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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

章炳麟 「駁康有為論革命書」(1903年)

2013年10月08日 | 東洋史
 章炳麟は、この文章のなかで四箇所、「公理」という言葉を使っている。先ず西順蔵氏による訳を挙げる。

 ① 康先生も、「大同」の公理は今日ただちに全面実現されるべきものでない、とおっしゃっている。 (西順蔵訳「康有為を反駁して革命を論ずる書簡」『清末民国初政治評論集』平凡社1971年8月、同書287頁。下線は引用者、以下同じ)

 まず①だが、このくだりは、原文(『維基文庫』「駁康有為論革命書」)に当たってみると、「長素固言大同公理非今日即可全行。」とあって、これは康有為の言葉をそのまま借りた表現であることが解る。もとは間接話法だが、ことさら直接話法にして訳せば、「長素(康有為の号)は『大同の公理はこんにちすぐさま行えるものではない』と言う」ということだ。
 ②③④は、一つの段落の中で使われている。

 ②③④康先生のお考えでは、今日の中国の人には公理がわかっていないし、ふるい風習も残っている。革命しても必ずや戦乱相ついで、わずかの安定を求める余裕もないだろう。変法して人民を救い、内政を整えるどころではあるまい、というのである。いったい公理がわからず、ふるい風習の残っている人民は、革命は不可で立憲こそ可であるとは、そもそも何のことか。〔中略〕公理がわかっていないものも革命によってわかるのであり、ふるい風習の残っているものも革命によって除去できるのだ。(同、294頁)

(原文)長素以為中國今日之人心,公理未明,舊俗俱在,革命以後,必將日尋干戈,偷生不暇,何能變法救民,整頓內治。夫公理未明、舊俗俱在之民,不可革命而獨可立憲,此又何也?〔中略〕然則公理之未明,即以革命明之;舊俗之俱在,即以革命去之。(『維基文庫』「駁康有為論革命書」より)

 ②③④についても同じである。章は康有為の口吻をそのまま用いているのである(康有為は、「公理」という言葉がひどく好きで、「人類平等は幾何の公理である」という発言まであった。『実利公法全書』「総論人類門」)。西順蔵氏の訳によって明らかではあるが、原文を見ると、それが一層はっきりする。康有為の「公理」は、伝統的な意味の「道理」ではなく、いま挙げた言葉で明らかなように、axiom・幾何の公理であり、言い換えれば証明不要の前提、もしくは真実という意味なのであるが、康の場合、そこに(とくに後年になると)社会進化論の証明されざる理論が忍び込んでしまっているところに、今日から見た彼の思想の問題点がある。章も、この文章で、康の言う「公理」について、昔ながらの道理および社会進化論=真実としては認めつつ、ただしその真実実現に至る手続きと取る手段において拒否・否定しているのである。章がいささか嘲弄の気味さえ感じさせる引用の形式をわざわざとったのは、この差異――立憲君主制か革命して一気に民主共和制か――を際立たせるためであろう。

梁啓超 「論君政民政相嬗之理」(1897年10月6日)

2013年10月08日 | 東洋史
 大地のあらゆる事物はみな単純から複雑へ、素樸から文明へ、悪から善へと進化し、地質学でいう各層の岩石と同じように、一定の段階、一定の時期があって、その順序を乱すことはできない。中国は多君の世であるのに、国家はすでに民主政治が行われているとか、すでに民主政治が行われているのに突然君主政治にもどるとかいうことは、公理に合っていない。幾何学に通じたものならきっとこの道理がわかるだろう。 (伊東昭雄訳、西順蔵編『原典中国近代思想史』第二冊、岩波書店1977年4月、「君主政治より民主政治への推移の道理について」、同書203頁。下線は引用者、以下同じ)

 原文。
 大地之事事物物,皆由簡而進于繁,由質而進于文,由惡而進于善,有定一之等,有定一之時,如地質學各層之石,其位次不能凌亂也。今謂當中土多君之世,而國已有民政,既有民政,而旋复退而為君政,此于公理不順,明于几何之學者,必能辨之。 (『維基文庫』「論君政民政相嬗之理」)

 最後部の「此于公理不順,明于几何之學者,必能辨之」にあるこの公理は、みなが納得する道理(=公道)という伝統的な意味ではなく(注1)、証明不要の公理、すなわち梁啓超本人がそのすぐ後で念を押すように名を出している幾何学の公理である。

 注1。例えば晋の陳寿『三国志』巻57「呉書 張温伝」。“競言〔暨〕艷及選曹郎徐彪,專用私情,愛憎不由公理。” 清の姚鼐 『礼箋序』。“经之説有不得悉穷。古人不能无待於今,今人亦不能无待於后世。此万世公理也。”

 この新しい意味における「公理」は、ひょっとして日本からの輸入語かと思ったが、どうもそうではないらしい(注2)。

 注2。大原信一「中国語にはいった日本語」(『東洋研究』82、1987年2月、81-101頁)に、1949年以後の現代中国で出版されている外来語辞典および研究のなかから日本語来源の借用語と認定されている語彙を摘出してアイウエオ順に並べた表が載せられているが、そこには見えない。

 しかし、いつからこの意味で「公理」が使われ出したのか、いまつまびらかにしない。手持ちの諸橋轍次『大漢和辞典』には用例がなく、1979年度版『辞海』も同じである。徐光啓/マテオ・リッチ『幾何原本』(1607年刊)では、公理は「公論」と訳されている(巻二)。