ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

曇り空の太田メーデー

2017年05月01日 | 地域・一般

以下は昨年の太田地区メーデーの様子。

一年経つのがほんとうに早く感じられますね。

 
晴れた五月の太田メーデー
きょうは五月晴れ。「晴れた五月の青空に~♪」の歌にふさわしいメーデーびより。87回太田地区メーデーに参加しました。熊本・大分地震で亡くなった方々を悼んで黙祷からの次第進行で......
 

「メーデーは1886年5月1日アメリカ合衆国カナダ職能労働組合連盟が、シカゴを中心に8時間労働制要求の統一ストライキを行ったのが起源です」(メーデー宣言の一部から)

太田は労働・農民運動の輝かしい歴史のある町です。敗戦翌年1946年5月1日の太田地区のメーデーは8時半には太田駅前に労働者農民の人たちが多数集結。今では農民の人たちの姿を見つけるのは大変ですが・・。今日のメーデーと同じように10時過ぎにデモ行進に入る。農民運動の名指導者須永好を先頭に。一行は太田駅、呑龍さま、中島飛行機八幡寮、強戸国民学校(強戸小)のコースを歩いたといいます・・。

「強戸の社会党員、農民組合員、新田開拓農民、官公労、民間企業の労組が思い思いのノボリやプラカードを持ち威勢が良かった。先頭が強戸に着いたというのに後部はまだ太田駅前にいたぐらいだった」(須永徹著『未完の昭和史』)

その頃の勢いこそなくなってはいますが、少数とはいえ働くものの祭典に集うポポロ(人々)の情熱は今もしっかり受け継がれていることには変わりありませんでした。

 

  【須永好、すながこう】1894-1946 群馬県旧強戸村生。旧制太田中学校を経済的理由で中退後農業に従事するかたわら農民運動に携わる。郷里強戸村を理想郷へ、と農民たちを組織しわが国初の革新自治体“無産村強戸”を実現。戦後は日本社会党結成に奔走、日本農民組合初代会長 衆議3期(戦前戦後通算)。

 

きょうの一曲はメーデー発祥の地シカゴにちなみ前回につづき『Sweet Home Chicago』
ドラムスとブルースハープはわれらがシルバー世代のご同輩、がんばれよ♪

The Sad Sam Blues Jam ~ Sweet Home Chicago


 

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