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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 関連側道整備編交通計画糀谷・蒲田東地区(第2回その1)

2010年03月31日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 側道整備で取壊し中のビル

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京急の発表によると、京浜急行電鉄本線及び同空港線連続立体交差事業の上り線高架橋の完成に伴い、本線平和島駅~六郷土手駅間および空港線京急蒲田駅~大鳥居駅間を5月16日(日)の始発から上り線を高架化にすることが決まりました(「大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の春のイベントと京急高架化運用決定(2010.3.28号)」参照)。

京急連続立体交差事業に伴う関連側道整備
京急の高架化の完了に伴い、高架橋の北側に幅員が6mの関連側道を都市環境の保全に資する目的で設置されます。京急本線の平和島駅南方から六郷土手駅北方までの全長約4.7kmの高架化の区間と、空港線の京浜蒲田駅から糀谷駅東方の全長約1.3kmの高架橋に沿った、大森西地区、糀谷・蒲田地区および六郷地区において関連側道、アクセス道路・歩行者専用道、駅前広場ならびに自転車駐車場が整備されます。

 工事が進む京急高架駅(左:京急蒲田駅、右:糀谷駅)

なお、側道の整備の開始予定は、京急の上下線の高架化が完了する時期からとなり、駅前広場の他に京急蒲田駅と糀谷駅では第1種市街地再開発事業高度利用地区の都市開発が計画されていますので、全体の開発期間はかなりの長期になります。何れにしても、わが街がどの様に変わっていくのかを知り、街区の変遷の展望を見つめておくことが必要です。
関連側道の整備に関しては、大森西地区では2月9日19時より大森西特別出張所2階大会議室にて説明会が開催されました(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 関連側道整備編交通計画大森西地区説明会(第1回その1~3)」参照)。
また、糀谷・蒲田東地区の関連側道整備の説明会が2月5日19時より大田区産業プラザPIO 2階小展示ホールにて、六郷地区の説明会が同2日19時より大田区六郷特別出張所3階会議室にてそれぞれ開催されました。

 京急高架化鉄道・駅および側道説明地図(再掲)
 
糀谷・蒲田東地区の関連側道整備
糀谷・蒲田東地区と六郷地区の説明会での配布資料を、大田区役所大田区連続立体事業本部連続立体事業から入手しましたので、今回の第2回関連側道整備編交通計画の記事で、糀谷・蒲田東地区の関連側道の整備の概要を見ていきます。関連側道には、側道上の車の通行する方向が規制されており、規制案の定め方も提示されていますので側道を利用する際の参考となります。
蒲田・糀谷地区の関連側道(説明地図緑色)は、京急本線が梅屋敷第1踏切の南から京急蒲田第9踏切の北までの間と、空港線が京急蒲田(空)第1踏切の東から糀谷第1踏切東方の西糀谷4丁目22番地先の踏切閉鎖道路までの区間の高架橋北側に整備されます。関連側道の交通方向の規制案のルールは、現況交通規制を維持し、周辺街区の回遊性の確保、通過交通の排除、現踏切交差道路では向きを変えることと、居住者の利便性を考慮して定められたものです。

 糀谷・蒲田東地区側道説明地図

・糀谷・蒲田東地区の関連側道の幅員構造
糀谷・蒲田東地区の関連側道の構造は、車道の幅員が4mで、京急高架橋側の路肩が0.75m、宅地側の路肩が1.25mの全幅6mであり、車両通行帯と路側帯の境界はペイントで識別されます。

 糀谷・蒲田東地区関連側道の幅員構成図 

側道関連事業
大田区では側道の関連事業として都市計画事業の認可を得て、糀谷・蒲田東地区では補助線街路第328号線と大田区画街路第2号線の2本のアクセス道路が整備されます。
・アクセス道路
補助線街路第328号線(説明地図黄緑①)は、呑川の弾正橋北から多摩堤通り間の道路を、幅員15mに拡幅した双方向道路で、新設の関連側道と交差しています。

 補助線街路第328号線の整備

大田区画街路第2号線(説明地図黄緑②)は、旧多摩堤通り北側から新設の京急蒲田駅西口駅前広場間の道路を、幅員11mに拡幅した北向き規制の道路です。

 大田区画街路第2号線の整備

・駅前広場
京急蒲田駅西口の約1.0hの商店街(説明地図薄むらさき①)と糀谷駅南の約1.3hの商店街(説明地図薄むらさき②)は、第1種市街地再開発事業高度利用地区として街路整備事業の認可を得て街並みを整備する計画が進められます。
この駅前の市街地再開発地には京急蒲田駅西口駅前広場約4400㎡(説明地図ピンク①)と糀谷駅前広場約2000㎡(説明地図ピンク③)および、第1京浜国道東側の現空港線踏切横には京急蒲田駅東口駅前広場約2600㎡(説明地図ピンク②)が誕生します。

 糀谷・蒲田再開地予定地(:京急蒲田駅西口広場予定地、:京急蒲田駅東口広場予定地、:糀谷駅市街地再開発予定地)

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大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の春のイベントと京急高架化運用決定(2010.3.28号)

2010年03月28日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2010

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暑さ寒さも彼岸までと云われますが、今年は彼岸を過ぎても雨が続いたり、最高気温が低い日が続いたりの気候が不安定ですが、それでも大森町界隈の桜や春の花々がほころび、恒例の開桜小学校の花まつりが開かれ春がやってきました。大森町の春のニュースをおくります。

 大森町駅周辺地図(Google地図:前回記事「ITと技術 プライベ-トクラウド ブログ機能で簡易なクラウド的活用の個人情報共有の試み第2回」投稿後地図が新しく更新されました)

○ 開桜小学校の花まつり
恒例の第6回開桜小学校の花まつりが3月27日の11時から開桜小学校(大田区大森西2-26-3 地図参照)で開催されましたが、昨年同様に校庭の桜は蕾が固いようです。
今年の花まつりには、大森で1番古い開桜小学校の郷土資料室が公開され、展示資料は大森町の歴史を秘めており、一見の価値がありました。

 第6回開桜花まつり(:開桜小学校正門、:今年の目玉は郷土資料室が公開された)

花まつりは、ゲームコーナー、餅つき、飲食物の模擬店が出店して、今年は校庭の中央にテーブルと椅子が置かれ好評のようでした。

 花祭りの催し1(:輪投げ、:餅つき、:食べ物屋の裏方さん)

催しには、例年通りで和太鼓、よさこいソーランなどが演じられ、祭りの最後を締めるくすのき連の阿波踊りは何と云っても一番の人気です。

 花祭りの催し2(:澤田町会山車、:一番人気の阿波踊り)

今年の東京地方の桜の開花は、3月22日で平年より8日早かったのですが、冒頭に記述の様に寒い日が続いていますので満開は平年より遅いのではと思われますが、開桜小学校の南にある大森西交通公園にある中の早咲きの桜は3月27日には3分咲きで、大森町界隈にも春が巡ってきました。

 大森町界隈にも春が来た(:03月27日の大森西交通公園の桜、:大森学園通り北の花みずき並木もつぼみが開いてきました03月27日)

○ 第8中学校卒業式
平成22年度の第63回大田区立第8中学校卒業式(大田区大森西2-21-1地図参照)が、3月19日午前10時から行われました。今年の卒業者は、男子98名、女子72名の計170名でした。
卒業式は、開式のことば、国歌斉唱、校歌紹介、学事報告、卒業証書授与、校長式辞、祝辞、来賓紹介、卒業生を送ることば、別れのことば、式歌「旅立ちの日に」、「蛍の光」斉唱、閉式のことば、の入学式次第で行われました。

 第8中学卒業式03月19日

○ 遊歩道護岸工事(第8中学校前第1期)
昨年3月に2期に分けて工事が行われた、開桜小学校前の遊歩道護岸の完成に引き続き、今年は第8中学校前に3期に分けて、その第1期分が昨年11月から約180m長の遊歩道護岸工事が行われていましたが、3月27日に見ると道護岸工事本体が完成していました。護岸工事には、まだ遊歩道の整備は着手しておらず、3期の全体工事の最終で行われるものと思われます。

 第8中学前の第1期打内川遊歩道工事(:工事中の遊歩道護岸第1期03月17日、・右:完成した遊歩道護岸第1期工事03月27日)

○ 京浜急行上り線高架化運用決定 5月16日(日)
京浜急行では、京浜急行電鉄本線及び同空港線連続立体交差事業の上り線高架橋の完成に伴い、本線平和島駅~六郷土手駅間および空港線京急蒲田駅~大鳥居駅間を5月16日(日)の始発から上り線を高架化にすることを発表しました。
同発表によると、上り線の高架化に伴い、大森町駅、梅屋敷駅、京急蒲田駅、雑敷駅、糀谷駅の上り高架ホームの使用を開始し、エレベータも設置します。これにより、国道15号や多摩堤通りなどの全区間の踏切遮断時間が約4割減少することになり、交通渋滞が大幅に緩和されるとしています。
なお、上り線高架化時の各駅の運用では改札出入り口は仮設備の状態で使用されますので、最終の上下線高架化完成時の駅設備とは異なります。完成後の各駅の改札出入り口は、1階の中央に置かれ、上下線のホームへは上下方向のエスカレータが設置されます。関連記事として、本ブログに「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化」を長編で連載中ですのでご高覧ください。

 上り線高架化運用は5月16日から(:上り線高架化運用ポスター、:大森町駅上り線ホーム階段工事状況を見る03月20日、:大森町駅上り線ホーム改札口への仮通路工事を見る03月26日)

・上り線高架切替えに伴う現場見学会
東京都、大田区、京浜急行では、京急線上り線高架化に伴い京急蒲田駅の2階および3階ホームの一部を公開する見学会が開催されます。見学の開催日時は4月24日(土)午前10時~午後1時で、募集人数は3000名として規定の応募用紙で投函申込みにより抽選で選ばれます。応募用紙付きのチラシは、京急本線の平和島駅~六郷土手駅と空港線の京急蒲田駅~大鳥居駅の各改札付近および、大田区の大森西、糀谷、六郷、蒲田東の特別出帳所に置かれ、応募の締切りは4月8日(木)となっています。

 上り線高架切替えに伴う現場見学会案内(左:案内ポスター、右:見学応募用紙)

○ 大森町駅周辺の遷り変り状況
大森町駅周辺では上り線高架切替えに伴い、西隣に隣接してい元ナンカ堂跡の空き地西側には自転車の駐輪場の整備が始まります。また、高架橋との間にある臨時改札口が撤去され、上り線大森町高架駅への通路と仮改札口の設置工事が開始されます。
なお、大森町高架駅前西側に広場が設置されるため、ゑびすヤードの北側角地のマンションが立退きとなり、周辺の模様が大変と変化しています。

 変わり行く大森町高架駅西側ほのぼの通り周辺(:元ナンカ堂跡の自転車駐輪場整備地が進む03月14日、:駅前広場となるほのぼの通り周辺を見る03月26日、:駅前広場のため取壊しとなったマンション跡03月26日)

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ITと技術 プライベ-トクラウド ブログ機能で簡易なクラウド的活用の個人情報共有の試み第2回

2010年03月25日 | ITと技術
kan-haru blog 2010

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プライベ-トクラウド第2回の記述は、10年以上前から続いている異業種交流会分化会のIT応用研究会で行った、グループ間で個人または企業提供のIT情報を雲に置き、情報の共有が容易に実現できるクラウド的活用の試みを紹介します。

雲の中の情報スペース
同研究会では、以前から個人や企業内でITを効果的に活用する方法を探り、最近ではクラウドの勉強を進めてきました。同会では以前から、Yahooの簡易グループウエア「Yahoo!グループ」を使用して、WebでのIT活用の共有を行ってきました。また、グループのドキュメントの共有は、「Googleドキュメント」を使用していますが、共有に適したOffice 2010の登場も間近いと聞いていますので、マイクロソフトの「Office Live」での共有利用も調査を進めています。
最近では無料で25GBの大容量のファイルのアップができる、マイクロソフト「Windows Live」のSkyDriveを使用して、技術情報や記録写真などの各種情報の共有も行っています。
これらの共有リソースはどこかのWebの雲の中に置かれていますが、情報の保管はかなりの信頼性が高く、今までに情報が失われてことがありません。スペースの保存容量もかなり大きく、むしろ個人所有のPCより信頼性が高いように思われますので、将来は情報保存のスペースとしての活用を考えています。雲の中のスペースのリソースのアクセスは、何時でも、何処からでも、情報アクセス許可者のみが利用できる素晴らしい機能を有していることです。

 雲の中の情報スペース

雲の中のIE情報
次に、Internet Explorer ブラウザ表示形式の情報を個人・企業で作成し、それを既存ベンダー社のブログ機能を活用して雲の中に置き、グループで共有する実験テストを3月23日の定例研究会で行って見ました。
IE表示形式情報の共有の実験は、gooブログで標準に具備されている機能の「パスワード設定」を適用した閲覧方式を使用することにより、メンバーにはパスワードを入力して閲覧することにより、指定のブログ情報を共有して利用でき、何時でも、何処からでも、パスワードを使用できる特定の指定メンバーのみでの利用ができます。これは、非常に簡便でインターネットのブログを単に使用した、個人間または複数企業間の情報交換または情報活用で有効に使用できます。
ブログの機能を活用して作成したインターネットのIE表示形式情報は、在来ドキュメントの情報形態とは異なる動画や静止画を挿入したり、外部にある各種情報とのリンクもとれ、リッチな情報の作成ができます。また、ブラウザによる表示情報であるので、共有メンバーの所有するパソコンやソフトの種類およびネットワークの形態には関係なく、雲にある情報を一歩前進した形のクラウドコンピューテイング的な活用ができます。

 ブログを活用した情報提供の共有実験システム

ブログ活用の情報共有システム
実験に供したブログ活用の情報共有システムは、本ブログのNTTレゾナントグループ会社のgooブログの具備する機能の、クラウド用共有記事のカテゴリーを「パスワード設定」による公開として設定し、利用者にはパスワードを指定して、アクセス場所を指定します。
これにより、指定のグループや取引企業単位に共有する情報の公開ができます。ブログツールを利用した共有情報は、動画・静止画、音声情報や外部にある情報とリンクしてリッチな情報を簡単に作成することができ、グループ、取引企業間に有効な情報提供が簡単にできますので、個人、グループ、中小企業でのクラウド活用の一歩として利用をお勧めします。
まずは、お試しに図を参照しながら実験システム触れて、雲の中の情報を見てみましょう。
(1) このブログ記事の左欄にある「カテゴリー」の看板の最終行の「テスト」文字上を左クリック(図左)します。
(2) 画面のトップに「パスワード」の入力欄が表示されますので、小文字で test と入力して、「OK」ボタン(図右上)を押します。
(3) テスト用に作成した記事が表示(図右下)されます。
これが、どこかの雲の中にある情報です。一般のブログ記事閲覧とは異なり、URLを指定しなくても情報が閲覧できますが、パスワードが無いと見られません。

 ブログ情報提供の共有実験お試しシステム  

おわりに
この実験の試みは、一般に提供しているブログの機能を単純に利用して行ったものです。そのため、このテストの雲の中の情報は、SkyDriveやGoogleドキュメントの雲とは信頼性や品質は低いことであるのは止むおえません。一般ブログでは、保守・点検のため停止したり、異常障害でアクセスできないことも生じますが、4年間のブログを運用中に情報の紛失は1回もありませんでした。また、セキュリティなども完全ではありません。しかし、ブログの持つ情報作成のツールは、容易にリッチな情報生成に有力な機能を備えています。したがって、使用目的の用途によっては、十分活用が可能な範囲もありますので、運用での使い分けを行えばかなりの利用価値はあるのではないかと思います。

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<前回 ITと技術 宇宙からブログの場所を見る 情報センターJAXAiと「地球観測画像特別展」(その2) へ
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ITと技術 宇宙からブログの場所を見る 情報センターJAXAiと「地球観測画像特別展」(その2)

2010年03月23日 | ITと技術
kan-haru blog 2010 丸の内地球市民ギャラリー

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衛星利用
宇宙航空研究開発機構では、衛星利用推進の一環として国内の実利用機関、国際機関などと協力して、社会に役立つ人工衛星の利用と促進に取組んでおり、地球観測衛星のデータを利用した環境問題や地図作成への取組の支援や、災害防止の防災システムの構築・運用を推進して国内外の大規模災害時に緊急対応など様々な分野での衛星利用を推進するための活動を行なっています。

地球観測画像特別展
同機構では、情報センターJAXAiから通じる東京駅地下通路の丸の内地球市民ギャラリー会場において、Ⅲ期に分けて陸域観測技術衛星「だいち」が写した宇宙から見る日本の「地球観測画像特別展」を開催してきました。同展のテーマは第Ⅰ期が「地球遺産(環境) ~宇宙から見る、私たちの宝物~」(091224開催)で、第Ⅱ期が「躍動惑星(健康)~宇宙から見る、人とだいちのいぶき~」(100220開催)で、第Ⅲ期が「日本空訪(観光)~宇宙から見る、美しい国 日本~」(100312開催中)が行われましたので、3月20日に見てきました。

 宇宙から日本空訪展の展示場(写真拡大)

第Ⅲ期開催の展示の内容は、日本各地の観光地、グリーン/エコツーリズム、まちづくりに焦点をあてた宇宙からの画像で、「歴史、伝統文化」に焦点を当てた「アート」や「情報」と、「時間の変化」(四季変化、経年変化)の表現をテーマにした画像が紹介されています。
地球観測衛星からの日本の画像を見ると、撮影時のリアルなそのままの風景が写され、四季の変化や経年変化の姿を比較して表現できる素晴らしい画像システムであると感心しました。

 宇宙から日本を空訪する(:宇宙から見た西日本、:宇宙から見た東北、:宇宙から見た北海道)

宇宙から見た日本は小さな島国で、美しい自然に恵まれた観光立国ですが、時には地震や台風などの自然災害などの被害に脅かされる環境にあります。

 宇宙から見た日本は観光の島国(:宇宙から見た沖縄、:宇宙から見た富土山、:宇宙から見た知床)

宇宙から京都を見ると、京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市に点在する17の寺社が世界遺産に登録されている歴史の古都で、これらの寺社を辿ると8世紀から17世紀の間に宗教・非宗教建築と庭園設計の中心地で日本の文化的伝統の創出地で歴史が見えます。
宇宙から東京を見ると、今から407年前の1603年3月24日(慶長8年2月12日)に徳川家康が征夷大将軍に任官されて江戸幕府が始まりました。江戸にはさまざまな祭がありましたが、幕府によりその行列が江戸城に入ることを許された祭は「天下祭」と呼ばれ、その代表的なものが神田祭と山王祭で華麗な装飾を競う山車を連ねての順行は、素晴らしい光景であったと伝えられていました。天下祭は、1889年(明治22年)を最後に、電線が妨げとなり行われなくなりました。
江戸幕府を開いて丁度400年となる2003年(平成15年)11月に江戸天下祭が開かれ、2年に一度開かれるようになりました(「イベント 江戸天下祭 江戸の風情と粋な山車と神輿が丸の内を巡行 その1、2」参照)。

 宇宙から歴史が見える(:宇宙から見た京都、:宇宙から見た東京、:宇宙から江戸天下祭を見る)

その他の展示品には、「だいち」からの情報により作成された地球儀や3次元表示立体模型の他、高精度デジタルの鉄道地図帳などが見られました。

 衛星データを使用した地表の立体模型、地図、地球儀(写真拡大)

地形図
・国土地理院1/25,000地形図
国土地理院の1/25,000地形図は精密で私たちの生活のあらゆるところで活用されており、日々変化する都市の様子や国土環境の変化などに応じて地図は更新されています。その更新の手法は、高度3~4.5kmの高さから航空機で数年毎に撮影した詳細な空中写真とともに、高度700kmから撮影する「だいち」の画像は広範囲なものですが、撮影頻度が46日に1回同じところを撮影できるため、都市の開発状況が継続して観測できます。そこで、国土地理院とJAXAでは迅速な修正作業を行うため、「だいち」のデータの利用研究を行って、最近では変化した部分のみを迅速に更新し、インターネットで配信されるようになってきましたので、今後は「だいち」のデジタル情報は大いに役立てられるものと思われます。

 だいち撮影東京都心部映像から大田区西部拡大抜粋「(C) 宇宙航空研究開発機構(JAXA)」

・ポータルサイトgoo地図
JAXAによるとポータルサイトのgoo地図では、「だいち」のセンサーAVNIR-2(アヴニール-2)、PRISM(プリズム)の画像をつなぎ合わせた日本列島の画像を利用しています。そこで、京急高架化工事で都市開発が進む大森町駅付近の地図を、各社地図を比較し列挙して見ました。
3社の地図ではgoo地図の更新が最も新しく、平和島第5踏切南から大森町駅までの高架橋の架設が見られ、大森町駅東側には新築マンションが示されています。この地図の状況から更新の時期は、2009年年初以降の頃と思われます。

 大森町駅付近goo地図

・google地図
google地図は、京浜急行大森町駅が地上ホームの状態ですが、上り線ホームの中ほどに朝だけ使用の臨時改札口(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第6回)」参照)が見られます。下り線ホームの東側のマンションは建設前の状態であり、西側のほのぼの通りの旧恵ゑびす市場跡は更地になっているので、更新は2007年6月以降の頃と思われます。

 大森町駅付近google地図

・Yahoo地図
Yahoo地図は、大森町駅東口が改造前の形態であり、ゑびす市場跡の建屋や商店店舗と大森町商店街取壊し第1号のラーメン店舗(「大森町界隈あれこれ 大森町商店街 京急高架化で大変貌 ラーメン屋さん閉店第一号」参照)が存在しており、下り線ホームの東側には旧来のアパート建屋が見え、2006年10月以前の頃の地形図です。

 大森町駅付近Yahoo地図

都市開発が進んでいる地域では日々刻々と地形の変化が見られ、3社の地図を見ると変化の変遷が明確にわかります。印刷地図には発行の年月が記されており便利に活用できます。ポータル地図にも更新情報の記載をして頂ければとの希望があります。

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ITと技術 宇宙からブログの場所を見る 情報センターJAXAiと「地球観測画像特別展」(その1)

2010年03月21日 | ITと技術
kan-haru blog 2010 「だいち」が写した大森町東部周辺「(C) JAXA」

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宇宙航空研究開発機構
現在、わが国では国際宇宙ステーション(ISS)に野口聡一宇宙飛行士が2009年12月21日にロシアのソユーズTMA-17宇宙船(21S)により打ち上げられ、同23日にISSへドッキングしてから約5ケ月間滞在の予定で、宇宙環境利用の作業の組立てが完了した「きぼう」日本実験棟で活動を行っています。日本の宇宙戦略は独立行政法人宇宙航空研究開発機構が担っており、ISSの実験棟「きぼう」の宇宙ステーションやH-II型ロケット等の開発・打ち上げなどを行っているほか、国民生活に欠かせない通信、測位、地球観測などの実用衛星と、地球や宇宙の起源などを探求するための科学衛星や探査機などを開発・運用しています。

 筑波宇宙センターにて(左:H-II型ロケット、右:きぼう船内実験室20071017)

これらの研究開発の現状の一端を身近に知るには、丸の内オアゾにある情報センターJAXAi(千代田区丸の内1-6-4)に展示場があり、宇宙から見た地球の映像、本物のロケットエンジンや宇宙服のレプリカなどを展示してあります。また、関連のイベントとして東京駅地下通路の丸の内地球市民ギャラリーでは、「地球観測画像特別展」第三期の「地球遺産・躍動惑星・日本空訪」展を開催(3月12日から31日まで)しており、「だいち」等の地球観測衛星が観測した、世界各地の様子を宇宙から捉えた衛星画像や、これらの画像を利用して作られた製品などが展示されていますので、3月20日に見てきました。なお、研究開発機構の一環施設の筑波宇宙センター(茨城県つくば市千現2-1-1)には、2007年に所属する会で開催の見学会に参加(「ITと技術 筑波宇宙センターとサイエンス・スクエアつくば見学 その1」参照)しました。

情報センターJAXAi
情報センターJAXA iへは、JR東京駅丸の内北口を出て横断歩道を渡ると日本生命ビルの先が丸の内オアゾで中央に玄関があります。

 情報センターJAXAiと丸の内地球市民ギャラリー展示会場地図

エントランスを入ると左側にイベント広場があり、その先の階段を上がると情報センターの入り口です。

 丸の内オアゾ(:丸の内オアゾ入り口、:丸の内オアゾ広場、:情報センターJAXAi入り口)

情報センターの展示場のフロワーはL字状になっており、入った左右の壁面には資料展示のコーナーで、突き当りにはロケットエンジンが展示されています。かぎ型のフロワーを右に曲がるとミニシアターやJAXAのミッションコーナーとなっています。

 情報センターフロワー図

入口のすぐ下の床には陸域観測技術衛星「だいち」が上空700kmから写した巨大な東京周辺の写真パネルが置かれてあり、その先には宇宙服のレプリカが展示されています。

 情報センターJAXAi の展示場1(:会場の床には「だいち」が写した巨大な写真パネルが、:「だいち」が写した東京南東部周辺、:)

情報センターの展示場の広さはこじんまりとしていますが、会場の場所がらによるのか、親子連やいろいろな層の方が見学に訪れており、係り員が丁寧に展示物の解説を行っております。

 情報センターJAXAi の展示場2(: LE7ロケットエンジンの実物展示、:展示会場の場所がらか小児も熱心にロケットの勉強)

現在、宇宙航空研究開発機構が運用中の人工衛星・探査機には、上空700kmから写した世界最大級の地球観測衛星「だいち」の他地球観測衛星などが6衛星、通信・測位・技術試験衛星が5衛星、天文観測衛星が3衛星、月・惑星探査機が1衛星もの数多くの衛星が運用中で宇宙を羽ばたいています。
特に、「だいち」は2006年1月24日に打ち上げられ、災害時の緊急観測を初め、地図作成や海氷観測、森林観測等、多くの場面で活用されてきました。今後、後期の利用として2年間運用を継続し、社会・公共インフラとして衛星が国民生活に貢献できるよう、衛星利用の定着・拡大を図り、新たな利用開拓を行っていくようです。

 陸域観測技術衛星「だいち」(ALOS)「(C) 宇宙航空研究開発機構(JAXA)」

「だいち」のセンサは地形情報を正確に取得することが可能であり、基準点などを頼らずに地形データ収集を行えるので2万5000分の1の地図の作成ができるので、鉄道の高架工事や都市開発などで地形の変化の激しい場所の地図の修正が短期に行えることを期待して、関連ブログの地図の正しい掲載を行っていきたいと思っています。

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第17回その2)

2010年03月19日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 地上ホームと2階高架ホームを結ぶ跨線橋工事

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京急蒲田駅高架工事
・第3工区京急蒲田高架駅舎棟工事
京急蒲田高架駅開通へと向けて第3工区駅舎棟の工事が進んでおり3月12日に見ると、第1京浜国道側の駅舎棟の壁面は多摩堤通りガード北端から、高架橋の7橋目までの工事用覆いが外されています。

 第1京浜国道から見る京急蒲田駅舎棟(0314写真拡大)

・在来下りホームから2階高架ホームへの仮通路
在来線1、2番線下りホームには、前回の記述(「全工区統合編第16回その1」参照)で示した様に2階上り高架ホームへの仮階段施設の工事が行われております。3月14日には、下りホーム仮階段の先の踊り場の南方から3番線上りホーム間に仮跨線橋枠桁が架設され、跨線橋の先には上り線2階高架ホームまでへの階段の枠桁が付けられていました。
上り線高架化の運用が開始されると、京急蒲田駅の乗り降りや乗換には、複雑な多層通路(地下道、仮跨線橋)を通る必要があり複雑で混乱が予想されます。従来は、地上3番線ホームから上り本線への乗り換えは階段を下りて地下道(図の緑色)を通って行き、しかも改札口から外へも出られました。しかし、上り2階高架駅橋への乗換えは仮階段を登って仮跨線橋を越え、さらに階段を登っての経路での乗換(図の茶色)えとなり、改札口から出る場合には従来の地下道に降りなければ出られません。

 複雑な京急蒲田ホームの連絡通路図 

3月14日に見ると、在来線下りホーム上に設置の仮階段と踊り場の先には、3番上りホームとの間に仮跨線橋の橋桁が掛けられました。

 下りホームから高架ホームへの仮連絡通路1(0314写真拡大)

上り線ホーム部中央のその仮跨線橋の橋桁には、南北への2方向に階段の枠桁が付けられており、2階の高架ホームに上がれます。

 下りホームから高架ホームへの仮連絡通路2(:仮跨線橋の橋桁は空港線線路を越えホーム中央に、:仮跨線橋の先には2階ホームへの階段枠桁が南北に付く0315) 

第6工区高架化工事
第6工区の雑色駅の上り線ホームには、3月15日に見ると階段の枠桁が取り付けられて、階段の設置工事が開始されました。エレベータ工事は、上りホームの六郷土手側の地下階段を閉鎖して据え付け工事が行われますが、まだ囲いを付けての準備作業の段階の様です。

 上りホームの階段取付工事が始まる(0315写真拡大)

第7、8工区の電力線・電気設備等の工事
第7工区の電力線の架線工事は、京急蒲田側からの2階上り線(北側線路)高架橋の敷設線路上の架線は済んでおります。京急蒲田(空)第4踏切西方付近では、高架橋南側線路とクロスポイントの交換が行われ、第8工区の糀谷駅構内では高架橋の南側敷設の線路に結ばれますが、この部分から東方の架線が行われていました。また、糀谷駅構内からは、上り線高架橋を下りて地上在来線に接続します。糀谷第2踏切南では、高架化運転のために列車の運行の切替えを行うクロスポイントがあります。3月12日に、この区間の電力線の架線工事を見てきました。
・第7工区の電力線架線工事
京急蒲田(空)第3踏切東側付近で終端とした高架橋南側線路の架線が開始され、また、その先では北側線路から南側線路へのクロスポイント架線も架設されました。

 第7工区のクロス架線(:第3踏切東側付近が南側線路架線の北端、:北側線路から南側線路へのクロス架線、:南側架線と終端の北側およびクロス架線0312)

・第8工区の電力線架線工事
3月12日には、京急蒲田(空)第4踏切西方付近の南側高架橋から糀谷駅構内上り線路を経て、上り線高架橋上に電力線の架線が行われており、糀谷第2踏切東側のクロスポイント切換え線路上にもクロス架線が敷設されていました。

 第8工区の電力線架線(:上り線高架橋上の電力線架線、:糀谷第2踏切東のクロスポイント電力線架線0312)

第7、8工区の信号機設置工事
第7工区の京急蒲田(空)第4踏切の西側に5灯式と3灯式の双方向信号灯が設置されており、また、第8工区の糀谷第2踏切西側には現在不使用の下り方向の信号機が建立されていました。

 第7、8工区の信号機が設置(:京急蒲田(空)第4踏切西側に双方向の信号機を設置、:糀谷第2踏切西に現在不使用の信号機が設置0312)

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・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(3月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次2010年前期版2009年後期版2009年中Ⅱ期版2009年中期版2009年前期版2008年後期版2008年中期版2008年前期版2006・2007年版
・サブ・カテゴリー別Index 高架化全工区統合編大森町付近工区2009年版大森町付近工区2008年版大森町付近工区2006・2007年版梅屋敷付近工区京急蒲田付近工区2009年版京急蒲田付近工区2006~2008年版雑色付近工区糀谷付近工区 へ
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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第17回その1)

2010年03月17日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 梅屋敷下りホームのエレベータ工事

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第1工区高架化工事
第1工区大森町駅高架化工事も3月工程に入り上り線開通を目指して、上りホーム階段取付工事やナンカ堂跡の駅舎棟の壁面取付工事の準備が行われています。また、3月16日には第1工区高架橋上には工事車が見られ、電力関係の工事が行われていました。

 第1工区高架工事予定表(3-4月)(工事予定表の拡大表示)

・上り階段取り付け
大森町駅上り階段の取付工事は3月1日には階段の梁桁が付けられ、同5日には工事覆いが掛けられて階段組立や基礎工事が進められている様です。

 大森町駅上り階段取付工事([0305]・[0317]写真拡大)

・駅舎棟壁面取り付け
昨年末に閉店したナンカ堂と接触していた高架橋駅舎棟西面下部の壁面取付は、ナンカ堂店舗の取壊しと整地が終わり、駅舎工事のヤード確保と駅前自転車駐輪場整備のため測量が行われました。

 西側駅舎棟下部壁面取付工事準備(:取壊中のナンカ堂0114、:ナンカ堂跡地の測量0305/0310)

3月12日には駅舎棟の下部壁面取付工事のため足場の組立が始まりました。

 壁面取付工事足場の組立(0312写真拡大)

足場の組立は高架駅舎の南端面まで進み工事用の覆いが被せられ、ほのぼの通りに面した部分に囲いを設けて自転車の駐輪場用地が確保されました。

 西側駅舎棟下部壁面取付工事の準備が進む(:足場に工事用覆いが掛けられる0314、:駅舎棟壁面取付工事ヤード0316、:確保された駐輪場用地0314)

・内川北部上り線本高架橋工事の準備
平和島第5踏切北側高架橋の先から、平和島駅南方付近までの区間に上り線仮高架橋が築造されて、第1次の上り線高架化運行時には仮高架橋を運転します。上りの高架化運行により、空いた上り在来線の傾斜高架橋をかさ上げして本高架橋に改造します。すでに、以前から傾斜高架橋をかさ上げの準備工事が行われています(「全工区統合編第14回その2」参照)。3月17日に見ると、作業員がその準備工事のための作業が行われているのが見られました。

 在来傾斜高架橋の本高架橋化改造工事の準備作業(左・0317写真拡大)

第2工区高架化工事
第2工区梅屋敷駅の下りホームの階段エレベータおよびエスカレータの取付工事は、昨年暮れにはかなり進展していました(「全工区統合編第12回その1」参照)。
3月16日に梅屋敷第1踏切から在来ホームを見ると、上り線(左)ホームの階段はかなり以前より3本の梁桁が踊り場に付けられたまま工事の進行はありません。一方の下り線(右)ホームの階段は階段底に作業用覆いを付けて工事が進展しています。

 梅屋敷第1踏切から見た在来梅屋敷ホームの階段工事(:踏切から見た在来梅屋敷ホーム、:梅屋敷上りホーム階段、:梅屋敷下りホーム階段0316)

下りホームの踊り場からは、第1京浜国道間のヤードに降りる階段が見えます。これで、梅屋敷高架駅の下りホームへ登る仮通路は出来上がりです。また、下りホームではエレベータの工事も進行中(Top写真参照)です。

 梅屋敷高架駅橋には下りホーム階段から登る(:下りホームの階段と踊り場、:下りホーム踊り場の外部にはヤードに降りる階段が見える)

これより見ると、梅屋敷駅の第1次上り線高架運行は、糀谷駅と同様の方法により、高架下り線路上に張り出しホームを仮設して運用する様に思われます。梅屋敷高架駅の仮出入り口は、第1京浜国道に直結して便利です。

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小さな旅 龍馬と立会川 土佐藩山内家下屋敷のあった京急立会川駅周辺を歩き龍馬の足跡を追う(その3)

2010年03月15日 | 小さな旅
kan-haru blog 2010 土佐高知藩山内家下屋敷跡説明板

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山内容堂の墓
土佐藩15代藩主の山内容堂の墓は京急鮫洲駅西の土佐山と呼ばれていた小高い丘の上にあり、墓への道は第1京浜国道脇の鮫洲駅連結の横断歩道橋を渡り、大井公園への坂道を上ると交差点があり左手に「山内豊信(容堂)墓」と書かれた標識の中腹の道を進みます。

 鮫洲_山内豊信の墓拡大地図

標識の道の上には、大井公園と区立立会小学校が並んでおり、この辺の高台一帯は元下屋敷の跡であり、もともとは1658年(万治元年)に仙台藩伊達家が麻布下屋敷を返上して、新たに大井村に拝領した下屋敷であったが、1737年(元文2年)に一時鯖江藩間部家大崎屋敷と伊達家品川屋敷の一部を交換して間部家の下屋敷となったが、その後一部は再び伊達家の所有となりました。

 越前鯖江藩間部家下屋敷跡の敷地

元下屋敷の跡に設けられた山内容堂の墓(品川区指定史跡 品川区東大井4-8)には、山内豊信(とよしげ)が幕末の動乱を龍馬と共に歩み、山内家下屋敷から眺める江戸湾を好み、故郷の地より土佐山(下総山)に埋葬を望み1872年(明治5年)6月21日に45歳の若さで葬られました。

 山内容堂の墓がある大井公園(:大井公園は下屋敷跡であった、:山内容堂の墓への道案内板)

山内豊信は、山内豊著(とよあき)の長子として1872年(文政10年)に生まれ、に宗家を継いで1848年 (嘉永元年)に第15代の土佐国高知藩主となり、多難な幕末期の幕政に大きな影響を与えました。強力な言動は幕閣に恐れを抱かれ、一時は大井村の下屋敷に蟄居させられたが、1862 (文久2年)に再び復し大政奉還をはじめ幕府と朝廷の間の尽力し、1868年 (明治元年)に維新後の新政府の内国事務総長となったが、翌年に引退しました。山内容堂の号は、隠居後の名前です。
容堂の墓へは、標識の道の突き当りに門が見られ、門には午前9時から午後5時まで公開と表示してあり、施錠は開いており門を開けて墓所内に入れます。墓所へのゆったりとした石階を上がると階段が右に折れ、さらに登りきると平坦部に出て突き当りは立会小学校の校庭の金網塀で校庭が見えます。

 山内容堂の墓所(:容堂の墓所の正門、:容堂の墓までの石段、:山内容堂の墓地入り口)

平坦部の右側が墓地の入り口で、入り口の左に「嶋津常候之墓」の墓碑があり第13代藩主山内豊熈の妻の墓で、1880年(明治13年)11月16日に亡くなられました。その奥に並んで土まんじゅう型の墓が山内容堂の墓で、墓碑には「贈従一位山内豊信公之墓」と記されています。墓地内は清掃が行き届いていますが、崩れた石灯籠や手水鉢などが散らばった感じです。

 山内容堂の墓地(:山内容堂の墓説明板、:山内容堂の墓、:嶋津常候之墓)

来福寺
山内容堂の墓から山内家下屋敷に辿る前に、その昔サクラの名所で、雪中庵蓼太が詠んだ句碑のある古刹の来福寺に寄って見ました。来福寺(品川区東大井3-13-1)へは容堂の墓から、第1京浜国道に戻り南へ進み大井消防署前を過ぎ、四つ角を通過すると右に斜めに進む参道を100mほどで右手に山門が見えてきます。

 山内家下屋敷跡付近地図

来福寺は、990年(正暦元年) に智弁という像が創建し、1501年(文亀元年)に梅巌という僧が、昔右大将頼朝が戦没諸兵追善のために写経を埋めた納経塚(大井1丁目庚申堂)の傍らを通ると塚の中から読経の声を聞かれて仏像を掘出し、来福寺に安置したといわれています。そのため、この御本尊を別名経読地蔵と云われるようになりました。

 海賞山地蔵院来福寺(:来福寺参道、:来福寺山門、:来福寺本堂)

寺の山号を海賞山地蔵院(真言宗智山派)と云い、境内に天満宮があったので天神山と呼ばれていました。古い信者に梶原一門があり、境内に権五郎景政や平三郎景時の嫡子源太景季の寄進された梶原松や延命桜等がありました。
当時は桜の名所として知られ、現在も境内に雪中庵蓼太の「世の中は三日見ぬ間の桜かな」という句碑(1787年[天明7年]建立、四世雪中庵大島完来揮毫)が残っています。

 来福寺風景(:雪中庵蓼太の句碑、:来福寺境内の松、:来福寺浮世絵)

高知藩山内家下屋敷
山内家下屋敷へは来福寺の参道を戻り、四つ角を南に向かい浜川中学校の北側道路を第1京浜国道に出ると、中学校の校庭付近一帯は旧下屋敷跡の広大な敷地であり、中学校脇に屋敷が位置した様子が書かれた案内板が設置されています。
第1京浜国道付近の立会川沿いの高知藩山内家は下屋敷約1万6800坪の敷地を抱え、往事の東海道を挟んで河口には抱屋敷(かかえやしき)の揚場869坪を、1658年(万治元年)に拝領されたもので、両屋敷は表門通り(現立会川商店街通り)で結ばれていました。抱屋敷には、1853年(嘉永6年)頃に浜川砲台が築かれました。なお、山内家下屋敷は大井村の他に、木挽町築地(現中央区築地)にもありました。
山内家の上屋敷は、鍛冶橋御門内大名小路(現千代田区丸の内)にあり、1855年(安政2年)頃の高知藩主の山内土佐守豊信の家禄は24万2千石でした。

 山内家下屋敷跡の敷地

山内豊信は、松平慶永(よしなが)、島津斉彬(なりあきら)、伊達宗城(むねなり)らとともに、国政の方向について論議建策し幕末の四賢侯と称されました。1858年(安政5年)の頃江戸幕府が日米修好通商条約に調印し、徳川家茂を将軍継嗣に決定したことなどに反対した大名・公卿・志士ら100人以上を弾圧する事件が起き、この処罰を安政の大獄と云います。この弾圧により山内豊信は隠居・謹慎を命ぜられ、蟄居したのがこの下屋敷でした(品川教育委員会より)。

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小さな旅 龍馬と立会川 土佐藩山内家下屋敷のあった京急立会川駅周辺を歩き龍馬の足跡を追う(その2)

2010年03月13日 | 小さな旅
kan-haru blog 2010 立会川吉田家の雛人形

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立会川吉田家
龍馬が警備した浜川砲台跡は立会川の河口にあたり、当時の海岸線であった勝島運河を眺め、立会川にも自然回帰により遊泳しているカモを見ながら来た道を戻り、昼時なので吉田家へと旧東海道をゆっくりと北に辿りました。

 立会川周辺風景(:勝島運河、:立会川を遊泳するカモ、:旧東海道道標)

吉田家(品川区東大井2-15-13)の歴史は、鮫洲八幡神社の石灯籠の台座に1856年(安政3年)には営業していた記録が刻まれており、現在の立会川吉田家は1912年(大正元年)に鮫洲吉田家の分店として開業したとのことです。

 旧東海道(立会川-鮫洲)地図

竹内重雄画「吉田屋之図」の浮世絵(吉田家が保存)には、店舗前の旧東海道には松林が続く海岸線が広がっていました。なお、当時の屋号は吉田屋と称していました。広重の描いた浮世絵には、沢山の海苔を採るひびを描いた風景がありますが、このあたりは大森とともに将軍家御用達の浅草海苔産地の漁師町でありました。
このあたりの旧東海道は大正の大地震や昭和の戦火を免れたので、古き佇まいを残す建物や神社、仏閣が多く散在し、吉田家も昔日の面影を今に残すべく店構えにも心を尽くし、古くからある数々の道具類を大切に保存して皆様のご覧に供しております(吉田家Webから)。

 蕎麦処立会川吉田家(写真拡大)

立会川は山内容堂(豊信)や坂本竜馬が生活していた所で、幕末で明治維新が起ころうとする時代であり、これらの人物が吉田屋で蕎麦を食べながら大いに議論していたことを想像して、久しぶりにそばを昼食にいただきました。

 吉田家周辺の旧東海道風景(:仲町稲荷神社、:峯雲寺、:旧東海道)

・しながわ花海道
吉田家前の立会川から鮫洲駅を結ぶ勝島運河沿いには、地元のボランティアが「土手に花畑を作ろう」を合言葉にして、平成14年から種を蒔き、現在は春には菜の花が、秋にはコスモスの咲く「しながわ花海道」として名所となっています。

 しながわ花海道(写真拡大)

吉田家付近から東に行くと勝島運河で、菜の花も終わって残念ですが、運河には散歩の人も多く見かけ運河縁には沢山のカモメが遊歩道近くで人を恐れず佇んでいました。

 多数カモメが花海道に近ずいて遊泳(左・中・右写真拡大)

・鮫洲八幡神社
しながわ花海道から旧東海道に戻り北に進み京急鮫洲駅が見えると、手前に鮫洲八幡神社があります。
鮫洲八幡神社(品川区東大井1丁目20番10号)のある鮫洲は古くは漁師町であり、御林町(おはやしまち)と呼ばれて、新鮮な魚介類を将軍家に献上する義務を持たされた漁場の御菜肴八ヶ浦(おさいさかなはちかうら)内のひとつに数えられていました。古くは御林八幡宮と称して、祭神として誉田別尊(ホンダワケノミコト)を奉斎し、気長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト)を配祀、伊弉諾尊(イザナギノミコト)、伊弉丹尊(イザナミノミコト)を合祀しています。創祀は定かでなく、1661~1672年(寛文年間)以前の御林町草創より建立されたものと推測されています。
境内には、猟師の寄進した1849年 (嘉永2年)造立の狛犬や、1856年 (安政3年)造立の灯篭があり、また大正時代に建てられた多くの記念碑(写真は平林九兵衛の碑)もあり、境内を囲む古い石垣も猟師の寄進したものです。現在の社殿は、1972年(昭和47年)に遷宮されました(鮫洲八幡神社Webから)。

 鮫洲八幡神社(写真拡大)

・京急鮫洲駅
京急鮫洲駅(品川区東大井1-2-20)は、品川と大森海岸間の京浜電鉄の開通時の1904年(明治37年)に開業し、駅名の由来は、この付近一帯は昔、鮫浜、鮫頭崎などとよばれ、大きく海に洲が出ていたので鮫洲崎ともいわれていたのが、現在の鮫洲になったと伝えられています。現在の高架駅は第1京浜国道に接し、上り線が平成元年、下り線が平成2年に高架化が完成しました。

 京急鮫洲駅(写真拡大)

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小さな旅 龍馬と立会川 土佐藩山内家下屋敷のあった京急立会川駅周辺を歩き龍馬の足跡を追う(その1)

2010年03月11日 | 小さな旅
kan-haru blog 2010 京急線普通電車の旅「立会川編」

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立会川駅前にあった坂本龍馬像
東京都H11異業種交流会分科会の研究会では、2006年10月22日にキリン横浜ビアビレッジ見学の課外研究会(「イベント キリン横浜ビアビレッジ見学」参照)を開きました。見学後昼食をとるため、品川宿の近くの立会川の老舗の蕎麦処吉田家に寄りました。立会川駅を降りると、何と駅前に坂本竜馬の銅像がありました。竜馬像は、立会川周辺の宅地造成地で、1853年のペリー来航を機に土佐藩が建てた浜川砲台の石と見られる20数個の石が発見され、当時、江戸で剣術の修行中だった竜馬も警護についたとされるそうで、その関係で高知市から寄贈されたそうです。

 京急立会川駅(:現在の立会川駅正面、:立会川駅昇降出入り口、:2006年には立会川駅横にあった竜馬像)

立会川は大河ドラマの影響で、「若き日の龍馬が歩いた街」として盛り上がっております。たまたま、「京急線普通電車の旅」の小冊子に「立会川編~若き日の竜馬と歩く~立会川江戸めぐり」が発行されましたので、それをガイドに3月3日に立会川周辺を歩いて龍馬の足跡を追ってみました。

 竜馬の足跡を残す立会川周辺編集地図

京急立会川駅と周辺
立会川駅(品川区東大井2-23-1)は、大森町の北辺の平和島駅から大森海岸の次にある大田区の隣の品川区南部の立会川縁にあり、駅は1904年(明治38年)に開業して、1990年(平成2年)に高架になりました。立会川の南には大井競馬場があり、地方競馬の開催時には多くの乗降客で賑わいます。
立会川は目黒区にある碑文谷池と清水池を源として、品川区の西小山駅、荏原町駅、西大井町駅、大井町駅を経て立会川駅脇を流れ東京湾に注いでいる二級河川です。現在は上流の大部分は暗渠となっています。立会川には、総武線のトンネル内に湧き出る地下水を送水して流しているため川の水質が改善し、2003年には大群のボラが現れ話題になりました。また、最近では立会川駅近くまで、鴨などの野鳥が遊泳しています。
立会川の名称の由来は定かではないが、その昔、川を挟んで小競り合いが会った事から「太刀会川」と称したとの説や、立会川南方にある鈴ヶ森刑場へ送られる罪人を、立会川を挟んでその親族や関係者が最後に見送る(立ち会う)事から「立会川」となったとも言われています。

 立会川駅周辺部拡大地図

立会川駅前商店街通りを東に数10m進むと四つ角に仲町稲荷神社があり、現在はその前の公園に坂本龍馬像が建立されています。この道にかかっている弁天橋から立会川を展望すると、上流には元京急電車が地上走行時に使用した立会川鉄橋(現在は人道橋)が望めます。また、下流を望むと川が湾曲しているため旧東海道の浜川橋(涙橋)は望めません。

 江戸時代は小川の川幅の狭い立会川(:弁天橋から上流を見る、:弁天橋、:弁天橋から下流を見る)

・立会川商店街
京急立会川駅前の商店街通りには、第1京浜国道までの西側と、旧東海道までの東側に立会川商店街が連なっております。また、第1京浜国道の西側にはアーケードの立会川西商店街があります。

 立会川商店街(:立会川商店街東側、:立会川商店街西側、:立会川西商店街)

立会川と龍馬像
立会川の東には旧東海道が南北を結び、品川宿に近く江戸の史跡を多く残し、幕末の英雄・坂本龍馬の土佐藩 山之内家の下屋敷がありました。
立会川駅から約200mほど先の立会川河口の勝島運河で、2004年に大きな石が20個以上掘り出され、1853年(嘉永6年)のペリー来航以来の「黒船」騒動の渦中に、土佐藩が築いた浜川砲台の一部と見做されています。
龍馬は、嘉永6年9月に父君の八兵に「異国船処々に来り候へば 軍も近き内に奉存候 其節は異国の首を打ち取り帰国可仕候」と書簡を書いています。これにより、19歳で剣術修行のため上京した龍馬が、藩の命を受けて警備についた浜川砲台であることが明らかになりました。
砲台の石が発見され品川区と高知市が姉妹都市となり龍馬像が2004年に贈られ、当初は冒頭の写真に示す様に立会川駅前の東側に建立されていましたが、2009年には商店街通り東の仲町稲荷神社手前の北浜川児童公園に移されました。先ずは、立会川駅前商店街を東方に歩いて、2006年にお会いした竜馬像と再開しました。

 坂本龍馬像と説明板(写真拡大)

・涙橋
龍馬像を後にして浜川砲台跡に向かうには、商店街を東に進むと旧東海道で、街道を南に行くと立会川に架かっている橋は交通の要所の浜川橋で、現在の橋は1934年(昭和9年)に架け替えられたものです。浜川橋は、またの名を涙橋と呼んでおり、鈴ヶ森に1651年(慶安4年)に設けられたお仕置き場[鈴ヶ森刑場](「イベント 歌舞伎観劇 さよなら歌舞伎座九月大歌舞伎」参照)で処刑される罪人を、親族らが密かに見送りにきて、涙を流しながら別れたということから涙橋と言われるようになりました。
江戸時代中期の立会川周辺の絵図を見ると、江戸湾が旧東海道沿いに沿っており、立会川には浜川橋が架かっており、上部に土佐藩下屋敷の敷地が見えます。

 浜川橋(涙橋)(:浜川橋、:江戸時代中期の立会川周辺の様子[東京国立博物館貯蔵]、:浜川橋(涙橋)説明板)

浜川砲台跡
浜川砲台跡へは浜川橋北岸に沿って進むと、立会川河口の勝島運河の元品川沖海岸線跡に、砲台の石垣に使用された石が置いてあります。最初のペリー来航時には、この砲台から1.6km沖まで黒船が侵入したそうです。

 浜川砲台跡(写真拡大)

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kan-haru日記もおかげさまで4周年を迎えました

2010年03月08日 | Weblog
kan-haru blog 2010

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お蔭さまでkan-haru日記も本日3月8日で満4周年を迎えました。
Webの発展により容易に個人情報の発信が可能となり、IT技術の進歩によりパソコン、携帯端末や携帯電話で何時でも、誰でもがどこからでもインターネット上の情報を検索して、kan-haru日記のような様々な個人ブログ記事なども読んで頂けるようになりました。

Kan-haru日記の訪問数・閲覧数推移
Kan-haru日記への訪問数は2009年7月6日には20万名を超え、同7月30日にはトータル閲覧数が60万を超えました。2010年3月7日現在の訪問数は34.3万、閲覧数は93.6万となりました。誠に多数のご閲覧をありがとうございます。

 Kan-haru日記の訪問数・閲覧数推移

インターネットの普及以前の時代の記録情報は書籍や紙媒体から得られる情報にみで情報記録量も少なく、特にローカルな情報はほとんど記録が無い状態で、過去の知りたい記録情報は見たくても得られませんでした。
そこで、kan-haru日記開始の目的は、大森町界隈のあれこれをテーマとした大森町の変貌記録などの様々な記録記事に加え、一般的な小さな旅などの旅行記、イベント記録やIT関連の記事など745編を投稿してまいりました。Webの進歩により、現在の記録は容易に残すことができる有難い時代です。
たまたま、歴史的な記録に繋がる展示が、3月2日から5日までの期間に東京都議会議事堂1階北側の都政ギャラリーで、昭和22年から現代までの「東京・あの日・あの時~昭和20年代から現代へ アーカイブ百景」という写真展を開催しておりましたので、当時の貴重な写真を5日に見てきました。

 「東京・あの日・あの時」写真展パンフレット(パンフレット拡大1955年[昭和30年]都電が走る銀座通り) 

東京都では記録写真の2万点をデジタル化して、その中の100点を特選し、東京とそこに生きる人々の力強い歩みを紹介されました。なお、この写真展は、東京都のホームページで公開していますので記録写真の共有ができます。

 「東京・あの日・あの時」写真展(:東京都議会議事堂、:「東京・あの日・あの時」写真展会場入り口、:写真展会場風景)

東京大空襲
Kan-haru日記は、たまたまブログが普及発展し始めた4年前のブログ記事投稿開始時期の3月は、その65年前の3月10日が東京大空襲で東京下町を目標にした無差別爆撃により、10万人もの尊い命が失われた時代とのめぐり合わせに当たります。大きな犠牲を受けた戦争は時代の経過とともに風化され、現在では戦争を知らない世代が80数%を越えました。少しでも悲惨な記録を後世に伝えたいとの思いから、父の職場の同僚の若山武義氏の大森町の大空襲に遭遇した際に記録の手記の提供をご遺族から受けることができましたので、それをブログ開始の契機の1つとしてkan-haru日記を開始しました。
先ずは、若山氏の戦争体験の手記に解説説明を付けて編集し、今までに「大森町界隈あれこれ 空襲編手記」の29編が完結し、「大森町界隈あれこれ 戦後史手記」の21編を大森町大空襲記録として掲載してきて、現在一時中断しておりますが今後にも再開し掲載の予定です。
・東京大空襲展
毎年3月10日を迎える頃、東京のあちらこちらで大空襲関連の展示会が開催されます。
東京都主催の展示会では、江戸東京博物館1階学習室で3月5日から13日までの期間に「東京空襲資料展」が無料で開催されていますので、5日に見てきました。資料展では写真撮影ができませんので会場の模様を提示できませんが、展示会の内容は空襲で亡くなられた方々の遺品を中心に、焼夷弾などの兵器、防空頭巾やもんぺなどの戦時下の生活資料や空襲下を映したパネルなどを展示し、この悲惨を二度と繰り返さないように未来へと語り継いで貰いたいとの趣旨で開催されています。
江戸博物館入り口通路の横には、大空襲の悲惨を物語る当時の言問橋の欄干と縁石が保存されています。この言問橋は1945年(昭和20年)3月10日未明の東京大空襲の際、浅草方面から向島方面へ避難する人々と、反対側に渡ろうとする人々が橋上で交叉し身動きがとれなくなり、人だけでなく荷車やリヤカーも通行を妨げ、そこへ火が燃え移り人々は大火炎に包まれて、橋上では逃げる術もなく多くの市民が焼き死にました。

 東京空襲資料展と言問橋欄干(:東京空襲資料展会場入り口、:言問橋の欄干と縁石(江戸博物館保存)、:言問橋欄干・縁石説明板)

また、浅草公会堂1階ギャラリーでも3月6日から10日までの期間に東京大空襲犠牲者追悼・記念資料展実行委員会と台東区共催で記念資料展を開催しています。この浅草公会堂の資料展には、昨年(「イベント 東京大空襲資料展 64年前の3月10日は無差別爆撃で浅草、本所、深川の下町が大惨禍」参照)と1昨年(「イベント 63年前の東京大空襲傷痕 浅草、本所、深川の戦跡をめぐり平和を祈願する その1~4」参照)に参加して未来へと語り継いで頂くためにブログに掲載しておりますのでご参照ください。
その他、千代田区役所1階でも11日まで東京駅や銀座、国会議事堂周辺などの写真パネル90点と防空頭巾などが展示され、さらに江東図書館でも28日まで区民寄贈の日記、手紙や大戦を報じる新聞紙面など300点が展示されています。

 東京大空襲展パンフレット(パンフレット拡大) 

京浜急行高架化関連工事
4年前のブログ投稿開始時には既に大森町を縦断する大田区内の京浜急行の高架化工事は着手しており、大田区内の建設工事としては歴史に残る大工事です。工事が完成すると大森町を始めとして、京急沿線の街並みは大変貌します。Kan-haru日記では、大森町大変貌の記録として、工事の詳細記録と街並み変貌の記録記事を継続投稿しています。

 上り線開通を目指して工事が進む京急蒲田駅2層構造の駅舎棟

この工事関連の記録には、京急高架化関連事業として高架橋の北側に関連側道が新設されますので、京急本体工事の外側道に関する記録記事の投稿も2月から開始しております。

 京急高架化工事関連側道が整備される大森町駅付近の側道となる道路

大森町界隈の風景
大森町の中央部を東西に流れる内川は、中流や下流で護岸工事が行われていますが、街中の中流では人おじせずにオナガカモやカワウが訪れるようになり、近辺の人々の心を和ませ癒してくれています。この平和な光景が続く時代を何時までもと願っています。

 数年前から多くの野鳥が大森町中心の街中の内川に寄りついている平和な風景
 
kan-haru日記目次
kan-haru日記は記事の種別が多いため、記事検索のための目次を記事カテゴリー別に登録してあり、記事登録の都度目次を更新していますので現在から過去までの検索がリアルにできる様に配慮してあります。
目次は、kan-haru日記 総合目次(総合INDEX)とカテゴリー別の目次を掲載しており、毎月1日には月間INDEXを掲載して前月の記事の検索ができる様にして、特に記事数の多い京急高架化関連工事の目次には記事年度別INDEXと工事区間毎(駅別INDEX、全工区統合INDEXおよび高架化関連側道編INDEX)と階層分けした目次を整備してあります。カテゴリー別の項目目次のアクセスは、ブログ記事左欄のブックマークに掲載の項目のアクセスにより目次が参照できますのでご利用下さい。

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第16回その2)

2010年03月06日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010

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各工区の電力線・電気設備等の工事
今回は第6工区の六郷土手北方の上り線仮高架橋と、第7工区の上り線2階高架橋部の電力線の架線を見ていきます。

・第6工区上り線仮高架橋の電力線架線
六郷土手北方の上り線仮高架橋の電力電柱は全工区統合編第13回その1に記述の様に、1月27日には建立されていました。
2月9日に見ると上り線仮高架橋の建立の電力電柱にはトロリー線の架設が完了しており、六郷土手駅から歩いて見ました。上り線仮高架橋電力線の起点は六郷土手駅近くの在来線で使用の電力線電柱から張られ、駅から北方の六郷4丁目ガード北際までは何本かの在来線使用の電柱に併設して架設されています。

 六郷土手駅近くでは在来線電柱に併設で架線を架設(:駅近くの在来線電柱が起点の上り線仮高架橋の架線、:六郷土手北方ガードまで在来線電柱に架線0209)

その先の電力電柱は、在来線の東側に建立した片持ち梁の電柱に併用して架線されています。これは、本線高架橋工事が完成すると仮高架橋が撤去となるので、暫定的に使用の電柱の様です。その先からは、仮高架橋の西側に建立の片持ち梁の電柱に、トロリー線が架線されています。

 上り線仮高架橋の電力線の架線(:ガード先の架線電柱は本線併用片持ち梁電柱、:仮高架橋の架線は西側建立の片梁電柱0209)

上り線仮高架橋が結合する雑色第4踏切南側の高架橋の電力電柱も、高架橋の東側に建立した片持ち梁の電柱に架線されており、本高架橋の完成で仮高架橋の撤去時のための暫定的に使用の電柱の様です。

 上り仮高架線電力線の架線を見る(:上り仮高架線電力線架設の六郷側からの遠望、:上り仮高架線電力線架設の雑色第4踏切からの遠望、:仮高架橋と合流高架橋の電力線架設は片持ち梁電柱0209)

・第7工区2階上り線高架橋の電力線架線
2月5日に見ると、京急蒲田駅高架橋から空港線上り線高架橋(北側)の単線の高架橋上には、京急蒲田(空)第3踏切手前までの区間の電力線片持ち梁電柱には、トロリー線が架線されていました。

 空港線上り線高架橋の電力線架線1(:第1京浜国道2階ガード上の電力線架線、:第1京浜国道東方の2階高架橋の電力線架線、:京急蒲田空第2踏切付近の上り高架橋上の電力線架線0205)

同第3踏切付近手前から先の複線高架橋上には、2本柱の横梁付きの電柱の北側線路上にトロリー線が架線されており、同第3-第4踏切の中間部の高架鉄橋上の建立電柱が架線の終端になっています。終端電柱の先の同第4踏切までの建立電柱には、架線済電力線と反対の南側線路上に架線吊の金具が付けられています。
これは、当初の上り線高架化開通時には、第8工区の上り線高架橋が南側に築造され、糀谷高架駅線路は南側を通り、第7工区の上り線高架橋が北側に築造のため、京急蒲田駅2階高架橋への当面のルートでは、同第3-第4踏切の中間部の高架鉄橋上が線路のクロスポイントの場所になります。これにより、羽田空港発の品川方面行きの直通列車の通路が確保され、横浜方面発の羽田空港行きの列車は京急蒲田駅2階ホームで折り返し、糀谷高架駅南側を経て第8工区の上り線高架橋を降って、糀谷第2踏切先の地上クロスポイントで空港線在来下り線に入線します。

 空港線上り線高架橋の電力線架線2(:京急蒲田(空)第3踏切付近の上り高架橋の電力線架線、:第3踏切東方ガード付近が電力線架線の終端、:京急蒲田(空)第4踏切付近の電柱は架線吊金具は南側のみ0205)  

各工区の信号機設置工事
・第2 – 6工区上り本線の信号機設置
2月14日に見ると第2工区の信号機は、大森町第4踏切北方の東側と、梅屋敷第2踏切付近上り線高架橋の西側に建立され、同第4踏切北際の2階部高架橋にも建立が見られました。

 第2工区の上り線高架橋上の信号機(:大森町第4踏切北方の上り線信号機、:梅屋敷第2踏切付近の上り線信号機、:梅屋敷第4踏切北際の上り線信号機0214)

第5工区の信号機は京急蒲田第6踏切と、同第8、9踏切付近で見られ、第6工区では同12踏切と雑色第2踏切付近に見られ、六郷仮上り線高架橋上にも見られました。

 第5-6工区上り線高架橋上の信号機(左上:蒲田第6踏切際の上り線高架橋上の信号、中上0129:蒲田第8踏南方の上り線高架橋上の信号機、右上:京急蒲田第9踏切付近の高架橋上の信号機、左下:京急蒲田第12踏切付近の高架橋上の信号機0222、中下:雑色第2踏切付近の高架橋上の信号機0209、右下:仮上り線高架橋上の信号機0301)

・第7 – 8工区上り本線の信号機設置
第7工区の信号機は、第1京浜国道東際の大田区産業プラザ(PiO)横の北側高架橋および、京急蒲田(空)第2踏切付近の高架橋上で見つけました。同高架橋上は、列車が京急蒲田駅の相互発着運行しますので双方向に走るため、信号機は京急蒲田向きと羽田空港向きに付いています。

 第7工区の高架橋上の信号機(:第1京浜国道東のPIO横2階高架橋上の信号機0205、:京急蒲田(空)第2踏切付近の高架橋上の信号機0214)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第16回その1)

2010年03月03日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010  京急蒲田駅2階高架橋を下から見る

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各工区の高架駅舎棟工事
・京急蒲田駅舎棟工事
3月1日に見ると、第4工区の駅舎棟の築造工事は全ての養生シートが取り外され、上り線2階高架橋上では工事車が見られ、3階屋根上には作業員の工事が行われており、上り線開通を目指して仕上げ工事のピッチが上がっています。

 上り線高架化開通に向けて第4工区駅舎棟の仕上げ工事が進む(写真拡大)

また、第3工区駅舎棟築造の工事を見ると、第3工区の多摩堤通りガード南側の2面橋幅駅舎棟の養生シートが外され、JR蒲田側の壁面が現れていました。また、南方の呑み川ガードの上りホーム側で、階段の取付工事[配置図①]が始められていました。

 第3工区駅舎棟の築造工事(:多摩堤通りガード西側の2橋幅の駅舎棟壁面が現れる、:呑み川上の上り駅舎棟の階段取付工事が始まる0301)

現在の京急蒲田駅は配置図に示す通り、上り本線用と下り本線・空港線用の2本のホームで列車の運行をしています。1番線の空港線ホームは、単線にて品川方面と横浜方面からの羽田空港を発着する双方向の列車が停車します。
今後、5月頃に上り本線が2階高架橋に移行運用すると、3番線の現上り線線路は撤去されて、列車の運行は1、2階のホームから発着するようになります。東・西改札口から1階ホームの下り本線への乗車は従来と変わらず、上り本線への乗車は従来の3番上りホームを経て①の新設階段で2階の高架ホームに進むことになるようです。

 京急蒲田駅1階配置図

空港線への乗車または乗り換えの場合には、品川方面からの羽田空港行きと、空港発の横浜方面行きの列車は従来通りの1階の1番線空港ホームからの発着ですが、横浜方面からの羽田空港行きと、空港発の品川方面の列車の発着は2階の高架駅橋ホームとなります。空港方面行きの列車の乗車と乗り換えの場合には、時刻表の発駅時刻を見て1または2階ホームに進む必要があります。
3月1日に在来本線下りホームを見ると、ホーム北方向(第3工区)で②の仮設階段の工事が行われていました。この架設階段により、1階と2階の空港線ホーム間の連絡用に供されるように思われます。

 京急蒲田駅在来下りホームの2階昇降仮階段設置工事(:下りホームの2階昇降階仮段設置説明板、:2階昇降仮階段設置工事0301)

また、3番ホームの③エレベータは、現在は1階ホームから地下道への連絡用に使用されていますが、上り線の高架化により2階高架駅橋まで延長されるのではないかと思われます。

 在来3番上り線ホーム(:2階まで延長可能な3番上り線ホームエレベータ、:3番線ホームから見た2階空港線高架橋0301)

・大森町駅舎棟工事
2月25日には、上り線高架駅橋に1本目の階段の梁桁が中途まで付けられていましたが、3月1日にゑびすヤードから見ると、中側と外側の2本の階段の梁桁が下部の土台上まで付けられました。また、駅舎棟壁面の丸窓は開かれている状況が見られました。

 上りホーム階段の取付工事(:土台上に付いた中側と外側の階段梁桁、:開けられた駅舎棟の丸窓0301)

内側の階段梁桁はホーム上に重なっており、工事囲いで塞がないと工事が進みません。囲いで塞がれると、ホームが狭くなり乗り降りが危険となりますが、工事を早く進行させるためには乗降客も協力が必要になります。

 ホームから見る上り階段の梁桁(写真拡大)

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・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次2010年前期版2009年後期版2009年中Ⅱ期版2009年中期版2009年前期版2008年後期版2008年中期版2008年前期版2006・2007年版
・サブ・カテゴリー別Index 高架化全工区統合編大森町付近工区2009年版大森町付近工区2008年版大森町付近工区2006・2007年版梅屋敷付近工区京急蒲田付近工区2009年版京急蒲田付近工区2006~2008年版雑色付近工区糀谷付近工区 へ
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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 3月INDEX

2010年03月01日 | INDEX
kan-haru blog 2010 3月1日19版

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K&A kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事の即時検索のほか、カテゴリー別の登録記事の全て(2006年3月から最新登録まで)の検索ができます。
また、京浜急行の高架化の駅別工区をキーとした、大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次を新設しました。

[K&A kan-haru 日記の見方について]
ブログ左覧のガイド板「カテゴリー」には、kan-haru日記のカテゴリー名とカテゴリー毎の記事登録数が掲載されております。
カテゴリー名の「ようこそ kan-haru日記へ」欄内には、次に示す日記の総合目次と日記を見るためのガイダンスが掲載してあります。
総合目次は、この月間INDEXと統合しており、同一のカテゴリー別目次を併用しております。
「ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について」は、この日記を見るためのガイダンスを記載してあります。日記の見方について (その1)の解説には、カテゴリー別の概要説明と共に、カテゴリー項目からは当該カテゴリーの第1回登録記事から最終・最新の登録までの全ての記事の索引が行えるようにカテゴリー別INDEXと結合してあります。
kan-haru日記 カテゴリー別総合目次(全日記INDEX)
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その1)  2007年1月30日 更新
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その2)  2007年1月22日更新
・ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その3) (未完)

[ブックマーク からカテゴリー別目次を見る]
ブログ左覧のガイド板の「ブックマーク」に、カテゴリー別目次を登録しました。カテゴリーを選択するとカテゴリー別の目次が見られます。
閲覧日記と同一のカテゴリーの目次は、記載日記最後尾のカテゴリー別Indexから見られます。

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ブログ左覧のガイド板「ブックマーク」の[kan-haru日記 総合目次]を指定すると、「ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について」内のカテゴリー別総合目次を参照できます。
各閲覧日記の先頭または後尾に記載の"< 総合INDEX へ" からも最新の目次が見られます。

[ブログ記事内の参照地図・写真などを拡大して見るには]
次の2006年3月月間INDEXに方法が記載してありますので、参照して下さい。
番外編 ブログ記事の参照地図を拡大して見る方法 [付 kan-haruの日記3月月間INDEX] 2006年4月1日

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次
■印覧の10年2月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。

 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年!
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)
      付 東京大空襲 ~あれから61年~
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
  ◇ 2006・2007年版2008年前期版2008年中期版2008年後期版2009年前期版2009年中期版2009年中Ⅱ期版2009年後期版2010年前期版
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第14回その1) 2月10日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第14回その2) 2月13日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 関連側道整備編交通計画大森西地区説明会(第1回その1) 2月15日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 関連側道整備編交通計画大森西地区説明会(第1回その2) 2月17日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 関連側道整備編交通計画大森西地区説明会(第1回その3) 2月20日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第15回その1) 2月25日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第15回その2) 2月27日
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
 ■ 大森町界隈あれこれ 内川風景 変化する冬の内川を歩く(その1) 2月4日
 ■ 大森町界隈あれこれ 内川風景 変化する冬の内川を歩く(その2) 2月6日
 ■ 大森町界隈あれこれ 内川風景 変化する冬の内川を歩く(その3) 2月8日
 9 大森町界隈あれこれ イベント  
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや
 
  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
  ◇ 関連側道全工区統合 2009・2010年版大森町付近工区2006・2007年版大森町付近工区2008年版大森町付近工区2009年版梅屋敷付近工区京急蒲田付近工区2006~2008年版京急蒲田付近工区2009年版雑色付近工区糀谷付近工区

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版
22 小さな旅 総目次
23 旅ものがたり 総目次
24 秋葉原界隈 総目次
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009年版
26 ITと技術 総目次
 ■ ITと技術 プライベ-トクラウド Windows 7とXP PCによるクラウド活用第1回 2月22日
27 Weblog 総目次

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