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kan-haruの日記

イベント 鉄道博物館 交通博物館(須田町)から鉄道博物館(さいたま市)への進化 その3

2008年02月28日 | イベント
kan-haru blog 2008

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2階ヒストリーゾーン
2階ヒストリーゾーンの西側の全長75mの壁面には、日本の鉄道創業期から現代までの鉄道にまつわるさまざまな出来事の歴史年表が展示してありますが、今回は時間の都合で見物を割愛しました。
2階ヒストリーゾーンからは、1階に展示の実物車両を俯瞰して見渡せます。

                               西側壁面の歴史年表展示(写真拡大)
コレクションゾーン
2階のヒストリーゾーンから中央に進み、やや北寄りにあるコレクションゾーンのスペシャルギャラリーでは、開館記念 第1回特別企画展『新幹線の挑戦~より速く、より快適に~』(2007年10月14日~2008年2月25日)を開催しておりましたので、覗いて見ました。主な展示は、新幹線のあゆみを紹介の新幹線の歴史や、より速く・より快適にの技術開発、海外の高速鉄道などを紹介しておりました。

 第1回特別企画展展示

なを、博物館1階北部館外のパークゾーンには、ミニ運転列車、ミニシャトル駅の「博物館北駅」、ノースギャラリーや鉄博ホールがありますが、待ち時間が取れないので見物をパスしました。

 博物館1階北部館外のパークゾーン

ラーニングゾーン
博物館の2、3階の北側のラーニングゾーンには、鉄道の原理や、安全・安定輸送のシステム、鉄道車両の動力やブレーキのしくみを、実物の部品を用いた展示装置などを使って体験学習できる「原理・仕組み展示」がありますので、2階のコーナーを一巡してみました。

 原理・仕組み展示コーナー

エントランスゾーン
2階中央のエントランスゾーンには、博物館人気の模型鉄道ジオラマがあります。ジオラマは、横幅約25m奥行き約8m、約200㎡の地形模型にHOゲージ(在来線1/80、新幹線1/87)の鉄道模型を敷設して、軌道総延長約1,400mのレール上を最大20編成まで車両の走行できます。保有車両数は約600両で、鉄道をテーマとしたHOゲージでは日本最大の規模です。

 模型鉄道ジオラマ全景

スタッフが解説しながら運転を行う15分程度のプログラムを、1日4~6回程度実施しますが、予め予約機での無料の予約が必要ですので今回は見られませんでした。
プログラムを実施していない時間は自由に観覧できますので、日本一のジオラマの施設を見てきました。

 模型鉄道ジオラマ(写真拡大)    (写真拡大)

なお、エントランスゾーンのジオラマの隣のキッズスペース1は、3歳以下の幼児と保護者のためのプレイルームがあります。ここは、㈱タカラトミーの協賛によるプラレールの世界で、小さな子どもたちが「鉄道ごっこ」をしながら、鉄道に親しみを持って、安全に遊べる空間となっています。

ビューデッキ
3階の中央に博物館の真横を走る新幹線が、迫力あるアングルで見られるビューデッキでティタイムをとり、一休み後帰途に向かいました。
今回の博物館の駆け足の見学では、博物館の構成や展示概要がわかりましたので、次の機会では重点的な見学が行えそうです。

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イベント 鉄道博物館 交通博物館(須田町)から鉄道博物館(さいたま市)への進化 その2

2008年02月26日 | イベント
kan-haru blog 2008

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鉄道博物館のフロア
鉄道博物館のフロアは、1階から3階までの展示コーナーには5つのゾーンと1つのノースウイングがあります。また、屋上は地上25mで新幹線、在来線やニューシャトルが一望出来るパノラマデッキとなっています。
午後は、鉄道博物館の展示構成を探ることを目的にポイントを絞って廻ってみました。
鉄道博物館人気の運転シュミレータは人気の的で、目玉の「D51シミュレータ」は交通博物館に展示されていたD51の426キャブ部分を使用して製作したそうで、動揺装置による、蒸気機関車特有の振動も再現しており、利用料金は500円です。他のシミュレータの「205系山手線シミュレータ」、「209系京浜東北線シミュレータ」、「211系東海道線シミュレータ」、「200系新幹線シミュレータ」の料金は無料で予約は不要ですが、大変な混雑です。
博物館に入口両脇にあるシミュレータ体験展示予約機の回りには予約待ち行列の渦で、また、無料のシュミレータも1時間待ち以上の長蛇の行列なので体験は諦めです。

 D51シミュレータ(写真拡大)          205系山手線シミュレータ(写真拡大)

・ヒストリーゾーン

           ヒストリーゾーンの実物車両展示配置図>(拡大図)

ヒストリーゾーンは、鉄道博物館のメイン展示の一つで、1、2階の南側にあり長さが75m以上もあるゾーンです。1階には、C57形式蒸気機関車を展示した転車台を中心に、日本の鉄道がスタートした明治時代初期から現代までの、御料車6両を含む鉄道車両35両の実物車両と、実物車両を縮小して作った精巧な模型などを展示しています。
まずは、実物車両や模型を一巡して見て回りました。

 左 C57形式蒸気機関車(1940年製造)特急急行列車に活躍した旅客用標準機関車拡大
 中 C51形式蒸気機関車(1920年製造)国産初の本格的な高速蒸気機関車拡大
 右 150形式蒸気機関車(1871年製造)英国から輸入された日本初の蒸気機関車拡大


 左 クハ481形式電車(1965年製造)全国で使用された全電源対応特急電車先頭車拡大
 中 EF66形式電気機関車(1968年製造) 最大出力高速貨物列車用電気機関車拡大
 右 DD13形式ディーゼル機関車(1958年製造)入換用ディーゼル機関車の標準機拡大


 左 マイテ39形式客車(1930年製造)東海道本線の特急用一等展望客車
 中 オハ31形式客車(1927年製造)とキハ41000形式気動車(1933年製造)拡大
 右 ED75形式電気機関車(1975年製造)交流区間用標準電気機関車拡大

展示車の客車には乗車ができ、列車内で弁当などを食べて休憩することができます。昔を思い出す客車に乗り、当時の旅などを想い出せます。

 展示車に乗って旅行気分 電車でお弁当今日はピクニック   昔の通勤電車

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kan-haru日記 イベント総目次(カテゴリー別INDEX) 2006・2007年版

2008年02月26日 | INDEX
kan-haru blog 2008 2月26日1版

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   イベント カテゴリー別総目次 2006・2007年版



  春の花とアルス五重奏団コンサート 4月11日
  土と木とメルヘンな鉛筆画のぬくもり三彩展を鑑賞 4月23日
  倉澤杏菜 ベルリン芸術大学留学記念 ピアノリサイタル 7月26日
  イベント(4) 東京都美術館 第61回日本書道美術院「教育部展」 8月21日
  イベント(5) 歌舞伎座観劇 秀山祭九月大歌舞伎夜の部 9月23日
  イベント(6) 運動会 お茶の水小学校運動会 9月26日
  イベント(7) 大森駅開業130周年(その1) 10月20日
  イベント(7) 大森駅開業130周年(その2) 10月22日
  イベント(7) 大森駅開業130周年(その3) 10月24日
10 イベント(8) 明治大学 ホームカミングデー(その1) 11月3日
11 イベント(8) 明治大学 ホームカミングデー(その2) 11月5日
12 イベント(9) キリン横浜ビアビレッジ見学 11月7日
13 イベント(10) 晴海フラワーフェスティバル Infiorata 2006 11月20日
14 イベント(11) 展覧会 お茶の水小学校展覧会(その1) 11月29日
15 イベント(11) 展覧会 お茶の水小学校展覧会(その2) 12月3日



16 イベント(12) 作品展 千代田の子どもたち展(その1) 2月5日 
17 イベント(12) 作品展 千代田の子どもたち展(その2) 2月7日 
18 イベント(13) 展覧会 第56回東京都公立学校美術展覧会 2月21日
19 イベント(14) 外国人邦楽演奏 インターナショナル邦楽の集い その1 3月9日 
20 イベント(14) 外国人邦楽演奏 インターナショナル邦楽の集い その2 3月11日
21 イベント(15) あれから62年「東京大空襲を語り継ぐ集い」 3月19日
22 イベント 東京の港と海の情報基地 「東京みなと館」 4月22日
23 イベント 船に関する知識の宝庫 「船の科学館」 4月24日
24 イベント タイムスリップした趣きあるお部屋「花みち」で開催の異業種交流会 
   5月17日
25 イベント 江戸東京博物館 大鉄道博覧会 8月4日
26 イベント 江戸東京博物館 江戸時代の東京を見る 8月6日
27 イベント 東京芝とうふ屋うかい 異業種交流会H11メトロ恒例の暑気払い 8月24日
28 イベント 東京都美術館 第62回日本書道美術院「教育部展」 8月28日
29 イベント 歌舞伎座観劇 第二回秀山祭九月大歌舞伎夜の部 9月21日
30 イベント 目黒のさんま 第12回目黒のさんま祭り 9月23日
31 イベント 運動会 第15回お茶の水小学校運動会 10月5日
32 イベント 東京オペラシティ ドイツ留学中の倉澤杏菜ピアノリサイタル 10月8日
33 イベント 江戸天下祭 江戸の風情と粋な山車と神輿が丸の内を巡行 その1 10月10日
34 イベント 江戸天下祭 江戸の風情と粋な山車と神輿が丸の内を巡行 その2 10月12日
35 イベント 新田神社 例大祭の古武道奉納演武 その1 10月16日
36 イベント 新田神社 例大祭の古武道奉納演武 その2 10月18日
37 イベント 東京国際女子マラソン 大森町旧東海道三原通り交差点がマラソンの折り返し点 11月21日
38 イベント 明治大学理工学部 ホームカミングデー その1 12月18日
39 イベント 明治大学理工学部 ホームカミングデー その2 12月20日



40 イベント 国立科学博物館 大ロボット博~からくりから最新ロボットまで~ その1
   1月25日
41 イベント 国立科学博物館 大ロボット博~からくりから最新ロボットまで~ その2
   1月27日
42 イベント 映画「母べえ」大森町に住み始めた時代の激動の世界大戦を生きた家族の物語 2月9日
43 イベント 映画観賞 映画で見る昭和30年代の庶民生活 2月12日

2008年 イベント INDEX (ここをクリックして下さい)

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イベント 鉄道博物館 交通博物館(須田町)から鉄道博物館(さいたま市)への進化 その1

2008年02月24日 | イベント
kan-haru blog 2008

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鉄道博物館の歴史
何時の時代でも、小学生の特に男の子にとっては鉄道に憧れを抱いております。
小学生の孫は、須田町の交通博物館から5、6分の近くに住んでいるので、よく行っておりました。交通博物館は、JR東日本が所有し、財団法人交通文化振興財団に運営を委託していましたが、2006年5月14日で閉館となりました。

・交通博物館
鉄道博物館は、1921年10月14日の「鉄道開通50周年」を記念して、東京駅の神田駅寄りの高架下に開設されました。だが、1923年の関東大震災でほとんどが焼失したため、1946年に旧万世橋駅駅舎跡の敷地を利用した新館を造り、財団法人日本交通公社に委託して「日本交通博物館」がオープンしました。1948年に、展示対象を交通全般として、交通博物館と改称し、1971年に運営を財団法人交通文化振興財団に移管しました。世界大戦翌年の交通博物館開館当時は、中学生の年代でありよく通いました。

・鉄道博物館
鉄道博物館(さいたま市大宮区大成町3-47)は、2007年10月14日の鉄道の日に、さいたま市の非電化時代の川越線気動車の留置線跡に交通博物館の後継施設として開館し、財団法人交通文化振興財団が運営しています。
鉄道博物館の人気は高く、今年の1月18日には入館者が60万人を超え、3月末の目標を約2ヶ月半も前倒しで達成したと発表しています。


博物館見物
最近、鉄道マニアも増え博物館の人気は当分持続しそうなので、初年度の博物館見学を見送り、春休み前の中間時期を狙い2月16日に孫と見に行ってきました。
鉄道博物館は、従前の交通博物館よりかなり広く、展示物の内容も豊富となり、じっくりと見るには時間を要するので、見学は一通り全体的にさーっと眺めて、回りきれないところや、時間待ちするところはパスする作戦で出かけました。


・ニューシャトル線
孫とは、秋葉原駅で11時に待ち合わせをして行きましたが、鉄道関係のイベントは昨年の夏休みに見に行った大鉄道博覧会(「イベント 江戸東京博物館 大鉄道博覧会」参照)と2度目の見物です。博物館へは上野乗換で、大宮から埼玉ローカル線ニューシャトル線と乗り継いで、いろいろな鉄道に乗りすでに鉄道博物館の見学が始まっているみたいです。

大宮駅は、ニューシャトル線に乗り換えるために久し振りの下車で、大宮操車場の廃止による駅の改装等で改札を通らずに駅舎内を徒歩で自由に往来できるようになり、鉄道博物館の開館に伴うコンコースの大規模改修や、駅中商業施設もオープンしており大きく変わり迷いそうです。

ニューシャトル線の大宮駅は、JRの新幹線ホームの北寄りの位置にあり、単式ホーム1面1線のちょっと変わった高架駅です。終点での列車はホームを折り返えせずに、東北・上越新幹線の東側から入ってから、ループ状で時計周りに迂回して途中に設けられた東西方向のホームで乗客を全員下車させた後、始発の乗車客を乗せて運行するという珍しい駅です。
大宮駅を出た電車は、大きく時計周りに迂回して、上越新幹線の西側に沿って内宿方面に進みます。
博物館へは1駅先の鉄道博物館駅で下車します。この駅でのニューシャトル線は、東北・上越新幹線高架橋の両端に線路と駅ホームが施設してあります。


ホームを降りると、博物館の通路が連絡しており、蒸気機関車の前面や列車の車輪などが展示してあります。


・車両
ニューシャトル線の車両は、全て6両編成で黄色と緑色を配した明るい感じの1010と1050系の電車と、2007年5月から鉄道博物館に伴う輸送力増強用に、車体幅を広くして混雑緩和を図ったステンレス製の2000系が加わりました。
ニューシャトル線はタイヤ式の新交通システムですが、ゆりかもめや金沢シーサイドラインなどと違って乗務員が乗るワンマン運転で、各駅にはホームドアが設置してありませんが、安全柵が設けられています。

鉄道博物館入場券
鉄道博物館の個人の入館税込料金は、一般が1000円、小中高生が500円、3歳以上の未就学幼児が200円で、1人1枚のSuicaまたはPASUMOで電子チケット販売機で電子マネーで支払いするか、館内専用ICカード貸出機で入館料を払い入管ICカードを入手して入館します。

昼食レストラン
入館すると時計は12時を指していましたので、見物前に腹をこしらえてからと館内の食事処を探すと、1Fにはかっての食堂車で提供していたメニューを中心に取りそろえたレストラン「日本食堂」と、2Fには気軽に利用できるカフェテリアのレストラン「TD」があり、駅弁を買って展示列車の社内の椅子にかけて旅行の雰囲気を思い出しながらの食事がとれます。
1Fの「日本食堂」には、食事時で行列が並んでましたが、2月中間の土曜日でしたので、レストランの客の回転も早いようなので、多少の行列待ちをして入りました。案内された場所は奥の客席で、そこから博物館の横を走る在来線の姿もみられ、休憩スペースのフレンドリートレインの端で列車に取り囲まれた鉄道ファンには申し分のないレストランで、さらに「博物館中央駅」の前なので、ここから「博物館北駅」までのおよそ230mの線路を往復するミニ列車のミニシャトルの発着の様子も見られます。

  レストラン「日本食堂」     フレンドリートレイン      ミニシャトル    

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第6回その2)

2008年02月22日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2008  
 
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京急蒲田駅第7工区高架工事
京急蒲田駅高架化工事は、4組のベンチャーにより分担して工事が進められており、京急空港線の高架橋建設の第7工区は、熊谷、西部、ハザマと不動建設の共同事業体で担当しております。
第7工区は、箱根駅伝で有名になっている第1京浜国道の京急蒲田(空)第1踏切から、糀谷駅手前の同第4踏切の区間(地図参照)であり、空港線が品川および横浜方面への京急本線と直通乗り入れのため、京急蒲田高架駅の2層3階建ての高架橋と接続する工事が行われます。
京急蒲田駅付近第7工区高架工事を見るため、2月13日に出かけてきました。


・蒲田駅付近の国道踏切
ここの第1京浜国道の京急蒲田(空)第1踏切では、見学の3日前の10日午後8時20分頃、羽田空港行き急行電車(8両)と大型トレーラが衝突する事故が発生し、トレーラが無理に侵入して2、30m引きずられたと翌日の朝刊に出ておりました。
現場付近の第1京浜国道は、事故の起きた踏切のおよそ200m先に環8通りと平面交差しており、その環8通りを曲がると50m先には京急本線京急蒲田第5踏切がある(地図参照)という、都内屈指のワーストパターンの環境です。

 第1京浜国道の京急蒲田(空)第1踏切周辺

この京急蒲田第5踏切には、その1にも記述している環八通り先行立体交差高架化工事(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 蒲田駅付近(第5回)」参照)の高架橋に本線上りの単線ですが4月から開通予定です。
また、同時に第1京浜国道と環8通りの立体化工事も行われているのですが、まだ期間を要します。この工事が、もう少し早い時期に着工ができなかったのかと感じます。

第7工区高架工事進捗状況
京急蒲田(空)第1踏切脇の道路を進むと、1号機の工事機が設置されている周囲には立ち退き家屋の跡が見られます。

 1号機の工事機が設置されている周辺

空港線傍の新勝寺付近に進むと2号機の工事機が見られ、そこでは京急蒲田(空)第2踏切の西側では最初の高架橋が建設中です。
この踏切付近からの高架橋は、京急蒲田駅までを完成イメージ図に描かれているように、空港線の上り線路(南側線路)が2層3階まで登り坂となります。

 京急蒲田(空)第2踏切から西側方面の高架橋建設が始まる

京急蒲田(空)第2踏切東側方面の高架橋建設はかなり進行しており、同第3踏切までは、高架橋間の連絡橋も殆んど完成しています。

 京急蒲田(空)第2踏切から東側方面の高架橋建設を見る


 京急蒲田(空)第3踏切から西側方面の高架橋建設を見る

第3踏切東側方面を見た高架橋の建設は、途中まで進んでおりこれからです。

 第3踏切東側方面の高架橋の建設は途中まで進んでます

その先は、建設中途の高架橋が建てられていますが、これから先は糀谷駅構内と結ぶ高架橋が建設されます。

 ここから先は糀谷高架駅と結ぶ高架橋が建設されます

京急蒲田(空)第4踏切までは、空港線の上り線と下り線の線路の間に高架橋の脚柱が建てられております。

 京急蒲田(空)第4踏切付近ではまだ脚柱のみ

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第6回その1)

2008年02月20日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
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蒲田駅施設工事
高架化工事の京急蒲田駅では、2月8日金曜日に駅東口のエレベータ際1階に「京急蒲田駅付近連続立体交差事業情報コーナー」がオープンしました。この情報コーナー(「京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第2回)」参照)は、昨年12月1日まで使用していた駅東口ホーム跨線橋上にありましたが、高架駅舎建設のため跨線橋を除去した際に閉鎖されました。

また、この時に京急蒲田駅の西口は、暫定的に元上り線ホームの西口出口を使用(「大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 京急蒲田駅仮上り線ホーム移設(第4回その2)」参照)していましたが、2月24日日曜日から約15m移設した新西口が使用されます。
蒲田駅付近の高架化工事状況を見るため、2月13日に出かけてきました。

・情報コーナー
2月13日に蒲田駅東口に通じる地下通路の改札口を出ると、第1京浜国道に昇るエレベータが開通していましたので上がると、すぐ前が「京急蒲田駅付近連続立体交差事業情報コーナー」でした。


説明員の常駐はいなくて、前のコーナーより狭くなった感じです。展示物は、説明パネルが主体で京急蒲田駅付近連続立体交差の模型がなければ貧弱なコーナーです。歴史に残る工事と称しているのですから、出来れば多くの工事資料の展示が見られれば有難いことと思います。

                                地下10mから出てきた貝殻(拡大写真)

京急蒲田駅の高架はジョイントベンチャー4組の総合力
京急蒲田駅の高架化工事(イメージ再掲)は、京急本線が第3工区から第5工区の3ベンチャーと、京急空港線が第7工区の1ベンチャーの総合力を集めた、非常に大規模な工事です。
2月13日には、これらの工区の工事状況を見て回りました。


・第3工区
梅屋敷第4踏切(多摩堤通り踏切)北方で第2工区高架橋と、第3工区の2層3階の下り線および2階上り線とが接続されます。この工区の工事は、多摩堤通り踏切北側下り線側に、高架橋の橋脚柱がかなり以前から建てられております。
蒲田駅ホーム上の高架橋の建設は、上り線ホームが移設しホーム間の跨線橋が取り除かれたので、まだ2層の高架橋建設は進んでおりませんが、1層部分はピッチを上げて建設されているようです。

                   第3工区高架橋(拡大写真)

・第4工区

    第4工区高架橋の橋梁基礎図(図拡大)

第4工区の高架橋の橋梁の基礎図(高架駅断面イメージ図参照 鹿島建設出展)を見ると、西側の橋脚は元上り線ホーム上に建てられ、高架橋中央縦梁の橋脚は仮移設の上りホーム上に建てられておりますが、かなり太いもので国内最大級の杭打ちであるとベンチャーの鹿島建設が説明しています。

              国内最大級の杭打ちの橋脚(写真拡大)    

・第5工区
第5工区の高架橋の橋梁は、京急蒲田第2踏切の北側から始まり京急空港線横浜方面直通線路の東側に橋脚が建てられています。
2月13日には、環八通り先行立体交差高架化工事(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 蒲田駅付近(第5回)」参照)の高架橋には上り線の施設中の線路を、京急蒲田第2踏切で見られました。

                      環八通り先行立体交差高架橋に線路敷設(写真拡大)   

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第6回)

2008年02月18日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
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梅屋敷駅ホーム上の工事機械の移設
大森町駅付近の高架化工事第1工区では、2月13日に大森町駅ホーム上の基礎杭築造の第1工事機械が、南方向のホーム中央近辺にまで移設されました。
同日に、隣接の第2工区の梅屋敷駅付近の高架橋建設工事進行の模様を見てきました。


梅屋敷駅ホーム上の第1号工事機械もまた、前回見た位置(第5回参照)から北方に移設され、ホームの中央部へと現在は進んでおりました。大森町駅同様に、基礎杭築造が進められております。

 左ホーム上の工事機(1月14日撮影)     ホーム上の工事機(2月13日撮影)

梅屋敷駅第2工区の高架橋の構造
京急蒲田高架駅は、京急本線上下線と空港線が品川方面からと横浜方面から羽田空港駅へ直通運転の接続のため、本線上下線ホームと空港線ホームが2層3階建て構造の高架駅(イメージ図参照)となります。そのため、梅屋敷第4踏切(多摩堤通り踏切)付近から分担の第2工区の高架橋は、京急蒲田高架駅から2階層の3階建ての高架で接続します。


3階部の高架橋は、京急本線下り線と、それより分岐した品川方面からの羽田空港直通線の線路が京急蒲田駅と接続します。高架橋の2階部は、京急本線上り線と、羽田空港からの品川方面直通の線路と合流します。
第2工区3階建ての高架橋は、梅屋敷第3踏切付近まで進み、そこから高架橋は傾斜して下り始め梅屋敷第1踏切付近で京急本線上り線の高架橋2階部と並びます。

第2工区の高架橋の建設状況
3階建ての高架橋の建設は、梅屋敷第4踏切の第1高架橋(図①)から第5高架橋(図⑤)までは昨年のかなり早い時点で完了しておりますが、まだ高架橋間の連絡橋は出来上がっておりません。


続いて建設されたのは、梅屋敷第2踏切北側の第10高架橋(図⑩)で、京急本線下り線の3階部への登り架橋中間の高架橋の構造形態がはっきりと分かる高架橋部です。

 梅屋敷第2踏切から見た第10高架橋

現在、第10高架橋の北方の先に第2工事機械が設置されて、第11高架橋(図⑪)の橋脚の建設が進んでおります。

 第2号工事機により第11高架橋の建設が進む

さらに2月13日には、梅屋敷第2踏切南側の第8、9高架橋(図⑧、⑨)が建設中で、高架橋の架橋が進んでおります。

 梅屋敷第2踏切南側では第8、9高架橋の橋脚の建設が始まってます

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第14回)

2008年02月16日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2008

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大森町駅ホーム上工事機械の移設
大森町駅ホーム上に設置の工事機械の位置は、2月13日にホーム中央付近にまで南下して、大森町駅高架化ホーム建設の準備が進んでいることを窺わせます。
ホーム上に設置の工事機械の移動は、仮設ホームの板を外し、ホームの屋根を削り、電車架線の鉄柱を移設移動し、架線の張り替えなどの作業を終電車が過ぎてから始発電車までの間に行います。工事機械は、上部にクレーンを載せて相当の重量があり、4本の柱で支えたやや不安定に感じる構造で、移動のための仮設レール上を動かします。

1号工事機械位置移設前(2008.1.7撮影)    1号工事機械位置移設後(2008.2.13撮影)

工事機械の移設を見る
工事機械の移動は、深夜から明け方にかけて行いますので見ることができませんが、工事機械の移設前後には電車架線鉄柱の移動と架線の張り代えがあり、その変化を追ってみると工事機械の移設作業が単純ではないことがわかります。

2月13日の工事機械の移動では、上り線ホーム屋根の傍にある懸垂架線柱(工事機移設前写真2月2日撮影参照)が工事機械にかかるため、架線柱を同ホーム先端に移設(工事機移設後写真参照)されました。
京浜急行電鉄の高架化工事現場付近の架線は、架空電車線方式でトロリー線と吊り架線のシンプルな懸垂線タイプです。工事場付近では電線への接触防止のため、吊り架線と架線に沿って張られている饋電線には、絶縁性のチューブが巻いてあります。

 ホーム上の1号工事機

架線柱は、移動が容易にできる様に、一本柱の片腕支えの架線柱で上下線の2本の架線を張ってあります。また、架線柱は工事機械の移動に伴い移設を行いながら、電車線架線が張られますので、工事機械の天井下には吊り架線支持金具が設けられています。

  現在の工事機の位置と茶色部高架橋と連絡橋は完成した高架部を示す

高架化駅建設の準備に入る
2号工事機械により建設の第4番目の高架橋は、1月には柱と梁のみでしたが、2月13日には高架橋の形態に出来上がっていましたが、3番目の高架橋間の連絡橋は未完でした。

  高架橋建設工事中の2号工事機械

連絡橋が掛かると、2号工事機械も大森町駅ホーム上に移設され、大森町高架駅の工事が始められる様で、下り線ホームの塀や大森町第1踏切下り線路補修も行われ、近接の立ち退き住宅の取り壊しなどが見受けられます。

  工事中の第4高架橋

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大森町界隈あれこれ 二月の風物詩諏訪神社 氏神様の節分・初午・針供養風景

2008年02月14日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2008

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山谷の鎮守様諏訪神社
諏訪神社(大田区大森西2-23-6 地図参照)の創建は明らかでないが、1964年(昭和39年)には五百年祭が盛大に行われ、1936年(昭和11年)に村社に定められた、東京府下荏原郡大森村字山谷(東山谷:大森東二丁目、南山谷:大森西三丁目、北山谷:大森西二丁目)の鎮守様(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 諏訪神社その1」参照)です。

1938年(昭和13年)から大森町に住みついて山谷の鎮守様諏訪神社には、お祭りや神社にまつわる行事にはお参りするのが習わしで、子供や孫の七五三にはお祝いを行い、家族の無病息災を祈願しています。
2月の諏訪神社の行事には、節分のほかに初午、針供養が行われます。この古来のしきたりの祭りごとに、今年は鎮守様の諏訪神社で参加してきました。

節分
節分は、季節(立春・立夏・立秋・立冬)の始まりの前日のことで、特に江戸時代以後は立春の前日をさすことが多くなりました。今年は2月4日が立春で、節分は3日の日曜日に当たりました。
節分には、年男、年女により豆まきが行われますが、これは平安時代に中国から伝わった1年の最後の日に疫鬼を祓って新年を迎える宮中の行事の追儺の儀式からきたもので、立春を四季が一巡りした1年の最初の日であることから、その前日の節分は年の最後の日として都から鬼を追い厄を祓う豆まきが行われたと云われます。

今年は、大森町に住んで70年になり、年男を希望して豆まきに参加したのですが、当日は生憎と前夜からの雪のため豆まきはできずに、集まった人に手渡しで豆を授与しました。
諏訪神社の豆まきの行事は、豆まきを希望する37名の年男・年女を午後3時から3回に分けて行われました。


当日の年男の順番は、1組となりましたので午後3時前に社務所で羽織袴を付けて本殿に上がり、神官が祝詞を奉じた後で代表に合わせて2礼2拍手1礼をして御祭神にお詣りし、次に神官から授けられた一握りの豆を、「福は内」と唱え御祭神の内に2回捲いてから、外に「鬼は外」を唱え1回捲きます。儀式を終えてから、当日は悪天のため本殿内で御簾を下ろして記念写真を撮り、豆まきの準備は完了です。


雪のため豆が撒けないので、諏訪会館横で並んで待っている人に豆、お菓子などが入っている袋を手渡しで授与しました。写真は、2007年の豆まき風景(「大森町界隈あれこれ 大森町風景・風物詩 諏訪神社節分」参照)です。

           2007年豆まき風景

豆まきが済んでから、諏訪会館内で年男・年女一同が席に付き、食会(なおらい)で乾杯し今年は良い年であることを願って歓談します。帰りには、除禍招福祈祷守護のお札とお土産を頂戴して節分の儀式は終了です。

初午と針供養
・初午
今年の初午は、2月の12日ですが、やはり天気が悪く雨に祟られましたが、午後3時から開始の諏訪神社に見に行ってきました。
初午は、2月の最初の午の日の稲荷社の縁日で、稲荷本社の京都伏見稲荷の神が降りたのがこの日であったとされ、全国の稲荷社で祀りの行事が行われます。
初午の行事は、農耕を司る倉稲魂神(うがのみたまのかみ~宇迦之御霊神とも表記)を祀って五穀豊穣や福徳を祈願する稲荷信仰です。

昔の諏訪神社の周辺は、田圃と畑の農村でしたので、豊作を祈る農家の信仰が厚かったので、諏訪神社の境内に末社の稲荷様を祀られたのでしょう。
午後3時には、神社役員やお参りに来た人が諏訪会館に集まり、神主さんの先導でお稲荷さまで祝詞を挙げて儀式を行います。代表に合わせて参詣します。


初午の俗信に、4月初めの巳の日の菜の花祭りの夜と初午の何れかに雨が降らないと火に祟られるとか、初午の早い年は火事が多いとか云われますが、今年は雨が降り12日の最も遅い日が初午ですので、良い年に恵まれることが期待できるかも知れません。


・針供養
諏訪神社には、内川沿いに金山神社(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 諏訪神社その2」参照)という金山彦大神(カナヤマヒコノオオカミ)を祀った境外の別社があります。
針供養は、折れた縫い針を供養し淡島神社に収める行事で、2月8日に行われるのが一般ですが、諏訪神社では、初午の行事に合わせて2月12日に金山神社で針供養が営なまわれます。
昔は針仕事が女性にとっての重要な仕事でしたので、折れた針を供養して普段固いものばかり刺しているので、やわらかいコンニャクや豆腐に刺して休ませて、裁縫の上達をお祈りしたのです。

    針供養(写真拡大)

金山神社(地図参照)での針供養は、稲荷社の初午祭を済ませてから、神主さんと神社役員や針供養をする女性が参列して豆腐に針を刺して神殿に捧げ、祝詞を挙げて供養をして代表に合わせあて参拝します。

初午と針供養の儀式の後、15時30分から一般参詣者にお菓子が配られます。今年は雨模様のため、例年に比べて参詣者が少ない様でした。

穴八幡神社一陽来復御守のお祭り
江戸時代の元禄年間から穴八幡宮に伝来する一陽来復御守の祭り方(「風景・風物詩 初詣風物詩 穴八幡神社と放生寺 その2」参照)は、冬至、大晦日または節分の午前0時に、恵方の巳午(真南から少し東)方向にお守りの文字を向けて、反対の子亥(北)側の柱か壁の高いところに、糊を付けて貼らないとご利益が授からないと云われております。1月5日の初詣りで戴いてきた御守を、諏訪神社の節分の日に家の北側の壁に貼りお祭りしました。今年は、無病息災でいられることを願っております。


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イベント 映画観賞 映画で見る昭和30年代の庶民生活

2008年02月12日 | イベント
kan-haru blog 2008

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映画から昭和の庶民生活を知る
このところ、昭和の時代を描いた大作映画が続いて登場しております。
何れの映画も一般の庶民が登場する「家族」もので、舞台にヒーローや目的のある筋書きが無く、その時代の一庶民の普通の生活を描いた物語です。

昭和の世界大戦を知る
前回記述ブログの「母べえ」は、黒沢映画で長年活躍した作者の野上照代さんが、両親への鎮魂を込めて綴ったノンフィクションで、1940、41年(昭和15、16年)の世界大戦の忌まわしい時代に、拘置所内の父と留守家族との書簡を基に描かれた、1984年に応募した「女性ヒューマン・ドキュメンタリー」の入賞作品です。映画での最後の場面は、唯一のフィクションがあると著者が述べておりますが、両親は何も恵まれること無くこの世を去り、あの時代の一般庶民は皆が夢も希望も持てない生活をおくったのです。
この映画の時代を過ごした者にとっては、物語が語っている悲しみを通り越して、あの戦争の過ちのを二度と繰り返してはならないとの印象を強く受けます。「母べえ」の山田監督は、「このホームドラマを通して、あの恐ろしい太平洋戦争を描きたかったんだ。」と言っております。愚かで悲惨な戦争を、現代の世代に語り継がれることを望みます。

昭和30年代の生活を知る
昨年11月に封切りされた「ALWAYS 続・三丁目の夕日」は、2005年公開の前作「ALWAYS 三丁目の夕日」が1955年(昭和30年)の東京タワーが建ち始めた時代の、夕日町三丁目をCGにより当時の街を忠実に再現した舞台で、一般庶民の生活振りを描いた物語の続編です。


ALWAYS 三丁目の夕日の時代
「ALWAYS 三丁目の夕日」の原作は、31年間に亘り連載が続く西岸良平著のコミック「三丁目の夕日」を山崎貴監督が脚本執筆したものです。
物語は、青森県から集団就職で鈴木オートに、星野六子がやって来たところから始まります。

当時世界一の東京タワーが完成したのは1958年(昭和33年)で、僅か15か月でエッフェル塔の約半分の鋼重量で完成し、鈴木オートにもテレビがやってきました。
焼け野原から13年で世界一のタワーを作ろうという、当時の日本人の気概は凄いもので、希望の持てる時代でした。

当時の私は、1956年(昭和31年)に大学を卒業して就職難の中、中小企業に就職して安給料に甘んじながら、日曜の休日出勤、長時間残業の勤務をしていましたが、当時は当たり前のこととして仕事をこなしておりました。

ALWAYS続・三丁目の夕日の昭和34年
前作から4年後の続・三丁目の夕日が始まる1959年(昭和34年)は、戦後のどん底から僅か10数年で日本が復興して、当時の庶民はまだ物が豊富ではありませんが、明日への希望を大きく持つことができて、心の豊かさを感じながら生活を送れた時代でした。
前作を見て、CGによる夕日町三丁目の当時の街の時代再現の技術力に感激して、続編を昨年の11月21日に鑑賞しました。

1959年(昭和34年)の日本は、4月に皇太子殿下ご成婚され、各社のテレビが総力で中継して受信契約が200万を突破し、東海道新幹線の起工式が行われました。また、5月には1964年のオリンピックの開催地が東京に決定し、それまでに路面電車の廃止を決めました。しかし、当時の日本人の平均寿命は、男65歳、女69.6歳でした。

続・三丁目の夕日の物語の昭和34年は、日本の高度成長期に入る前の時代で、舞台に出てくる日本橋はまだ高速道路が橋上に被さっておらず、子供達は空き地でベーゴマ遊びをし、アイスキャンデー売りに群がった時代で、テレビもどこの家には無く最初に購入したお店に皆で見に行きました。この時代の庶民の結びつきは強く、心が豊かな時代でした。

・昭和30年代物語~街角のたばこ屋さんをさがして~特別展


たばこと塩の博物館(東京都渋谷区神南1-16-8)では、2007年9月15日から11月11日まで特別展「昭和30年代物語~街角のたばこ屋さんをさがして~」を「ALWAYS続・三丁目の夕日」製作委員会の協力で開催されました。10月21日に見てきました。


・懐かしの昭和30年代 ALWAYS続・三丁目の夕日展


日本橋三越本店新館7階ギャラリー(東京都中央区日本橋室町1-4-1)で、2007年11月20日から25日まで「懐かしの昭和30年代 ALWAYS続・三丁目の夕日」展が開催されました。11月22日に見てきました。


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イベント 映画「母べえ」大森町に住み始めた時代の激動の世界大戦を生きた家族の物語

2008年02月09日 | イベント
kan-haru blog 2008

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母べえ
山田洋次監督が激動の世界大戦を生きた家族を描く映画「母(かあ)べえ」は、夫の滋が治安維持法違反で検挙され、戦争反対の信念を曲げない夫を尊敬し信頼し、吉永小百合が演じる母役の佳代が、残された二人の娘たちと精いっぱいに家計を支えながらつつましく生きていく物語です。
年に数度程度見る映画の中で、我々と同世代を生きた「母べえ」は是非見たい映画であり、京急川崎駅前のDICE - TOHOシネマズ川崎に2月5日に観に行ってきました。

物語は1940年(昭和15年)から1941年(昭和16年)に、日本が太平洋戦争へと歩みを進めていく時代の東京が舞台で、批判して戦争反対を唱えると罪となり先が見えない暗い時代でありました。無知な軍部偽政者が指導の無謀な戦争で、悲惨な目にあわせられた一般国民が意見も唱えられず、ただ人と人の絆を頼りに深刻な食糧難や物資不足を何とか耐えて生き抜いた悲しい時代のノンフィクションです。


次の6行はネタバレの記事です。これから映画を観賞される方は読み飛ばして先に進んでください。
映画は、人間扱いされない獄中の「父べえ」と留守家族の間で手紙のやり取りで結ばれていた絆も、体重が3貫目(12kg)も痩せ衰えての獄中死の無言の帰宅で夢が消えました。また、留守家族の家庭を助けるため「母べえ」一家に身を寄せていた義理の妹も広島で原爆の犠牲に遭い、「父べえ」の元教え子の山崎が男手のない一家を何かと面倒を見ていたが、赤紙で召集され戦地への輸送船の爆沈で戦死するという、国民が戦争の犠牲を負い、悲惨さを訴えて戦争反対を示せない悲しさ、当時の理不尽なあの時代を生きた人間の何とも言えない暗い物語です。

母べえ - goo 映画

この物語の出演者は、「母べえ」役の吉永小百合は我々が若き世代に憧れの女優であり、私の母と同世代を演じた昭和の母は全く完璧です。二人の娘を演じた子役の演技も素晴らしいもので、妹役の「照べえ」は丁度小学生であったあの時代の私と同世代でした。
「父べえ」役の坂東三津五郎は、私の父と同世代の家族を愛し戦争反対を毅然と貫いた優しい父親役を熟し、脇役の義理の妹役の檀れい、元教え子役の浅野忠信なども好演でした。


戦争を語る
出演者の好演の演技力に引き込まれるより、実際に同世代を過ごした者にとっては、当時の悪夢の時代に引き戻され、映写の間中とても暗い感じに陥りました。
世界大戦を思い出すと、戦争は二度と繰り返してはならないと強く感じます。そして、戦争の悲惨さを次の世代に語り継いでいかなければならないと思います。

このブログでも、父の職場の同僚である若山武義氏の手記「大森町界隈あれこれ 空襲編手記 目次第1編2編3編」(完結)で残酷な東京大空襲の戦災を語り、同じく「大森町界隈あれこれ 戦後史編 目次」(連載中)で終戦翌年の悲惨な耐乏時代を語っております。
しかし、ブログで語っても、目に留まった人以外には一方通行で伝わりません。このブログを見て、二度と戦争を繰り返してはならないとご賛同の方は、戦争を語っている手記があるとご紹介頂きたく願います。

3月10日東京大空襲
1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲では、台東区、墨田区、江東区の一帯で一夜で10万人が犠牲となる戦災に遭いました。毎年、この地域の各地で、戦災の法要が営まれ、東京空襲に関するイベントの資料展や戦争を語り継ぐ催し(「イベント あれから62年「東京大空襲を語り継ぐ集い」 」参照)などが開催されます。
今年も、既に台東区の浅草公会堂で開催の被災63周年「東京大空襲資料展」(東京大空襲犠牲者追悼・記念資料展実行委員会主催)3月8~11日開催と、江東区の亀戸カメリアホールでの「東京大空襲を語り継ぐ集い」(東京大空襲・戦災資料センター実行委員会主催) 3月8日開催が行われますのでご案内致します。


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大森町界隈あれこれ 内川風景 大森町を流れる昭和の面影 第2回

2008年02月07日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2008

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内川のルーツ
開桜小学校前を一直線に流れている内川は、前回その1に紹介の通りで私の父の転勤により、1939年(昭和14年)から大森町に住むことになり、諏訪神社に隣接した日新幼稚園の行き帰りに川沿いの道路を歩いたのが内川との出会い(地図再掲)でした。
その時に、内川の直線の川を見て、幼いながら何でまっすぐな川なのかと不思議に思ったのです。この時から、70年近くもの間わが大森町での生活に溶け込んだ内川で歴史が長い川ですが、残念ながら川についての記録が大変と少なく殆ど見当たりません。

東京府武蔵国荏原郡大森村地図(陸軍省参謀本部測量明治14年第5月期測量)の復刻版(日本地図センター発行)地図(PDF地図版)を見ると、内川の源流は内川橋から上流に向かって左に折れ南下して、現在の大森町商店街通りの北側付近で右折して西に向かっています。本流は東邦医大通りの先付近で北上して、現在の内川を弦とした弓なり状に流れ、大田区北馬込付近の水源に達しています。本流の他2本の支流があり、1本は市野倉方面から、他の支流は池上方面の呑川から流れているのが見られます。

      東京府武蔵国荏原郡大森村地図から昔の内川の流れを再現

内川の語源は、「大田の史話その2」(東京都大田区 大田区史編纂委員1988年発行)によると、斎藤幸考の江戸近郊遊覧見聞記の1816年(文化13年)の条に、里人は川を苗川と云い、橋を苗川橋と呼び、この上流で稲の苗を洗ったと説明したとあり、江戸時代後期までは苗川と云い習わしてきた様であると記載されています。ナエカワが内川(ナイカワ)の語源として正しいかどうか、今この川をウチカワと称しているのはどうしたわけであろうと記載されてます。

江戸時代には、内川に架かっている旧東海道(三原通り)の内川橋付近は、品川と川崎の宿場の中間に当たり、江戸時代の東海道の旅人が休んだり、馬や籠かきが交代する「間の宿(あいのしゅく)」(「「大森町界隈あれこれ 大森町風景 旧東海道(三原通り) その1」参照)があり、休息の茶店や土産物などのお店が沢山ありました。
明治時代の大森村は一面が田んぼや畑で、沿岸が海苔の養殖に適しており、農漁村を生活の糧とした寒村でした。

内川に関する資料
前回紹介した地元の開桜小学校では、眼前を流れる内川の歴史と地域社会の生活についての社会科副読本“開校5周年記念誌「わたしたちの郷土」(平成18年度)”を、平成19年3月に発行しました。
これには、 平成14年に大森第2小学校と第6小学校が統合され、 開桜小学校開校5周年を記念して地域教育連絡協議会が母体で、1982年(昭和57年)に大森第2小学校4年2組の父母と担任の小滝先生方が作られた「わたしたちの内川」を基にし、加筆編集した郷土の内川の貴重な104ページの資料としてまとめられた副読本で、地元大森町町会住民にも広く頒布されました。

     「大森町のむかしと今」(1969年発刊)

もう一つ別の内川の資料として、同じく大森第2小学校が編集した1969年(昭和44年)発刊の「大森町のむかしと今」(大森地区七校社会科研究部)という学習資料があります。
これは、当時子供が小学3年生の時に発刊されたもので、その内容には大森町の昔と今についてまとめたもので内川に関する資料もかなり掲載されております。この資料発行当時の今と云うのは、約40年前のことであり、その時代の情報自体も現在では貴重な資料となっています。

                     現在の内川橋

・内川物語

                        内川下流

現在、内川沿いでは、開桜小学校前や下流の内川橋から新橋の間で護岸工事が進められており、昨年4月には内川河口に大森ふるさとの浜辺公園がオープンして内川の姿も大分変わってきておりますので、これから大森町界隈あれこれの風景・風物の記録のシリーズに、上記の貴重な資料や、その他足で集める情報などにより「内川風景」を内川物語として記載して行きます。

              内川河口の「大森ふるさとの浜辺公園」

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第13回)

2008年02月05日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2008

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平和島高架駅接続部分の高架化工事
大森町駅付近第1区の高架化工事区間は、1970年(昭和45年)に新馬場駅~平和島駅間の高架化が完成した高架部の環七通りを跨ぐガードからがスタート点となります。ガードを渡るとそこから下り勾配となり、平和島第5踏切手前で地上に降りる現在の傾斜の高架橋を、新たな高架化に変える高架橋の建設となります。

今まで区間は、平地上を運転中の線路上の高架化工事の状況を記述してきましたが、この区間の傾斜部を運転中の線路上に高架橋を建設するには、高架橋路の脇に仮の傾斜路を設けることが必要となり、地上の高架化工事とは異なる工事となります。
既に、この区間の工事も進行しており、工事作業の状況を1月22日に見てきました。

平和島駅と第5踏切間の工事
平和島駅高架部と地上の平和島第5踏切間の高架化工事(地図参照)は、その途中に内川が流れており内川橋梁が架かっています。この橋梁は、平和島駅が高架化になるまでは地上に架かり、内川の両岸の道路とは踏切で通じていました。高架化により、橋梁が地上から1m程度高くなったため、内川の両岸の道路の踏切は使えなくなり、橋梁の下を堀ってやっと人間が通れる様にし、車両は通行禁止の通路となりました。

   内川橋梁の下の北岸と南岸通路は掘り下げて人と自転車のみ通行ができる

この部分の高架化工事のために必要な仮傾斜路のスペースは、都市高速鉄道京浜急行電鉄本線付属街路第1号線の道路新設により、京浜急行本線の西側に沿って平和島第5踏切から内川南岸までを幅員が6mの道路が施設されますので、一時的にその道路のスペースが利用できます。
仮傾斜路の先の内川には、臨時の橋梁を架けて高架化工事を進展して行くことになります。

・平和島第5踏切から内川南岸付近
平和島第5踏切の北方の本線線路西側では、本線付属街路第1号線道路用地として、一般住宅の取り壊しが済み、マンションでは立ち退きの準備が行われております。マンションの北側の住宅地は、既に立ち退きが終了しています。

               本線付属街路第1号線道路用地の立ち退き

・内川橋梁付近
現在の内川橋梁は、1970年(昭和45年)に架設された鉄橋で、内川とその右岸・左岸の道路を傾斜して跨いでおりますが、鉄橋の高さが低いため地上通路を掘りこんで人と自転車を潜らせて通行させています。このため、高架橋建設には仮鉄橋を並行して架設することになりますが、内川両岸の仮鉄橋を潜る道路の対処はどのようにするのか問題です。

                  1970年架設の内川橋梁

・内川北岸から環七通りガードまで
内川北岸から平和島高架駅を結ぶ傾斜坂の高架橋をすげ替え、高架化にするため工事が進められていますが、工事場所の高架橋下部は柵で塞がれていたり、塀で覆われており、また高架橋の壁の外側には布幕が張られたりで、工事状況が見らませんので、周囲の見える個所から工事状況を窺ってきました。
高架橋の壁の一部は、削り取られた部分が見られますが、仮上り線の高架橋の橋脚の場所と思われます。

           車両通行止めの内川北岸道路付近の高架化工事

大森西2丁目30番のガード付近の工事では、時折ガード下の車両の通行止めをして工事が行われています。
また、内川北の線路脇の道路は、現在車両通行止め(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第11回その2)」参照)となっています。

               大森西2丁目ガード付近の高架化工事

平和島に近い傾斜の高架橋の下では、工事機械を使用して高架化の基礎工事が行われています。

              内川~環七中間点付近の高架化工事

平和島環七通りガード付近では、仮傾斜線路の高架橋架設の準備が進められております。

             平和島環七通りガード付近の高架化工事

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大森町界隈あれこれ 内川風景 大森町を流れる昭和の面影 その1

2008年02月03日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2008

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現在の内川
現在の内川は、JR東海道線の東から開桜小学校前を流れ、旧東海道の内川橋を通って「ふるさと浜辺公園」(「大森町界隈あれこれ 大森町風景 オープンの大森ふるさとの浜辺公園」参照)の河口までの約1.5kmを東京湾に流れる二級水系の短い川です。
1976年頃に暗渠化される以前には、JRガード下から先に上流があり、大田区北馬込付近の水源から流れていた河川でした。

ここ数年前から内川には、親子連れの鴨が10数羽も住み着き、川の水がきれいになったので、人工河川にも自然が寄り着いて貰え、70年住んでいる大森町には癒しの素敵なプレゼントでうれしいことです。川渕をジョギングする愛好家には、大変な人気となっております。
また、開桜小学校では、開校5周年記念誌「わたしたちの郷土」(平成18年度)で、内川の特集号が発刊されましたので、これからブログでも内川物語をまとめて行きます。
わたしたちの郷土で関心を持った有志の計画で、旧内川暗渠部を「旧内川を親子で歩こう」の催しが2月3日に行われる予定でしたが、生憎と東京は朝からの雪で中止となりました。


 開桜小学校開校5周年記念誌           旧内川を親子で歩こう会

内川と日常生活

       内川は大森町中央を東西に一直線に流れる昭和の面影の川

・戦前
内川との出会いは、1939年(昭和14年)に父の転勤により大森町に居住して、幼稚園に通園した時に、内川沿いの道を毎日通ったのが始めて見た内川で、子供心にも何故かずいぶんと真っ直ぐな川であるなとの印象を持ちました。
通園の幼稚園は、日新幼稚園で当時の氏神様であった諏訪神社南側の並び(地図③参照)にあり、産業道路際の戦前の居宅(地図①参照)にありました。そこからの通園路は、内川北岸沿いの大森第2(現開桜)小学校前の道路で川景色を見ながら通いました。
新年やお祭りの際の氏神様のへの参拝(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 諏訪神社その3 戦時中のうら悲しいちょっとハメを外した樽神輿」参照)では、内川の風景を見ながら往復します。

               1939年(昭和14年)に通園した日新幼稚園

・終戦直後
世界大戦時(「大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次 1/3~3/3」参照)は、大森第1国民学校生(小学生)であり、戦時体制が厳しくなり一時は縁故疎開となり、終戦とともに焼け野原の大森町に帰京して、住居難のため内川河口にあった父の会社事務所跡の雑居住宅で臨時仮住まい(地図②参照)(「大森町界隈あれこれ 昭和戦後史 第1編 太平洋戦争の終結 第6回」参照)となりました。
終戦直後は大変な食糧難で、内川河口の堆積したヘドロで餌のゴカイを取りハゼ釣りや貝を掘って食糧の足しにしてたのです。

疎開から帰京後は、国民学校6年生で大森第1国民学校は戦災で焼失のため、美原通り北の焼け残った大森第5国民学校での居候校舎の授業で卒業しました。仮住まいの住居からの通学路は、当時あった東京ガス大森工場横を通り、内川に架かる「新橋」を渡り、川に並行した道を内川橋付近で美原通り南に出て、美原通り北まで通いました。

当時内川に架かる「新橋」付近は、魚や貝を採る漁業生計者が多く、終戦直後はアサリ、ハマグリ、トリ貝や青やぎなど沢山採れて、この辺りでは貝の殻を剥く剥き身屋さんが多く約100軒もあり、何時も貝殻山ができていました。
しかし、この辺りの終戦直後ののり養殖業は、まだ3~4軒が見られる程度でした。戦前からののり養殖産地は、旧呑川沿いの大森東と大森南の地域で盛んに生産されておりました。

・学校生活と内川
大森町の中央を東西にほぼ直線で横断して流れる内川の川縁に、開桜(大森第2)小学校、大森第8中学校と大森学園高等学校があります。
大森第1小学校を卒業して、森が崎の焼け残り工場が校舎の旧制大森工業学校に入り、学生改革により新制の大森工業高等学校より内川縁りの現校舎で、毎日内川を見ながら学び(「大森町界隈あれこれ 大森町学びや もりこう会の集い(その1~4)」参照)ました。

また、子供たちも内川縁の小学校と中学に通い、親子して内川の懐のもとで学校生活を過ごした、大森町昭和の流れの内川は想い出深いものがあります。

  開桜(元大森第2)小学校    大森第8中学校      大森学園高等学校

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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 2月INDEX

2008年02月01日 | INDEX
kan-haru blog 2008

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ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その1)  2007年1月30日 更新
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 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年!
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)
      付 東京大空襲 ~あれから61年~
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1編総目次
  3-2 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第2編総目次
  3-3 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第3編総目次
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第11回その1) 1月5日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第11回その2) 1月7日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第5回)  1月19日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 雑色駅付近(第1回)  1月23日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 蒲田駅付近(第5回)  1月29日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第12回)  1月31日
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
 9 大森町界隈あれこれ イベント
 ■ 大森町界隈の風景 大森町駅付近の正月年始風景 1月3日
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
 ■ 風景・風物詩 初詣風物詩 穴八幡神社と放生寺 その1 1月9日
 ■ 風景・風物詩 初詣風物詩 穴八幡神社と放生寺 その2 1月11日
 ■ 風景・風物詩 初詣風物詩 穴八幡神社と放生寺 その3 1月13日
 ■ 風景・風物詩 初詣風物詩 川崎大師平間寺2008 1月21日
22 小さな旅 総目次
23 旅ものがたり 総目次
24 秋葉原界隈 総目次
25 イベント 総目次
 ■ イベント 国立科学博物館 大ロボット博~からくりから最新ロボットまで~ その1
   1月25日
 ■ イベント 国立科学博物館 大ロボット博~からくりから最新ロボットまで~ その2
   1月27日
26 ITと技術 総目次
 ■ ITと技術 ロボット大国日本 「今年のロボット」2007 その1 1月15日
 ■ ITと技術 ロボット大国日本 「今年のロボット」2007 その2 1月17日
27 Weblog 総目次

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