ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

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実際を見ることも、感性や理性を育てることも大切

2017-09-26 10:17:38 | まじめな話

 今日(9月26日)の東京新聞「22世紀に残すもの」欄に宮城県山元町の曹洞宗徳本寺住職の早さか文明さんの発言が載っていたので抜粋します。

●今をどう生きるかが大事
 「ありがとう」の反対語とはなにか。それは「当たり前」だ。

 東日本大震災が起きたのは3月11日の午後2時46分。

 震災直後は皆さん、この理不尽さは何なんだとしかならなかったけど、ご供養を重ねるうちに、震災の少し前の日常的な風景をいろいろ語ってくれるようになる。あの日常的な風景がどんなにありがたかったか、かけがえのないものだったか、と。
 形があるものも、いつまでも同じ形ではないというのが、まさに仏教でいう「無常」。無常だからこそ、赤ちゃんはオギャーと泣いたりアハハと笑ったり、そして最後には死んでいく。だから大事なのは今をどう生きるかだ。
 「人生そのものが無常なのではなく、無常の受け止め方にこそ人生がある」という言葉がある。

 例えば現地に入って「こんな事があるんだ」と無常を感じれば、そこで「自分も同じ無常の中にいて、たまたま被災していないけど、同じ無常の中にいるんだ」ということを再認識してもらえたらいい。それすら想像力が働かないと、「原発は、あっちのこと」となってしまう。


 この意見には同感。自分も無常の中にいて、たまたま被害に遭ってないだけだもんなあ。

 で、このあとは次の文で終わるのよ。

そこでどれだけ想像力を働かせることができるのか。現場を見た人と見ていない人では想像力の度合いが全く違う。一回でも見た人はいろいろ想像できて、「もしかしてここだって」とか「こういうときはどうすればいいのか」とか思うはずだ。

 いろいろな報道で現場の姿を知ることができても、百聞は一見に如かずって本当だと思う。現地のこのひどさを見てほしい、理解して想像してほしい、だから来てほしいというお気持ちはわかるよね。
 それでね、それと同じように、見ていなくても思いやれる感性や想像できる理性をもつこと、育てることも、とってもとっても大事だと思ったのよ。
 
 戦争の現場を実際に見たことはないけど、戦争はいらない。
 戦争ができるようにして、実際に戦争を始めてしまう恐れがあると推測できる憲法改正はいらない。
 事故が起きたりテロや爆撃などで攻撃されたら日本を滅亡させて世界に甚大な被害を及ぼすことになる原発はいらない。


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