♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して68年の
「世の光」を文字で 

■神の力を知らない / 関根弘興

2020年03月06日 | Weblog

2020/1/24放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 イエス様は復活とか死後のいのちを否定していたユダヤ教の一派に属するサドカイ人たちに、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。」(マタイの福音書 22章32節、マルコの福音書 12章27節、ルカの福音書 20章38節)とお語りになりました。そして彼らに、「あなたがたは聖書も神の力も知らないのだ。」と、はっきりと言われたのです。

 サドカイ人たちは自分で十分な知識を持っていると自負していましたが、実は神様がどれほど偉大な方なのか、どれほど大きな力を持っておられる方なのかを分っていなかった、というのですねえ。

 パウロという人は第一コリント8章2節でこう記しています。
 「自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。」 こう書いています。

 私たちの知識というのはごくわずかな限られた知識です。それなのにその小さな知識の範囲の中で神様を批判し、自分の小さな理性の中に神様を閉じ込めてしまうようなことを時々するんですねえ。そしてまるで自分の知識や理性が絶対であるかのように思い込み、自分に理解できないことはそんなことはあり得ない、起こるはずがない、と反発するのです。

 サドカイ人たちは自分の小さな小さな理性の中で復活のことを考えました。彼らが考えた復活は、この世が終わったらまた同じような世が来るというような安っぽいイメージのものでした。ですから復活などあったら再婚に再婚を重ねた妻が復活したときは誰の妻となるか、そんな事を巡って争奪戦が起こるではないか、というそんな発想しか出てこなかったんですねえ。

 私たちは自分の限られた知識や理性だけで考えると、永遠の世界を十分に理解することなどできません。しかし、わからないことがあっても、愛と真実の神様を信頼して生きていくことはできます。私たちの肉体は必ず朽ちていきます。しかしイエス様を信じ生きるとき、最終的に天の住まいに移されるのです。それがどんな場所なのか、今はまだ良く分りません。しかし神様が備えてくださっている場所ならどうでしょう、最善の場所であることは確かなことですよね。

 黙示録21章4節に、「神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」とあります。私たちは永遠を握っている神様を信じ生きるからこそ希望を持って生きていくことができるんですね。


     (PBA制作「世の光」2020.1.24放送でのお話しより)

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