草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

聖なるものに立ち還ろうとする保守派の変革へのパトス

2011年08月15日 | 祖国日本を救う運動

 今日は日帰りで上京し靖国神社に参拝したが、近くで行われていた在特会主催の集会を覗いてみた。反天連のデモを迎撃するという触れ込みであったが、動員力の点で上回っていたばかりでなく、秩序だった戦いを繰り広げて、権力に付け入る隙を与えなかったのも立派だった。私のような70年安保騒動を目のあたりにしてきた世代にとっては、あのときの高揚感と同じものを感じた。すでにマルクス主義は死を宣告されており、拠り所とすべきは、天皇や日本という国家であることに、若者たちは気づき始めているのだろう。「聖なるもの」を持ち出すことによってしか、変革へのパトスは生まれないからだ。山口昌男が「与えられたものとしての日常性を突破して、何物かに立ち還ることによって自己を蘇らせ、世界を蘇らせる試みであるとするならば、それは世界のなかに聖なるもの(己れが真に拠って立つことの出来るもの)を確立する試みの謂いにほかならない」(『人類学的考察』「失われた世界の復権」)と書いているように、根本に立ち還る運動というのは、本来は「聖なるもの」と密接なはずなのに、サヨクはそれを見失ってしまったために、地盤沈下が著しいのである。それと比べて保守派の市民運動が燎原の火のごとく広がっているのは、「聖なるもの」を中心に据えているからだろう。  

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