2020/2/7放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス様がエルサレムにある神殿の中の外庭に座っている時でした。その近くには献金箱があり、イエス様は人々が献金箱へお金を投げ入れている様子を見ておられました。大勢の人が献金箱にお金を投げ入れていました。中には注目を惹くためにお金の袋をジャラジャラ鳴らしながら、俺はこんなに沢山献金するんだぞと言わんばかりに献金する人も中にはいたそうなんですね。
さてそこに貧しいやもめがやって来まして、レプタ銅貨二つを投げ入れたのです。レプタというのは当時の貨幣の最小単位です。他の人が大金をささげているのに自分はこれしかささげることができないという申し訳ない思いや恥ずかしさをこの女性はもしかしたら感じていたかもしれませんね。
しかしイエス様はこの貧しいやもめの姿を高く評価なさいました。そして彼女の信仰の姿は聖書の福音書に書き残される程に大切な姿として紹介されているんです。(参照 マルコの福音書 12章41-44節、ルカの福音書 21:1-4節)
ではイエス様が称賛されたのは彼女のどのような姿だったのでしょう。それは委ねて生きるという姿がそこにあったからです。この女性は生活費の全部を投げ入れたと書かれています。これを読むと、クリスチャンになったら生活費を全部ささげなければならないのかと勘違いしてしまう人がおられるかもしれません。しかしイエス様はここで献金の額について教えておられるのではないんです。この献金に表された心、信仰の姿を教えようとしておられるんですね。
この女性は生活費の全部をささげたと記されています。この「生活費」と訳されることばは「生涯」とか「人生」「生活」という意味もあるんです。つまりこの女性は、明日どうなるかわからないような、何もない生活の中にあって自分の生涯、自分の生活そのものを主に委ね差し出したということなんですね。「神様。私には何もありません。あなたに委ね、あなたにより頼む以外には生きてことができないのです。」という思いでささげたのですねえ。
イエス様は山上の説教の中でこう語られていました。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」(マタイの福音書 5章3節 )
神様に信頼する以外にすべがないほど神様に人生を委ね、求めていくことの幸いを聖書は私たちに教えているんですね。
(PBA制作「世の光」2020.2.7放送でのお話しより)
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