くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「風の唄」あさのあつこ

2012-05-29 05:45:09 | 文芸・エンターテイメント
 教育実習の方が来ています。
 小説教材をお願いしたのですが、自分で読むのとはまた違う発見があるのがおもしろい。新鮮ですね。人に読んでもらうのって、思った以上に訴えかけられるような気がしました。
 で、教科書の「風の唄」です。映子のあだ名は省略されています。で、某ワークブックでは東真を充と美代子の子供として紹介。うーん、美代子は義母ですよ。だから幼いころに曾祖母と祖母の家で暮らしていたんですよね。まあ、話がややこしくなるのでそこはふれないでおきましょう。
 何回も繰り返して読むうちに、「柿」というモチーフが重要であることがわかってきます。小さい頃から繰り返し描いてきた絵。その一枚を、曾祖母は額に入れて飾ります。しかし、映子との才能の違いに衝撃を受けた東真は、その絵を河原で焼いてしまう。これは、自分にとってプラスの存在だった絵が、マイナスに転化したからではないかと感じました。
 彼にとって、柿と映子とは美しいものを具現化している存在のように思います。どちらも「焔」「炎」にたとえられているし。
 「他人のために描ける」ことについて、ラストには曾祖母のためにと庭の柿を描く様子が示されます。この絵は曾祖母の棺に入れて焼くのですから、燃やすために描かれると考えていいでしょう。一瞬の存在しか許されない、そんな絵です。でも、だからといっていい加減に描いていいものでもない。彼が燃やしてしまった柿の絵同様、曾祖母に気に入ってもらえるものでなければならないのです。
 小説では主人公の変容を読み取ることが重要です。その変化に何が関わるのかをつかませないと。ここでは絵が描けなくなった東真が、再び描けるようになる。曾祖母の遺言と映子の苦悩を知ったことがきっかけといえるでしょう。
 昨年、教科書に載ると知ったときにはどうやって教えるのか悩みましたが、こうやって読んでみるとかなり細かいところまで計算された小説です。東真と映子も対照的に描かれている。ただ、映子から見て、東真の悩みを根本から理解していたとは思えませんが。一年の間、彼女も悩んできたのでしょうが、こだわっているのは東真の肖像画の方です。彼に未完成の絵を見られて、怒らせてしまったことへの悔恨のように思います。「まだ描きたい」というからには、あのとき以来筆をとっていないのでしょう。映子もまた、描けなくなった絵と向き合うために東真に会いにきたのです。