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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■主の祈り-35 日ごとの糧を/大嶋重徳

2015年09月29日 | Weblog
2015/9/29放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった主の祈りがあります。主の祈りには「我らの日ごとの糧を今日も与えたまえ」という祈りがあります。

 私たちの祈る主の祈りがこの「神様、食べ物をください」という祈りに入るとき、私たちの信仰が急激に日常のありふれた毎日の中に突入してきます。信仰とは霊的な事柄だけのことではなく、毎日に関わる日常のものにも関係していることなのであって、それらのことのために祈りなさい、と教えてくれているのです。私たちの日常の必要なものを神様に求めていいのだ、と主の祈りは教えてくれるのです。

 イエス様は十字架にかかられる前の弟子たちとの最後の晩餐で、パンを割き、ぶどう酒を配られました。そして「わたしを覚えるためにこのようにしなさい」と、教会で食べること、飲むことを通してイエス・キリストをいつも思い起こしなさい、とおっしゃったのです。

 教会では聖餐式をします。パンとぶどうの液を分かち合うのです。私たちはその舌でキリストを味わい、その鼻でキリストの香りをかぐこととなります。神様は私たちの生活の日常的な食物でさえ神様ご自身の存在を指し示すしるしとされました。そのように考えるとき、私たちとイエス様との出会いは日常のいたるところにあることが分ります。イエス様の弟子たちにとってパンとぶどう酒がいつもの食事であったことを考えると、私たちの日常の毎朝のお味噌汁の香りと炊き立てのご飯の湯気を感じながら、私たちはイエス様を思い起こし食事をすることとなるのです。そして日ごとの糧を与えてくださったイエス様がここにおられる、と祈りを聞いてくださったイエス様と食事をするたびにお会いすることができるのです。

 パンを求めることがイエス様を求める祈りの入口となっていき、食べることがイエス様を思い起こすことになる。飲むことがイエス様の十字架を思うこととなるのです。

 「日毎の糧を与えたまえ」という祈りは、私たちに神様をいたるところで感じさせてください、という祈りになります。

 更においしいものを食べるとき、神様こんなおいしいものを創造してくださって本当にありがとうございます、と食べることが感謝をもたらし、神様への讃美を産み出すことへと繋がっているのです。

 さあ今朝もしっかりと朝食をいただいて、神様と共に新しい一日を歩み出したいと思います。



  ( PBA制作「世の光」2015.9.29放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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