ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

前橋空襲後、天皇直訴の女性

2017年08月07日 | Weblog

8月5日の前橋空襲のあった翌日、単身上京して昭和天皇に戦争終結を求めて皇居二重橋付近で拘束された女性がいたという記事をお読み驚きました。
すごい勇気です。鉱毒公害問題を明治天皇に訴えた田中正造翁を思い出しました。

この女性、奥野とめ子さん(1916-1954)は当時29歳、当方の亡母の3歳年上、ほぼ同年齢です。
遺族の方が、今年発表を決意して本当に良かったと思います。72年目にして故人の尊い遺志が広く世間に知らされたことは、意味の深いことです。


亡母の話した前橋空襲

前橋空襲では500人以上が犠牲になっています。
以下、母が生前私に話してくれた前橋空襲の逸話です。

当時20代の母は勤務先の東芝(川崎市)で何度が空襲に遭っていた。たまたま前橋に帰省した時に米軍機から空襲予告ビラ=写真=が投下されたという。前橋の中心街の実家には母親と弟が住んでいた。予告ビラは敵の謀略宣言で読んではいけない、手にしたらすぐに破棄するべしというのが決まりだった。予告ビラのことで半信半疑の弟たちに対して、母は「ビラが降ってきたら空襲の日は近い、すぐ逃げるように」と強く命令するように言った。
家族はそれに従って空襲当日は市郊外に避難していた。空襲が終わって自宅に戻るとあたり一面焼け野原、焼け跡を掘ってみたら、黒焦げになった爪切りバサミだけが出てきた・・。
戦災の証拠品としてこの黒焼けのハサミ大事に保存していたのですが、見つかりません・・残念です)



本田美奈子 - アメイジング・グレイス

 

コメント (1)
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