♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■そのままでいいのです / 大井 満

2020年03月19日 | Weblog

2020/2/6放送

  世の光の時間です。今月、木曜日のメッセージを担当します東京にある板橋教会の牧師、大井 満です。

 私たちの救い主イエス様は、様々な人を招いてくださるお方です。イエス様は公の働きを始められた直後に、まず弟子たちを招かれました。弟子になるようにと招かれた人々は、もともとガリラヤ湖の漁師だったり、人々から嫌われていた取税人だったりしました。つまり当時の社会では決して地位が高い人ではなく、多くの人々から尊敬されているような人々でもなかったということです。

 マタイの福音書4章によると、最初にイエス様がお招きになったのは漁師たちでした。ペテロとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネの4人がガリラヤ湖のほとりで主イエス様に招かれて弟子になりました。彼らはこのあとおよそ3年間を主イエスとともに過ごし、その生き様を見、ことばを聞き、十字架と復活の証人となっていきました。

 しかし彼らは最初から模範的なクリスチャンであったわけではありませんでした。彼らはイエス様の薫陶を受け、神様の霊である聖霊をいただいて変えられ、弟子・使徒として用いられるようになったのです。

 このようにイエス様は完璧な人間や出来上がったクリスチャンをお招きになるのではありません。むしろ不完全な、神様の前に罪があるような、その人をそのままで招いてくださり、ともに歩んでくださるのです。私もクリスチャンになって45年程になりますが、本当に愚かな人間です。でもこんな者もイエス様は「わたしについて来なさい」と招いてくださいました。

 4人の漁師たちは、「彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。」(マタイの福音書4章20節、参照 マルコの福音書1章18節)「彼らはすぐに舟と父親を残してイエスに従った。」(マタイの福音書4章22節、参照 マルコの福音書1章20節 )、とマタイの福音書に書かれているように、生活のために必要な道具も大切な家族すらも一旦そこに残したまま素直にイエス様の招きに答えたのでした。

 イエス様は今日も皆さんを招いておられます。そのままで良いのです。あとのことはイエス様にゆだねて「わたしについて来なさい。」(マタイの福音書4章19節、マルコの福音書 1章17節、 参照マタイの福音書9章9節、参照マルコの福音書2章14節、参照ルカの福音書5章27節、参照ヨハネの福音書12章26節、参照ヨハネの福音書21章19節)とおっしゃるイエス様の招きに答えてください。主イエスはいつもあなたとともに歩み、支えてくださいますから。


    ( PBA制作「世の光」2020.2.6放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ / 福井 誠

2020年03月18日 | Weblog

2020/2/5放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。

 継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものですね。今日も聖書を開いてまいりましょう。詩篇112篇1節から「主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「ハレルヤ。幸いなことよ 【主】を恐れ その仰せを大いに喜ぶ人は。

 皆さんは何か恐れているものがありますか? 私は小さな頃、何となく暗い部屋が怖くて、いつも夜寝るときは電気を消すやいなや布団の中に頭をすっぽりくるまって寝た、そんな思い出がありますね。また大きくなって一時、対人恐怖症的になったこともありますね。でも本当に恐れるべきものが何かが分かれば、人はいたずらに物事を恐れなくなるものですねえ。

 詩篇の作者は、主を恐れ、主のことばを喜びとする、これが人間の生き方の基本であると言います。確かにイエス様もおっしゃいました。「からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。」(マタイの福音書10章28節、参照ルカの福音書12章4、5節  )と。天地の支配者であり、私たちのいのちをも環境をも、あらゆるものを一手に握っておられる神以外に恐れるべきものはありません。

 そしてまことの神を恐れる人はさらに大切なことを味わい知るようになります。
 一つは、私たちが恐れるべき神が実は愛に満ちた方で、地上での私たちの生活も家庭も整え満たしてくださるということです。天地のあらゆるものを支配しておられるお方は、私たちのために愛をもって様々な配慮をしてくださることを味わい知るようになるのです。

 私のように恐れるべき神があらゆることを配慮してくださることを味わい知るようになると、いつも平安が満ち足りた心を持って他人にも気前の良いものとなれます。どんな物事があってもデンと構えて、大きな包み込みような心で生きることができるようになるのです。悪い知らせも恐れないし、敵が現われても恐れない。あらゆる恵みを溢れるばかり与えることができる方が共におられるなら、確かにそうでしょう。誠に恐れるべき方を恐れ、平安な心を持って歩ませていただきたいものですね。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2020.2.5放送でのお話より )

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■働きを共にしなかった者 / 板倉邦雄

2020年03月17日 | Weblog

2020/2/4放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
  今日は「働きを共にしなかった者」という題でお話ししましょう。

 私たち人間は本来弱いものです。そしてまた他人には厳しいけれど自分には甘いのです。ですから何かをしようと決心したり、他人と約束をしてもそれを中途で止めてしまったりしてしまいます。今日は働きを共にしなかった者のために伝道チームが別々になってしまったお話です。 使徒の働き15章です。

 さて、アンティオキア教会で神のことばを教え、宣べ伝えていたパウロとバルナバでしたが、ある日、パウロはバルナバに言いました。「さあ、前に神のことばを伝えたすべての町々にいる信徒たちを訪問して、みんながどうしているか見て来ようではないか。」 第一回の伝道旅行で働きと苦難を共にしたバルナバは大賛成でした。パウロとバルナバは今までの困難や試練を二人三脚で乗り越えてきましたから、今度の第二回の伝道旅行も当然一緒です。

 ところがバルナバはマルコと呼ばれるヨハネも一緒に連れて行くつもりでした。しかしパウロは、第一回の伝道旅行でこれからという時、パンフィリアのペルゲで一行から離れエルサレムに帰ってしまい働きを共にしなかったような者は一緒に連れて行かない方が良い、と考えたのです。そこでマルコの同行には反対でした。

 そこで一度は伝道旅行の大変さと迫害等を恐れて逃げ帰ってしまったマルコにもう一度チャンスを与えて一人前にしてあげようとするバルナバと、神様の仕事のために同行しなかった者は今回は連れて行くわけにはいかないと主張するパウロの間で激論となってしまいました。

 両方の言い分もよく分りますね。二人の主張は平行線をたどりました。その結果、お互い別れ別れになって伝道旅行をすることになったのです。

 ここから二つのことが教えられます。神の働きのためには心の一致が大事です。一人では何もできません。それからもう一つ、結果的に二組の伝道チームが生まれたことでした。
 
  (PBA制作「世の光」2020.2.4放送でのお話より ) 

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 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ 

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■主の祝福の中を生かされる / 岩井基雄

2020年03月16日 | Weblog

2020/2/3放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 岩井基雄です。
 第一月曜日の今日は、詩篇112篇から、主の祝福の中を生かされる人生に心を留めてみましょう。

 私たちは人生に様々な幸いを求めますよね。聖書は私たちの幸いの鍵は状況によるのではなく、すべての主権を持つ神様との関わりにある、と語り私たちを招いています。今日の詩篇の前半をお読みします。

 「ハレルヤ。幸いなことよ 【主】を恐れ その仰せを大いに喜ぶ人は。
   その子孫は地の上で勇士となり 直ぐな人たちの世代は祝福される。
   旧約聖書 詩篇112篇1節、2節

 まことの幸いは自分を中心とした者ではなく、私たちを愛し生かしてくださっている神様を中心とし、神のことばである聖書を喜ぶ人生だと聖書は語っています。そして、一人の人が神に喜ばれる人生を選び取る時、その子孫をも神様は豊かに祝福されるというのです。

 私の曽祖父は江戸時代の最後に生まれた神主でしたが、ある時、聖書が語るすべてを創造された神様の存在を知り、人を創造された神を正しく恐れ信じることを選びました。そして神様のことばに従うことを決意し、大反対を受けながらも神様への信頼を貫いたのです。彼の決断を通して受けている祝福の豊かさを私自身深く感じています。そして多くの方々にこの恵み知っていただきたいと願っているのです。

 詩篇の作者は続けてこう語ります。
 「直ぐな人たちのために 光は闇の中に輝き昇る。
  主は情け深く あわれみ深く 正しくあられる。
  幸せなことよ。情け深く 人に貸し 自分に関わることを公正に扱う人は。
      詩篇112篇4節、5節

  神ご自身が情け深く憐れみ深いゆえに、神を恐れ誠実に歩む者は他の人に豊かに貸し与え、どんな状況の中にあっても公正に人や物事を扱うことができる誠実な歩みを貫くことができるのです。

 最後に作者は次のように歌います。
 「その人はとこしえまでも揺るがされない。正しい人はとこしえに覚えられる。
  その人は悪い知らせを恐れず 【主】に信頼して 心は揺るがない。
         詩篇112篇6節、7節

 神を恐れ従う人生は永遠に揺るがされないものとなり、どんな悪い知らせさえも恐れず、正しく歩む人生へとされ続けていくのです。

  (PBA制作「世の光」 2020.2.3放送でのお話より ) 
 
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■牢獄で書いた手紙 / 羽鳥頼和

2020年03月14日 | Weblog

2020/2/1放送

 世の光の時間です。おはようございます。羽鳥頼和です。

 もし自分が牢獄に入れられたらどんな気持ちになるでしょう。新約聖書にあるピリピ人への手紙は、実はパウロが獄中で書いた手紙です。今日はこの手紙の1章のピリピの教会への挨拶のことばから、牢獄にいるパウロの心情について見てみたいと思います。

 パウロはピリピの教会にこのように挨拶をしています。
私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈っています。」(2 、3節参照)  

 パウロは獄中で神に感謝し、喜んで神に祈っているのです。

 そしてパウロはさらに具体的に感謝していることを一つ語っています。
 「今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。」(5節)
 パウロは宣教活動を教会とともに行うことができていることを感謝しています。

 「今日まで」とは投獄されているときもということです。パウロは獄中にいても失望せずに希望を持っています。その希望を持てるのはなぜでしょうか。

 パウロはこう言っています。
 「良い働きを始められた方は、・・・それを完成させてくださると、私は確信しています。」(6節)

 「良い働きを始められた方」とは神のことです。特にパウロは自分を宣教師に任命された神の御子である主イエス・キリストのことを覚えているのだと思います。パウロは牢獄という厳しい不安な状況の中にありましたが、主イエスがいつもともにいてくださることを実感して喜んでいたのです。そしてパウロは主イエスがともに働いてくださり、働きを成し遂げてくださることを確信していたのです。

 パウロは手紙の中でそのような喜びを「主にある喜び」(3章1節参照)と言っています。そして教会の人々にこう言っています。
 「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(4章4節)
 どんなに厳しく苦しい状況にあっても、主イエスは共にいて、共に働いてくださるのです。

 イエス・キリストはこのように言われています。
 「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。
       新約聖書 マタイの福音書28章20節

 明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらしてください。

   (PBA制作「世の光」 2020.2.1放送でのお話より ) 
 
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■すべてを生かす主 / 関根弘興

2020年03月13日 | Weblog

2020/1/31放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス様は、復活とか死後のいのちを否定していた当時のユダヤ教の一派に属するサドカイ人たちに「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。」(マタイの福音書22章32節、マルコの福音書12章27節、ルカの福音書20章38節)」とお語りになりました。

 この「神は死んだ者の神ではありません」ということばは、神様は死んでしまった人たちに対してはもはや神様ではないというそういう意味ではないんですね。この意味は、肉体の死ですべてが終わってしまうものではない。神様はあなたを生かし、決して失われることのない交わりの中にいてくださる、生きている者の神だ、ということなんです。

 ローマ人への手紙8章11節には、
 「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。」と書かれています。

 また同じローマ8章28節には、
 「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」と書かれているのです。

 この「すべてのことがともに働いて益となる」とは、神様がすべてのことを活かしてくださるということでもあるわけです。なーんと幸いな約束でしょう。このことばがあるんですから、どうして勇気を失うことがありましょう。どうして不安に慄き続けることがあるでしょう。希望を失ったまま過ごす必要があるでしょうか。

 私たちの神様は生きている者の神であり、すべてのものを生かすことのできる神様だ、と聖書は私たちに教えるのです。私たちの人生そのものを活かしてくださるのは神様です。私たちの失敗も私たちの挫折も、最終的に神様は活かしてくださるのです。私たちに与えられている環境も愚かさも弱さも病も、死さえも。主はすべてを活かしてくださる方です。この方によって、すべては生きるのです。

 イエス様は十字架につけられ、三日目に復活なさいました。そしてイエス様を信じる一人一人に惜しみなくその復活のいのちを与えてくださるのです。私たちの神様は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。あなたの神であり私の神です。それは私たちの肉体が朽ちても私たちはこの方によって永遠に生きるものとされていくのです。すべてを生かしてくださる主を信頼し歩んで行きましょう。


     (PBA制作「世の光」2020.1.31放送でのお話しより)

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■ルカの福音書9 -イエスがそばにいる / 大嶋重徳

2020年03月12日 | Weblog

2020/1/30放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 ルカの福音書を読み始めました。ルカは誰かの傍らに立つ人でした。そのルカが人生をかけて傍らに立ち続けていた人、それはパウロ牧師でした。

 パウロ牧師を捨てた人にデマスという名前の人が出てきます。「デマスは今の世を愛し、私を捨てた」とパウロ牧師は語ります。デマスは世を愛したのです。

 「世を愛する」とは一体何でしょうか。神様のことよりも大切になることができたのです。信仰を捨てることがあります。デマスは教会を離れ、教会を捨てました。パウロ牧師との関係を捨てたのです。どれほどの悲しみとどれほどの衝撃がパウロ牧師にあったでしょうか。この時ルカはパウロ牧師の深い傷を思ったでしょう。

 こういうとき自分を責めます。ああ自分のあの発言がそうさせたのかなあ。自分の至らないあの行動があの人を傷つけたのかなあ。理由は決してそうでなかったとしても、その事を知っておくことができなかった自分を責めます。

 しかしルカはパウロの傍らに立ち、パウロのために祈ったのです。この悲しみはイエス様の悲しみでもあります。ルカはイエス様の悲しみの傍らに立っていたのです。ルカは決して有名な人ではありませんでした。しかしイエス様が最も喜ばれるのは、「ルカだけは一緒にいる」というようなイエス様のそばにいてくれる信仰者です。

 私もいつの日か、イエス様から「大島だけはわたしのそばにいる」と言われたいです。信仰者にとって最大の幸福は死ぬまで信仰を続けることだと学生時代に聞いたことがあります。その時はピンと来ませんでしたが今はよくわかります。人生で偉大なことをするよりも、賞賛を浴びる人生を過ごすよりも、人生の最後までイエス様と一緒にいることをイエス様は喜んでくださるのです。イエス様が大きな手を広げて私たちの人生を迎えてくださるその胸に飛び込んでいくような、人生の終わりを生きる幸いをルカは今日、私たちに教えてくれているのです。

 本来、教会とはもう私たちが一人で生きていかなくて良い場所です。教会は自分の傍らにいてくれる人があることを確認できる場所です。いつも傍らに誰かがいてくれる。傍らに立ってくださいイエス様がおられる場所です。そのイエス様のそばに私たちもまた傍らに立ちたい。世を愛するよりも豊かな人生があるのです。ぜひあなたにもその人生を選び取っていただきたいと思います。

    ( PBA制作「世の光」2020.1.30放送でのお話しより )

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■とこしえに覚えておられる / 福井 誠

2020年03月11日 | Weblog

2020/1/29放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。

 継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものですね。今日も聖書を開いてまいりましょう。詩篇105篇8節から「とこしえに覚えておられる」と題してメッセージをお伝えいたします。

 主はご自分の契約を とこしえに覚えておられる。 命じられたみことばを 千代までも。

 この詩篇はイスラエルがバビロン捕囚から帰還した後の時代、バビロニヤから帰ってきた民に希望を与えようとして書かれたと言われています。そして先週の詩篇と同じようにこの詩篇も、神の力ではなく神の誠実さにイスラエル民の目を向けさせる意図をもって書かれたと言われています。ですからそれはアブラハムに始まる族長時代から出エジプト、古代イスラエルの長い歴史を回想し、神がイスラエルにどうであったかを語る内容となっているのです。

 詩人は言いますねえ、イスラエルの起こりはアブラハムという人からであって、神様はその人との約束をずっと覚えておられた、と。彼らの数は少なくて、寄留者であった。そして奴隷であったところから解放されて大いに民は増やされた、と。また荒野で彼らは天のマナで養われ、支えられ、それらはみなアブラハムに対する約束を神様が覚えていて約束を果たされたことだ、と。大まかに言うと大体そのような内容ですね。

 大切なのはイスラムの民はこの詩篇を用いて礼拝をささげてきたことです。そして礼拝においては、そのイスラエルの長い歴史を振り返りながら、神の誠実さを思い起こすことが中心となっていたことです。

 毎週日曜日、礼拝では讃美歌を歌う、説教を聞く、献金をささげる、一連のプログラムがあるのですが、大切なのはそのような一つ一つの営みの中で神のみわざをいろいろと想い巡らし、神が約束に誠実であったことに心から同意し、神を誇りに思い、神を賛美する、そのような時を持つことでしょう。そしてそんな神をまだ知らない方々に知ってもらいたいと思う時を持つことなのでしょうね。

 ぜひ教会へ行って礼拝の素晴らしさを味わっていただきたいところです。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2020.1.29放送でのお話より )

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■聖徒の交わり / 板倉邦雄

2020年03月10日 | Weblog

2020/1/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
  今日は「聖徒の交わり」という題でお話ししましょう。

 「キリストの教会は聖徒の交わり」と告白されてきました。聖徒とは聖人君主のことではありません。聖徒とは神様のために用いられる人のことです。それはまたキリスト信徒の間で用いられる人です。

 使徒の働き15章の続きです。

 さてエルサレム会議の決議文を持った一行よりユダとシラス、この二人はエルサレム教会の代表でした。バルナバとパウロ、この二人はアンティオキヤ教会の代表でしたねえ。一行四人とアンティオキヤからついてきた長老たちは、エルサレムの教会の聖徒たちに見送られてシリアのアンティオキヤに下っていきました。直線距離にして約500キロメートルの旅路。徒歩ですと半月以上はかかりました。そしてアンティオキヤ教会へ着きますと、直ちに会衆である聖徒たちを集めて、その決議文を手渡しました。また口頭でも説明しました。信徒たちは文面を読んで、その勧めのことばを喜びました。エルサレムから派遣されたユダとシラスとは共に預言者であったので、多くのことばをもってアンティオキヤ教会の兄弟姉妹たちを励まし、また力づけたのです。

 キリストの教会が聖徒の交わりと定義されますのは、そこに聖霊と同時に働いてくださる神のことばが交わりの中心にあるからではないでしょうか。エルサレム会議の決議文が聖霊の導きの中で決定されましたので、信徒たちは喜びました。聖霊の与えてくださる果実の一つに喜びがあります。またユダとシラスは神のことばを預かった預言者でしたので、神のことばである聖書を教会の人々とわかち合いました。信徒たちは励まされ、力づけられたのです。

 私は千葉県育ちですが、よく「千葉の人は熱しやすく冷めやすい。花火のように派手にに燃えてすぐに消えてしまう性質がある。」と言われることがあります。18歳で信仰生活と教会生活に入った私は、三日坊主にならないようにと言われたものです。

 しかし今73歳で55年間続けて参りました。それもこれも神のことばを中心とした聖徒の交わりのおかげです。一本の薪はすぐに消えてしまいますが、何本かの薪が一緒だと消えかかっても再び燃えてくるものです。

  (PBA制作「世の光」2020.1.28放送でのお話より ) 

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■ライオンの創業者 小林富次郎 / 岩井基雄

2020年03月09日 | Weblog

2020/1/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 岩井基雄です。
 第四月曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は歯磨き粉で有名な会社ライオンの創業者、小林富次郎について学んでみましょう。

 1852年・嘉永5年、今の埼玉に生まれた富次郎は16才で新潟から上京し、東京の石鹸工場に入社します。その後、海外への夢を抱き、神戸にあるマッチを製造する会社に入りました。この時代に富次郎は友人を通してキリスト教と出会います。自分の内にある罪を示され、救い主キリストの十字架を自分のものとして受け入れ、洗礼を受け、クリスチャンになったのです。富次郎は事業にも情熱を注ぎます。マッチの軸を製造し世界に輸出しようと宮城の石巻に工場を作ります。ところが創業直前、大洪水が石巻を襲い、すべての機械と原木が流されてしまいます。しかも流された原木が大きな被害を与え、激しい非難を浴びたのです。富次郎は自殺を決意します。しかし、川に飛び込もうとした時、ある聖書のことばが心に響いたのです。

 「すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。
         新約聖書ヘブル人への手紙12章11節

 それは、神戸で洗礼を受けた時の牧師から送られたことばでした。

 生きる力を得た富次郎は東京に戻り、1891年、小林富次郎商店を創業。1893年に化粧用また洗濯用石鹸を発売。1896年には歯磨き粉を発売しました。当時すでに多くの歯磨き粉がありましたが、富次郎は粉末をきめ細かくし、イギリスから香料を取り寄せ、味を良くする等品質を追求します。獅子印ライオン歯磨きというネーミングとともにその歯磨き粉は大ヒットします。そして富次郎は事業の中でも、キリストの教える愛の精神を発揮し、人々と地域に貢献していったのです。現在もライオンの社是(しゃぜ)には「愛の精神の実践」ということばが入ってるそうです。富次郎のキリストへの信仰の姿勢、神の愛を表す姿勢が受け継がれているのでしょうね。

  (PBA制作「世の光」 2020.1.27放送でのお話より ) 
 
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