♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で 

■人々に仕えるために来られたイエス / 岩井基雄

2020年03月02日 | Weblog

2020/1/20放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 第3週の月曜日の今日は、キリストが行われた愛のわざから、人々に仕えるために来られた主イエスの姿を一緒に考えてみましょう。

 キリストとは救い主を意味するギリシャ語です。ヘブル語ではメシヤと言います。神の民イスラエルは救い主メシヤの到来を待ち望んでいました。彼らはエジプトでの奴隷状態、ダビデ・ソロモン王の繁栄の後、国の分裂、滅亡、敵国の捕囚という屈辱も経験したのです。

 イエスが歩まれた時代もイスラエルはローマの支配下にありました。それゆえ彼らはローマを打ち倒す力強い救い主メシヤを待ち望んでいたのです。ですからイエスがロバの背に乗ってエルサレムの城へと入った時、人々は遂にその時が来たと考え、喚起してイエスを迎えたのです。しかしそのような人々の期待を否定すべくイエスはこう語りました。
 「人の子は人々の手に引き渡され、殺される。しかし、殺されて三日後によみがえる
  新約聖書 マルコの福音書9章31節
 
 実は、まことの勝利はこのキリストの十字架と復活にありました。しかし当時、弟子たちにはこのことばが理解できませんでした。道中の弟子たちの話題は、誰が一番偉いか、ということだったからです。彼らも、イエスこそメシヤであり、いつか人々にも認められ、イスラエルを再興してくれる、と考えていたのです。

 そのすべてをご存知のイエスは弟子たちを呼んでこう言いました。
 「だれでも先頭に立ちたいと思う者は、皆の後になり、皆に仕える者になりなさい。」と。

 またイエスは、一人の子供を彼らの真ん中に立たせ、彼らに言われました。
 「だれでも、このような子どもたちの一人を、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。
        マルコの福音書9章35節から37節

 人々に仕える者となること、それが弟子たちの持つべき姿勢でした。謙(へりくだ)った心を持って人々に顧みられる事が少なかった小さな子どもをも受け入れること、そして人々に捨てられ殺される主イエスをも心から受け入れること、そのことこそ神に喜ばれる弟子の姿勢だったのです。人々に心から仕えていく謙った心を神様は何よりも喜んでくださるのです。
 
  (PBA制作「世の光」 2020.1.20放送でのお話より ) 
 
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