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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

藪内清 『支那數學史』

2013年10月29日 | 東洋史
 戦後書かれた『中国の数学』(岩波書店 1974年9月)とは見方の違うところもあるので、両方読んだ方がよいと思う。
 和算を中国数学と比較して優劣を判じたり、中国数学の西洋数学に比しての立ち後れを「偏狭な中華思想」の故だと論じたり(「結語」)、時代が窺える内容である。だが同時に、「然し以上の二点は独り支那人のみの問題ではない」と、返す刀で日本人も斬っている。

(山口書店 1944年3月 原文旧漢字歴史仮名遣い)

吉川幸次郎 「清代三省の学術」

2013年10月29日 | 東洋史
 初出1938年8月『大阪毎日新聞』掲載、のち同年9月大阪毎日新聞社『揚子江』収録。

 清代学術についての簡にして要を得た俯瞰である。著者は、言及する人とその著作のことごとくに、自らの観点からする内容紹介と評価を付している。

(『増補 吉川幸次郎全集』16 筑摩書房 1975年12月、3-10頁)。

川本幸民訳述 『気海観瀾広義』巻八/巻十四(1857・安政3年刊)

2013年10月29日 | 自然科学
 (古典籍総合データベース - 早稲田大学) 

 巻八「大気」条。
 『気海観瀾』では「雰囲気」と訳してあったものを、ここでは「大気」と、いまと同じ訳語を当てている。ただ冒頭、「大気ハ一〔いつ〕二雰囲気トイフ」と断ってある。
 
 巻十四「光」条。
 当時の科学ではあたりまえのことだが、光を「光素」という粒子(もしくは元素・原子)の集合体として捉えている。