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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

山内弘一 『朝鮮からみた華夷思想』

2009年01月03日 | 東洋史
 2008年12月30日、松尾康典 『増補改訂版 現代ベトナム入門 ドイモイが国を変えた』から続く。

 高麗(918年-1392年)は、建国の最初、天授という独自の年号を使用したが、ほどなく中国後唐王朝(923年-936年)の年号に替えた。途中でふたたび(950年)、光徳という独自の年号を建てるが翌年には後漢(946年 - 950年)の正朔を奉じている。960年に北宋が成立した際にはその建隆という年号の二字がいずれも自国の太祖とその父の諱に触れるため、その両方を同様の意味を持つ漢字で言い換えた、峻豊という年号を用いたほかは、以後、一貫して中国の元号をそのまま使用した(本書22-23頁)。
 この時代(10世紀)の中国は、907年の唐滅亡のあと、960年の北宋による中国統一まで、「五代十国」と呼ばれる大分裂期だった。高麗が独自の年号を建て、さらには中国に対してはその冊封を受けて王を称しながら、その一方、国内においては「皇帝」「天子」を称し、「朕」の一人称を使い、命令を「制」「詔」(みことのり)と呼び、首都を「皇都」と呼ばせていたのは、中国国内の混乱による圧力の低下に起因する(本書23頁)。
 おもえばベトナムが北属期を脱するのも同じ10世紀(938年)の中国五代十国時代であり、自国の君主を「南帝」と呼んで北帝=中国皇帝に対置した李常傑(リ・トゥン・キェット)の詩が書かれるのは翌11世紀である。スタート地点はほぼ同じということか。

(山川出版社 2003年8月1版1刷 2008年4月1版2刷)

池田信夫 「奴隷制の効率性」 から

2009年01月03日 | 抜き書き
▲「池田信夫 blog」2009-01-03。(部分)
 〈http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/e6bc47185c94348d9077ef0ccbec23d3

 近代社会には、すべての個人はひとしく「譲渡不可能な基本的人権」をもっているという(根拠のない)信念があるので、(後略)
 
 やっぱりそうですか。そういうことにしないと近代社会がうまく機能しないということですね?

「中学教諭が生徒にわいせつ行為 20人以上被害か」 から

2009年01月03日 | 思考の断片
▲「47ニュース」2008/12/27 21:37、共同通信。 (部分)
 〈http://www.47news.jp/CN/200812/CN2008122701000584.html

 教諭は関係者に「魔が差した。生徒には本当に申し訳ない。教員としてあるまじき行為をしてしまった」などと話しているという。

 予備校の教師をしていた頃、20代の若僧が「先生」「先生」と呼ばれるたびに、言いしれぬ恐怖を感じた。いにしえの「位打ち」とはこれかと思った。

蓼の話ではないが

2009年01月03日 | 抜き書き
▲「Searchina 中国情報局」2009/01/01(木) 20:00、ANOMA亭主:星川康江 「旬を逃さないで! お茶のボージョレーヌーボー『雪片』」 (部分)
 〈http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0101&f=column_0101_003.shtml

 日本では冬の支度を始めるころ、11月も後半になると、広東省にある鳳凰山では、冬のお茶が採れ始めます。春のドッシリとした、旨味も香りも凝縮されたお茶とは異なり、冷たい風に当たり、華やかで軽やかな茶葉が育つのです。

 私は鳳凰単叢は、春茶が好みです。