♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■いつ、どこで、だれが、どうした

2005年08月18日 | Weblog

 お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。
 
 今日は読売新聞こどもの歌のコーナーにありました東京都港区南山小学校4年生の曽根じょしん君が『分らない』と題しての詩を紹介しましょう。

 いつどこで だれがだれと なにでどうした ときかれたら こうこたえた
 いつかどこかで だれかがだれかと なにかでこうした 
 まるでほんとに わからない

 この詩にですね、こんなコメントが寄せられていました。「答えのわからないなぞなぞこそ本当のなぞなぞ遊び」とありました。まあ、なぞなぞ遊びのことでしょうか、それとも曽根君はお友達に何かのできごとについて聞かれたのかもしれません。まさか、お家の人に尋問されたのではないでしょう。「いつ? どこで? 誰が? 誰と? 何で? どうした?」そうするとですね、「いつかどこかで だれかがだれかと なにかでこうした。 まるでほんとに わからない。」と答えたんでしょうか。

 曽根君の詩を読みながら、人生のさまざまな出来事についてとても考えさせられました。時にはなぜこんなことがあるのか。なぜ自分ばかりつらい目に遭わなければならないのか。何を悪いことをしたのか。あまりにも非情で不条理なことが自分に降り掛かってくることがあります。生きる意味さえ失ってしまうこともあります。事故、突然のアクシデント、病気、家族の問題、 リストラ、なぜ? どうして? あんまりにも多すぎます。聖書では、私たちの人生に神様がしっかりと介入していらっしゃるんだと言うんです。決して無意味ではないんだと言うんです。

 旧約聖書の伝道の書の3章という所にはこういうことばがあります。「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。」そしてこう書かれています。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。」神様は決して悪いようなことをなさらないのだ。神にお任せしていく時、神様のなさることはその時その時にかなって美しい、麗しい、素晴らしい、タイムリーだ、こう言うんですね。

 そういう神様を信じていく時に、明日何がありましても、 今「なぜ? どうして? なぜ?」っていうような事々の日々が、出来事が積み重なるようなことがあったとしても、そういうことにしっかりと神様は意味を持たせて、ああこういうことだったんだ、ああいうことだったんだ。大丈夫なんだ。そんな明日をあなたにきっと備えてくださるに違いないはずです。


(PBA制作「世の光」2005.8.18放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせて日曜日の朝、教会に行ってみましょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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