
kan-haru blog 2008
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「桜芥子図襖」特別公開
3月4日から23日の期間限定で、「川端龍子名作展~龍子が描いた神仏~」を開催中の龍子記念館に於いて「桜芥子図襖(さくらけしずふすま) 」の特別公開が行われましたので、最終日の23日に見に行き、記念館と道を挟んだ場所にある住居とアトリエがあった龍子公園を見学しました。
龍子記念館は撮影禁止ですので、大田区文化振興協会の公開資料から「桜芥子図襖(さくらけしずふすま)」特別公開の一端を垣間見で紹介します。
・桜芥子図襖
桜芥子図襖は、もと川端龍子の旧宅にあった持仏堂と仏間の仕切りにありました。その持仏堂には亡くなった妻子の菩提を弔うために、「十一面観音菩薩像」(奈良時代)と、左右に「毘沙門天像」「不動明王像」(平安時代)を安置し、この仏像郡守るように「桜芥子図襖」が存在していました。
桜芥子図襖は、17世紀前半に活躍した琳派の画家俵屋宗達の率いる工房で生み出された「伊年」印が記され、最高品の一つであり、襖四面の上半部に広がる満開の桜を位置し、下半分には紅白の芥子、野アザミ、スミレ、ワラビ、タンポポ、土筆、ユキノシタ、紫蘭などの野山の草々が描かれています。
襖の引き手は、龍子がデザインした「花」「鳥」「風」「月」があしらわれたものです。

桜芥子図襖(龍子記念館Webページから)
・川端龍子が描いた神仏
龍子の略歴は、1885年(明治18年)和歌山市に生まれ、1904年(明治37年)に洋画を学び、1913年(大正2年)渡米し帰国後日本画に転向し、翌々年に日本美術院展で初入選、1920年(大正9年)新井宿に住居、画室を新築、1966年(昭和41年)80歳で死去。
龍子は守り本尊が「不動明王」であったことから、神仏画を描くようになり、宗教画が多く残されてます。描かれた様々な神仏の姿や各巡礼先を取材した作品群からは、他にはない龍子独自の世界を見る者に感じさせ絶賛されました。
記念館では、龍子が描いた神仏展を1月4日から5月6日まで開催しております。
・龍子記念館
大田区立龍子記念館(大田区中央4-2-1 地図、航空写真参照)は、1963年(昭和38年)川端龍子画伯の喜寿の記念に画伯自身の発意と設計によって設立されました。画伯の没後は社団法人青龍社によって運営されてきましたが、平成2年12月青龍社の解散に伴って、記念館と所蔵作品等が大田区に寄贈されました。
龍子記念館には、JR大森駅山王口より東急バス4番「荏原町駅入口」行に乗車して、「臼田坂下」で下車し龍子記念館入口交差点を左折して徒歩2分です。

画伯自身の発意と設計により造られた龍子記念館
龍子が設計した記念館の建物は、水害時の浸水を恐れてあぜくら造りのように高床式に造られています。

記念館の建物は高床式の建築
記念館の中庭には、中央の大きな石の割れ目に植えられた庭木を中心に、周囲には季節に応じた草花が芽吹き、記念館の窓に屋根上の龍の姿を映しだしているのが特徴です。

記念館建物に囲まれた中庭 四季の草花が芽吹く中庭 龍の姿を映す窓が特徴
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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(4月分掲載Indexへ)
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「桜芥子図襖」特別公開
3月4日から23日の期間限定で、「川端龍子名作展~龍子が描いた神仏~」を開催中の龍子記念館に於いて「桜芥子図襖(さくらけしずふすま) 」の特別公開が行われましたので、最終日の23日に見に行き、記念館と道を挟んだ場所にある住居とアトリエがあった龍子公園を見学しました。
龍子記念館は撮影禁止ですので、大田区文化振興協会の公開資料から「桜芥子図襖(さくらけしずふすま)」特別公開の一端を垣間見で紹介します。
・桜芥子図襖
桜芥子図襖は、もと川端龍子の旧宅にあった持仏堂と仏間の仕切りにありました。その持仏堂には亡くなった妻子の菩提を弔うために、「十一面観音菩薩像」(奈良時代)と、左右に「毘沙門天像」「不動明王像」(平安時代)を安置し、この仏像郡守るように「桜芥子図襖」が存在していました。
桜芥子図襖は、17世紀前半に活躍した琳派の画家俵屋宗達の率いる工房で生み出された「伊年」印が記され、最高品の一つであり、襖四面の上半部に広がる満開の桜を位置し、下半分には紅白の芥子、野アザミ、スミレ、ワラビ、タンポポ、土筆、ユキノシタ、紫蘭などの野山の草々が描かれています。
襖の引き手は、龍子がデザインした「花」「鳥」「風」「月」があしらわれたものです。

桜芥子図襖(龍子記念館Webページから)
・川端龍子が描いた神仏
龍子の略歴は、1885年(明治18年)和歌山市に生まれ、1904年(明治37年)に洋画を学び、1913年(大正2年)渡米し帰国後日本画に転向し、翌々年に日本美術院展で初入選、1920年(大正9年)新井宿に住居、画室を新築、1966年(昭和41年)80歳で死去。
龍子は守り本尊が「不動明王」であったことから、神仏画を描くようになり、宗教画が多く残されてます。描かれた様々な神仏の姿や各巡礼先を取材した作品群からは、他にはない龍子独自の世界を見る者に感じさせ絶賛されました。
記念館では、龍子が描いた神仏展を1月4日から5月6日まで開催しております。
・龍子記念館
大田区立龍子記念館(大田区中央4-2-1 地図、航空写真参照)は、1963年(昭和38年)川端龍子画伯の喜寿の記念に画伯自身の発意と設計によって設立されました。画伯の没後は社団法人青龍社によって運営されてきましたが、平成2年12月青龍社の解散に伴って、記念館と所蔵作品等が大田区に寄贈されました。
龍子記念館には、JR大森駅山王口より東急バス4番「荏原町駅入口」行に乗車して、「臼田坂下」で下車し龍子記念館入口交差点を左折して徒歩2分です。

画伯自身の発意と設計により造られた龍子記念館
龍子が設計した記念館の建物は、水害時の浸水を恐れてあぜくら造りのように高床式に造られています。

記念館の建物は高床式の建築
記念館の中庭には、中央の大きな石の割れ目に植えられた庭木を中心に、周囲には季節に応じた草花が芽吹き、記念館の窓に屋根上の龍の姿を映しだしているのが特徴です。

記念館建物に囲まれた中庭 四季の草花が芽吹く中庭 龍の姿を映す窓が特徴
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