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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■ゆるがされない平安 /岩井基雄

2011年02月04日 | Weblog
2011/2/4 放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか。岩井基雄です。早速ご一緒に旧約聖書の詩篇を味わいましょう。
 今日の詩篇は46篇です。4節、5節をお読みします。
 「川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる。

 この詩篇46篇の4節、5節には川のような平安、神様がともにある豊かな平安について歌われています。このことばの前後、すなわち3節や6節には自分の立つ地面が揺り動かされるような何かに裏切られるような経験、また国々が立ち騒ぐ、と表現されるような葛藤や痛みが表現されていて、その間に先の4節、5節が置かれています。すなわち周りには自分の存在を揺り動かされるような葛藤や争いがある中で、この詩篇の作者は川のような豊かな平穏を感じているのです。そしてどんな闘いや争いに囲まれようとも神を信頼し従う者には不思議な揺るがされない平安が与えられるというのです。

 私たちが考える平安というのは問題や争いがないということでしょう。しかし聖書が語る平安は問題のただ中にある平安を表しています。問題があっても平安なのです。なぜなら、その平安の中心は神様がともにおられることであり、暗闇が続く中で神様が共にいて助けてくださるからです。だからその平安はどのようなことがあっても揺るがされないというのです。

 あなたにもこの豊かな平安、どんな中にも共にいてくださる神様の助けと安らぎが用意されています。もう一度お読みします。
 「川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる。

 あなたも神様からの川のような平安と力強い助けをご自分のものとなさいますよう心からお祈りしています。目には見えなくとも神様はあなたと共におられます。

   (PBA制作「世の光」2011.2.4放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しく
はPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。
日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。
予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。
問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■悔い改めなさい /福井 誠

2011年02月03日 | Weblog
2011/2/3放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「悔い改めなさい」です。それではマタイの福音書4章17節から読んでみましょう。

 この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

 イエスはユダの荒野で悪魔の誘惑を受けた後、カペナウムという町へやってきました。そこを根拠地に周辺の町々や村々を歩き回って伝道されたのです。カペナウムはガリラヤ湖のほとりにある一番大きな町で、当時5万人程の人々が住んでいたと言われます。ローマの軍隊も駐屯し、いささか宗教的にも自由で華やかな町であったようです。

 マタイは、その町にイエスが住みついたのは預言者イザヤの預言の成就であると言います。マタイの福音書の特徴はイエスが旧約聖書で預言された約束の救い主であることをユダヤ人にも分らせようとするところです。ですからマタイはこうしたイエスの行動の一つ一つに旧約聖書の裏付けをしたわけです。

 さてイエスはこの町に移り住んでから積極的に宣教を開始しました。開口一番に悔い改めを勧めています。短刀直入ですね。しかしどうでしょうか。そのように言われては抵抗感が先んじて自分の生き方の間違いを認められなくなる人もいるかもしれませんね。

 確かに自分はそんなに間違った人生は歩んできていないと思うことはあるでしょう。しかし完璧にそうであっただろうか。これまでもこれからも完璧に正しい人生を歩む、と言い通せる人はまずいないことでしょう。胸に手を置いて静かに考えてみれば、何かしら自分の人生の破れや傷を感ぜずにはいられないのが人間であるようにも思います。

 イエスは言います。「天の御国が近づいた」と。私たち一人一人が神の前に立つ日は確実に近づいています。そこであなたは隠れたことすべてを裁かれる神の前に胸を張って立つことができるでしょうか。「悔い改めなさい」と言いますが、いつでも素直に自分の間違いを認め悔い改めていきたいものですね。そして神の前に正々堂々と立てるような生き方をしたいものです。

  ( PBA制作「世の光」2011.2.3放送でのお話より )

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介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■神を喜ぶ /羽鳥頼和

2011年02月02日 | Weblog
2011/2/2放送

いかがお過ごしですか。羽鳥頼和です。番組をお聴きくださり、ありがとうございます。

 パウロはテサロニケという町に伝道に行きました。そこでおよそ2週間にわたり聖書について語り、救い主は苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明しました。そして十字架で死に、三日目によみがえったイエス様こそ、この救い主であることを語りました。パウロの伝道によってユダヤ人の何人かの人がパウロに従いました。またギリシャ人が大勢イエス様を信じました。

 ところが妬みに駆られたユダヤ人たちは町で騒動を起こし、そのためパウロはテサロニケの町を出なければならなくなってしまいました。後にパウロはこのテサロニケの教会へ二通の手紙を書きました。それが新約聖書にあるテサロニケ人への手紙です。

 テサロニケ人への手紙第一5章16節から18節にとても有名なことばがあります。それは、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」というみことばです。

 では「いつも喜んでいなさい」とありますが何を喜ぶのでしょうか。それは神様です。ローマ人への手紙5章11節に「私たちは神を大いに喜んでいるのです。」とありますし、また詩篇9篇2節にも「私は、あなたを喜び、誇ります。」とあります。そして詩篇33篇21節にも「まことに私たちの心は主を喜ぶ。」とあります。いつも神様を喜ぶのです。そして祈る事も神様に祈るのです。感謝することも神様に対してするのです。いつも神様を喜びいつも神様に祈り、そしてすべてのことについて神様に感謝しなさい。人がこのようにすることを神様は望んでおられます。

 いつも喜び、祈り、感謝できることはその人にとって幸せなことです。いつも喜んで感謝して過ごすことができる人生は幸せです。聖書は人が神様を喜ぶことを勧めています。キリスト教会では神様を喜び、神様に祈り、神様に感謝することとして毎週日曜日に礼拝を神様に捧げています。あなたもぜひ教会の礼拝にいらしてください。

  ( PBA制作「世の光」2011.2.2放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■みこころがなりますように /関根弘興

2011年02月01日 | Weblog
2011/2/1放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 イエス・キリストが弟子たちに教えてくださったお祈り「主の祈り」と言われるお祈りについて考えていますが、今日はその中の「み心が天になるように地でもなりますように」(参照 マタイ 6章10節)というこの祈りについてご一緒に考えていきましょう。

 み心とは、ま、神様の心の事ですよね。イエス・キリストは神様の心が、そして神様の思いが私たちの生活・毎日の生活に溢れていくように祈りなさいと教えているんです。

 天においては神様のみ心は100%なされている訳です。しかしこの地上ではどうでしょう。毎日の新聞やニュースを見ても分る通り、ま、心痛むことが本当に多いですよね。だから私たちは神様のみ心がこの地上でも行われるようにと心から祈るのです。

 無条件の愛を持っている神様の心は私たちが愛に生きることを願っています。真実な神様の心は私たちが真実に生きることを願っている訳です。しかし私たちはそのままでは愛に生きようとすると何だか愛のない自分を発見してしまいます。真実に生きようとすると自分の中には何かこの悪い罪を見出してしまうのではないでしょうか。神様のみ心に生きることなんてほんとにできるんだろうかと思うことがあるかもしれませんね。

 でも聖書には次のように記されているんです。新約聖書のテモテへの手紙の中には「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」(1テモテ 2章4節)とあります。またヨハネの福音書の3章16節には、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子 ---イエス・キリスト--- を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」と記されているんです。

 神様のみ心はあなたが愛に生き、真実に生きる前に、まず自分の罪を悔い改め、弱さを認め、イエス・キリストを人生の救い主として信じ受け入れること、神様はそのことを心からあなたに願っている、望んでおられるんですね。

 神様は決してあなたの人生が滅びの中にあることを願われません。人生を空しく生き、自分を傷付け、人を傷付ける生き方、また逆に高慢になって強がっていく生き方、そんな人生を神様は決して願ってはいないんです。ただ御子イエス・キリストを信頼し、赦しと永遠のいのちを受けて歩む人生を神様は願ってるんですね。あなたの人生に神様のみ心が豊かになりますように。

 (PBA制作「世の光」2011.2.1放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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