静岡からわざわざお越しいただいた Nさん 古い図面をお持ちだった
一体全体 どこか分からないし 時代が分からない
番地(1480番地)を読むと 我が家(1489番地)から近いし 当店より南の地域のようだ しかも 近い! ということは 真ん中の広い通りは旧東海道である 小さな橋は阿瀬知川(下)へと繋がっている 何処の橋か? もう1枚のこれより西側(左)の地図を見せていただいた
発見!此処には 鉄道用地 と 軌道用地 と記入した土地が広がる・・・
黄色=三重軌道・青=四日市鉄道
四日市鉄道と三重軌道が 線路を敷くために 土地を確保していく過程がみえてくる
福田武夫氏の東海道往還より 江田(えんだ)
初めの地図の橋にあたる部分は 昭和16年まで東海道沿いにあった諏訪驛の下を横断する川である
明治44年の地図
この小さな川は 神社の鳥居下を通り 東海道沿いの民家の裏を流れ 東海道を横断して 阿瀬知川に合流していた 我が家の店舗と住居の間には川の跡が残っていた 三重軌道が線路の敷設当時 諏訪新道を通る計画があった(たいじゅさん提供)が 三重軌道用地が神社前まで伸びているか?知りたいところでございます 次週にでも 法務局へ出向いてみようかと思っている
静岡のNさんは 東海の飛将軍と言われた熊澤一衛氏が 静岡でも活躍されているとのこと それがきっかけで四日市までお越しいただいた ということでした。まさしく熊澤氏が結んだご縁でゴザイマス
Nさんありがとうございました。
掲示画像ではおそらく判読できないでしょうが、2枚目の画像・1480番地(蛍光青色丸部分)のやや左上の1448‐5番地(三叉路南東角地)敷地内にうっすらと「鉄道用地」の字が見て取れます。4枚目地図画像の黄色蛍光色で塗られた三重軌道「軌道地」の配置関係から見ても四日市鉄道の「鉄道用地」との軌道交叉(ダイヤモンドクロッシング)はほぼ確定、この図面が明治43年~大正3年間に作成されたであろう図面であることが濃厚な証左となっています。これ以降の疑問は、1枚目図面に描かれている「乙図」(道路と水路沿いにそう表記されている=諏訪駅以北及び諏訪新道付近)の入手が解決の一番の近道と思われます、続報を心よりお待ちしております。
これで神社前の軌道用地確保が見られるかが楽しみとなっておりますが、軌道ですから・・・楽しみでゴザイマス