花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

市井からの眺め 博覧会大好き日本人②

2020年04月14日 | レモン色の町

四日市港の第2埋立地ができた昭和11年、企業誘致のために国産振興四日市大博覧会が開催され、そして戦後の復興に見通しが立った昭和27年には講和記念四日市大博覧会が開かれた。

博覧会大好き日本人!ある時は、国の繁栄を祝い あるときは振興を願って博覧会が開催されている。帝都東京では大正3年の東京大正博覧会、大正11年の平和記念東京博覧会が、上野と不忍池周辺で開かれた。

第一次世界大戦終結後の平和を記念し、日本産業の発展に資するため開催された平和記念東京博覧会は、大正バブルがはじけ長い不況に入ろうとする大正11年3月10日から7月31日まで開催、来場者は約1100万人と空前の人出になった。(四日市の講和記念大博覧会の約10倍)しかしこれは、入場者を増やすため福引を付けるという苦肉の策の結果である。

第一会場には、染色館や平和館、化学工業館、農産館、美術館が並び、第二会場には、外国館や北海道館、樺太館、満蒙館、朝鮮館、台湾館が設置された。四日市の博覧会と同じく時代背景が色濃く出ている。

樺太館

蚕糸館(兵隊が目に付く)

呼び物となった「文化村」では、あめりか屋などによる中流階層向けの住宅14棟が展示された。販売価格は6千円台、当時の年収の4~5倍で求めやすい価格だった。ここから文化住宅という言葉が広まったと言われる。

文化住宅の展示

              <ウィキペディアより>

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