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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■救いに生きる人々 / 羽鳥頼和

2015年03月07日 | Weblog
2015/3/7放送
 
 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 今日は新約聖書のペテロの手紙第一からお話しします。この手紙は名前の通りイエスの弟子であるペテロが書いた手紙です。この手紙が書かれた頃は人々がキリスト教に敵意を持っていた時代でした。本格的な迫害ではなかったものの、教会の人々は苦しみを受けていました。信仰を守ることに難しさを感じていた教会の人々を励ますためにペテロはこの手紙を書きました。

 そのような手紙の中でペテロはこのように人々に勧めています。
 「あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」(1ペテロ 2章1、2節)
 ペテロは二つのことを勧めています。一つは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てよ、ということです。これは悪に対して悪を行わないようにしましょうということです。

 二つ目は、生まれたばかりの乳飲み子のように純粋なみことばの乳を慕い求めなさい、ということです。赤ちゃんがお母さんのお乳を飲んで成長するように神のことばである聖書をしっかりと読みなさいということです。聖書は人の心の糧であり、人がどのように生きるべきか教えている神の教えです。悪い心を捨てて真心から聖書を読むことによって成長し救いを得ることができるのです。

 ここでペテロが「救いを得る」と言っていることにも注目したいと思います。イエス・キリストを信じれば救われるのではないでしょうか。確かにそうです。イエス・キリストを信じるなら罪を赦されて永遠のいのちを与えられます。「救いを得る」とはその救いに生きるということです。悪い心を捨てて聖書をしっかりと読み、神の教えを守り行うのです。

 ペテロは続けて勧めています。
 「あなたがたも・・・、霊の家に築き上げられなさい。」(1ペテロ 2章5節)

 「霊の家」とはキリスト教会のことです。キリスト教会に来て、救いに生きる人々と共に歩みなさい、ということです。教会はイエス・キリストの救いに生きる人々の集まりです。明日は日曜日です。あなたもぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2015.3.7放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■神の御手の中にある人生 / 岩井基雄

2015年03月06日 | Weblog
2015/3/6放送


 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日は旧約聖書の詩篇90篇から「神の御手の中にある人生」ということについて少し考えてみましょう。

 まず1節から3節をお読みします。
 「主よ。あなたは代々にわたって私たちの住まいです。山々が生まれる前から、あなたが地と世界とを生み出す前から、まことに、とこしえからとこしえまであなたは神です。あなたは人をちりに帰らせて言われます。 『人の子らよ、帰れ。』」 旧約聖書 詩篇90篇1節から3節。

 この詩篇の作者モーセは、エジプトでの奴隷状態からユダヤの人々を救出するために神に用いられた人です。彼はユダヤ人ですがエジプトの王宮であらゆる祝福を味わって育ちました。しかし彼は後に、その全てを捨て、神の使命のために人生を用いていくことになるのです。彼はお金や目に見えるものにではなく、目には見えなくても私たちと共にいて本当の祝福を与えてくださる神に人生の価値を見出したのです。人生の終わりにはどんな宝も財産も価値を失います。神のもとに帰ることが人生のゴールであることを知っていた彼は、永遠の視点から人生を考え、神の愛と恵みに生かされ、神からの使命に立つ決意をしたのです。しかし、その使命を果たすことは簡単なことではなく、苦難の連続でした。数百万のイスラエルの民を導いて荒野を旅する生涯でした。彼は民の不平や不満に悩まされながらも、そのすべてを神に祈り、彼らのために執り成しながら導き続けました。しかし彼は苦難の中でも、神様の真実に心を留めていました。そして彼は続けてこう歌っています。

 「私たちの神、主のご慈愛が私たちの上にありますように。そして、私たちの手のわざを確かなものにしてください。どうか、私たちの手のわざを確かなものにしてください。」( 詩篇 90章17節 )

 神の愛と恵みが注がれるとき、その歩みは必ず確かなものにされると彼は信じて疑わなかったのです。その通りに神は彼を導き、豊かに用いてくださいました。人生には様々な苦難があります。しかし永遠の神の御手に信頼し、委ね、導かれる人生は、豊かな祝福と平安に満たされていくのです。

(PBA制作「世の光」2015.3.6放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■神は私の救い / 福井 誠

2015年03月05日 | Weblog
2015/3/5放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「神は私の救い」です。 それではイザヤ書12章の2節から読んでみましょう。

 「見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。

 12章は一つの区切りとなる箇所で、ユダ南王国に向けられたメッセージの結論部分となるところですね。時は紀元前733年頃、南ユダ王国ではアハズという王様がいました。この時イスラエル北王国とアラムの連合軍が南ユダ王国に攻撃を仕掛けて来るという出来事がありました。ところがその背後にある大帝国アッシリヤが二つの国を滅ぼし、更に南ユダ王国を脅かす事態が生じていたのです。南ユダ王国がこのアッシリヤ帝国の勢いに飲み込まれ、無き者となることは時間の問題でした。

 しかしイザヤはたとえそうなったとしても南ユダ国には望みがあることを語りかけているのです。それはちょうどかつてエジプトで奴隷状態だったイスラエルがエジプトのパロの支配から救い出されたのと同じであるとイザヤは言います。

 イスラエルの民は遥か昔にエジプトで奴隷の身分にあり、苦役に晒されていました。彼らは出口のない苦しみの人生に閉じ込められて一生を終えるはずでした。しかし神の憐れみによってイスラエルの民はそのような人生から解放されて、全く新しい自由な人生へと入れられたのです。解放されたイスラエルの民は、声高らかに神様に向かって賛美を捧げました。 「主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。」(出エジプト記 15章2節)と。 

 ユダ南王国の民もそのように、「主よ。感謝します。・・・見よ。神は私の救い。」(イザヤ書 12章1、2節)と声高らかに神を賛美する時が来るだろう、と言うのですねえ。

 これは私たちに対するメッセージです。自分の人生には何の希望もない。これから先、ただ惰性で生きていくだけだ、と思っているようなことはありませんか? もしそんな諦めにも似た人生を歩んでいるとしたら、一つ教会へ行って、人間ではない神のことばに耳を傾けてみませんか? 私たちに感謝と賛美の心を与えられる神がおられることを、あなたにも知っていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2015.3.5放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■神が心をかたくなにする / 板倉邦雄

2015年03月04日 | Weblog
2015/3/4放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。さて今日は主なる神様の主権的な計画について一緒に考えてみたいのです。

 出エジプト記7章3節で、主なる神様はモーセにこう言っています。「わたしはパロう王様の心を頑なにする。」 ま、頑固な心にするのは主なる神様であり頑固な心になるのはパロ王様だ、と言っています。一般に私たちの心は理性と感性と意思という三つの領域から構成されていると言われています。ですからパロ王様は考えや感情そして意志のすべてが頑なになっていくのです。

 さていよいよモーセとアロン兄弟はパロの王宮に乗り込みます。奴隷で外国人だったモーセがどうやってエジプト宮殿に入れたのでしょうか。モーセは幼い時から40歳までエジプト王宮で育った王子でしたね。神は私たちの全ての歴史の歩みを無駄にすることはありません。

 さて王宮に入りパウロ王様の前に二人は立ちました。「お前らは『神が遣わした』と言うが不思議を行なってその証拠を見せろ!」 モーセはアロンに言いました。「あなたの持っている杖を王様の前に投げなさい。」 すると杖が蛇となって動き出しました。 「フン、そんなことはこの国の魔術師だってできるわ。」 するとエジプトの魔術師も同じように秘術を使って杖を蛇に変わらせたのです。ところが何とアロンの杖は魔術師たちの杖を飲み尽くしてしまったのです。それでもパロ王様の心は頑なになって、主なる神が言われたようにモーセとアーロンの言う事を聞かなかった、とあります。

 さて、聖書に依りますと、神様は私たち人間に生まれつき自由意志を与えられています。ですから私たちは善に対しても悪に対しても強制されたりすることはありません。パウロ王様の頃が頑固になったのは王様の自由意志であって神様から暴力を受けたり誰からも強制されたりすることはありませんでした。しかし、究極的にパロ王様の心が頑なになったのは、主なる神様の主権的な意思とご計画の中にあったと聖書は描いているのです。

 イエス様のことばです。
 「二羽の雀は5円で売られているでしょう。しかしあなたがたの父の許しがなければその一羽も地に落ちることはないのです。」 マタイ10章29節

 (PBA制作「世の光」2015.3.4放送でのお話より )

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■主の祈り 7 / 大嶋重徳

2015年03月03日 | Weblog
2015/3/3 放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。 聖書にはイエス・キリストが弟子たちに教えられた「主の祈り」という祈りが記されています。この祈りは「天にまします」と始まります。この「天にまします」と祈るときに、私たちはどんな困難やトラブルの中に陥ったとしても、脱出の道を手に入れることができます。

 私たちは日常の中で自分自身を見失う時があります。その時にいろんなものに当たりたいと思い、更には神様をののしりたくなることさえあります。人間は弱い者ですから、怒り狂って、また疲れ果てて自分自身を見失うことは誰にでも起こる可能性があります。私たちが怒り、自分自身を見失ってしまいそうになる場合に、自分自身をどのように取り戻すことができるか、これは天におられる父への祈りしか方法はありません。「天にまします」と祈る祈りは、自分自身を見失うような出来事を神のご計画の中で進んでいる事柄である、そのように見つめる一呼吸を私たちに与えてくれます。
 祈りとは深呼吸だと言った人がいます。「天におられる神様」と祈った時に、大きく息を吸って「天におられるあなたは、この事柄をどのように見ておられますか?」と、神の目線に自分を持っていくことができるのです。そして私たちは、私の目に見えているものがすべてではないんだ、と祈りの中で一呼吸をつくのです。そして天におられる神の目線を求めます。

 天におられる神の前に立つ時、自分の内側にある怒りの中に、ある種の子どもっぽさがあることに気づかされることが起こります。その時、自分の側の罪を認めることも生まれ、更に自分自身から悔い改めることも起こるのです。

 人は真実に祈りの中で霊的に大人になります。本来的に祈ることのない人は幾らクリスチャン生活が長くともいつまでも子どもであるということがあります。それはいつも出来事の原因を人のせいにして自分を守り、自分を保つ生き方となってしまうのです。しかし祈りをなす時に、天の神の目線で見ることのできる大人の信仰者へと変えられていくことができます。主の祈りとは私たちを霊的に成長させてくれる祈りなのです。

  ( PBA制作「世の光」2015.3.3放送でのお話しより )

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■拒むことのないイエス / 関根弘興

2015年03月02日 | Weblog
2015/3/2放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス・キリストが公に活動なさったのは30歳を過ぎた時からでした。そして十字架にかかるまでわずか3年ちょっとの期間だったんですね。長い期間ではありませんよね。しかしイエス様は「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」と、大胆に語り出し、多くの病の中にある人を癒され、様々な奇跡的なみわざを行われました。ですから、イエス様の噂はあっという間に広がっていったんです。その中にはもちろん良い噂も、しかし悪い噂もありました。病んでる人たちや絶望の中にいる人たち、また社会的に蔑まれている人たちの間では、イエス様はどんな病でも癒してくださるらしい、イエス様は罪人を赦し受け入れてくださるらしい、というそうした噂が広まっていきました。しかし当時の宗教家たちの間では、イエスというやつは私たちの伝統的なやり方を批判して私たちの地位を脅かそうとしている、私たちの教えに従わず神を冒涜している!、というようなそんな噂を立てていったんです。ですから、イエス様の元には大勢の人たちがやってきましたが目的は様々でした。病の癒しを求めて来る人もいれば、ああイエス様の話を聴きたいという人もいました。またイエス様の行動を監視して何か訴える口実を見つけてあわよくば逮捕して抹殺してしまおうと考える人たちもいたのです。実に様々な人たちがイエス様のもとに押し寄せてきました。

 イエス様はそういう人々に対してどのような態度を取っておられたでしょうか。イエス様は誰に対しても、「あなたはわたしのもとに来てはいけない」と追い払われるようなことは決してなさいませんでした。人々から「穢れている!」とみなされている当時の病の人たちも社会的に蔑(さげすま)れて嫌われている人たちも、イエス様はそのままを受け入れられたのです。イエス様に対して批判的な人たち、そういう人達がやってきまして議論を吹きかけてもイエス様は拒絶したり無視したりすることをせず、真摯に対応なさいました。またイエスは人々を無理やりご自分に従わせるようなことは決してなさいませんでした。「お前たち、私を信じないとこれからとんでもないことが起こるぞ。」と、人を脅かして従わせるようなことは決してなさいませんでした。イエス様はいつも一人ひとりが自分の意志でイエス様に対する態度を決めることを求められたのです。そしてイエス様の招きのことばは今聖書を通してあなたにも語られているんです。

 「疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませる。」(参照マタイ 11章28節)と、今日もイエス様はあなたを招いています。
 (PBA制作「世の光」2015.3.2放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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