人類に果たして未来はあるのか。核・原発問題を考えていると時々厭世的な気持ちになってしまう。無性に江口きちの歌集をもっと読みたくなり、その書を捜すが本屋や通販では見つからなかった。
ようやく邑楽町の図書館で、『武尊の麓』(ほたかのふもと)と『江口きち資料集成』をみつけ目を通すことができた。
江口きちが誌友だった『女性時代』の主宰者、河井 醉茗(すいめい)のきち人物評では「決して人生を安く見限ってのことではなく家庭、生計にひしひしと身に迫る重圧を感じ、わが力及ばずと決めて潔く生涯を断ち切った」「きち女の歌には、厳しさ、清しさ、寂しさ、正しさ・・の言葉が好んで用いられた。如実に彼女自身の性格を反映している」
江口きちが命を絶つ数日前までの日記が綴られていた。彼女の過ごした「八畳の部屋」についての惜別の文では・・。
「この部屋をお城にいくつかの秋が逝った・・八畳のうちしか通用しない哲学、いつも真剣な信條だった・・これがまあ終のすみかか雪五尺・・歎息ではなく見廻して感慨深いものがある」
以下、私の気に留まった歌をいくつか選んでみた。
(憂愁の朝)人生のちまたのかげに忘られて生きむ願いは あはれ妹も
(出征兵を送る)万歳を叫び消えゆくつかのまの 静寂に仰ぐ暁空の星
(沼田街道)うらぶれし吾が瞳に沁みして午後を往く バスの窓外の野は秋寂びぬ
(青酸加里)諦めに慣れ来し身にはもたざらし 願いひたすら涙こぼるヽ
法名は「文暁妙珠大姉」
「川場は山間としては割合まとまった盆地をなしているらしい。遠く望まれる武尊(ほたか)山や上越国境の山々・・」と生まれ育った故郷を語る江口きち。
昔も今も変わらぬ自然豊かな景勝の武尊の麓。しかしこの地にも放射能は例外なく降り注いだ・・
武尊の麓 (1976年) | |
江口きち著 | |
清水弘文堂 |