草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

テロに屈してしまうのが御身大切のマスコミだ

2023年10月15日 | マスコミ評
 物騒な世界になったものだ。言いたいことも言えなくなる時代が到来したのではないだろうか。テロも小規模であればマスコミも批判できるが、それが大規模になれば「物言えば唇寒し秋の風」ということになるのだ。
 ネットでの発言にしても、それなりに危険が伴うのである。インフルエンサーと呼ばれる人たちだって、金が儲かるとホクホクしてはいられない。支持者がいる一方で、反対する人間が必ずいるわけで、まかり間違えば憎しみの対象になってしまうからである。とくにネット空間では勝手な妄想を掻き立てられるような雰囲気がある。
 国内の治安を預かる警備当局は、そうした人たちの身辺警護にも配慮すべきだろう。言論の自由を守り抜くためには、そうした対策も抜かりなく行うべきなのである。
 永井陽之助が「要するに、八名か十名たらずのテロリストなら、新聞も知識人も、身の危険も感ぜずに、『市民の顔に潜めた〝悪意〟』と非難できる。しかし、これが数百名になり、数千名になったらどうなるか。確実に予測できることだが、日本の新聞、雑誌は、いっせいに沈黙するか、このテロリストを民族解放か革命の戦士とたたえる文章を掲げるに違いない」(『現代と戦略』)と書いている。
 もうすでに、日本のマスコミはハマスを名指しでテロリストと呼ぶことを避けている。御身大事であるからだ。テロに対処するというのは、生易しいものではない。
 イスラエルでは、全国民に銃器を渡して、身の安全を守るようにしている。我が国は銃なき社会である。それを破ることは治安を悪化させる危険性があり、そこまではできない。せいぜい警察官に自動小銃を持たせるしかできないだろう。本格的な戦争でなくても、テロリストの武器は高度化しており、そのうち核兵器すらも持ちかねないのである。
 そういう世界になったとしても、私たちは、いかなることがあっても「テロを認めない」という覚悟を固めて置かなくてはならない。暴力によって自由な言論が奪われてはならないからである。

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