ポポロ通信舎

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熊谷空襲が原点 森村誠一氏逝く

2023年07月29日 | 教育・文化
森村誠一さん亡くなりました、90歳。

731部隊を追跡したノンフィクション『悪魔の飽食』など反戦の精神をもった作家としての強い印象があります。

氏は埼玉県熊谷市生まれ。県立熊谷商業高校卒業後、伯父の紹介で都内の自動車部品会社に勤めるが、商品を輸送中に神田駿河台の坂を車が登れず困っていたところを明治大学生に助けられ、大学生になるのもよいと考え、青山学院大学文学部英米文学科に進学。卒業後はホテルマンとして働く
(ウキペディア参照)

当通信舎でも
2021年1月9日「最後の空襲 熊谷」でも森村さんに触れています。

森村氏12歳の時、
日本で最後の空襲となった「熊谷空襲」を体験。
改めて熊谷空襲とは何だったのか。
戦争終結の玉音放送が流れるその前夜、8月14日深夜から15日までの約1時間、米軍機B29による埼玉県熊谷市内への空襲があった。市街地の3分の2が焼かれ266名が亡くなった。負傷者は3000人の悲劇。

当時国民学校生(小学生)だった氏は父親のとっさの判断に従って市内の星川から荒川に向かって逃げたといいます。自宅は全焼したがもし星川に留まっていたら命はなかった。翌朝、星川に浮かんだ死体の中には、森村少年が思いを寄せていた少女の姿が・・。
この空襲の体験が、ものを書く方面に進んだ原体験になったと氏は語る。

後日、この日に出撃した米軍機のパイロットの証言によればグアムから飛び立つ前に、ラジオでニューヨークがVJ(Victory Japan)を祝っていることを聞いていた。それなのに「我々は、なぜ熊谷に向かって出撃しなければならないのか」とする疑問を感じていたという。攻める側も、中止命令が出るのをひそかに待っていた飛行士たちもいたという・・。

晩年は、老人性うつ病を発症。その闘病生活をもノンフィクションにしてまとめる。
苦労のたたかいの人生であったように感じます。合掌。


訴え続けた『反戦と平和』 作家・森村誠一さん(90) 死去(2023年7月24日)

写真:『戦災者慰霊の女神』像(熊谷市内 星川沿い)
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