』を批判する理由がわかった。項目が『理学提要』に比べるとやや雑駁で、物理学の全般的な入門書としては体系だっていない(脱けている項目がある)。さらに叙述が簡潔にすぎて、論理的に飛躍がある。
後者については、ある程度説明がつく。
『気海観瀾』は『理学提要』とは違い正統的な文言文で書かれているから、その為の語彙と表現がなく、近代科学の実体と論理を叙述しきれなかったのかもしれない。正確具体的に書こうとすると文体が乱れてただの漢文訓読体になってしまうであろう。実際そうなりかかっている部分がある。漢文の造詣の深い(少なくとも広瀬よりも)青地には、それができなかったのではないか。
『気海観瀾広義』他および『理学提要』より続き。
既に「理科」という言葉が見える(「序」や「凡例」)。「凡例」冒頭に、これは若年層の初心者(童蒙)向けだとはっきり断ってある。これも『理学提要』同様、蘭書を訳したものだそうが(ちなみに両者は体裁内容が類似している)、漢文としてはこちらのほうがはるかにこなれている。
医学を含む西洋科学の徒を「藝術家(技術者)」と訳す所など、明末清初の用例に沿った正統的な文言文である。明らかに最初から漢文で発想している。訳者の青地林宗は漢方から蘭学に転じた人だから、根っからの蘭学者である広瀬元恭よりも漢籍の素養が深かったのだろう。
「理」が「物理」の理であること、此方のほうが出版年代的には前だが、『理学提要』と同じい。ただ「空気」或いは「大気」とあるべきところを「雰囲気」としてある。調べてみたところ、これがこの語の第一義の由である。また、「極微」という仏教語を「分子」(あるいは「原子」)の意味に使っている。
読んでみて、広瀬元恭が『気海観瀾』を批判する理由がわかった。項目が『理学提要』に比べるとやや雑駁で、物理学の全般的な入門書としては体系だっていない(脱けている項目がある)。さらに叙述が簡潔にすぎて、論理的に飛躍がある。
後者については、ある程度説明がつく。
『気海観瀾』は『理学提要』とは違い正統的な文言文で書かれているから、その為の語彙と表現がなく、近代科学の実体と論理を叙述しきれなかったのかもしれない。正確具体的に書こうとすると文体が乱れてただの漢文訓読体になってしまうであろう。実際そうなりかかっている部分がある。漢文の造詣の深い(少なくとも広瀬よりも)青地には、それができなかったのではないか。