黛敏郎は『題名のない告白』のなかで「スパイ防止法制定を!」という一文を書いている。世界的な作曲家であった黛は、このままでは日本は滅んでしまう、との思いからそれを訴えたのである。昭和57年のことであった。あれから歳月は経ってしまったが、日本人の防諜に対する考え方は一歩も前進していない。今、目の前に侵略者として中共が迫ってきているのに、それで本当によいのだろうか。他国からの侵略というのは、軍事力ばかりでないのを黛は知っていた。そして、スパイ防止法に反対する勢力は「諜報、宣伝、人心撹乱により、戦わずして自分の支配下に収めるのが常套手段ですから、それをやりにくくするこの種の法律を、躍起となって阻止しようとするのは当然です」と批判した。また、共産主義など全体主義国家を念頭に置きながら、例えば中共の軍門に下ることは、結果的に言論表現の自由と、知る権利の確保は難しくなることを指摘する。「最初からそうした自由の価値や存在を認めない社会が到来したならば、そうした自由は何の意味もありません」と危機感をつのらせたのである。今回の特定秘密保護法案に関して、マスコミはこぞって撤回を要求しているが、国家の安全保障上の機密がどんどん漏れてしまっている現状をどう思うのだろうか。さらに、罰則の規定は他の国と比べると段違いに軽い。最高死刑の国もざらなのである。法律の運営にあたっては万全を尽くすべきであり、最終的には公開を原則とすべきだろう。しかし、それが担保できるならば、スパイ防止法の制定が困難な我が国としては、最低の防諜としてそれを認めざるを得ない。国際情勢は甘くはないのだから。
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