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kan-haruの日記

風景・風物詩 旧岩崎邸庭園 金唐紙の壁で華やかに蘇った岩崎邸洋館 その2

2008年04月29日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2008

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旧岩崎邸庭園での岩崎邸洋館の一般公開は金唐紙壁複元後の2003年からであり、今年の3月14日には洋館外壁の塗替えが終了したところです。また、3月30日から5月11日の期間に「金唐革紙展」が開催され、この間の日曜日および祝休日には世界で唯一の金唐紙制作技術保持者の上田尚氏のサイン会も行われており、6日の旧岩崎邸庭園見学は良い日に恵まれました。

金唐革紙展案内(写真拡大) 上田尚氏サイン会(写真拡大) 金唐革紙文様(写真拡大)

金唐紙の壁で蘇った岩崎邸洋館2階客間
洋館2階に上がると、客室2部屋の壁には、美しく再現された金唐革紙(きんからかわし)の壁紙で張り替えられて、建築当初のように華やかに蘇えておりました。
客間の金唐紙壁は、薄い青の地に植物のような突凸模様の黄金色に輝く見事な壁です。

  客室の金唐紙壁(写真拡大) 2階部屋の金唐紙壁(写真拡大) 婦人客室(写真拡大)

・金唐革紙壁
ヨーロッパでは王侯・貴族の城館の壁や天井などの装飾に金唐革が使用され、この装飾革に金属箔を貼り、花・動物等の絵柄・文様のデザインをプレスして彩色した上に、塗料・ワニスを塗って仕上げられています。ヨーロッパの金唐革は、鎖国の江戸時代にオランダから入ってきた皮革工芸品を、手箱や刀の柄、鞍、煙草入れなどに使われ珍重されていました。

金唐革紙製作工程(写真拡大)      版木ロール    金唐革紙文様(写真拡大)

日本では、金唐革を和紙で模した偽革紙の金唐革紙がつくられるようになり、江戸末期には浮凸文様を打ち出して、顔料・油・漆・金属箔などで高度に装飾加工したものが作られるようになりました。1867年(明治6年)には、ウィーン万国博覧会に大判の壁装用の偽革紙を出展し、好評を博し輸出が開かれ欧米の建築物を彩ったそうです。
金唐革紙は、最高の加工技術を施した、東西文化交流を象徴した和紙工芸品です。

  金唐革紙展(写真拡大)        (写真拡大)          (写真拡大)         
現在は、唯一の技術を保持する上田尚氏による、「金唐紙」と称する壁紙が旧岩崎邸洋館に復元され、当時が蘇っております。見学の記念に、金唐紙壁紙の端切れで作られた「しおり」を購入し、サインをして貰いました。

 金唐革紙のしおり(写真拡大) サイン入りのしおり    サイン会の上田尚氏    
和館
洋館からつながるわたり廊下を進むと書院造りの和館です。完成当時には建坪が550坪におよび、規模は洋館をしのいでいたそうです。
施工は、多くの有数な財政界の屋敷を手がけた大工棟梁の大河喜十郎と云われています。岩崎邸の広間奥の居住の間取りは、南北に分けられ、南側にはご夫妻の部屋と子供部屋が置かれ、北側には使用人部屋、台所、事務方詰所や倉庫などがあったようで、当時の純和風建築で巧緻を極めた建物の一部をかいま見ることができます。
玄関近くの書院造りの広間には、明治の日本を代表する橋本雅邦画家の作といわれる障壁画が残っています。

  和館への渡り廊下         和館の廊下       和館大広間(写真拡大)

撞球室
洋館とは離れた別棟の撞球室もコンドルの設計した木造建築で、山小屋風の造りで大屋根に深く差し出た軒に、柱には刻みが入りゴシック流のデザインです。当時の日本では、山小屋風の建物は珍しいもので、洋館と地下道でつながっています。

   山小屋風撞球室         撞球室内部    洋館に通じる地下室への階段

庭園
岩崎邸の庭は、江戸期の越後高田藩の武家屋敷から明治期の旧舞鶴藩牧野のお屋敷時代の大名庭園から、本邸建築時に広大な庭に芝を張り、庭石・灯篭・築山を設けて、和洋併置の近代庭園の「芝庭」が作られました。
岩崎邸の和洋併置の庭は、洋館のベランダからも、和館の廊下から眺めてもまた撞球室前のベランダのチェアから見ても素敵な景観です。

    和洋併置の旧岩崎邸庭園        撞球室のベランダ

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風景・風物詩 旧岩崎邸庭園 金唐紙の壁で華やかに蘇った岩崎邸洋館 その1

2008年04月27日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2008

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旧古川庭園の洋館を手がけた英国人建築家のジョサイア・コンドルが設計し、1896年(明治29年)に竣工した、三菱グループを創設の岩崎邸洋館のある旧岩崎邸庭園にはいままで行っておりませんでしたので、4月6日の午後出かけてみました。

旧岩崎邸庭園
旧岩崎邸庭園(台東区池之端1-3-45 地図参照)は、大森町から三田で都営三田線に乗り換え、大手町駅で東京メトロ千代田線に乗り継いで湯島駅下車、1番口を出て四つ角を左に折れて徒歩4分で都立旧岩崎邸庭園の現正門です。


厳めしい鋼鉄せいの現正門を入り、右手に曲がって両側に綺麗に咲き誇った草花がある坂を上った突き当たりが、公園管理棟で入場券を購入しました。

                      袖塀(重要文化財)   右突き当りの公園管理棟

入場料は、一般が400円で、65歳以上が200円であり小学生以下は無料です。ただし、都内在中・在学の中学生は無料です。


入場券を求めて左手の玄関前広場に進むと、大きな西洋館が聳えています。この洋館の建つ屋敷は、江戸時代には越後高田藩主榊原泰政の1万5千坪有余の江戸屋敷であったが、明治時代に薩摩の桐野利秋、についで旧舞鶴藩知事の牧野弼成など経て、1878年(明治11年)に三菱創業者の岩崎弥太郎の所有になり、3代目の弥太郎の長男岩崎久弥が別邸としたものと云われています。
当時は、敷地に20棟もの建物がありましたが、現在は1961年(昭和36年)に重要文化財になった洋館と撞球室と、同じく1969年(昭和44年)に重要文化財になった和館大広間の3棟が残っています。

      旧岩崎邸庭園配置図

邸宅の設計者のジョサイア・コンドルは、1877年(明治10年)に日本政府招聘により来日して、工部大学造家学科(現東大工学部建築学科)教授に就任し、本格的西欧式建築教育を行いました。上野の博物館(現在の東京国立博物館)、ニコライ堂や鹿鳴館など多くの洋風建造物の設計をして、19世紀後半のヨーロッパ建築を紹介し日本の近代建築の発展に指導的な役割を果たしました。
同一敷地内に洋館と社交の場、和館と生活の場を併立する大邸宅は明治20年代頃から建てられ始め、岩崎家本邸はその代表例であり、現存の明治建築としては貴重なものです。

・洋館
木造2階建地下室附きの洋館は、正面に向かって左半分が主屋でスレート葺の大屋根をかけ、その右にやや規模の小さい棟が続き、両者間の玄関部に塔屋がたち、角ドーム屋根となっています。南側のベランダには、装飾を施された列柱が並び、全体的にイギリス・ルネッサンス風となっており、東側はサンルームとして使われ、洋館の広さは531㎡あります。

岩崎邸洋館正面(写真拡大) 岩崎邸洋館南面(写真拡大) 岩崎邸洋館東面(写真拡大) 

洋館の玄関で係りのひとから下履を入れる袋を受け取り、洋館に入ります。
1階部分に玄関・食堂・書斎・厨房・客室が、2階には客室・集会場が、また非公開の地下には倉庫・機械室・通路が設けられています。

      1階の部屋            階段            サンルーム

列柱の並ぶベランダは、1、2階の装飾デザインが異なり、1階はトスカナ式列柱で、2階はイオニア式列柱を採り入れているのが特徴です。

            ベランダ2階:イオニア式列柱装飾      1階:トスカナ式列柱       

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第8回)

2008年04月25日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2008
 
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京急蒲田駅の環八通り先行立体交差高架化は、5月18日日曜日の始発から行われる予定であり、工事が実施出来ない場合は5月25日と発表しています。

 第5工区JV工事説明資料から

京急蒲田駅付近の高架化工事は、3月23日、4月2、22、25日と工事の進展模様を見てきましたので、第3、4、5、7工区の状況をまとめました。

 京急蒲田駅工事工区分担図(再掲)

第3工区の高架化工事
第3工区高架橋建設工事は、多摩堤通りの梅屋敷第4踏切の南から、呑川の上までの京急蒲田の2層高架駅の1層部までの高架橋の建造を、1、2号工事機の巨大なクレーンを駆使して進めていました。

 第3工区の高架化工事

第4工区の高架化工事
第4工区高架橋建設工事は、旧上りホームとホーム間の跨線橋の撤去後に工事機クレーンを使用して、第3工区と同様に2層高架駅の1層部の建造が進んでいます。

 第4工区の高架化工事

なお、第4工区現場の地下にある、京急蒲田駅の東西間を結ぶ公共地下道の西側入り口が新しくなり、従来口より北側に設けられゆったりした階段となりました。

 公共地下道西口の旧入口         公共地下道西口の新入口

第5工区の高架化工事
・環八通り先行立体交差高架化
先行立体交差高架橋は、説明図に見られるように上り本線と並行して架設され、蒲田側では京急蒲田第2踏切手前で地上に降ります。

 第5工区JV工事説明資料から

そこから現在上り線に向い右にカーブして接近しながら、仮上り線ホーム南端部では線路が西に移設となり、ホームを削ってカーブを描いて走ります。上り線の線路が移設しますので、空港線への分岐線も移動となり、そのため本線下り線路も分岐点の調整のため西側に移設させるものと思われます。

 左:京急蒲田第2踏切での仮立体交差上り線路(写真拡大)
 中:ホームから見た仮立体交差上り線路の走行経路(写真拡大)
 右:踏切から見た仮立体交差上り線路の走行経路(写真拡大)

反対側の先行立体交差高架橋南端では、京急蒲田第9踏切直前で地上に降り、本線との合流は第6工区の高架橋の建造を先行立体に対応て幅を広げてあります(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 雑色駅付近(第1回)」参照)ので、仮線との接続経路は準備されています。

 左:京急蒲田第9踏切踏切から見た仮立体交差上り線路(写真拡大)
 中:仮立体交差上り線路に繋がる第6工区内の仮線線路(写真拡大) 
 右:仮立体交差に対応してある第6区の架設高架橋(写真拡大)

・高架橋建設工事
第5工区の本体の高架橋の築造は、先行立体交差化工事のため他の工区から見るとやや遅れており、京急蒲田第9踏切の南で工事が始まったところです。

 左:京急蒲田第2踏切から見た架設の傾斜高架橋(写真拡大)
 中:京急蒲田第4踏切から見た2個目の高架橋(写真拡大)
 右:他工区とは異なる橋脚構造をした高架橋が特徴(写真拡大)

第7工区の高架化工事
第7工区の高架橋建設工事は、京急蒲田(空)第1踏切(第1京浜国道)の東脇に2階層の高架橋脚が建てられており、1、2号の工事機の位置は前回掲載の「京急蒲田駅付近(第6回その2)」に記述の場所とは変わらず、京急蒲田駅3階高架橋から2階高架橋へ傾斜して下る高架橋の建設を進めるようです。
糀谷駅に接している京急蒲田(空)第4踏切から西側の高架橋は、4月2日に見に行った時には建築が進められておりました。同踏切から東側の第8工区の糀谷高架橋駅は、現在は上下線の線路間と下りホーム上に高架橋脚が建てられていますが、これと第7工区の高架橋とどのように結合するのかが分かりません。

 左:京急蒲田(空)第1踏切際の2層橋脚
 中・右:京急蒲田(空)第4踏切から西側の高架橋築造

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風景・風物誌 八重桜とチューリップ 足立都市農業公園の花見

2008年04月23日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2008

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都市農業公園
今年も八重桜を観賞したいと探していたところ、足立区の都市農業公園に桜とチューリップが満開というので、4月15日の午後から出かけてみました。
都市農業公園(足立区鹿浜2-44-1 地図参照)は、1984年(昭和59年)に開園した公園です。公園には、東武鉄道西新井駅西口(東武バス)または東口(コミュニテイバス)の何れかから、バスで都市農業公園行に乗ると、終点が公園正門の前です。

・自然環境館
園内施設(公園マップ航空写真参照)は、河川敷緑地を含めて広さが66,765㎡もあり、正門を入ると正面に自然環境館があり、公園内で見られる情報が展示してあり、常駐解説員から展示の解説や公園の見どころを紹介して貰えます。

 自然環境館展示品

・芝生広場
園内には320本の桜が植えられており、自然環境館南の約3000㎡の芝生広場はワシントン市ポトマック川河畔から里帰り(平成15年)した35種97本の「五色桜」によって白や黄色、淡紅色や濃紅色に彩られます。

 八重桜満開の芝生広場(4月15日撮影)

公園の資料によると、1885年(明治18年)に、江北村(現足立区江北)で荒川(現隅田川)の堤防改修工事が行われ、村民の要望で「紫桜」、「関山」、「白妙」、「鬱金(うこん)」、「墨染」をはじめとして78種類3千本のサトザクラが植えられ桜の名所になりました。それらの花が咲いた風景は、まるで五色の雲をたなびかせた様に見えたので、新聞記者が「五色桜」と表現したところから、荒川堤の桜を「五色桜」と呼ばれるようになったそうです。

        満開の鬱金桜              花びらが撓(たわわ)の日暮 

・れんげ畑の田んぼ
古民家の長屋門を西に見て南に進むと、公園の水田は一面れんげ畑です。れんげ畑は、昔の田んぼで良く見られ、田植えの前に「すきこんで」肥料にします。れんげは、中国原産の豆科の植物で、農業公園ではこれから田づくり(荒起こし・代かき)をして、5月に田植えを行いイネ作りの体験教室が開かれます。西隣の畑では、ジャガイモやサツマイモづくりの体験教室が実施されます。

   水田前の長屋門      古民家前のれんげ畑     開花したれんげ畑

やや強めの日差しの古民家前の田んぼや畑の周囲に彩りを添えた春の草花と満開の八重桜を見ての散策は、素晴らしいものでしたが午後から出てきたので、工房棟や昔の農機具展示室などの施設には寄らずに古民家の見学をしました。

 れんげや芝さくらなど満開の草花

・古民家
古民家は、元花畑町和井田栄一氏の住宅で有形文化財の指定です。江戸時代後期の建築で、間口八間、奥行五間、屋根は寄棟(よせむね)造りの茅葺(かやぶき)造りの、典型的な田の字型の間取りで、向って右手の入口から入ると土間があり、その奥が台所です。左手には、座敷、部屋、奥などと呼ばれる室があります。天井裏には中二階があり、二か所の武者窓(むしゃまど)風の明り取りがあって、土間から梯子で昇り降りし物置として使用されていました。
安政大地震を経てきた家屋は、何回かの修改築のあとが見られ、台所の改造や南側の瓦葺の庇と、西側に廊下が取りつけられています。

 元花畑町和井田栄一氏住宅(有形文化財指定) 

・長屋門
長屋門は、武家などが長屋一部に門を開いたものですが、江戸時代の後期になると地主農家の中に長屋門を構えるようになりました。増野製作所長屋門は谷中の浅野久右衛門の所有で俗に「谷久門」とも呼ばれ、1897年(明治30年)ごろに建造されたもので、農家の長屋門としては規模の大きな有形民俗文化財指定の門です。

   中から見た長屋門     長屋門の郵便受け    長屋門内の資料展示場

河川敷緑地
古民家を見学した後、公園の西側奥に位置する公園の一番高い所にあるレストハウスは、荒川と新芝川に面して見晴らし良く、テイタイム休憩で喉を潤おしてから荒川堤防に上がりました。
平成10年の荒川の堤防強化にともない、都市農業公園に隣接する河川敷も公園と一体的に整備、管理することになり、河川緑地として一般公開されました。
河川敷き花壇には、2万本のチューリップが植えられ、4~5月には見ごろに咲き誇ります。

 河川敷き花壇の2万本のチューリップ(写真拡大)

土手からの風景を眺めていると、春の日もそろそろ黄昏てきましたので、荒川とも別れを告げ、公園バス亭前のバス通りの八重桜並木に見送られ帰途に付きました。

   黄昏せまる荒川      公園北を流れる新芝川 公園前バス通り八重桜並木 

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第17回その2)

2008年04月21日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
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1号工事機械の移設
・移設前の準備工程
3月17日に設置した1号工事機に関連した工事は、4月8日暁朝に基礎杭最終工程作業に入り、始発前頃からは無人で機械を運転して作業が行われ、深夜に終了しました。

 左、中:無人作業(10時20分と13時20分頃)  右:無人作業終了で棒鋼取出し(9日0時30分頃)

続いて終電車が終了後の9日1時半過ぎには、無人作業中のホームに設置の安全保護囲いや、不要となった工事資材の取り除き作業が行われました。

無人作業安全保護囲い撤去     作業終了による不要資材の後片付け

同時に、多数の工事車を動員して、仮設ホーム下の高架化の基礎工事が進められました。

 工事車を動員した仮設ホーム下の基礎工事

・1号工事機移設前作業
翌10日の終電終了後に駅ホームの仮設屋根板が外され、1号工事機械の南下移設の準備作業が行われました。

 仮設屋根板の取外し

また、電車架線支持の張り直しと共に、仮設ホーム板の除去も行われました。

架線支持張直し(写真拡大)       駅仮設ホーム板除去(写真拡大)

工事機移設
工事機移設の準備が完了した後の、1号工事機の移設に要した時間は思ったより早く、僅か5分後の午前2時に見た時には既に南下の移動が終了しおり、移設時の光景は見ず終いでした。

  工事機移設後の作業  マンションまで工事機移動 工事機移動で架線張り修正

工事機の移設の位置は大森町駅東の新築マンションまで南下して、ホーム南端真近となりました。工事機移動で外された駅仮ホーム板と仮屋根は、仮設で修復されました。

        1号工事機移設(写真拡大)      マンションまで南下の工事機

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第17回その1)

2008年04月19日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
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大森町駅上高架化工事状況
大森町駅付近第16回に記載の工事状況に続いて、4月上旬における第1工区大森町駅周辺の高架化工事作業状況のその後の模様を、現在工事機械の設置位置が工事取材に適した条件にありますので、移動するまでの期間は工事模様を詳細に記載します。

1号工事機工事状況
・下りホーム上の工事機械下の基礎杭工事
3月17日に移設された大森町駅ホーム上の高架化1号工事機械による工事作業は、4月に入り、機械の下りホーム側で3月23日に基礎杭鋼管を埋め込んだ工事(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第16回その1)」参照)位置での基礎工事作業が続いています。

 工事機械下の基礎杭工事(写真拡大)

工事作業は、工事の長い鋼棒を基礎杭鋼管内に終電後挿入し、始発前に除去する工事を進めておりますが、外部からは見られず工事内容は判りません。作業により、挿入棒の形状は異なります。
鋼棒の挿入には、挿入する場所のホーム仮屋根と仮ホーム板を取り外し、始発前には回復させることを、連日に亘り行うので大変な手間がかかります。

 基礎工事作業により異なる挿入鋼棒(写真拡大)

4月4日には、毎日挿入の鋼棒の他に、高架橋脚穴内にセットされていた複数の鋼棒や工作機械などが取り除かれました。

 基礎杭部に挿入の複数鋼棒や工作機械を除去(写真拡大)

同5日には、以前に行われた上りホーム側と同様に、工事機下の基礎杭鋼管内に4脚の基礎杭鉄筋筒枠が埋め込まれました。

 複数の基礎杭鉄筋筒枠の挿入(写真拡大)

同時に、高架化1号工事機械を移設する準備工事として、多数の作業員が上下線ホームの仮屋根の取り外し可能な付け替え工事が行われました。

 工事機械移設のためホーム仮設屋根改造(写真拡大)

・工事機械外側の基礎杭工事
高架橋架設工事のための1号工事機械の役割は大きく、基礎杭工事位置に基礎杭鋼管や鉄筋筒枠を埋め込んだり、工事の長い鋼棒をセットしたりする他、工事機械や工事資材の移動運搬などを、終電から始発までの短い時間に進めるために威力を発揮しています。
工事機械のクレーンの行動範囲は広く、4月3日には工事機下の基礎杭工事の他に、1スパーン先の工事機外の高架橋脚の工事機の外側への基礎杭鋼管の埋め込み工事が行われました。

 工事機の外部1スパーン先に基礎杭鋼管挿入(写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 海苔の歴史を学び体験する 大森海苔のふるさと館オープン その2

2008年04月17日 | 大森町界隈あれこれ 海苔
kan-haru blog 2008

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大森海苔のふるさと館オープン
丁度1年前の4月にオープンした大森ふるさとの浜辺公園内に、「大森海苔のふるさと館」が今年の4月6日にオープンしましたので、行ってみました。
当日は、10時からオープニングセレモニーが行われるとパンフレットに書いてありましたので、9時半頃に着くように出かけるとふるさと館周辺は沢山の人が来ておりました。
しかし、オープニングセレモニーに出られるのは関係者に限られ、一般の入場は10時半からということで、ふるさと館周辺のふるさとの広場のベンチで時間を過ごしました。

           大森海苔のふるさと館

オープニングのイベントとして、長さ6メートルのジャンボのり巻き作りや「のりすき」体験が行われ、参加整理券を貰う長蛇の行列がならびました。

   のりすき整理券予約  ジャンボのりまき作り予約 ジャンボのりまき作り会場

また、昨年まで大森町駅近くの大森海苔会館で行われていた「のり祭り」(「大森町界隈あれこれ 大森海苔物語 のり祭り」参照)が、今年は海苔のふるさと館で開催され、恒例の大森海苔問屋による即売会や「海苔産地あて」などが催され、満員の盛況でした。

        恒例の海苔問屋によるのり祭り 

海苔のふるさと館の前庭では、養殖海苔の着いた海苔網が展示してあり、大勢で海苔をとり容器に入れたり、口に入れたりして海苔採食を味わっておりました。2004年に多摩川河口で海苔の生存が確認され、昨年から44年ぶりで大森の浜辺で海苔養殖を試みております。

        ふるさと館前庭の養殖海苔が付いた海苔網(左写真拡大)

玄関前では、都立美原高校の和太鼓演奏や大森甚句研究保存会の大森甚句などの演出が行われました。

              海苔のふるさと館オープニングのイベント

・大森甚句
甚句は、江戸時代に生まれたとされ、日本の各地の民謡で使われている曲形式であり、「大森甚句」は東京湾大森で行われていた海苔漁業の労働歌として歌われていたと云います。

大森海苔のふるさと館展示資料
海苔のふるさと館は3階建てで、海苔養殖の歴史や生産技術の伝統文化を伝える、国の重要有形民俗文化財に指定されている、海苔生産に使われていた貴重な用具など800点余りが展示されています。
ふるさと館オープニングの当日は、多数の見学者の来場のため、入場を制限しての入館のため展示物を見る状態では無いので、日を改めて4月11日に展示施設を見にきました。

              混雑する海苔のふるさと館オープニング

・1階展示施設
1階展示施設は、展示室と体験学習室があり、展示室には国の重要文化財に指定されている全長13mの海苔船やべか船が中央に展示してあります。地元では、べか船(櫓付きの一人乗りの小船)を伝馬船などとも呼んでいました。
また、右のコーナーには、海苔の養殖場面、海苔つけ場をジオラマで展示してあります。昭和30年代には、近所の家が海苔養殖業であったので、情景復元の場面を見て想い出が再現されました。
さらに、体験学習室では、ひび立て、海苔つけ、海苔焼きの体験実習を実施し、海苔ライブラリーでは海苔に関する情報が提供されます。

 重要文化財指定海苔船   櫓付き一人乗りべか船    海苔つけ場ジオラマ

・2階展示施設
2階の展示室には、「海苔の歴史」、「海苔つくりの一年」、「大田海苔劇場」、「海苔下駄体験コーナー」、「企画展示ギャラリー」などのコーナーがあり、海苔の養殖場で使う海苔下駄を履いたりして、海苔の歴史・文化を知ることができます。

 2階展示室の海苔の生産道具(写真拡大)

また、講座室では、浜辺の生き物などの講座が行われます。
奥の収蔵庫には、貴重な海苔生産用具などの道具が保管されております。

 国指定文化財収蔵庫

・3階施設
3階の施設は、展望休憩コーナーで、ふるさとの浜辺公園の浜辺の展望や、沢山集まるかもめやカモなどの野鳥の観察と、羽田空港を発着するジャンボ機の遠望などには都内で有数な場所です。

 3月のふるさとの浜辺公園はかもめやカモの野鳥のオアシス(写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 海苔の歴史を学び体験する 大森海苔のふるさと館オープン その1

2008年04月15日 | 大森町界隈あれこれ 海苔
kan-haru blog 2008 大森ふるさとの浜辺公園(080305撮影)

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大森海苔のふるさと館
大森周辺の海辺は、今から300年ほど前からの海苔養殖発祥の地で、国内有数の海苔産地でした。生産を止めて44年が経ちましたが、今でもこの歴史は地元では心の宝ものです。生産は止めても、江戸時代から培われてきた海苔作りの伝統は、地元の海苔流通業の中に生きており、大森には数多くの海苔問屋は流通網の拠点となっています。
海苔の歴史や生産者の海苔造りの思いを残すため、かって海岸線であった海苔養殖地の海辺に大田区立「大森海苔のふるさと館」が、4月6日にオープン(大田区報4月1日号)しましたので見に行ってきました。


大森海苔のふるさと館(大田区平和の森公園2-2)は、昨年オープンした大森ふるさとの浜辺公園(「大森町界隈あれこれ 大森町風景 オープンの大森ふるさとの浜辺公園」参照)内を流れる内川の左岸に造成してお目見えしました。海苔のふるさと館へは、京浜急行電鉄平和島駅または大森町駅から徒歩で15~17分の距離(地図参照)です。

海苔のふるさと館の3階展望室から眺めるふるさとの浜辺公園(平面図)の眺望は、都心の風景とは思えない潮の香りのする憩いのオアシス(写真トップ)の誕生です。

 ふるさとの浜辺公園風景(左写真:海苔のふるさと館3階からの展望、中写真:オープンの浜辺公園、右写真:浜辺公園に遊ぶ子かもめ群)

海苔会館のある大森ふるさとの浜辺公園の北側には、地続きに区立平和の森公園があり、南北に続く二つの公園を合わせると、都内でも有数の広さの公園であり、同公園には設備の整ったフィールドアスレチック(「イベント 平和の森公園フィールドアスレチック」参照)などがあります。
また、平和の森公園の中央を横断する環7通りを東に約30分歩いた所には、東京都立野鳥公園(大田区東海 3-1)があり、190種以上の野鳥の観察ができ、1日ゆっくりと遊べる公園地帯となってます。

海苔の歴史ふるさと館へ辿る
ふるさと館のオープンイベントの参加には、一般の案内地図では大森町駅からは駅東口を東に進み、第1京浜国道と産業道路を横断して、大森ふるさとの浜辺公園を通り、公園を結ぶ浜辺橋を渡って行くコースとなります。
今回のふるさと館へのコースは、江戸時代からの発祥の海苔の歴史を想い、その時代からの旧東海道、内川(「大森町界隈あれこれ 内川風景 大森町を流れる昭和の面影 その1第2回」参照)を辿ってみました。

まず、大森町駅から第1京浜国道に出て北上して、産業通りとの三叉路から旧東海道の美原通り(「大森町界隈あれこれ 大森町風景 旧東海道(三原通り) その1」参照)に入ります。旧東海道を約200m進むと、江戸時代と同じ場所にある内川に出ます。内川の手前にするがや通り(「大森町界隈あれこれ 大森町商店街 旧東海道ふる里祭り」参照)があり、歌舞伎で有名な旅籠 「駿河屋」があったところと云われております。

  現在の内川橋  内川橋たもとのするがや通り(拡大) 歌舞伎で有名なするがや

内川橋から下流にかけての内川は、江戸時代以前からの源流の流れを変えずに位置してます。そのため、上流とは異なり古く川岸の痛みが激しく、護岸工事により歴史ある内川下流域の維持が図られています。

 護岸工事により維持される内川下流域(左写真:06年9月、中写真:07年10月、右写真:08年3月)

内川橋を渡り、護岸工事により川岸沿いの広くなった右岸の道を河口へ、600mほど下ると大森ふるさとの浜辺公園の浜辺橋に出ますので、その先の左側がふるさと館です。

     内川河口          浜辺公園の浜辺橋  完成前の海苔のふるさと館

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 糀谷駅付近(第2回)

2008年04月13日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2008

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糀谷駅の高架化工事に伴う線路移設
糀谷駅の高架化工事に伴う工事で3月2日に、糀谷第1踏切道上の下り線路が、およそ1路線の幅分が北方向に移設(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 糀谷駅付近(第1回)」参照)されました。
4月6日の日曜日には、始発から糀谷第1踏切道上の移設前の下り線路位置上に、上り線路を移設して運転されましたので、2日と6日に見に行きました。

 4月6日に行われた糀谷第1踏切道付近上り線路移設と付帯工事

・線路移設履歴
糀谷駅の高架化工事に伴う線路の移設は、先ず昨年の3月3日に下り線ホームを北側に新設して線路経路が、ホーム西端部付近では1線路幅と旧ホーム幅員分の移動幅で、ホーム東端部から糀谷第1踏切道上付近では線路が在来位置という形態で移設が行われました。
上り線は、同じく昨年11月17日に、下り線に並行して糀谷第1踏切道以西で移設が行われました。

糀谷第1踏切道上付近の線路移設
糀谷駅の線路移設は、北側への線路の移行を糀谷第1踏切付近では在来位置のままで行われましたために、この先の線路のカーブによる逆行のS字状経路が急となりました。これの改善のため、高架化糀谷駅付近(第2回)に示した様に、3月2日に第1踏切上の下り線を北方向に1線路幅分移設して、線路の走行形態が緩やかなカーブとなるように改善されました。

 移設済みホーム撤去工事 移設前S字上り線路(拡大)  伸延された上りホーム

同様に、上り線路も移設が行われ、4月2日に見た時には、上り線路の移設の準備工事が、下り旧線路と計3本の線路が敷設されている工事現場で行われていました。

   上り線路の移設の準備工事(左拡大中拡大)   移設後の直線下り線路(右拡大)

4月6日には旧下り線路を活用して、第1踏切付近の上り線の移設が行われました。上り線が1線路幅分北側に移設された糀谷駅は、第1踏切傍東端部ホームの一部をカットし、線路の移設に合わせてホーム幅員が拡幅されました。

旧下り線路が上り線路に(拡大)  旧上り線路(拡大)    移設後の上り線路(拡大)
 
なお、ホームカットにより短縮された分を、ホーム西端の京急蒲田(空)第4踏切方向で伸延を行い、上りホームは全体で西方に移動(列車停車位置案内通知)した形となりました。

 上り線移設でカットのホーム東端部(左拡大中拡大)   伸延されたホーム西端部

糀谷駅の南口では、現在仮設改札が新築中であり、在来の移設前の旧上りホームの撤去工事が行なわれています。これにより、今後第8工区の高架化架橋工事の進展のピッチが進むと思われます。

 跨線橋下の糀谷駅南口   新築中の仮設改札 移設前の上りホーム部の撤去工事

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大森町界隈あれこれ イベント 龍子記念館「桜芥子図襖」特別公開と龍子公園を見る その2

2008年04月11日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2008

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龍子公園
龍子公園(大田区南馬込4-49-11 地図参照)は、11時、13時と15時の1日3回のみ記念館の職員が、約1時間ほど公園内の母屋、画室、庭園を無料で案内しております。

     川端龍子案内板(拡大図)            川端龍子旧邸宅地

大正9年から亡くなる昭和41年までを過ごされた龍子邸宅は、龍子が自身で自宅と画室の建築と庭園の設計を行い、画伯のもう一つの作品が豊かな空間をほぼ往時のままに保存されており、平成16年7月から公開されました。
画伯の1920年(大正9年)新築旧居の母屋は、1945年(昭和20年)8月13日の世界大戦爆撃により全壊したので、現在の母屋は1946~52年(昭和23~29年)ころに建設され、数回の増改築を重ねたことで独特の複雑な空間が生まれました。 

   龍子公園配置図(拡大図)

・公園見学
公園の見学は、正門を入ると正面には中門が見え、左右に「龍子垣(1961年)」で知られた太い竹の垣根が目立ちます。

    龍子公園正門         正門を入ると左右に龍子垣で知られた垣根

左側の垣根の先の池が、「爆弾散花の池」で被爆の穴に地下湧水が溜まってできたものです。

 垣根の左が爆弾散花の池  池の説明板(写真拡大)     爆弾散花の池

中門を潜った居宅の庭園は、季節ごとに美しい姿を見せ、野趣あふれる草木は、龍子の作品に数多く描かれています。画室の前の石のモニュメントは、四角、三角、丸をデザインした芸術的な美術の心を示してます。

           中門を潜って画室へ          四角、三角、丸のモニュメント

・川端龍子画室
新井宿(現在の大田区山王三丁目)善慶寺前の旧宅から、1920年(大正9年)現在地に画室を新築して移り住みましたが、その後、1929年(昭和4年)に会場芸術を主唱して青龍社を創立した画伯は、1938年(昭和13年)に大作制作の必要から、新たな構想のもとに画室を建築しました。画室の外窓は、当時としては珍しく大きな枠の窓ガラス戸で、中から庭の景色が良く見られるように設計されていました。
1945年8月13日の爆撃で、旧宅とふるい画室は失われましたが、この画室だけは奇跡的に難を免れ、今日も最後の制作中の画材などそのまま残され巨匠の在りし日の姿を偲ぶことができます。

                      川端龍子画室

・御形荘庭園
龍子が居室と画室を新築した頃は、周囲に蓮田が点在する田園で、春の路傍には七草の御形の花(母子草)が乱れ咲くところから、画室前の庭を御形荘(おぎょうそう)庭園と云われました。
庭園は、枯れ山水の石組と地下湧水の流れを配し、欅、辛夷(こぶし)、朴(ほお)などの樹木が植えられています。石造十三重の塔は、鎌倉時代の造立で京都の橋本雪邸内から移設されたものです。

              御形荘庭園               鎌倉時代の十三重の塔

・母屋
庭園を巡って裏側から表側を廻って見る母屋は、龍子が設計した梁や軒下屋根、天井など建材には大変な懲りを見せてます。

    母屋軒下天井         大広間天井           次の間天井

17.5畳の大広間の奥が持仏堂で、その間に記念館で展示中の桜芥子図襖がはめ込まれていました。大広間の隣は、4.5畳の通路の次の間です。

   大広間(裏から見る)     大広間(表から見る)  桜芥子図襖をはめ込む持仏堂

手前の母屋8畳居間の部屋の明かり取りの障子窓には、洒落た絵模様の影絵がはめ込めてあり、中から見ると模様が浮き出す仕掛けになっていて、部屋の中に居て大きなガラス戸から庭景色を見るだけでなく、潤いを持たせてくれる仕掛けが造られてます。

  居間の明かりとり窓  明かり窓には影絵のはめ込み     居間の天井    

玄関の部屋の屋根には、龍子のシンボルのうだつがあがっています。

       玄関                 龍子のシンボルのうだつ

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大森町界隈あれこれ イベント 龍子記念館「桜芥子図襖」特別公開と龍子公園を見る その1

2008年04月09日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2008

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「桜芥子図襖」特別公開
3月4日から23日の期間限定で、「川端龍子名作展~龍子が描いた神仏~」を開催中の龍子記念館に於いて「桜芥子図襖(さくらけしずふすま) 」の特別公開が行われましたので、最終日の23日に見に行き、記念館と道を挟んだ場所にある住居とアトリエがあった龍子公園を見学しました。
龍子記念館は撮影禁止ですので、大田区文化振興協会の公開資料から「桜芥子図襖(さくらけしずふすま)」特別公開の一端を垣間見で紹介します。

・桜芥子図襖
桜芥子図襖は、もと川端龍子の旧宅にあった持仏堂と仏間の仕切りにありました。その持仏堂には亡くなった妻子の菩提を弔うために、「十一面観音菩薩像」(奈良時代)と、左右に「毘沙門天像」「不動明王像」(平安時代)を安置し、この仏像郡守るように「桜芥子図襖」が存在していました。
桜芥子図襖は、17世紀前半に活躍した琳派の画家俵屋宗達の率いる工房で生み出された「伊年」印が記され、最高品の一つであり、襖四面の上半部に広がる満開の桜を位置し、下半分には紅白の芥子、野アザミ、スミレ、ワラビ、タンポポ、土筆、ユキノシタ、紫蘭などの野山の草々が描かれています。
襖の引き手は、龍子がデザインした「花」「鳥」「風」「月」があしらわれたものです。

 桜芥子図襖(龍子記念館Webページから)

・川端龍子が描いた神仏
龍子の略歴は、1885年(明治18年)和歌山市に生まれ、1904年(明治37年)に洋画を学び、1913年(大正2年)渡米し帰国後日本画に転向し、翌々年に日本美術院展で初入選、1920年(大正9年)新井宿に住居、画室を新築、1966年(昭和41年)80歳で死去。
龍子は守り本尊が「不動明王」であったことから、神仏画を描くようになり、宗教画が多く残されてます。描かれた様々な神仏の姿や各巡礼先を取材した作品群からは、他にはない龍子独自の世界を見る者に感じさせ絶賛されました。
記念館では、龍子が描いた神仏展を1月4日から5月6日まで開催しております。

・龍子記念館
大田区立龍子記念館(大田区中央4-2-1 地図航空写真参照)は、1963年(昭和38年)川端龍子画伯の喜寿の記念に画伯自身の発意と設計によって設立されました。画伯の没後は社団法人青龍社によって運営されてきましたが、平成2年12月青龍社の解散に伴って、記念館と所蔵作品等が大田区に寄贈されました。
龍子記念館には、JR大森駅山王口より東急バス4番「荏原町駅入口」行に乗車して、「臼田坂下」で下車し龍子記念館入口交差点を左折して徒歩2分です。

 画伯自身の発意と設計により造られた龍子記念館

龍子が設計した記念館の建物は、水害時の浸水を恐れてあぜくら造りのように高床式に造られています。

 記念館の建物は高床式の建築

記念館の中庭には、中央の大きな石の割れ目に植えられた庭木を中心に、周囲には季節に応じた草花が芽吹き、記念館の窓に屋根上の龍の姿を映しだしているのが特徴です。

 記念館建物に囲まれた中庭 四季の草花が芽吹く中庭 龍の姿を映す窓が特徴

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第7回)

2008年04月07日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2008 大田区体育館

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大田区体育館閉館
京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第5回)で記載の成人式を1月14日に開催した大田区体育館(大田区東蒲田1-11-1)は、老朽化のため3月30日に大田区体育館閉館セレモニーを開き3月31日をもって一時閉館となりました。
3月23日に京急梅屋敷駅付近の高架化工事の模様を見に行った時に、大田区体育館前ではバトン・マーチングバンド出場者等で賑わっておりましたので、現体育館の見おさめと思い中を覗いてきました。

  閉館の大田区体育館

梅屋敷駅付近高架化工事
梅屋敷駅付近高架化工事の様子を、3月21、31日と4月6日に見てきました。
高架化工事中のホームに、京急創立110周年記念列車が停車している姿を見かけました。

 工事中のホームに創立110周年記念列車が停車

・梅屋敷ホーム上の高架化工事
23日には駅ホーム上に設置の工事機械(直接高架施工機1号機)の位置は、機械北側の鋼脚部が梅屋敷東口出口の丁度前に架かっていましたが、同31日には機械前後の鋼脚部の中間が東口出口中央に架かる位置に移設されていました。

 3月21日工事機械位置           3月31日工事機械移設位置

工事機械第1号機の工事作業は、日中も行われており下り線ホームでは基礎杭築造のための鋼脚穴あけ工事が進められていました。

 ホーム上の基礎杭築造鋼脚穴あけ工事(左写真拡大中写真拡大)

・駅設備工事
高架化工事完了までの駅設備改良工事として、上り線ホームにスロープが設けられ便利になりました。最近、京急の高架化工事を行っているホームには、スロープを設ける駅が増えています。

 上り線ホームにスロープ新設

高架橋建設状況
梅屋敷第3踏切から第4踏切(地図参照)までの3階建ての高架橋架設は、上り線が2階で下り線が3階であり、ともに複線で高架橋間の連絡橋の架設もかなり進んでいます。複線の線路は単線に合流するので、第3踏切近辺での高架橋幅員は少し狭くなっています。

 第4踏切北側高架橋(写真拡大)    第3踏切付近高架橋(中写真右写真拡大)

第2踏切から第3踏切間の梅屋敷公園西側の高架橋の建設は、上下線とも複線から単線に合流する形状の3階建ての高架橋で、部分的に橋脚が架設されており、3階部の橋桁は少し下り坂となっています。

 単線幅でやや下り傾斜の高架橋(左写真中写真拡大) 第2踏切から見た高架橋

第1踏切から第2踏切までは、下り線の高架橋が3階から2階へと下る坂道となります。第2踏切北の3階建て円柱橋脚高架橋はかなり以前から架設されてましたが、それより先の梅屋敷駅方向の高架橋は、他の部分と異なり四角形の橋脚で、2階部までの建設が行われています。

 第2踏切から見た高架橋   坂の高架橋脚は四角形コンクリート柱(中写真拡大)

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kan-haru日記 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 2006・2007年版

2008年04月07日 | INDEX
kan-haru blog 2008 7月17日4版

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  大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 カテゴリー総目次 2006・2007年版



  京浜急行 京浜急行の高架化(その1) 8月9日
  京急歴史(1) 大森海岸と大森間に電車が走る(その1) 8月11日
  京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第1回その1) 12月22日 
  京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第1回その2) 12月24日 
  京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第1回その3) 12月26日



  京浜急行ダイヤ 京急蒲田駅の神業運行 1月28日
  京浜急行の高架化 大森町駅付近(第1回その1) 3月31日
  京浜急行の高架化 大森町駅付近(第2回) 4月26日
  京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第2回) 4月29日
10 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第3回) 5月6日
11 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第4回) 5月8日
12 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第5回) 5月10日
13 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第1回) 5月13日
14 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第2回) 5月26日
15 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第6回) 5月28日
16 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第7回) 6月5日
17 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第8回) 6月25日
18 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第9回) 9月9日
19 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第10回) 11月3日
20 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第3回)  11月5日
21 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第3回)  11月24日
22 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第4回)  11月30日
23 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 京急蒲田駅仮上り線ホーム移設(第4回その1) 12月5日
24 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 京急蒲田駅仮上り線ホーム移設(第4回その2)  12月7日
25 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 京急蒲田駅仮上り線ホーム移設(第4回その3) 12月9日
26 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 京急蒲田駅仮上り線ホーム移設(第4回その4) 12月11日



2008年前期 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX (ここをクリックして下さい)
2008年後期 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX (ここをクリックして下さい)


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風景・風物誌 花見のはしご 開桜小花まつり・池上本門寺・千鳥が淵・飛鳥山・大岡川の桜 その2

2008年04月05日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2008

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都心の花見のはしご
29日は花曇りで、日中は17.7度の気温で夜には下り坂との予報のため、どこの花見見物も例年を上回る最高の人出でした。
都心の花見のはしごコースは、九段下では千鳥が淵の桜と戦中・戦後の暮らしを後世代に伝える国立の「昭和館」を見て、早稲田から都電に乗り飛鳥山に廻りました。

・千鳥が淵の桜
東京で桜が満開となって初めての週末の29日に、大森町から日本橋を経由して九段下に朝9時半ごろ着き、地下鉄2番口を出て牛ケ淵を左に見て、靖国通りを進むみ武道館への道を通り過ぎる付近が、都心の桜の回廊千鳥が淵緑道ルート散策の行列の最後尾でそこに並び、花見のはしごとしてひと時を楽しみました。

  千鳥が淵満開の桜

千鳥が淵近辺の桜は、千鳥が淵緑道、牛ケ淵周辺では染井吉野がお堀に枝を垂らした桜を中心として見られ、堀に浮かぶボートは風情をそそります。周辺の靖国神社、北の丸公園、千鳥が淵戦没者墓園などでは、関山、大島桜、紅枝垂、八重紅枝垂などの各種の桜が色をそえてます。

  千鳥が淵緑道の桜

・昭和館
軍の予備役の訓練、宿泊を目的に1934年に竣工した、2・26事件の戒厳司令部で有名な歴史的建築の国有九段会館(日本遺族会運営)と並んで建つ近代的昭和館は、戦没者遺族など国民が経験した戦中・戦後の国民生活の労苦の歴史的資料・情報の約1万8千点が収集され、そのうち約700点が展示され後世代の人々に伝え、知る機会を提供する国立の施設で、平成11年に開館しました。桜のはしごで九段下に来ましたので靖国神社には寄らずに、昭和10年頃から昭和30年頃の苦労して生活を送った者の証しの確認に、常設展示室を見て来ました。

昭和館(千代田区九段南1-6-1)の常設展示室は、7階展示室は戦前(昭和10~20年)、6階展示室は戦後(昭和20~30年)の国民生活を伝えています。展示室は、撮影禁止ですので展示内容は省略します。

 千鳥が淵に浮かぶボート 昭和館(左)と九段会館(右)      靖国神社

都電荒川線で飛鳥山の桜見物
九段下から早稲田まで地下鉄で行き、約15分の距離で都電早稲田停留所まで歩き、乗車の行列に並んで頻繁に運転している都電は座っていけました。
久し振りの都電で、神田川沿いに走る面影橋、高戸橋までの満開の桜並木風景や、裏町を車窓から楽しみながら、飛鳥山停留所で下車しました。

   都電早稲田停留所            神田川沿いの満開の桜並木
      
都電を降りると薄暗く雨が降り出しそうな気配なので、急いで飛鳥山公園に行くと29、30日は桜祭りで沢山の人です。

  都電飛鳥山停留所             歴史ある桜の名所飛鳥山

今から300年前に、徳川吉宗がサクラの苗木を植えて江戸庶民に開放したと云う歴史ある桜の名所の飛鳥山は、シートを敷いた花見客で一杯ですが、天気模様が怪しい気配ですので帰り仕度をしていました。傘を差し始めた人も見かけましたので、JR王子駅へ下り京浜東北線で帰宅しました。

                   桜まつりで混雑の飛鳥山

大岡川の桜
3月31日午後は時間があいたので、前日の雨も上がり花を惜しんで桜のはしごを隣りの神奈川県に足を延ばし、京浜急行電鉄日ノ出町駅から弘明寺駅間の数キロを並行して流れる大岡川に繰り広がる桜のトンネルに行きました。

 第16回桜まつりが開かれた大岡川の桜

大岡川の桜並木は、関東大震災で丸焼けとなり1928年に植樹されましたが、太平洋戦争で燃料不足のため伐採されてしまい、再度1972年(昭和47年)に植樹され現在に至ってます。
大岡川の桜観賞は、京急黄金町で下車して次の駅の南太田駅までの川の両岸を歩いてみました。

 4月13日まで川沿いにボンボリ点灯と一部ライトアップが行われる大岡川の桜

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風景・風物誌 花見のはしご 開桜小花まつり・池上本門寺・千鳥が淵・飛鳥山・大岡川の桜 その1

2008年04月03日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2008

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今年の東京の桜の開花は、3月20日に靖国神社境内の桜(ソメイヨシノ)が6輪咲き、昨年より1日、平年より8日早く開き、過去3番目の早さで、気象庁が発表する地域では最も早く咲きました。開花後1週間で満開となり週末の29、30日は絶好の花見日和となりました。
今年も、昨年と同様に花見日和を中心として、地元、都内、神奈川県と花見のはしごをしました。

地元大森町の花見
・大森西交通公園の桜
大森西交通公園(大田区大森西3-4-19 地図参照)の桜(「風景・風物詩 花見 サクラ前線に合わせて花見のハシゴ」参照)は、高架化工事が進む京急大森町駅から北へ徒歩5分の所にあり、公園の西面と南面には桜が植えられており、地元地域の町会住民などがお花見のスポットであり、3月28日にはほぼ満開の桜に囲まれて地元ご婦人会のお花見が開かれていました。

  大森西交通公園の桜

公園の西側の通りに面して斜め向かいには、隣接の大田福祉作業所の地所と交換して、内川に面したところにあった諏訪公園(地図参照)の移設工事が行われています。元の諏訪公園に植えられていた桜は、大きく見事な花を咲かせていました。また、開桜小学校前の内川北岸には、半完成ですが遊歩道が造られ、今後築造されると桜を植林する予定ですので桜のメッカとなります。

         内川風景(筏遊びと鴨の遊泳)            新諏訪公園造成

・開桜小学校桜まつり
西交通公園の先の内川沿いの開桜小学校(大田区大森西2-26-3 地図参照)は、大森第一小学校と共に大森では最も古く開校した兄弟校で、3月29日に満開の桜の下で第4回「花まつり」が行なわれました。


花まつりは、地域教育連絡協議会委員が実行委員で地域の方や保護者が集まり、校庭で桜と花壇の花の回りで阿波踊り、太鼓、よさこい連、バンドなどの催しと10数店の模擬店が出て、今年は隣接の大森学園高校からソーラーカーが校庭を走行し、また澤田町会からリニューアルされた山車のお披露目などで子供達とふれあいを深める催しです。


大田区池上本門寺の桜
池上本門寺(大田区池上1-1-1 地図参照)は、今年は満開の桜の中重要文化財の五重塔建立400年を迎え、3月29、30日には記念法要が行われ霊宝殿で五重塔に関する資料を展示した特別展が開かれます。
今年は、久しぶりに本門寺(「風景・風物詩 秋の風物詩 池上本門寺のお会式」参照、「風景・風物詩 池上松涛園 西郷隆盛・勝海舟の江戸城開場会見の名園 その1」参照)を花見のはしごに加えて28日に満開の桜を堪能してきました。

 此経難持坂(写真拡大)    本門寺大堂(写真拡大)     五重塔(写真拡大)

本門寺へのアクセスは、JR京浜東北線「大森駅」より池上駅行きバスで「本門寺前」下車徒歩5分、東急池上線で「池上駅」下車徒歩10分、都営浅草線で「西馬込駅」下車徒歩8分です。
7万坪の境内にある約300本の桜は、大田区の桜の名所としても名高く、特に五重塔前の参道のサクラのトンネルはとても綺麗で、関東では数少ないササベザクラもあります。

                     笹部桜

なお、本門寺参道総門の周辺寺院の本妙院の枝垂桜や、本成院門前の古木の桜も満開で見ごたえがありました。

             本妙院の枝垂桜             本成院門前古木の桜

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