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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■聖なる者としてくださる神 /羽鳥頼和

2011年02月16日 | Weblog
2011/2/16放送

 いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。モーセはイスラエルの民をエジプトから導き出した偉大なリーダーです。そんな彼も失敗したことがありました。民数記20章にはそんなモーセの失敗が記されています。40年の荒野の旅がほぼ終わろうとしていた頃、イスラエルの人々はツィンという所にある荒野に着きました。そこには水がありませんでした。人々はモーセに文句を言いました。モーセが神様に聞くと神様は「杖を取れ。・・・あなたがたが・・・岩に命じれば、岩は水を出す。」(民数記 20章8節)と言われました。モーセは岩の前に立ち、杖で岩を二度打ちました。すると沢山の水が沸き出て人々は水を飲むことができました。

 ところが神様はモーセを怒りました。それは神様は「岩に命じて言え」と言ったのに、モーセは杖で岩を打ったからです。モーセは神様の言われた通りのことをしなかったのです。神様ははそんなモーセの行いを「あなた・・・はわたしを信ぜず、わたしを・・・聖なる者としなかった。」(民数記 20章12節)と言いました。

 モーセの失敗は第一に、神様を信じなかったことです。信じないとはここでは神様の言われたことを忠実に行わなかったということでした。

 モーセの失敗の第ニの点は、神様を聖なるものとしなかったということです。聖書の「聖」ということばには「分離する」「切り離す」という意味があると言われています。聖徒は汚れから切り離されているきよさです。そして聖ということばには、他とは違う自立した特別な存在ということも意味しています。神様は全くきよいお方であり、特別な存在なのです。立派なモーセでさえ聖なる神様を第一にして従い続けることができなかったのです。

 人とはそのように本当に不確かな弱い存在です。しかし聖なる神様はイエス・キリストによって人をも聖なるものとしようとされたのです。ペテロは「あなたがたは・・・聖なる国民・・・です」(1ペテロ 2章9節)と言いました。それはイエス・キリストを信じてキリストの教会に加わっている人達を神様は聖なる者と認め、聖なる者になることができるように働いてくださるからです。

 あなたもこの神様の救いのみわざを知るためにキリスト教会にいらしてください。

  ( PBA制作「世の光」2011.2.16放送でのお話より )

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■負い目を赦してください /関根弘興

2011年02月15日 | Weblog
2011/2/15放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 イエス・キリストが弟子たちに教えてくださったお祈り、「主の祈り」と言われるものがありますが、今日はその中の「私たちの負いめをお赦しください。」(マタイ 6章12節)という祈りをご一緒に考えていきましょう。

 「負いめ」・・・負いめとはですねえ、これは負債のことなんですね。「私たちの負債を赦してください」という祈りなんです。まあ日本人はとても義理堅い国民ですよね。何かしてあげると必ずお返しはどうしようかって考えるのがまあ私たちです。でも、天のお父様にどれだけ恩義を感じているでしょうか。どれだけ負債を感じているでしょうね。「日ごとの糧を与えてください」と言いながら、与えられればまるで自分ひとりで得たかのように振る舞っていませんか? 私たちは神様にどうも負債ばかりをかけている姿があるかもしれません。だから「私たちの負い目をお赦しください」と祈るのです。

 またこの「負い目」とは罪を指すことばなんです。聖書ははっきりと「すべての人は、罪を犯した」(ローマ 3章23節)のだと記しています。その行いのゆえに天のお父様に、ま、損害をかけているような存在だっていうんですねえ。

 でも私たちが負っているその大きな大きな罪という負債を神様はどうされたでしょう。イエス・キリストをこの地上に送り、私達の罪という負債を自分の命に代えてあの十字架上で背負ってくださったんですねえ。清算してくれたんです。私たちの負い切れない罪の負債をイエス様がみんな引き受け、十字架で釘付けされ、身代わりにすべての罰を背負ってくださいました。

 その事実のゆえに「私の負いめをお赦しください。私の罪を赦してください」とお祈りし、イエス様によって赦されたものとされていることをこの祈りの中で覚えていくことができるんです。そしてそんな大きな負債を罪を赦された者は、今度は他者を赦す者と変えられていくことを祈っていくんですね。

 私たちの人生で最も困難な一つは、赦すということかもしれません。新約聖書のエペソ人への手紙の中には、「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ 4章32節)とあります。私たちはこの祈りを正直に捧げるとき、自分が神様に負債ばかりをかけているような存在ですけれど、そんな私達を赦し、支え、励まし、助けてくださる天のお父様がいてくださることを知るんです。そして赦されているからこそ、今度は勇気を持って赦すということを祈ることができるものとされていくんですね。

 (PBA制作「世の光」2011.2.15放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■本当のアイラブユーは /村上宣道

2011年02月14日 | Weblog
2011/2/14放送

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 今日は2月の14日。2月の14日と言えばバレンタイン・デーですよね。えー、若い方たちは特に今日はチョコレートを配ったり貰ったりというふうな事がなされているんでしょうかねえ。ええこれはその世界各地で愛の誓いの日というふうに言われてるんですけども、この愛のバレンタイン・デーっていうのはどうして生まれたかって言いますと、今から1742年前、随分古い話ですねえ、ローマ帝国時代まで遡る上る訳なんですけれども、当時のローマの帝国皇帝クラディウス二世はですね、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の結婚を禁止したそうなんですね。で、司祭であったバレンタインは密かに兵士を結婚をさせたっていうことなんですが、それで捕えられて処刑された。その日が269年の2月14日っていうことなんですねえ。

 どうでしょうねえ、このバレンタインというその司祭が愛のために処刑された日だっていうことを知ってる方って、どれだけいるでしょうかねえ。でも愛というのはそういうことなのかなあっていうふうにも思わされますね。まさに命をかけてですよね。

 で、イエス・キリストつて方が十字架につけられてご自分の命を投げ出してくださいました。で、ヨハネという弟子は弟子の中で一人だけ、キリストのその十字架につけられて死んでいくその現場に居合わせた人、目撃した人ですね。で、彼は言ったわけです。

「主は私たちのために命を捨ててくださった。これによってこの事実によって愛ということを知った。愛ということが何かということが分かった。」(1ヨハネ3章16節参照)ってそう言った。本当に愛するっていうことは、愛する者のために自分のいのちまでも捨てるということなんだ、ということを目の当たりにした訳なんですねえ。

 アイラブユーっていうことば、これをそのう二葉亭四迷という人がですね、本当は私はあなたのために死ねると訳すべきことばなんだというふうに言ったということで知られていますけれども、そういうことを考えたら、簡単にアイラブユーなんて言えないようなことですねえ。

 ですけどまさに、あなたのために私は死ねるというほどのそれが本当の意味のアイラブユーなのだ。そういうふうに言ってくださることのできるお方はイエス・キリストご自身だと思いますね。私たちの罪のために十字架にかかって死んで私たちが滅びることなくって永遠の命を持つことができるためにということで。その愛のゆえに互いに愛し合うということが生まれていくということですよね。

  ( PBA制作「世の光」2011.2.14放送でのお話しより)




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■石膏のつぼ /山中直義

2011年02月12日 | Weblog
2011/2/12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。山中直義です。今日は「石膏の壷」と題して、人生を左右する決断について考えたいと思います。

 私たちは自分の人生を何のために誰のために使おうとしているでしょうか。新約聖書マルコの福井書14章に一人の女性が登場します。3節を読みます。

 「イエスが・・・食卓に着いておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。

 石膏の壷に入っていたあの香油は当時の平均年収に相当する高価なものであった、と聖書は言います。当時の石膏の壷は継ぎ目がなく密閉されたもので、一度割るともう後戻りができない、後は中にあるものを注ぎ切るしかない、と言うものでした。ですから、あの壷を割ったこの女性の行為は大変大胆で衝撃的な行為であったといえます。あの女性はイエス様のために石膏の壷を割りました。自分のためではなく人々のためでもなく、イエス様のために大切な香油を使いたい、そう願ったからです。そして彼女が注いだあの香油はイエス様の埋葬の準備、イエス様が十字架に架かられるための大切な備えとなって用いられた、と聖書は言います。

 私は石膏の壷を割るというこの行為に、私たちの人生の大切な決断が重なるように思うんです。一度決断すればもう後戻りはできない、後はその決断に従って人生を捧げるのみ。そんな決断が私たちの人生にもあるのではないでしょうか。

 イエス・キリストは私たちを救うために人となり、十字架にかかってくださいました。私たちを救うために命を注ぎ切るために、まさに後戻りのできない決断をしてくださったのです。

 あなたは誰のために生きる決断をされるでしょうか。イエス様のために石膏の壷を割る。そこから本当に豊かな人生が始まることをぜひあなたにも知っていただきたいのです。

 聖書のことば
 「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」 新約聖書 ヨハネの福音書6章27節

     (PBA制作「世の光」2011.2.12放送でのお話しより )

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東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送に協力してくださる場合の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)



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■真理はあなたを自由に /岩井基雄

2011年02月11日 | Weblog
2011/2/11放送

 世の光の時間です。お元気ですか。岩井基雄です。今日は日本では、紀元節や建国記念の日と呼ばれる日ですが、キリスト教会ではこの日を「信教の自由を守る日」として覚えます。

 この「自由」ということばはとても豊かな内容を持っているのですが、誤解されて使われることもしばしばあります。イエス・キリストはこの自由ということばを「主を信じる人」すなわち主イエス・キリストの弟子を表す表現として用いられました。聖書はこう書いています。

 そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」 新約聖書ヨハネの福音書8章31節、32節。

 この「真理はあなたがたを自由にします」ということばを私は最初理解できませんでした。聖書のことばに従うと不自由になるのではないかと思っていたからです。その時の私は自由という事を自分の好きなようにすること自分勝手な生き方とすることだと誤解していたからです。

 しかし、聖書が語る自由は罪の奴隷からの自由、自分中心の生き方からの解放を意味していました。それがわかった時、私自身が本当に自分の欲望や願望から離れ、本物の自由、本物の解放と本来の生き方をすることができるのは私の罪のために十字架にかかってくださった救い主、主イエス・キリストの犠牲によるのだということがわかったのです。

 真理はあなたがたを自由にします。旧約聖書の律法を厳しく守ることを目標としていたユダヤ人たちに自分の力で律法を成就するのではなく、本当の自由と愛に生かされる道があることをイエス・キリストは示されました。なぜならイエス・キリストは自分の罪に振り回される私たちが次の奴隷から解放され、神様にある自由を得させるために私たちのただ中に来てくださったからです。

 真の自由の生き方は真理であるキリストによる歩み、イエス・キリストのことばに留まり、そのことばに従う歩みにあるのです。あなたにも本当の自由の中を歩んでいただきたいと願っています。 

   (PBA制作「世の光」2011.2.11放送でのお話しより)

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通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しく
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こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。
日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。
予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。
問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■幸いな人-心の貧しい人 /福井 誠

2011年02月10日 | Weblog
2011/2/10放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは、「幸いな人-心の貧しい人」です。それではマタイの福音書5章3節から読んでみましょう。

 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

 心の貧しい者ってどういう意味でしょうか。ここで使われている「貧しい」ということばは、もともと「空にすること」を意味するのだそうです。確かに貧しい人というのは何もかもが空っぽになってしまった人のこと。何も持たない人のことです。心の貧しい人は心が何もかも空っぽになってしまった人の事。拠り所とすべきものを皆失ってしまった人のことです。それが幸せ、というのはよく理解できないと思う人は多いことでしょう。

 人は何かを心のよりどころとして生きています。あるお年寄りの人は定年退職した後も一流企業で働いていた時代の名刺を刷って持ち歩いていたそうです。人間というのは、何か心に誇るものを持ってそれに支えられて生きているところがあるものなのですねえ。

 けれども考えてみてください。心が何かで満たされているとしても、それは後になってみれば邪魔になるようなガラクタであるということもあります。学歴や地位・身分へのこだわり、能力や才能へのこだわり、そういう人間的なものに心を奪われて、自分らしい素直な生き方ができないということがあるものです。そういうものから解放されて、心が空っぽになれば、もっと別の新しい生き方ができるはずだと思うんことがあるでしょう。

 そうです。邪悪な様々な邪念から解放されて、心が空っぽになる時に、私たちはもっと大切な物で心を満たすことができます。素直に神様を見上げ、神様の愛と恵み、義しさで心を満たすことができます。つまり、天の御国を私たちのものとすることができるのです。

 聖書を読みましょう。そして自分にとって何が余計なものなのかをはっきり教えられて心を綺麗に整理して歩みたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2011.2.10放送でのお話より )

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■救うことをあきらめない神 /羽鳥頼和

2011年02月09日 | Weblog
2011/2/9放送

 いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

イスラエルの民がエジプトを脱出して2年が経ちました。彼らはカデシュ・バルネアに着きました。神様が与えると約束してくれた地であるカナンは目の前です。 イスラエルの民はその地を偵察することにしました。偵察の報告を聞き、そこに住む人々を恐れてしまったイスラエルの民はその不信仰のゆえに、これから38年間、荒野を放浪することになるのです。

旧約選手の民数記15章には、このような大失敗をしたイスラエルに対して神様が教えられたことが記されています。それは神様へのいけにえや捧げ物の規定等の宗教儀式についての教え、人が犯してしまった罪の対処の仕方等を教えられました。失敗の後で神様がどうしたら罪を赦されて正しく生きることができるかを教えられたのです。

私はこの箇所を読んでイスラエルを滅ぼさずに何とかして救おうとされる神様の熱心さを感じました。旧約聖書を読むと神様は厳しいお方という印象を持つかもしれません。確かに罪に対する神様のさばきが出てきます。しかしそれと共に旧約聖書には救いと回復の希望のメッセージが語られるのです。旧約聖書は人の罪を教えます。そして神様のさばきがあることを教えます。このさばきの警告は人を滅ぼすためではなく、人を救うためのものです。人がさばきの警告を聞き、神様を恐れ、自分の罪を悔やんで神様に救いを求めるようになるためなのです。このような救いのためのさばきの警告と共に、旧約聖書には神様がその人に救いを与え、その人が正しく生きるように、幸せに生きるようにと教え導いてくださることが語られているのです。このように神様は一生懸命に人を救おうとされるのです。

 イザヤ書46章4節に神様のことばがあります。神様は言われました。「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」 神様は人を背負ってでも救い出そうとされるのです。

 あなたもぜひキリスト教会に来てこの救うことを諦めない神様を知ってください。

  ( PBA制作「世の光」2011.2.9放送でのお話より )

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■日ごとの糧を与えたまえ /関根弘興

2011年02月08日 | Weblog
2011/2/8放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 イエス・キリストが弟子たちに教えてくださったお祈り、「主の祈り」と言われるものですが、今日はその中の「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」(マタイ 6章11節)という祈りをご一緒に考えていきましょう。

 ま、この祈りは大変具体的な祈りだと思いませんか。あなたは食事の前に感謝の祈りをなさってますか? ま、考えてみれば、日ごとの糧を与えてくださいと願っているのですから、その願い通りに日ごとの糧が与えられたら感謝するのはとても自然なことですよね。この「日ごとの糧を与え給え」とは決して抽象的な祈りではなく、私たちが生きていく上で必要な現実的な問題のために祈りなさいという事をイエス様は教えているんです。

 ある人は本当に具体的なことを祈って聞かれるんですかと疑いを持つ方がいます。私はそういう人には必ずこう言うんですね。「聞かれますよ。だから何でも祈ってください。その代わり、祈った祈りをあなたもちゃんと覚えておいてくださいね。」こう言うんですねえ。

 私が学生時代の頃でしたが、私は祈りのノートというものを作ったんです。ま、祈った祈りは本当に答えられるだろうかと思い、ま、自分で祈った祈りを全部ノートに書いていったんですね。そしてその祈りが答えられたなら赤鉛筆でそこに棒線を引くんです。どうなったと思いますか? 私の大学ノートはもう真っ赤になったんです。ただ自分勝手な祈りは聞き届けられないということもようくわかりました。

 でもある人はこう考えるかもしません。そんな日ごとの糧を与えてくださいなんてそんなみすぼらしい祈りはできません。俺はそこまで落ちぶれちゃいないよ。・・・ま、そんなふうに考える人もいるかもしれませんね。この「日ごとの糧をお与えください」というこの祈りを本気で祈るということは私は神様の支えや助けがなければ生きていくことのできない弱い存在なんですということを認める祈りに繋がるんです。ですから、プライドがあるとですねえプライドが許しませんね。そんな祈りができるか、ってなるわけです。

 でも神様のお世話になんかなっていないし、自分は何でもできるさ、って粋がっても人間はどうでしょうね、本当に弱い者だと思いませんか? 私たちはもう3分も息を止めることもできない存在です。そういう生き方ではなくて、私達は神様の支えなくしていきていけない存在ですと認め、心から「日ごとの糧を今日も与えてください」と祈る素直な謙遜な心が必要だと思いませんか。あなたを支えている神様に正直に心のままを願いを打ち明けることができる。何と幸いなことでしょう。

 (PBA制作「世の光」2011.2.8放送でのお話しより)

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■神のラブレター /村上宣道

2011年02月07日 | Weblog

2011/2/7放送

世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

えー、所によっては毎日雪がちらちら、またはぼさぼさっていう風な感じもして雪が降っているというふうな地域もおありかなというふうに思うんですけども。 あのー、雪は天から送られた手紙であるって言うロマンチックなそういう言い方もあるようなんですが、私は青森とそして山形というまあ雪国で小さい頃育ちましたので、雪にはこう馴染みが深いと言いましょうかね。そしてあのー、雪がですね、黒っぽい服の袖なんか留まったその雪を見ると本当に綺麗な結晶が見えるんですよねえ。もちろんこれを顕微鏡で見たりして研究している方々もいらっしゃる訳ですけども、なんかあのー、聞くところによると、この雪の形や結晶というのはみんな一つ一つ違うんだそうですねえ。ま、それを分類して15種類ぐらいにこう分けたりする事ができるようなんですけども。

あのですね、聖書を読みますとね、聖書の中に見ることができる手紙というのがあるんですねえ。

一つはですねえ、キリストってのは神のことばだってことが言われていてですね、ことばを通して私たちは気持ちを相手に伝達する訳ですよね。で、神様の御意志、神様のお考えというのをことばを通して。で、キリストは神のことばとして天から送られた手紙。だから神様っていうお方は、あのー、自分で見ることができない、でもキリストというお方を通して、ああ神様はこういう考えを持ってらっしゃるんだということが分るっていうことですねえ。

それから聖書。これは人を通してもちろん書かれたものではあるんですけども、神様が人間に伝えたいと思うものを人を通して私たちに書き送った手紙というふうに言う事ができるんですね。よく聖書は神様からのラブレターだというふうなことが言われます。神様が私たちを愛していらっしゃるっていう事を、いろんな人たちを通して、このことばを通してですね、聖書という形を通して私達にそのメッセージを送ってくれた。まさに聖書は天からの、神からの手紙。

もう一つはですね、神様ってお方は、キリストって方はこう目には見えないわけで、ですから、あなたがたはキリストの手紙だっていうふうにパウロという人は言いました。 クリスチャンたちを通して、ああ神様っていらっしゃるんだなあ、キリストってそういう方か、って分かるように、あなたがたは人々から読まれる手紙なんだよ、というふうに言われました。そう思うと、なかなかクリスチャンとしては責任が重いなって気がするんですけれども。

 聖書の中にそういう意味でキリストが手紙、聖書が手紙、そして私たちも手紙として人々に読まれる存在だということ、覚えたいと思いますねえ。

  ( PBA制作「世の光」2011.2.7放送でのお話しより)

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■目をさましていなさい /山中直義

2011年02月05日 | Weblog
2011/2/5放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。山中直義です。

 私たちの人生には、やがて終わりが訪れます。あなたはいつ終わりが来てもよい、という生き方をしておられるでしょうか。新約聖書マルコの福音書13章の後半には、確かで喜びに満ちた終わりを迎えるための秘訣が教えられています。イエス・キリストのことばを33節からお読みいたします。

 「気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。それはちょうど、旅に立つ人が、出がけに、しもべたちにはそれぞれ仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目をさましているように言いつけるようなものです。だから、目をさましていなさい。家の主人がいつ帰って来るか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、わからないからです。主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないようにしなさい。」(マルコの福音書13章33-36節)

 旅に出ていつ帰ってくるのか分からない主人の帰りのように、終わりの時がいつ訪れるのか誰にもわかりません。だからこそ大切なのは今目の前にある1日を目を覚まして誠実に生きることだ、と聖書は教えています。今日という一日を与えられた使命に誠実に過ごす。それこそが本当に確かで喜びに満ちた終わりを迎える生き方だ、とイエス・キリストは教えています。

 では、私たちは一体何について目を覚ましているべきでしょうか。この喩えの中の主人の言いつけに相当するもの、それは聖書のことばであるとイエス様は教えておられます。聖書のことばによく耳を傾け、それに聞き従って生きるとき、私たちは日々深い喜びと平安を体験します。そしてその延長に幸いな終わりを迎えることができるのです。人生にはやがて終わりが訪れます。確かで喜びに満ちた終わりを迎えるために、どうか神様のことば・聖書のことばに耳を傾け、目を覚ましてお過ごしください。

聖書のことば

 「だから、目をさましていなさい。家の主人がいつ帰って来るか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、わからないからです。
        新約聖書マルコの福音書13章35節
     (PBA制作「世の光」2010.11.13放送でのお話しより )

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  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)

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