kan-haru blog 2010 洗足公園の右垣内が勝海舟夫妻の墓所
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これまでの竜馬の足跡シリーズでは、立会川と赤坂を廻りましたが、今回は大田区と竜馬と題し、竜馬の師である勝海舟夫妻の墓所と池畔の勝海舟別荘跡を、5月1日に下丸子にある大田区民プラザで行われた催しものを途中の切りの良いところで抜けて、近くにある洗足池を訪ねてみました。
洗足池地図
洗足池
洗足池(大田区南千束2-14-5)は東京急行電鉄池上線の洗足池駅前の中原街道に面してあり、武蔵野台地末端の湧水をせきとめた池で、水面の広さは40,000㎡あり、周辺の洗足公園の面積は約77,000㎡あります。江戸時代には初代広重の浮世絵「名所江戸百景」に描かれ、江戸近郊の景勝地として知られていました。昔は千束郷の大池と呼ばれ、灌漑用水として使用されていました。
洗足池の名前の由来はWikipediaによると、仏教用語の千僧供料の寺領の免田であって、千束の稲が貢租(税)から免除されていたとする説や、「大池」を水源として灌漑に利用されたので稲千束分の税が免ぜられていたとする説などがあり、後に身延山久遠寺から常陸へ湯治に向かう途中の日蓮が、池のほとりで休息し足を洗ったという言い伝えが生まれ、千束の一部が「洗足」となったとあります。
洗足池(左・中・右[対岸から見た妙福寺]写真拡大)
中原街道を東に進み洗足公園の周囲を反時計方向に廻ると洗足池図書館が左に見え、その先には御松庵妙福寺の山門があり、門前の説明板の日蓮上人袈裟掛けの松の由来には、袈裟をかけて池の水で足を洗ったとの言い伝えから袈裟掛けの松と称されるようになったとあります。天保期の「嘉陵紀行」によれば、初代の袈裟掛けの松は「枝四面において長さ幹囲み三合がかり、高さ五丈あり」と記されており、現在ある松は五代目であると伝えられています。
日蓮上人袈裟掛けの松由来の洗足池(左:洗足池案内図、中:松庵妙福寺山門、右:日蓮上人袈裟掛けの松の由来説明板)
山門を潜り竹林に沿って境内を奥に進むと、左側に袈裟掛けの松の石碑と五代目の松があります。なお、境内には六代目の松も育っております。
袈裟掛けの松(左:、中・右:境内左にある六代目の袈裟掛けの松と石碑)
袈裟掛けの松の先の池畔には足の洗い場が設えてあり、境内には多くの石碑や仏像がみられ、馬頭観世音供養塔(大田区文化財)があり、1840年(天保11年)に馬込村千束の馬医師や馬を飼っている人々によって、馬の健康と死馬の冥福を祈って建てられたもので、馬頭観世音像の下の角型柱には東西南北のそれぞれの方向には地名を記した道しるべを兼ねております。江戸時代には、中原街道と碑文谷-池上を結ぶ交差点に建てられていたものと推定され、当時の民間信仰と交通史の貴重な資料ですが、平成13年に現在地に移設されたものです。
馬頭観世音供養塔(左:池畔の足の洗い場、中:馬頭観世音供養塔、右:馬頭観世音供養塔説明板)
御松庵は、日蓮上人の道中を守った七面天女を安置し、袈裟掛松を護るお堂が御松庵のはじまりと伝えられています。1927年(昭和2年)に妙福寺と合併し、初代の松の切り株を保存しています。境内には日蓮上人の銅像があります。
妙福寺(左:妙福寺本堂、中:日蓮上人の銅像、右:妙福寺の仏像)
勝海舟別邸跡
勝海舟別邸跡は、妙福寺前の大森第六中学校の塀に洗足軒の案内板が建てられています。勝海舟別邸は、茅葺の農家風の建物でしたが、戦後まもなく焼失しました。
1868年の鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗れると、徳川慶喜より幕府側の代表として任じられた海舟は、官軍の本陣が置かれた池上本門寺で参謀の西郷隆盛と会見し、江戸城は平和的に明け渡されて、江戸の町は戦禍を免れました。その際、通りかかった洗足池畔の茶屋で休息して深山の趣きの自然が気に入り、津田塾大学創始者の父津田仙の仲立ちで土地を求め、1891年(明治24年)に別邸を建築して洗足軒と名付けました。
勝海舟別邸(洗足軒)跡(左・右写真拡大)
勝海舟夫妻の墓
勝海舟別邸跡の説明板の前の坂道を奥に進むと、公園東の丘に海舟が造った墓があります。
勝海舟は、1899年(明治32年)に77歳で没する前に、「富士を見ながら土に入りたい」との思いで、生前に別邸背後の丘に墓所を造りました。石塔の「海舟」の文字は徳川慶喜の筆と伝えられています。当初は、海舟一人の墓所でしたが、1905年(明治38年)に死亡した妻のたみも、一時青山墓地に葬られましたが、後にここに移され合祀(向かって左の墓)されました。
勝海舟夫妻の墓所(左・中・右写真拡大・勝海舟夫妻の墓説明板)
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洗足池地図
洗足池
洗足池(大田区南千束2-14-5)は東京急行電鉄池上線の洗足池駅前の中原街道に面してあり、武蔵野台地末端の湧水をせきとめた池で、水面の広さは40,000㎡あり、周辺の洗足公園の面積は約77,000㎡あります。江戸時代には初代広重の浮世絵「名所江戸百景」に描かれ、江戸近郊の景勝地として知られていました。昔は千束郷の大池と呼ばれ、灌漑用水として使用されていました。
洗足池の名前の由来はWikipediaによると、仏教用語の千僧供料の寺領の免田であって、千束の稲が貢租(税)から免除されていたとする説や、「大池」を水源として灌漑に利用されたので稲千束分の税が免ぜられていたとする説などがあり、後に身延山久遠寺から常陸へ湯治に向かう途中の日蓮が、池のほとりで休息し足を洗ったという言い伝えが生まれ、千束の一部が「洗足」となったとあります。
洗足池(左・中・右[対岸から見た妙福寺]写真拡大)
中原街道を東に進み洗足公園の周囲を反時計方向に廻ると洗足池図書館が左に見え、その先には御松庵妙福寺の山門があり、門前の説明板の日蓮上人袈裟掛けの松の由来には、袈裟をかけて池の水で足を洗ったとの言い伝えから袈裟掛けの松と称されるようになったとあります。天保期の「嘉陵紀行」によれば、初代の袈裟掛けの松は「枝四面において長さ幹囲み三合がかり、高さ五丈あり」と記されており、現在ある松は五代目であると伝えられています。
日蓮上人袈裟掛けの松由来の洗足池(左:洗足池案内図、中:松庵妙福寺山門、右:日蓮上人袈裟掛けの松の由来説明板)
山門を潜り竹林に沿って境内を奥に進むと、左側に袈裟掛けの松の石碑と五代目の松があります。なお、境内には六代目の松も育っております。
袈裟掛けの松(左:、中・右:境内左にある六代目の袈裟掛けの松と石碑)
袈裟掛けの松の先の池畔には足の洗い場が設えてあり、境内には多くの石碑や仏像がみられ、馬頭観世音供養塔(大田区文化財)があり、1840年(天保11年)に馬込村千束の馬医師や馬を飼っている人々によって、馬の健康と死馬の冥福を祈って建てられたもので、馬頭観世音像の下の角型柱には東西南北のそれぞれの方向には地名を記した道しるべを兼ねております。江戸時代には、中原街道と碑文谷-池上を結ぶ交差点に建てられていたものと推定され、当時の民間信仰と交通史の貴重な資料ですが、平成13年に現在地に移設されたものです。
馬頭観世音供養塔(左:池畔の足の洗い場、中:馬頭観世音供養塔、右:馬頭観世音供養塔説明板)
御松庵は、日蓮上人の道中を守った七面天女を安置し、袈裟掛松を護るお堂が御松庵のはじまりと伝えられています。1927年(昭和2年)に妙福寺と合併し、初代の松の切り株を保存しています。境内には日蓮上人の銅像があります。
妙福寺(左:妙福寺本堂、中:日蓮上人の銅像、右:妙福寺の仏像)
勝海舟別邸跡
勝海舟別邸跡は、妙福寺前の大森第六中学校の塀に洗足軒の案内板が建てられています。勝海舟別邸は、茅葺の農家風の建物でしたが、戦後まもなく焼失しました。
1868年の鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗れると、徳川慶喜より幕府側の代表として任じられた海舟は、官軍の本陣が置かれた池上本門寺で参謀の西郷隆盛と会見し、江戸城は平和的に明け渡されて、江戸の町は戦禍を免れました。その際、通りかかった洗足池畔の茶屋で休息して深山の趣きの自然が気に入り、津田塾大学創始者の父津田仙の仲立ちで土地を求め、1891年(明治24年)に別邸を建築して洗足軒と名付けました。
勝海舟別邸(洗足軒)跡(左・右写真拡大)
勝海舟夫妻の墓
勝海舟別邸跡の説明板の前の坂道を奥に進むと、公園東の丘に海舟が造った墓があります。
勝海舟は、1899年(明治32年)に77歳で没する前に、「富士を見ながら土に入りたい」との思いで、生前に別邸背後の丘に墓所を造りました。石塔の「海舟」の文字は徳川慶喜の筆と伝えられています。当初は、海舟一人の墓所でしたが、1905年(明治38年)に死亡した妻のたみも、一時青山墓地に葬られましたが、後にここに移され合祀(向かって左の墓)されました。
勝海舟夫妻の墓所(左・中・右写真拡大・勝海舟夫妻の墓説明板)
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