ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

【中学下宿記】(21) 先生との不和

2009年12月25日 | 中学生下宿放浪記
ここの中学校では生徒間のいじめはまったくなかったのですが、
一難去って又一難。
今度は、担任のF先生(女性)との折り合いが悪くなっていきました。

2年生の11月。日記には「誕生以来最高ともいえる大注意を受けた」とある。
A君と一緒に呼ばれ、A君はF先生から顔をぶたれた。原因はA君が掃除を
逃げ、それを見て一緒に帰ろうとした私も怒られた、とのこと。
「お前は生活委員で注意しなければいけない立場なのにそんな事でいいのか
最近どんどん悪くなっている。私はだんだん責任をもてなくなってきた。
授業中やHRも野次みたいな不平ばかりを言って、小泉に帰すよ!」

日記には「30分くらい頭をたれて下を向いていたので首がいたくてたまら
なかった・・」とある。なぜA君を見逃し、自分も帰ろうとしたのか不思議で
ならない。A君は同じ剣道部で、のんびりとしたそれはそれは性格の良い
大仏様みたいな生徒でした。今では、なぜ掃除をサボろうとしたのか真意は
わからないのですが、とにかく私も悪かったのだろうと思います。
それにしても「小泉に帰すよ」の言葉には複雑でした。
母親の元を指して「小泉」と言われたのでしょうが、ここではすでに自分は
「大泉(小泉)の人」と思われていることに妙な気持ちにさせられました。

この様子を始終見ていた友人の一人(自称不良)が下校時、駆け寄ってきて
「(Fは)桂が不良と言っていたけど、それなら(本物?の不良の)この
俺は何なのだ(笑)。だいたいFは親がPTAの役員をやっているヤツなんか
何をやっていても注意しない。俺やお前はなめられているのさ」と慰めてくれた。
中学2年生ともなると、時には教師に対してもするどい観察力をもつ。
そうか、私の家庭環境が良く思われていないのだ。それが容赦ない叱責にも
表れているのか、その時初めてそんなことを思いました。

F先生は、3年生になると、生徒を叱るとき「そんなことをしていると内申書に
悪く書くよ」と言った。
内申書は、高校入試のとき重要な中学校からの資料であることは皆知っている。
これは中3受験生を黙らせるには効果のある“宝刀”でした。

さっきまで、陰でF先生の悪口を激しく捲し立てていたものが遠くからF先生に
呼ばれる声がすると、急に可愛く「ハイ!」と変身して先生の元に飛んでいく。
ゴマすりの二面性を級友たちに見て取れました。

ただ、先生との確執くらいでは、転校したいとまでは思いません。多くの級友
たちが、同情してくれているのを感じられたからです。
「枕草子」の「ありがたきもの=めったにないもの」にも「主そしらぬ従者」
とあります。つまり主人(上)を悪く言わない使用人(下)はいない。

会社などどんな組織でも同じことですが、上への不満や対立、これはほぼ宿命
みたいなものです。
それより水平、つまり同僚(同級生)や仲間内の攻撃(いじめ)の方がつらい。
私のサラリーマン生活でも上司よりも、同僚との不和に気が休まらなかった。
さらに年下の後輩社員から反発された時期が一番辛かったことを思い出します。

担任のF先生とは対照的に、当初受け持たれる予定だった隣組のN先生は、
時々私に声を掛けて励ましてくださった。F先生に叱られるたびに始業日の
あの日、N先生の組でなければイヤだ、と強く言えなかったことが悔やまれて
ならなかった。

実は、もう一人教頭のS先生も私の母校、若宮小学校から移って来られ、
これまた優しく心配していただいた。S教頭先生は、私の成績の乱調を
案じて下宿生活のことも詳しく尋ねられた。
S教頭と親しく話した後、担任のF先生から「私の事を何か告げていたのか」
と邪推され問い正された時はなんとも情けなくなりました。
「何も言っていません、うそだと思うならS教頭先生に聞いてください!」

下宿でもめて、担任の先生とも。。
24時間、気持ちの落ちつかない時が少なくなかった日々でした。(つづく)


【写真】元気な中学生たち。(「邑楽町広報」の表紙より)


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コメント (1)
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