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kan-haruの日記

イベント 原鉄道模型博物館2部 原信太郎が愛した京急を博物館に2回にわたり出かけて見るその1

2015年09月30日 | イベント

kan-haru blog 2015 京浜急行大型パネル板

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9月13日に原鉄道模型博物館京急展を見学し、時間が足らずに再度同26日に2回目の博物館見学で詳細に京急展展示物と同館目玉の世界最大級のジオラマを見てきました。
なお、1回目は知らずにミスりましたが、2回目の入場では、横浜駅で入館料10%OFFスタンプカード(「イベント 原鉄道模型博物館 時代の先端を駆けぬける京急展で90年前の外国の仮台車車輪を見るその1」参照)に押して持参し、受付に1回目の来館スタンプカードを見せると、2回目の来館を押印して京急グッズ(京急線メモ切符)が記念に貰え、900円で入場できます。
 
 (左上:2回目来館スタンプカード、左下:10%割引入場券大人、右:2回目来館記念の京急グッズ0926)

・第3展示室続
まずは、2回目は第3展示室の続きから見ていきます。最初はメルクリン社の世界でたった15台しかない、ドイツのケルン・ボン鉄道が20世紀初頭に重役に贈った3両編成模型の記念品で、1950年代に原信太郎が購入した貴重な模型です。子供時代の信太郎は祖母にねだり、首総の給料が450円時代に、価格が495円の電気で動くライオネル社の模型を買って貰いました。

 原コレクションの展示模型1(左:ライオネル社の電気で動く模型、右:20世紀初頭にドイツのケルン・ボンが記念に贈った電気で動く模型0926)

次に京急の展示品を見ていきます。最初は京急電車の「主制御器」(マスター・コントローラー)で、左から旧1000型用、600型用、右端のは800、2000型用です。隣は車両の製造工場の各種銘版です。

 京急電車のマスコンと車両製造所銘板(左:マスター・コントローラー、右:製造工場の各種銘版0926) 

原信太郎は京急が大好きで、戦後すぐからの写真が残されています。写真の5000型は戦時統合時代で、車体にはTKK(東急電鉄)のマークが見られ、ガラスのない窓枠に乗客が腰かけている様子や、350型の前半分は進駐軍専用車の車両など歴史を感じる写真が見られます。

 原信太郎が写した戦後すぐの京急電鉄の写真1 (←ここをクリックで拡大)

残された写真には、戦災にあった車両や、ファインテック久里浜に保存の、「京浜電鉄デ51型」と「湘南電鉄デ1型」車両の運転席に原信太郎が乗って嬉しそうに写っている写真もあります。

  原信太郎が写した戦後すぐの京急電鉄の写真2 (←ここをクリックで拡大)

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イベント 原鉄道模型博物館 時代の先端を駆けぬける京急展で90年前の外国の仮台車車輪を見るその3

2015年09月25日 | イベント

kan-haru blog 2015 京急イベントおしらせ

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展示模型を見る
第1展示室から第2展示室に進むと右壁面には、原信太郎の所蔵する様々なゲージの鉄道模型が飾られています。小学生時代から作られていたといわれる、鉄道模型は他の鉄道博物館では見られない、まさに素晴らしい展示品です。第2展示室の左壁面には、「時代の先端を駆け抜ける京急」の説明資料が掲示されています。

 第2展示室の展示品 
(左:原信太郎の制作展示の鉄道模型、右:「時代の先端を駆け抜ける京急」の説明展示0913)

第2展示室を出ると、「原信太郎と鉄道」のコーナーです。ここでは、信太郎がどんな鉄道を見てきたのか。自身の年表と、鉄道史とを重ねて解説してあります。
1872年(明治5年)に新橋ー横浜間に鉄度が開設し、私鉄の開業が相次ぎ戦争とともに国有化が進み、20世紀に入り鉄道が黄金化時代を迎えるころの1919年(大正8年)に信太郎が誕生して、裕福な家に生まれたので4歳のころ外国の鉄道のおもちゃを与えられ、少学5年でカメラを携え超特急「つばめ」で関西の一人旅を行いました。
 
 原信太郎の生涯と鉄道史1(左:原信太郎の制作展示の鉄道模型、右:「時代の先端を駆け抜ける京急」の説明展示0913)

1930~40年代は、鉄道の目覚ましい進歩が続きましたが、中学生の頃には模型造りには資材不足でした。独学により短波受信機で海外の動向を知り、海外の技術の高さをしり敗戦を予感しました。1940年に東京工業大学に入学し、朝鮮、満州と投稿して大陸で活躍の日本技術の各種の列車を見ました。戦争激化とともに、鉄道も軍事が優先されて技術もサービスも停滞しました。終戦を迎え、戦時中の量産車を改造した蒸気機関車は、輸送需要に応え日本の復興に力を尽くしました。1958年には「こだま」が、1964年には、「新幹線」が誕生しました、信太郎は㈱コクヨに入社し「全自動立体倉庫」を開発して会社の生産性向上に貢献し、また世界の鉄道の技術革新を目で見る旅を続け、「世界的な鉄道愛好家」として知られていきます。
  
 原信太郎の生涯と鉄道史2(左:大陸へ、戦争を迎えて、右:世界にはばたく0913) 

信太郎は、会社員時代に数百件の特許を取得し、延べ380ケ国の世界を旅して鉄道愛好家と交流を深め、模型を次々と製作して2011年時点では模型車両の約2千点に及び、所蔵する模型は約6千点に達しました。最初の1番乗りは、1927年(昭和2年)の8歳の時に、浅草から上野間を開通した地下鉄で、10銭玉を入れる改札機前に2~3時間待ちして果たしました。初めての一番切符は、1933年(昭和8年)の帝都電鉄(現京王電鉄井の頭)の開通時のもので0002番切符を購入しましたが、抗議して駅員が求めた0001番切符を手に入れられました。また、1934年(昭和9年)3月の地下鉄銀座駅開通ではナンバー2でしたが、同年6月の新橋駅開通では午後10時から粘って一番切符を獲得しました。さらに同年、丹那トンネルが開通して学校を病欠届出で休んで、熱海駅で一番切符を手に入れました。1954年(昭和29年)の東海道新幹線開通では東京発と大阪発の番切符を手に入れました。1961年(昭和36年)の伊豆急行電鉄開通の時は、2日前に待合室に車ごと乗り入れて発売を待ちました。

 原信太郎の生涯と鉄道史3(左:世界的な鉄道愛好家の信太郎、右:初乗りと切符収集
0913)  

第3展示室
第3展示室は、「ブィンテージ・コレクション」で、信太郎の鉄道の旅の一端を、模型などを交えて展示してあり、希少なアンティーク鉄道玩具などが見られます。このコーナーでの目玉の展示品は、ヴッパータールの空中電車の模型です。この模型は、ドイツの鉄道模型会社のメルクリン社が20世紀の初めに製造したヴッパータール市の懸垂電車であり、電気で動く模型の出始めた頃のもので、信太郎が電話を繋ぎぱなしにしてセリ落としたものです。
懸垂電車の登場は、1880年代に技術者のカール・オイゲン・ランゲンが、ケルンの自工場で運搬を行うために懸垂式モノレールを開発して使用していた。この技術を人や物資の輸送に応用できることに気づき、ランゲンの構想によるヴッパータール空中鉄道は、1898年に着工された。その後、1900年10月24日にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の臨席を受けて試運転が行われ、最初に開通したのは、クルーゼ・劇場駅 - 動物園・スタジアム駅間で、オーバーバルメンまでが全通したのは1903年6月27日です。

 第3展示室ヴッパータール空中鉄道 
(左:ヴッパータールの空中電車の模型、:空中電車の0913) 

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イベント 原鉄道模型博物館 時代の先端を駆けぬける京急展で90年前の外国の仮台車車輪を見るその2

2015年09月20日 | イベント

kan-haru blog 2015 横浜ジオラマ

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・京急展の展示
京急展開催の横浜三井ビルディング1階フロワーに掲示されているイベント案内板には、京急展開催期間内の9月30日までの間に入場すると、桜木町駅誕生100周年記念の横浜ジオラマの特別ディスプレイが展示しているとの案内がでており、同13日に見に行きましたので桜木町駅100周年記念横浜ジオラマも見られました。

 
原鉄道模型博物館展示案内(左:展示案内板、右:桜木町駅100周年記念横浜ジオラマ特別展示案内0913)

1階から直通のエスカレータで上がると、原鉄道模型博物館のエントランスで右側に入場券売り場があり、入場券(その1参照)を購入して入場口にかざすと入口が開きます。

 原鉄道模型博物館全館レイアウト

展示会場に入ると第1展示室で、京急展来館記念切符を作ろうとのコーナーがあり、ダッチングマシンと記念切符が置いてあり、各自がマシンに挿入して差し込みスライドさせると、その切符に入場日の日付けが乗車券の端に印字を行う体験ができます。また、右側には入館料10%OFFのスタンプカード(その1参照 ここをクリック)が置いてあります。
 
 
入場日を印刷するダッチングマシンと日付け印入記念切符(左:ダッチングマシン、右:ダッチングマシンを通した記念切符0913)

第1展示室「原模型の神髄」には、原模型の中の代表作が展示してあり、一号機関車は原信太郎が小学生の時に作った機関車で、博物館のマークとなっています。

 原模型の神髄の第1展示室 
(左:第1展示室、右:一号機関車0913)

ここで第1展示室に展示の模型を見ていきましょう。最初の金剛山電気鉄道22号は、朝鮮半島に存在した伝説の登山列車であり、箱根登山鉄道 チキ形 チキ1は、精密な木造、真鍮エッチングによる再現が見事です。
 
 第1展示室に展示の数々の原模型2 (左:金剛山電気鉄道22号、右:箱根登山鉄道チキ形チキ10913)

次のオリエント急行は、木造の美しい車両を天井絵まで見えるようにして作られた模型であり、或る列車は明治末期の幻の列車の模型です。

 第1展示室に展示の数々の原模型3(左:オリエント急行、右:或る列車0913) 

スイス国鉄 Ae4/7形の模型は、ブッフリ式駆動装置を再現してあり、阪神電気鉄道311形313は魅力的な形や色をした魅力的な電車です。
 
 第1展示室に展示の数々の原模型4(左:スイス国鉄 Ae4/7形、右:阪神電気鉄道311形313 0913)    

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イベント 原鉄道模型博物館 時代の先端を駆けぬける京急展で90年前の外国の仮台車車輪を見るその1

2015年09月16日 | イベント

kan-haru blog 2015 原鉄道博物館の入場口

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京急展
京急展は、原鉄道模型博物館にて7月18日から11月3日まで開催されており、火曜日が休館(ただし、9月22日と11月3日は営業)で、11時から18時まで開館していますので、9月13日に見にいきました。

 
京急展パンフレット

原鉄道模型博物館の入館料は、大人1000円、中学・高校生700円、子供500円です。

 
原鉄道模型博物館入場券

ただし、帰りの際にわかったのですが、京急では京急展開催記念キャンペーンとして、京急線横浜駅改札内(中央口・北口・南口)に設置のスタンプ台にある用紙にスタンプを押して、原鉄道模型博物館に行くと、入館料が10%割引(1枚につき4名様まで有効)となります。

 
京急展入場料10%OFFスタンプ

原鉄道模型博物館へのアクセスは、横浜駅東口からポルタ地下街を南東方向に向かい、横浜駅前通りの出口Gで地上に出て、首都高速神奈川1号横羽線下の地上道路を南へ進み、川を渡った左側の横浜三井ビルディング(神奈川県横浜市西区高島1-1-2 地図参照 徒歩5分)の2階が2012年7月10日に開館した博物館です。

 横浜駅東口から原鉄道博物館へ(左:横浜駅東口ビル、右:横浜三井ビルディングの2階が原鉄道模型博物館0913) 

・原鉄道博物館
原鉄道博物館は、2012年7月10日に日本で初めて鉄道が開通した横浜の地に開館しました。当博物館では、原信太郎が製作・所蔵した世界一ともいわれる膨大な鉄道模型と、鉄道関係コレクションを一般に公開しました。信太郎の鉄道模型の特長は、蒸気機関車から電気機関車へと鉄道が著しい発展を遂げた時代の日本・ヨーロッパ・アメリカを中心とした世界中の鉄道車両を再現したコレクションです。

  原鉄道博物館パンフレット

原信太郎(はら・のぶたろう)は、1919年に東京生まれ、幼少時より鉄道を愛し、鉄道に乗り、撮影し、一番切符を集め、小学6年生から本格的な模型製作を始めました。鉄道技術を学ぶために東京工業大学工学部機械工学科に入学しました。第二次大戦後、コクヨ株式会社で開発技術担当。在職中は、世界初の立体自動倉庫やオフィス家具自動一貫製造ラインなどを開発し、300以上の技術特許を個人で請願・維持しました。退職後は、財団法人原総合知的通信システム基金設立し、若手研究者の海外論文発表のための助成をしました。
戦後は海外に積極的に渡航し、各国の鉄道車両を模型化して、所蔵模型数約6000両を有します。訪れた国、延べ約380ヶ国に及び、撮影スチール約10万枚の他、ムービーフィルム16mm、8mm、VTR 合計約440時間を有しています。(原鉄道博物館から) 
 原信太郎フォト・ライブラリー公開のパンフレット

・京急展の博物館外の展示物
原鉄道博物館の横浜三井ビルディング前の屋外には、京急から借用した工場作業用の仮台車が展示されています。仮台車の大きさは、予想以上のもので、説明によると1924年(大正13年)に製造された「デ51形ブリルシャ製電車の台車」と同一物で、車輪のメーカーは当時世界一の規模を誇っていたLOBDELL CAR-WHEEL COMPANY製とあります。この仮台車は最近まで使用されていましたが、車輪は貴重な歴史的な世界遺産であるので借用して展示してあるとのことです。
また、横浜三井ビルディングの1階フロワーの壁際には、京急の800形車両で使用されている、パンタグラフ「PT43-E」が展示されており、直前で見られますが、その大きさは予想以上のもので驚かされます。

 
京急工場作業用仮台車とパンタグラフ(:工場作業用の仮台車、:パンタグラフ「PT43-E」0913)

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大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 谷戸三輪神社2015年秋の例祭夜の神輿渡御

2015年09月11日 | 大森町界隈あれこれ 社寺

kan-haru blog 2015

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谷戸三輪神社秋の例祭
谷戸三輪神社の例祭は、2006年2007年2008年および2010年の例祭の記事を掲載してありますが、2015年の例祭は高校の後輩が神輿渡御の扇動を行い、家の間近かの大森町商店街通りを練り歩き、19時半過ぎに第1京浜国道で折り返すと聞きましたので、久しぶりに見にいきました。例祭は9月第1の土・日曜に開催され、今年は5、6日に開催されましたので、まず5日の午後に徳川時代には西大森村の小祠の鎮守様であったといわれる、大森町商店街通りに並行した道路添いの谷戸三輪神社にお参りしてきました。

 2015年祭礼ポスター

谷戸の三輪神社は、氏子が大森三輪、鶴渡、邦西の三町会を擁し、地域は南北が大森町商店街通りの南側から、梅屋敷商店街通りの北側までのエリアで、東西が京浜急行電鉄線からJR東海道本線に接した大森西4丁目から7丁目までの地域におよびます。

 谷戸三輪神社氏子の大森三輪、鶴渡、邦西町会の地域地図(再掲)

谷戸の三輪神社へは、大森町駅から西側線路添いに梅屋敷方に進み、斜めに進む右折路に折れて一直線に行くと、2つ目の四つ角を超えると左側が北向き鳥居の神社正門です。

 北向きが正門の三輪神社 
(左・右:0905)

正門を潜ると正面が三輪神社本殿で、奉納するとお守りお札とお神酒が授かります。
 三輪神社本殿と奉納により授かるお守り札とお神酒(左:三輪神社本殿、:奉納授かり品0905) 

神社本殿の右側に神楽殿があり、神楽殿の右側に渡御前の宮神輿が鎮座しています。宮神輿は、打ち出し模様の吹き返しを大きく立ち上げた、延軒屋根の勾欄造りです。祭神は大国主命で、台座が二尺四寸(73cm)の行徳・浅子周慶の作で製造年度は不明ですが歴史あるお神輿です。

 
三輪神社神楽殿と宮神輿(左:神楽殿、:歴史ある宮神輿0905)

三輪神社は、太平洋戦争の空襲により全社殿を消失し、1951年(昭和26年)に氏子により再建されましたたが、老朽化のために、1988年(昭和63年)に現社殿に再建されました。

 三輪神社境内 
(左・右:0905)

5日の三輪地区の子供神輿と山車の渡御は、13時ころに神社前から出発です。なお、子供神輿は三輪地区の他に、鶴渡地区および邦西地区の3地区において、それぞれからも渡御が行われます。

  三輪地区の子供神輿 
(:0905)

子供神輿と山車の渡御は、15時30分頃大森第3小学校の北口門付近で出逢いました。
 
 三輪地区の子供だし渡御 (:0905)

宮神輿の大渡御の渡御は、残念ながら鶴渡と三輪地区の一部で6日に行われます。5日の中神輿の渡御は17時30分に西7丁目公園を出御し、邦西地区を巡行して、大森町商店街通りを東邦医大通りから第1京浜国道までの全区間練り歩いて、20時半に三輪神社に宮納め予定です。
 
 
三輪神社宮神輿夜間渡御1(:0905)

しかし、三輪神社が圧巻の夜間渡御は遅れて、20時を過ぎて大森町駅に到着して、第1京浜国道の中央部までの渡御です。

 三輪神社宮神輿夜間渡御2
(:0905)

国道をユータンした神輿は、三輪神社宮入りへとご帰還の最後の渡御です。

  
三輪神社宮神輿夜間渡御3(:0905)

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<前回  大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 修復大人神輿の渡御が行われた諏訪神社2014年例祭その2

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大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事大森町駅編(第8回)

2015年09月06日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2015 京急高架工事予告

旧上り線内川北方仮高架橋取り壊し 
7月28日に見ると、内川北岸道路脇の4本組橋脚柱は、東側の2本は建立されたままで、西側の2本は半分カットされた状態で残されています。また、並行区道北方の4本組橋脚柱上の旧上り線内川北方仮高架橋桁の残部は撤去され、4本組橋脚柱のみが建立したままで残されています。

 7月28日に見た高架橋の並行区道の仮高架橋撤去状況 (左上:内川北岸道路直近の未撤去の2本の橋脚柱、中上:高架橋並行道路北方から見た未撤去橋脚柱右上左下:高架橋並行道路北方から見た未撤去橋脚柱台中下:未撤去の高架橋支え枠、右下:北端の未撤去の合流部仮高架橋0728)

同日にはの内川上に仮設
の、仮上り線の内川鉄橋梁台枠の撤去工事が、白色布で覆い撤去工事が進められていました。

 撤去工事中の仮上り線内川鉄橋の橋梁部(:西方から見る、:東方から見る0728)

8月22日には、大森町駅北方から平和島南方間の京浜急行の上り、下りの走行車から、高架化工事中に使用した旧上り線仮高架橋の撤去の工事状況を見て動画を撮影しました。

大森町駅北方から平和島南方までの旧上り線仮高架橋の撤去工事を見る20150822

9月1日に見ると、京急高架橋築造のために旧上り線仮高架橋部の下部内川上に仮設された、工事用の高架橋建設台の取り壊し工事が始められていました。

 内川高架橋梁建設の基礎工事台の撤去工事(:内川川上より内川高架橋梁と工事用高架橋建設台を見る:内川川下より高架橋下から工事用高架橋建設台を見る:取り壊しが始められた工事用高架橋建設台0901)

同4日には、工事用の高架橋建設台の取り壊し工事が進んでいました。

 取り壊しが進む内川上の建設用の高架橋建設台 
(:0904) 

・京急高架橋並行区道上の高架橋撤去工事
京急高架橋に並行の区道上を9月1日に見ると諏訪神社参道交差点までは、旧上り線仮高架橋体は撤去され、切り残された橋脚柱のみとなりました。

 旧上り線仮高架橋が除去された高架並行道路(内川北岸から諏訪神社交差点)(左上:上り線仮高架橋が除去された北方を見た高架並行道路南方部、中上:北方を見た並行道路南中央部右上:南方を見た並行道路南中央部、左下:北方を見た並行道路北中央部、中下:高架並行道路から見る切断された橋脚柱、右下:諏訪参道交差点から南方を見た高架並行道路0901)

諏訪神社参道交差点以北の旧上り線仮高架橋合流部は、同1日に見ると白布で囲って撤去工事が行われています。

 諏訪参道北方の合流部旧上り線仮高架橋撤去工事 
(:0901) 

同4日には白布が外され、旧上り線仮高架橋合流部はほとんど取り壊されました。
 
  取り壊しが進んだ旧上り線仮高架橋合流部
(:0904)

9月1日には
並行区道上の撤去された、旧上り線仮高架橋の地下杭部の撤去工事が行われていました。

 
旧上り線仮高架橋部の橋脚柱地下部撤去工事(:0901)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事大森町駅編(第7回その2)
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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 9月INDEX

2015年09月01日 | INDEX

kan-haru blog 2015 91日84版

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kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事検索のほか、カテゴリー別の登録記事の2006年3月から最新までの検索ができます。

K&A kan-haru 日記の見方について(←ここをクリックして参照してください。)

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次 
■印覧の15年8月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。
 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年! 
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次 
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編) 
      付 東京大空襲 ~あれから61年~ 
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編 
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて 
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次 
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次 
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 
 ■ 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 都市計画道路事業で変貌する駅周辺道路第7回その1 819
 ■ 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 都市計画道路事業で変貌する駅周辺道路第7回その2  825
 ■ 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 都市計画道路事業で変貌する駅周辺道路第7回その3 830
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔 
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
  ◇ 2006~2012年版2013~2015年版
 9 大森町界隈あれこれ イベント 目次
  ◇ 2006~2009年期版2010年版2011~2012年版2012~2015年版
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや 

  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事大森町駅編(第7回その1)  86
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事大森町駅編(第7回その2)  812

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