ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

「武尊の麓」の江口きち

2011年08月25日 | 研究・書籍

人類に果たして未来はあるのか。核・原発問題を考えていると時々厭世的な気持ちになってしまう。無性に江口きちの歌集をもっと読みたくなり、その書を捜すが本屋や通販では見つからなかった。

ようやく邑楽町の図書館で、『武尊の麓』(ほたかのふもと)と『江口きち資料集成』をみつけ目を通すことができた。

江口きちが誌友だった『女性時代』の主宰者、河井 醉茗(すいめい)のきち人物評では「決して人生を安く見限ってのことではなく家庭、生計にひしひしと身に迫る重圧を感じ、わが力及ばずと決めて潔く生涯を断ち切った」「きち女の歌には、厳しさ、清しさ、寂しさ、正しさ・・の言葉が好んで用いられた。如実に彼女自身の性格を反映している」

江口きちが命を絶つ数日前までの日記が綴られていた。彼女の過ごした「八畳の部屋」についての惜別の文では・・。

「この部屋をお城にいくつかの秋が逝った・・八畳のうちしか通用しない哲学、いつも真剣な信條だった・・これがまあ終のすみかか雪五尺・・歎息ではなく見廻して感慨深いものがある」

以下、私の気に留まった歌をいくつか選んでみた。

(憂愁の朝)人生のちまたのかげに忘られて生きむ願いは あはれ妹も

(出征兵を送る)万歳を叫び消えゆくつかのまの 静寂に仰ぐ暁空の星

(沼田街道)うらぶれし吾が瞳に沁みして午後を往く バスの窓外の野は秋寂びぬ

(青酸加里)諦めに慣れ来し身にはもたざらし 願いひたすら涙こぼるヽ

法名は「文暁妙珠大姉」

「川場は山間としては割合まとまった盆地をなしているらしい。遠く望まれる武尊(ほたか)山や上越国境の山々・・」と生まれ育った故郷を語る江口きち。

昔も今も変わらぬ自然豊かな景勝の武尊の麓。しかしこの地にも放射能は例外なく降り注いだ・・

測ってガイガー 

武尊の麓 (1976年)
江口きち著
清水弘文堂

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