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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■私たちのためにも祈って下さい

2005年08月17日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 さ、今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。茨城県真壁郡にお住まいの宮崎かつおさんからいただきました。

 これからも放送を続けられることをお祈りします。さて今日の羽鳥 明さんのメッセージ、「いつまでも主に信頼せよ。主はとこしえの岩だから。」いつまでも、どんなことがあっても信仰がゆるがないようにとしていきたいものです。

 宮崎さん、いつまでも、どんなことがあろうと神に信頼していく、これこそ私たちの願いでもありますねえ。お便りありがとうございます。またお祈りありがとうございます。さて、今日の約束のことば。新約聖書テサロニケ人への手紙第一 5章25節です。お読みします。「兄弟たち。私たちのためにも祈ってください。

 パウロは「私たちのためにも」と言っていますが、その中心は「私のために」祈ってくださいということですね。パウロは神様から御自分に預けられた人々のためにいつもその名前をあげて祈っていた人でした。その人の病いの癒しのために、難しい悩みごとのために勇気をくださるように、困難の時に上からの力を下さるようにと、一人一人のために一生懸命祈っていた人でした。私もパウロほどとは思いませんが、毎日何百人かの人のために、それぞれの必要のために、癒しのため、勇気と信仰のため、救いのため祈っています。しかし、祈りながら自分こそ誰よりも神様の力、神様の赦し、神様の癒し、神の力・神からのエネルギーを必要としている者だということを心底から感じています。パウロのような人でさえ、「兄弟たち。私のために祈ってください。」と頼んでいます。一人一人のために祈っていると不思議なことに、神様のお助けがある、祈りが聞かれていると感じるものです。不思議ですが、祈っていると私のその人のためにできる小さなこと、ほんとに小さなことも知らされるのです。私も皆さんから祈っていただいていることを切実に感じています。どうぞ私のためにも祈ってください。

 今日の約束のことば。「兄弟たち。私たちのためにも祈ってください。
新約聖書テサロニケ人への手紙第一 5章25節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2005.8.17放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。また、近くの教会も紹介してくれますので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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■あの喜びは今どこに

2005年08月17日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 私たちが生きていく上で大切なことの一つに、自分が自分をどう見ているのかということがあります。あなたはあなたそのものであって、あなた以上にもあなた以下にもなれませんよね。あなたはあなたという存在だからです。でも多くの人は自分の欠点を見ながら他人とくらべることが大好きです。自分を必要以上に低く見積もったり、逆に高く見積もったりして優越感と劣等感を行ったり来たりするなんてことがありますよね。

 聖書は、あなたは神様に愛されている存在でと教えています。でも神様があなたを愛しているなんて聞くと、ある人はこう考えませんか。そんなに俺たちを愛して下さる神様がいるなら、どうして問題が起こるの? どうして苦しみがあるんですか。割り切れないなあという訳です。

 ハーバード大学のオルフォードという博士が多くの人の信仰生活のスタイルを調べたそうです。すると二つに分けられたそうです。一つは、神様を信じるといいことがある。神様を信じると立派になれる。お金が儲かる。友達が増える。自分の世界が豊かになる。とにかく自分の安全や自分の地位。いつもそこには自分という姿が中心にあるという訳です。いつも自分に良い事をして下さる神様しか考えません。ですから突然の不幸や病気や苦しみが起こると、神様がいるのになんでこんなことをなさるの、神なんて信じられないって終わってしまうというんですね。こうした信仰のスタイルは、どうしても人生におこる悲しみや困難に立ち向かえないという欠点があると言います。

 もう一方はどういう形でしょう。それは先程のように、いつもいつも自分が自分がというその自分が中心にならないスタイルだと言うんです。詩篇23篇には「主は私の羊飼い。私は乏しい事はありません。」と書いてあります。また、詩篇46篇には、「神はわれらの避け所、また力、苦しむ時そこにある助け。」と記されているんです。どちらも主語は誰でしょう。そうですね、天と地を造られた神様。神様こそ私の羊飼いですと告白するその信仰スタイル。それが聖書の教える生き方なんだと教えるんです。私たちはいろんな出来事の中で心にある喜びが失われる事がたくさんあります。でもその姿を良く見ると、いつのまにか、自分が自分がというようなそんなような思いになってしまってるんではないでしょうか。そうした、自分が自分がの世界から、イエス様あなたのために人生を委ねて生きてまいりますと祈ってみてはいかがでしょう。イエス様はこうおっしゃっています。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしの所に来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
 
 ( PBA制作「世の光」2005.8.16放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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