ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

【中学下宿記】(22) 女子寮での年越し、正月

2009年12月30日 | 中学生下宿放浪記
本当は、母のいる女子寮から毎日、中学校に通えたら、と思っていました。
男子禁制の女子寮、出入るするだけが許容範囲。それは十分承知でしたが。

それでも正月は、気持ちを抑えきれず毎年、下宿を出て母の元に向かい
女子寮に潜伏しました。
男子の宿泊は厳禁と聞いていただけに、母には申し訳ないなあ、迷惑を
かけるなあと思い、ちょっと悪いことをしているような気持ちでした。
すぐに何かあったら下宿に舞い戻る覚悟で年の瀬は、女子寮に入らせて
もらいました。

年末年始の長期休暇に入った女子寮は、大半の人が故郷に帰った後で、
閑散としています。
しかし帰省しない寮生もいました。母は帰省しない寮生の世話もあり
交代勤務体制の中にいました。

大きな白黒テレビが一台、寮の1階、西端の娯楽室にありました。
そのテレビを前に、残留組の寮生たちと一緒に紅白歌合戦を見ます。

半纏(はんてん)姿の寮生のかたまり最後方で、なるべく目立たぬように。
そうはいっても少年一人、私の存在は十分に目立っていたことでしょう(笑)
紅白のステージでは、ロカビリー歌手の平尾昌晃が熱唱していました。

食事の時は、寮の食堂を、これまた目立たないように隅の席を選んで
静かに座っていました。
ところがある時、食堂のテレビにドラマが流れていて、出てきた子役の
坊主頭の中学生が、見ると私にそっくり。みんなが一斉に私の方をみて、
「あっ、イチローちゃんに似てる!!」
確かに、私が見ても殿山泰司を子供にしたような、よく似た顔の少年が
画面いっぱいに映っていました。
自分では、息を潜めて食事していたつもりなのですが、ここでもすっかり
注目されてしまって・・

こんなこともありました。
母のところに、これから相談事がある寮生が部屋に訪ねてくると言うのです。
急なことで、とっさに私は「新日本研究所」の本部と名づけていたお気に入り
の部屋のロッカーに身を隠しました。

相談事は、恋の悩みでした。
「私がこんなに好きなのに、彼はこっちを向いてくれないのです。
こういう人って観賞用男性と思って諦めるべきでしょうか・・」

どうやら同じ職場の人同士の恋愛問題のようでした。
それに対して母は何かとアドバイスをしていました。
しばらくして相談の寮生が帰って、真っ暗なロッカーから出てきた私は
早速、母に尋ねました。
「かんしょうよう男せい、ってどういう人?」
「花のように美しくながめているのにぴったりな素敵な人のこと」
「へえ~ そんなに綺麗な男の人?」
「私から見ると普通の人のようだけど(笑) 人を好きになると、アバタも
エクボということわざがあるように、すべて良く見えてしまうものなのね」
「・・・・」

お正月、事情があって帰省しない寮生たち。
そして事情があって“寄生”している僕。
女子寮、親和寮の中は、さまざまな人模様が息づいていました。(つづく)



【写真】餅つきの後、みんなで丸めて伸ばして・・
   (「東京サンヨー」1961年新春号)


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コメント (2)
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