何度も行こうと思いつつ…鹿児島中央駅からすぐ近くなのになかなか実現できなかった(やる気がなかった)鶴丸城(鹿児島城)に朝イチで行くことにしました。
朝の通勤時間帯で市内中心部の交通量の多い道を我慢しながら進みます。
写真は2020年に復元された御楼門です。
復元されたばかりのピカピカの城門です。
鶴丸城の駐車は「黎明館」もしくは「県立図書館」を利用…とあります。
よし…naviに「黎明館」とセットして走り始めます。
naviの案内に乗って走りますが…ちょっと嫌な予感…
難しい道のりではないのですが、通行量の少ない裏道から国道10号線を右折と言ってきました。
信号のない生活道路から4車線ある国道を右折!
朝の通勤時間帯にもう少し親切なルートは無いのかい!と思いました。
この時点で「今日はツイていないな~」なんて気持ちが萎えましたが…これはほんの序章でありました。
東京でも4車線道路を右折で進入なんてありませんが…親切なバスドライバーが徐行してくれたので、無事に右折完了!
黎明館入り口はあまりに地味で通り過ぎてしまい一回りして駐車場に到着。
何だかやけに静かです。
守衛所には誰もいません。
「あれ? 本日黎明館は休みか?」と思いつつ、だだっ広い駐車場にハチ君を停めます。
「黎明館に用事があるわけでも無いし…」と深くは考えません。
鶴丸城へ徒歩で向かいます。
駐車場から2~3分歩いて「御楼門」に到着です。
「ん? なにこれ?」
「本日は休館日です」とあります。
「マジか?」
今までいろいろの城・城址を巡りましたが…城が「休館日」って初めてです。
ちょっと驚きを隠せません!
またしても…鶴丸城はお預けとなりました。
鶴丸城!手強いな!
予定がだいぶ空いてしまいましたが…鹿屋へ向かいます。
鹿屋は「鹿屋航空基地史料館」とか「佐多岬」などこれまで何度も通過していますが…「鹿屋駅跡」を訪問するのは初めてです。
現役時代の「鹿屋駅」は写真でしか見たことはありません。
現在の「鹿屋市鉄道記念館」と「旧鹿屋駅」は何となく似ていると言えなくもないし…微妙です。
鉄道記念館として素敵な建物だと思います。
記念館前には「動輪」が展示されています。
説明パネルには「ED7648」号機の動輪と説明されています。
蒸機の動輪ならそれを見ておおよそ本体名?が想像できますが、電機はまだそれが出来ません。
並べられたカウンター
自分で押して申告するシステムでした。
「一般」のカウンター…今日はまだ「一人目」です。
駐車場から見たキハ20
ペイントはだいぶ傷んでいる様子でした。
「キハ20 441」号機と読めました。
記念館内部…来館者名簿に記入し記念に「硬券」を頂きました。
旧大隅線「鹿屋駅」次駅「大隅野里駅」に立ち寄りました。
RC造りの駅本屋と駅名標が残されています。
色々と諸事情があるのでしょうが、建物内部は「ドンガラ」で「鹿屋市鉄道記念館」と比較するとちょっと拍子抜けです。
次にやってきたのは…「旧志布志線 伊崎田駅」→「有田町鉄道記念公園」です。
ここは保存状態もまずまずで見応えもありました。
辺りのロケーションから「なぜここに駅が?」とは思いましたが…
駅舎の壁には駅が輝いていた頃の写真が多数飾られていました。
「こんなに大勢の人々に愛されていたんだ」…と感動しました。
ホーム側に出てみます。
今の「伊崎田駅」の姿です。
窓に人影が見えます。
あれは保線の恰好をしたマネキンさんです。
私も最初見た時に「ドキッ」としました。
路盤跡は道路に転用され地域の交通に貢献しているようです。
画面中央部にチャンネルを曲げて屋根のようにしたものが写っています。
ここが「信号テコ」を扱う信号所跡のようです。
腕木信号機の「信号テコ」が残されています。
先ほどの額に入って展示されていた写真にこの「信号テコ」も写っていました。
駅正面入り口には写真のように「建物財産標」が残されています。
ズームアップしてみてみますが非常に残念な写真です。
先にご説明したように、今回の九州取材には一切の撮影道具は持たずに「iPhone」とジンバル(スタビライザー)のみで臨みました。
結果は…スキルの問題もあるとは思いますが…やっぱ「iPhone一択は無理」という結果となりました。*当たり前かも。
動画だけの取材でそこから静止画を切り出すのは場合によっては「無理」がありました。
無理して読めば「昭和26」と読めますが酷い…
せっかくの「建物財産標」というお宝を前にして残念な結果ではありましたが貴重な体験でもありました。
負け惜しみに聞こえるかも知れませんが…「大隅線」と「志布志線」…来年のリサーチと考えています。
次回は準備万端で全線を取材しようと考えています。
これまで「鹿屋」には一度も宿泊したことが無いので、次回は2泊くらいして「大隅線」「志布志線」廃線跡を取材する予定です。
鹿屋から鹿児島空港に戻ってきました。
ホテルのチェックインまでには若干早いので、空港でオミヤなどを購入して時間をつぶします。
霧島の「ホテル・京セラ」に到着。
鹿児島に宿泊の際にはここを利用させていただいています。
本日の走行距離は…226.5 Km 平均燃費 は 15.9 Km/L と表示されています。
鹿屋へ向かう高速は「追い越しレーン」の無い制限速度が80Kmの道路なので燃費もまずまずでありました。
オジサン独りで宿泊するにはもったいない客室です。
吹き抜けの中央部はチャペルとなっています。
実はここで息子の結婚式が行われました。
お相手のお嬢さんが霧島の方なのでその関係でこのホテルが選ばれました。
披露宴の挨拶で各方面の来賓の方々にお礼を述べ、「鹿児島を訪れた際にはホテル・京セラさんに宿泊します」とか酔っ払った勢いで言ってしまい、必ずこちらのホテルに宿泊させていただいております。
現在、息子の長男は中学生…「乗り鉄」です。
25日のGPS Log です。
「鹿屋」と「志布志」の辺りをグルグルしているのが分かります。
朝の通勤時間帯で市内中心部の交通量の多い道を我慢しながら進みます。
写真は2020年に復元された御楼門です。
復元されたばかりのピカピカの城門です。
鶴丸城の駐車は「黎明館」もしくは「県立図書館」を利用…とあります。
よし…naviに「黎明館」とセットして走り始めます。
naviの案内に乗って走りますが…ちょっと嫌な予感…
難しい道のりではないのですが、通行量の少ない裏道から国道10号線を右折と言ってきました。
信号のない生活道路から4車線ある国道を右折!
朝の通勤時間帯にもう少し親切なルートは無いのかい!と思いました。
この時点で「今日はツイていないな~」なんて気持ちが萎えましたが…これはほんの序章でありました。
東京でも4車線道路を右折で進入なんてありませんが…親切なバスドライバーが徐行してくれたので、無事に右折完了!
黎明館入り口はあまりに地味で通り過ぎてしまい一回りして駐車場に到着。
何だかやけに静かです。
守衛所には誰もいません。
「あれ? 本日黎明館は休みか?」と思いつつ、だだっ広い駐車場にハチ君を停めます。
「黎明館に用事があるわけでも無いし…」と深くは考えません。
鶴丸城へ徒歩で向かいます。
駐車場から2~3分歩いて「御楼門」に到着です。
「ん? なにこれ?」
「本日は休館日です」とあります。
「マジか?」
今までいろいろの城・城址を巡りましたが…城が「休館日」って初めてです。
ちょっと驚きを隠せません!
またしても…鶴丸城はお預けとなりました。
鶴丸城!手強いな!
予定がだいぶ空いてしまいましたが…鹿屋へ向かいます。
鹿屋は「鹿屋航空基地史料館」とか「佐多岬」などこれまで何度も通過していますが…「鹿屋駅跡」を訪問するのは初めてです。
現役時代の「鹿屋駅」は写真でしか見たことはありません。
現在の「鹿屋市鉄道記念館」と「旧鹿屋駅」は何となく似ていると言えなくもないし…微妙です。
鉄道記念館として素敵な建物だと思います。
記念館前には「動輪」が展示されています。
説明パネルには「ED7648」号機の動輪と説明されています。
蒸機の動輪ならそれを見ておおよそ本体名?が想像できますが、電機はまだそれが出来ません。
並べられたカウンター
自分で押して申告するシステムでした。
「一般」のカウンター…今日はまだ「一人目」です。
駐車場から見たキハ20
ペイントはだいぶ傷んでいる様子でした。
「キハ20 441」号機と読めました。
記念館内部…来館者名簿に記入し記念に「硬券」を頂きました。
旧大隅線「鹿屋駅」次駅「大隅野里駅」に立ち寄りました。
RC造りの駅本屋と駅名標が残されています。
色々と諸事情があるのでしょうが、建物内部は「ドンガラ」で「鹿屋市鉄道記念館」と比較するとちょっと拍子抜けです。
次にやってきたのは…「旧志布志線 伊崎田駅」→「有田町鉄道記念公園」です。
ここは保存状態もまずまずで見応えもありました。
辺りのロケーションから「なぜここに駅が?」とは思いましたが…
駅舎の壁には駅が輝いていた頃の写真が多数飾られていました。
「こんなに大勢の人々に愛されていたんだ」…と感動しました。
ホーム側に出てみます。
今の「伊崎田駅」の姿です。
窓に人影が見えます。
あれは保線の恰好をしたマネキンさんです。
私も最初見た時に「ドキッ」としました。
路盤跡は道路に転用され地域の交通に貢献しているようです。
画面中央部にチャンネルを曲げて屋根のようにしたものが写っています。
ここが「信号テコ」を扱う信号所跡のようです。
腕木信号機の「信号テコ」が残されています。
先ほどの額に入って展示されていた写真にこの「信号テコ」も写っていました。
駅正面入り口には写真のように「建物財産標」が残されています。
ズームアップしてみてみますが非常に残念な写真です。
先にご説明したように、今回の九州取材には一切の撮影道具は持たずに「iPhone」とジンバル(スタビライザー)のみで臨みました。
結果は…スキルの問題もあるとは思いますが…やっぱ「iPhone一択は無理」という結果となりました。*当たり前かも。
動画だけの取材でそこから静止画を切り出すのは場合によっては「無理」がありました。
無理して読めば「昭和26」と読めますが酷い…
せっかくの「建物財産標」というお宝を前にして残念な結果ではありましたが貴重な体験でもありました。
負け惜しみに聞こえるかも知れませんが…「大隅線」と「志布志線」…来年のリサーチと考えています。
次回は準備万端で全線を取材しようと考えています。
これまで「鹿屋」には一度も宿泊したことが無いので、次回は2泊くらいして「大隅線」「志布志線」廃線跡を取材する予定です。
鹿屋から鹿児島空港に戻ってきました。
ホテルのチェックインまでには若干早いので、空港でオミヤなどを購入して時間をつぶします。
霧島の「ホテル・京セラ」に到着。
鹿児島に宿泊の際にはここを利用させていただいています。
本日の走行距離は…226.5 Km 平均燃費 は 15.9 Km/L と表示されています。
鹿屋へ向かう高速は「追い越しレーン」の無い制限速度が80Kmの道路なので燃費もまずまずでありました。
オジサン独りで宿泊するにはもったいない客室です。
吹き抜けの中央部はチャペルとなっています。
実はここで息子の結婚式が行われました。
お相手のお嬢さんが霧島の方なのでその関係でこのホテルが選ばれました。
披露宴の挨拶で各方面の来賓の方々にお礼を述べ、「鹿児島を訪れた際にはホテル・京セラさんに宿泊します」とか酔っ払った勢いで言ってしまい、必ずこちらのホテルに宿泊させていただいております。
現在、息子の長男は中学生…「乗り鉄」です。
25日のGPS Log です。
「鹿屋」と「志布志」の辺りをグルグルしているのが分かります。