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kan-haruの日記

イベント 大戦前は山手随一の盛り場神楽坂 花街風情の粋な三味の音と唄を肴に異業種交流会の忘年会

2012年12月31日 | イベント

kan-haru blog 2012 三味線ライブ 更新動画を追加Ⅱ版2014.8.7   

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H11メトロの忘年会
今年の異業種交流会H11メトロの忘年会は、江戸時代に「牛込花街」として開かれ、明治以降に「山の手一のにぎわい」として発展した、歴史ある神楽坂の本多横町を入って直ぐの「味扇」本店で12月12日午後6時から開催しました。

 粋な黒塀の街神楽坂周辺地図(地図拡大図)

神楽坂の歴史
神楽坂の江戸時代の古地図(見方参照)を見ると、現在地図の神楽坂通り、神楽坂仲通り、本多横町や軽子坂の通りが見られ、毘沙門天善国寺、行元寺が表示されています。

・神楽坂の江戸時代の古地図見方
(1) 日経BP古地図 日経BP > L-Cruise > 特集:大人の江戸散歩>14 神楽坂の今と昔―古地図で歩く東京 のページ内の江戸絵図(1859年)頃の神楽坂画像←をクリック
(2) goo古地図 地図 > 古地図 > 江戸(切絵図)一覧 > 12-1小石川公園・飯田橋駅周辺の礫川牛込小日向-1画像←をクリック


江戸時代、大老坂井忠勝が坂上の矢来町に屋敷を構えた1628年(寛永5年)頃、坂下には江戸城の外濠である牛込見附が完成して、坂上と坂下を結ぶ大老登城道が造られ、その沿道は武家屋敷として地割りされ、これがほぼ現在の「神楽坂通り」です。当時の坂は「坂道」ではなく、「階段」でした。

 江戸名所図絵神楽坂

毘沙門天善国寺は、1595年(文禄4年)麹町6丁目で創建されて、1792年(寛政4年)火災にあい現在地に移転してきて、「神楽坂の毘沙門様」として江戸時代から信仰を集め、親しまれてきました。本堂の隣が毘沙門堂で「山手七福神」、江戸3毘沙門の一つです。

 毘沙門天善国寺(街画ガイド神楽坂・飯田橋駅周辺から)

今のような坂道になったのは明治時代に入り武家屋敷が撤去され、神楽坂が町人の街になった後の、1877年(明治10年)頃のことです。当時の神楽坂は、硯友社の文人尾崎紅葉、山田美妙、広津柳浪らの面々がよく花柳界に姿を見せ活動する場であり、早稲田大学の学生らの町でありました。
1895年(明治28年)に、甲武鉄道牛込停車場の開設をきっかけに、神楽坂周辺は商店街や住宅地として急速に発展し、百貨店も軒を連ね、明治時代後期には牛込区第一の繁華街となりました(明治期の神楽坂 新宿区観光協会から)。
大正時代には花街として栄え、裏通りに入ると今もその面影を残し、芸者の歩く姿も見られ、住宅街と料亭・レストランが渾然一体と化しており、生活感と趣のある町並みが情緒を感じさせています。1923年(大正12年)の関東大震災では、高台にあった町は無傷で残りました。大正から昭和の初期にかけて新しい東京の盛り場として賑わい、「山の手銀座」と呼ばれました。善国寺周辺は、縁日の夜店が人気で、東京における夜店の元祖でありました。昭和に入り、神楽坂は花柳界の最盛期を迎えます。新旧2軒の見番があり、料亭が166軒、600人を超える芸妓さんがいたようで、その花街の活気は「芸者新道」という通りでした。1935年(昭和10)年代までは東京随一の繁華街でした。その後、渋谷、新宿、池袋がターミナル化して神楽坂は、繁華街としては地盤沈下しました。

 神楽坂通り今昔(左:昭和初期の神楽坂、右:2006年頃の神楽坂←クリックすると拡大します。東京理科大学報第161号から)

1945年(昭和20年)の東京大空襲により、神楽坂の町は全焼しましたが、東京物理学校(東京理科大学の前身)は空襲で、学生が体を張って延焼防止に努めたので、校舎は焼け残り、焼け出された神楽坂芸者衆の避難所になったとの記録が記事6面に残っています。(東京理科大学報 第161号 (2006年06月30日号)PDF版から)。

 神楽坂大空襲で住民避難の6面記事

注:東京理科大学 1881年(明治14年) に前身の「東京物理学講習所」を創設、2年後に東京物理学校に改称し、1906年(明治39年) に神楽坂2丁目24番地に新校舎を竣工し移転、1915年(大正4年) に財団法人東京物理学校設立し、学生改革により1949年(昭和24年) に東京理科大学になりました。H11メトロメンバーのSさんの出身校です。

空襲により焼け野原となった神楽坂は、戦後の復興は容易ではなかったようですが、1925年(昭和30年)代には再び最盛期を迎えました。多くの鉄鋼業界の権力者や政治家が神楽坂の料亭を利用したようです。
現在では、料亭が9軒、芸者さん30人になってしまい、その面影も薄れてきていますが、ここ神楽坂には表通りの賑やかな商店街だけではない、色々な顔を持っています。花街時代の趣の残る料亭街や表通りとは一味違う横丁商店街や飲食店街、古くからの出版社や印刷関係の会社、オフィスエリア、そして閑静な住宅街。この多面性と温かさ、懐の深さはここ神楽坂の歴史と文化が育んだものだと思います。

 神楽坂(:神楽坂通り、:本多横町 街画ガイド神楽坂・飯田橋駅周辺から)

味扇
花柳界の町ですから、昔は三味線が流れて常磐津や新内が流れる町でした。今回の忘年会は、神楽坂の文化に触れたいとの思いで、江戸時代には本多修理の武家屋敷跡の本多横町の味扇本店(東京都新宿区神楽坂3-2)で、女将の三味線と店の子の唄う長唄・民謡などを味わいました。

 味扇本店(:味扇本店は本多横丁を入った右手2軒目、:味扇は三味線と唄の演奏を披露しています)

H11の忘年会の参加者は10名ですので、奥の掘り炬燵式カウンター席となり、華やかな和服姿の3人の女性に迎えて貰い花街の粋が目覚め、旬の味の料理と各種の酒に酔い心が和みました。

 至福の忘年会宴席(左上:和服姿の女性、中上右上:忘年会の参加者、左下中下右下:料理) 

三味線ライブ
・長唄 越後獅子
唄と三味線 越後獅子


動画をご覧頂けない方は、「唄と三味線 越後獅子」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.7

・茨城民謡 磯節

三味線弾き語り 磯節


動画をご覧頂けない方は、「三味線弾き語り 磯節」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.7

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲Indexへ)
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三味線弾き語り 磯節

2012年12月31日 | ようこそ kan-haru日記へ

kan-haru blog 2014

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動画の「スタート」ボタンを押すと、動画が見られます。

三味線弾き語り 磯節

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唄と三味線 越後獅子

2012年12月31日 | ようこそ kan-haru日記へ

kan-haru blog 2014

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唄と三味線 越後獅子


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風景・風物詩 小石川後楽園 水戸黄門ゆかりの都心の幽谷の庭園で紅葉狩り

2012年12月25日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2012 内庭        

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都立の名園・庭園や近県の名園にも、紅葉のスポットが沢山あり、そのうち、モミジの紅葉スポットには、(「六義園東京都庭園美術館および神奈川の名園三渓園などがあります。今年は、都心のなかの名園の小石川後楽園に11月29日に行き、紅葉狩りをしてきました。

小石川後楽園
小石川後楽園(東京都文京区後楽1-6-6)は、六義園とともに江戸の二大庭園にあげられ、文化財保護法の特別史跡及び特別名勝に指定(昭和27年3月)されています。

 小石川後楽園パンフレット

後楽園は1938年(昭和13年)4月に開園して、休園日は年末・年始の12月29日~1月1日で、午前9時~午後5時まで開園し、入園料は一般及び中学生が300円、65歳以上が150円で、小学生以下及び都内の中学生は無料です。また、みどりの日と都民の日は無料となります。

 小石川後楽園入場券

後楽園は、小石川台地の先端の地にあり、江戸時代初期の1629年(寛永6年)に水戸徳川家の祖である徳川頼房が、神田上水の分流を引入れ、江戸の中屋敷の庭として造ったもので、二代藩主の光圀の代に完成した庭園で、作庭には明の儒学者朱舜水の意見をとり入れ、池を中心にした「回遊式築山泉水庭園」には随所に中国名所の名前の景観を配し、「後楽園」とつけられました。

 小石川後楽園マップ

後楽園は、70,847.17平方メートルの面積を有し、4,030本の樹木数があり、光圀が好んだ白梅、紅梅など20種類が2月に咲く梅林が、3月下旬には樹齢約60年の枝垂桜とともに大泉水周囲にある桜を咲かせ、1000平方メートルの花菖蒲田は6月上旬に花が咲く他、内庭の池や蓮池にはスイレンやハスが見られます。また、11月中、下旬に見られる250本のイロハモミジは見事な紅葉です。
後楽園へのアクセスは、東京メトロまたは都営大江戸線の飯田橋駅のC3出口を出て、北方に進むと、小石川後楽園入り口の信号が後楽園の西門です。

 後楽園西門から入り庭園入り口門に進む(左上:小石川後楽園入り口の西門、中上:西門内の入場券売り場前広場、右上左下:西門内の見事な紅葉のモミジ、中下:入場券を求め集会場涵徳亭脇を進む、右下:庭園入り口)

集会所は、後楽園創建時代に造られた萱葺の茶室で、硝子障子のため「ガラスノ茶屋」と呼ばれていたのを、享保年間に林信篤が涵徳亭(かんとくてい)と名づけ、現在の建物は4代目で1986年(昭和61年)に再建したものです。

 涵徳亭付近の紅葉(:涵徳亭中庭の紅葉、:大泉水右手の見事な紅葉)

枝垂桜を左に進むと大堰川(京都の嵐山の下を流れる大堰川にちなんだもの)で、川には京都嵐山の渡月橋の名をとった土橋が架かり、橋の左手には西湖堤(中国の名勝地西湖を模して造られたもの)が見え、橋の先には屏風岩がそびえ、右手の大堰川の突き当りのモミジは紅葉が見事です。

 涵徳亭付近の紅葉(左上:大堰川にかかる渡月橋土橋、中上:橋の左手は西湖堤、右上:対岸にそびえる屏風岩、左下:大堰川先の紅葉が見事なモミジ、中下:西湖堤周辺の紅葉、右下:渡月橋周辺の紅色のモミジ)

渡月橋から戻り、枝垂桜の先方の紅葉林のモミジを見ながら、一つ松(琵琶湖唐崎の一つ松にちなんだもの)付近の大泉水(蓬莱島と徳大寺石を配し、琵琶湖を表現した景色を造り出したもの)の周辺の紅葉風景。

 一つ松付近の風景(:枝垂桜から西方を望んだ紅葉林、:一つ松冬支度の化粧巻、:大泉水に浮かぶ蓬莱島と徳大寺石)

昔の田舎の茶屋のたたずまいの丸屋は、戦災で焼失し昭和41年に復元したもので、周辺のモミジの見どころです。

 丸屋周辺の紅葉(写真拡大)

大泉水を時計廻りに回遊して、紅葉のモミジ狩も半ばです。

 大泉水を時計廻りに回遊(写真拡大)

九八屋は、江戸時代の風流な酒亭を模したもので、戦災で焼失し昭和41年に復元したもので、周辺にも紅葉はみられます。

 九八屋周辺の紅葉(写真拡大)

九八屋の傍に露天のお土産さんが出ており、そこには水戸名物のほし納豆、梅羊羹とのし梅が売っており、茨城に関係ある人には懐かしい食べ物であり買って帰りました。

 大泉水周囲の真赤のモミジ(左上:露天のお土産売店、中上:大泉水周囲の紅葉をバックに建つ灯篭、右上:ガイド案内を聞く紅葉狩グループ、左下中下右下:大泉水周囲の真赤なモミジ群)

最後は、唐門跡、内庭を回って紅葉狩りのエンドです。

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲Indexへ)
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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編雑色駅・下り線高架化(第1回その5)

2012年12月21日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2012 下り線高架ホームの北端から蒲田方を望む  更新動画を追加Ⅱ版2014.8.7      

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下り線高架化移設
・高架化前の下り線地上ホーム
2012年10月17、20日に、今後見られなくなる高架化前の下り線地上ホームを見ておき、雑色駅においては最後の下り線地上運行列車風景の動画を撮影しました。

 下り線高架化前の雑色駅中央口(左上:下り線高架化前の雑色中央口、中上:地上下り線改札口、右上:下り地上ホームへのスロープと石段、左下:下り地上ホーム(右はスロープ)、中下:地上ホームから改札口へ、右下:下り改札出口1017)

同日、高架化前の下り線列車が運用中の地上ホームを、記録保存のため撮影しておきました。

 高架化前の糀谷駅下り線ホーム(左上中上右上左下中下右下:1017)

下り線高架化移設後は見られなくなる、下り線地上ホーム発着の列車を移設前の10月17、20日に撮影しました。動画上のボタンをクリックすると見られます。

雑色駅地上下りホーム発着列車最終日


動画をご覧頂けない方は、「雑色駅地上下りホーム発着列車最終日」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.7

・下り線高架化運用

10月21日の下り線高架化移設により、在来地上下りホームは閉鎖され、雑色中央口から下り線高架ホームへの通路は、改札口を入り一旦西口改札通路にわたり、上り線への階段・エレベータ前を再び通路をわたり、下り線への階段またはエレベータで高架ホームへでます。なお、高架化移設後の上り高架ホームには、エスカレータは未設置です。

 下り線高架化後の雑色駅構内図

下り線高架化移転時の高架ホームへの通路は、雑色駅中央口と同西口改札口を入ると、一旦今までの西口からの上り線高架駅ホームへの通路に合流します。

 中央口改札と西口改札から上下線高架ホームへ(左上:中央口改札を入ると通路は右へと進む、中上:上下線高架ホームへは右にと進む、右上:右へと進むと地上下り線路を乗り越える、左下:通路を進むと西口改札からの通路に合流、中下:中央口から西口改札通路に合流、右下:西口改札通路と中央口通路の合流点1024)

合流通路を川崎方に進むと、右側に現在使用中の上り線高架ホームへのエレベータがあり、その手前には上り線高架ホームへのエスカレータと、その先には階段があります。

 雑色高架上りホームへの階段、エレベータ、エスカレータ(:高架ホームへは合流通路を川崎方に進む、:向かって右側には上り線ホームへのエレベータと手前にエスカレータがあり、:エレベータの先には上りホームへの階段がある1024)

下り線高架ホームへの通路は、上り線高架ホームへのエレベータの前を左に進むと、右側に階段があり、左側にエレベータがあります。

 下り高架ホームへの通路は上り高架ホームのエレベータ前を左に進む(左上:下り高架ホームへの通路はエレベータ前を左に進む、中上:左に進むと右に下り線高架ホームへの階段、右上:階段の左側に下り線高架ホームへのエレベータ、左下:上下線高架ホームへのエレベータと階段は対照の配置、中下:下り線高架ホームへのエレベータ、右下:下り線高架ホームへの階段1024)

下り線高架化開通の高架ホームの駅設備は、階段、エレベータと待合室のみで、エスカレータは順次工事が施工される予定です。

 高架化開通の下り線高架ホーム(左上:蒲田方の下り線高架ホームの階段、中上:階段北方の待合室、右上:待合室北方のエレベータ、左下:工事未着手のエスカレータ、中下:上り線高架ホームから下り線高架ホームを望む、右下:点検中の下り線高架ホームの北端1024)

10月21日の下り線高架化移設には、下り線地上線路とホームは閉鎖されました。

 閉鎖された下り地上線路(:下り地上線路が閉鎖された雑色駅構内、:閉鎖された京急蒲田13踏切北側の下り線線路、:閉鎖された下り地上雑色駅ホーム1205)

下り線高架化移設日の21日の後に、雑色下り線高架ホームに発着の列車を24、27日に撮影しました。動画上のボタンをクリックすると見られます。

雑色駅高架下りホーム発着列車.wmv


動画をご覧頂けない方は、「雑色駅高架下りホーム発着列車」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.7

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 : 2011年前期版2011年後期版2012年前期版2012年後期(2)版
・ サブ・カテゴリー別Index : 高架化全工区下り線工事2011年前期版、・高架化全工区下り線工事2011年後期版高架化全工区下り線工事2012年前期版高架化全工区下り線工事2012年後期版 へ
<前回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編雑色駅・下り線高架化(第1回その4)
次回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編糀谷駅・下り線高架化(第3回その1)

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雑色駅地上下りホーム発着列車最終日

2012年12月21日 | ようこそ kan-haru日記へ

kan-haru blog 2014

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動画の「スタート」ボタンを押すと、動画が見られます。

雑色駅地上下りホーム発着列車最終日

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編雑色駅・下り線高架化(第1回その4)

2012年12月19日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2012 開通を待つ下り線雑色高架駅ホーム      

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雑色駅の変遷(続)
・下り線雑色高架駅ホーム工事
2011年12月7日に見ると下り線雑色高架駅ホーム上に工事関係者が多数集合して、視察打ち合わせを行っていました。これは、同ホームに階段、エレベータ、エスカレータの据え付け工事を始めるための、準備のようです。

 下り線高架駅ホームの工事準備開始(:下り線高架駅ホーム上で視察中の工事関係者、:川崎側先端部に残存する旧地上上り線ホーム20111207)

2012年8月5日に見ると、エレベータ、待合室、階段の取り付け設置場所には工事囲いが覆われており、そのうちのエレベータは既に設置されていました。エスカレータの設置場所には工事囲いはありませんので、同10月21日の下り線高架開通時点では見送りのようです。

 下り線雑色駅高架ホームの駅設備設置工事(:下り線雑色駅高架ホーム、:エレベータ取付工事20120805)

同8月7日に、在来地上の下り線ホームを見ると、雑色駅が初めての在来下り線列車を運用しながら、工事囲いがされて狭い環境で階段の鉄骨枠の取り付け工事が進められていました。

 下り線雑色駅地上ホームの階段工事(:下り線ホームの階段枠鉄骨と橋脚柱、:上り線通路から見た階段枠鉄骨20120807、:ネットが張られた階段工事20120811)

エレベータの工事個所も工事囲いで列車発着の乗降りのスペースは狭く、裏側には通路が設けられています。

 下り線雑色駅エレベータ工事(:下り線エレベータ工事、:エレベータ工事と橋脚柱、:上り線通路から見たエレベータ工事20120807)

在来下り線雑色駅ホームの階段およびエレベータの工事個所では、工事囲いと高架橋脚柱により、橋脚柱とホーム線路端までは黄色塗装の「CPライン」に半分がかかっており、通路幅は人がやっと通れる程度です。したがって、階段およびエレベータの工事個所の裏側に通路が設置されています。

 工事個所の周囲に設けられた安全通路(:工事個所の橋脚柱は黄色「CPライン」の半ばまでかかる、:工事個所の周囲には安全通行路を設置、:工事体の周囲に設けられた安全通行路20120825)

同8月25日に見ると、下り線高架駅ホーム上には待合室の工事が行われていました。

 下り高架ホームの駅設備工事(:下り高架ホームのエレベータ工事、:下り高架ホームの待合室工事、:上り高架ホームの階段取付場所20120825)

同8月11日に見ると、下り線高架橋に吊架線が張られ、同25日には架線敷設が進み、六郷土手近くの仮下り線高架橋には線路が在来線路際まで敷設されました。

 下り高架橋の架線敷設と仮下り線高架橋築造(:下り線高架橋に吊架線が張られる20120811、:下り高架橋の架線敷設が進む、:仮下り高架橋の架線と線路敷設が進む20120825)

上下エスカレータの設置個所は工事囲いで覆われており、下り線高架開通後に取付工事に入る模様です。待合室は、工事囲いが外され進捗が進んでいますが、まだベンチが取り付けられていません。

 下り線高架ホームの駅設備設置が進む1(:下り線高架開通時にはエスカレータ設置見送り、:下りホームに設置の待合室20120911)

同9月18日に下り線高架ホームを見ると、ホーム南の階段には手すりが取り付けられており、下り線高架化の工事が進んでいます。

 下り線高架ホームの駅設備設置が進む2(:下り高架ホームのエレベータ、:工事が進む下りホームの階段20120918)

同10月5日を見に行くと、下り線高架化に伴い下り線高架ホーム供用の案内が掲示されました。

 雑色駅下り線高架ホームの供用開始のお知らせ 

下り線高架駅ホームを見ると、同21日の下り線高架化を待つばかりのようです。

 開通を待つ下り線雑色高架駅ホーム(写真拡大)

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲Indexへ)
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<前回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編雑色駅・下り線高架化(第1回その3)
次回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編雑色駅・下り線高架化(第1回その5)
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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編雑色駅・下り線高架化(第1回その3)

2012年12月17日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2012 駅設備工事前の下り線高架ホーム     

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雑色駅の変遷(続)
・上り線高架化開通
2010年5月16日に上り線高架化開通により、雑色駅の構内図が次に示す様になりました。

 上り線高架化開通による雑色駅の構内図

同5月15日の終電後、在来上り線ホームは閉鎖し上り線高架ホームへの仮通路に改良され、西口改札口(構内図マル1)と旧ホームへの階段とスロープ(構内図マル2)は仮通路とし、旧地下通路階段付近からホーム幅を拡幅して通路幅を確保(構内図マル3)されました。

 上り線高架ホームへの通路1(:雑色駅西口改札口マル1、:上り線高架ホームへの通路マル2、:上り線高架ホームへの通路マル320100602)

通路の右側にエレベータ(構内図マル4)が設置され、その先を右に曲がると高架駅ホームへの階段(構内図マル5)で、階段(構内図マル6)には踊り場がついています。

 上り線高架ホームへの通路2(:上り線高架ホームへのエレベータと階段マル4、:上り線高架ホーム階段への通路マル5、:上り線高架ホームへの階段マル620100602)

仮通路からの階段(構内図マル7)を登ると上り高架ホーム上で、階段の北側には待合室(構内図マル8)があり、その先にエレベータ(構内図マル9)があります。

 雑色駅上り高架ホーム1(左:仮通路からの階段上マル7、中:待合室マル8、右:高架ホームエレベータマル920100602)

エレベータの北側の囲い塀はエスカレータ(構内図マル10)の設置工事場所です。高架ホーム南端から六郷土手方面を望む(構内図マル11)と第1京浜国道側には、高架橋より高い建築物が展望でき、北端から京急蒲田駅方面を望む(構内図マル12)と北側にはスーパーのビルがそびえています。

 雑色駅上り高架ホーム2(:上り線高架ホームの工事中エスカレータマル10、:上り線高架ホーム南端から六郷土手方面を望むマル11、:上り線高架ホーム北端から京急蒲田方面を望むマル12 20100602)

上り線高架化開通の、雑色高架駅に停車の列車と通過列車風景および、下り高架ホームを見ます。

 上り線高架化開通の雑色高架駅ホーム(:雑色高架駅に停車の上り普通列車、:雑色高架駅を通過するエアポート快速、:雑色高架駅下りホーム北方を見る20100602)

・旧上り線ホームの撤去
同8月17日に雑色駅構内では、旧上り線ホームの取壊し工事を行っており、ホーム北方の屋根柱の取壊しが進んでいました。

 旧上り線雑色駅ホーム取壊し状況1(:ホーム北方の屋根柱部の取壊しがかなり進む、:旧上り線ホーム取壊し現場20100817)

同26日に見ると、雑色駅旧上り線のホームを利用した高架上りホーム通路の外側では、旧ホームの取壊しが行われていました。

 旧上り線雑色駅ホーム取壊し状況2(:在来下りホームより旧上りホームの取壊しを見る、:旧下りホーム通路よりホームの取壊しを見る、:駅西側道路よりホームの取壊しを見る20100826)

・上り線高架橋エスカレータ設置工事
同9月8日に見ると雑色駅旧上り線ホームの中央部の解体が進み、上り2階高架ホームへのエスカレータ据え付け工事の準備が行われていました。

 旧上り線雑色駅ホーム取壊し状況3(20100908写真拡大)

同22日に見ると、上り線雑色駅高架橋下の旧上りホームではエスカレータの据え付け基礎工事が行われていました。

 上り線高架橋エスカレータ設置工事1(:エスカレータ設置工事のお知らせ、:エスカレータ設置工事据え付け場所、:エスカレータ設置の基礎工事現場20100922)

同11月4日に見ると、上り線雑色駅高架橋にはエスカレータ台が取り付け工事が行われていました。

 上り線高架橋エスカレータ設置工事2(20101104写真拡大)

同12月23日に見ると、エスカレータは開通していました。下りエスカレータは、上り線高架ホームの北側から降ります。高架ホームから地上まで通じたエスカレータは、全高架5駅では最初の運用となりました。

 上り線高架ホームのエスカレータ開通(左上中上右上左下中下右下20101223)

2011年2月15日から、西口改札口の券売機と改札機の移設・増設工事が通知されました。

 上り改札口の発券機・改札機の移設と増設のお知らせ

工事は、券売機が線路側に移設され改札機の増設変更工事が行われました。

 西口改札口の券売機と改札機の移設・増設工事(:西口移転の発券機、:入り口から見た改札機、:出口側から見た改札機20110216)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編雑色駅・下り線高架化(第1回その2)

2012年12月15日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2012 上り線雑色高架駅の側壁面     

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雑色駅の変遷(続)
・高架駅橋築造工事
2基目の工事機による構内高架駅橋築造は、ホーム上に4脚1面のスラブが付いた高架駅橋の架設が、2008年10月28日には完了していました。
同11月12日に見ると、2基目の工事機が橋脚間隔の2面幅分ほど南に移動し、1対の高架駅橋脚柱を建立して、構造堅固で高さ幅のあるがっちりとした横梁桁が付けられていました。同11月21日には、4脚1面の縦梁桁や補強梁桁の骨格が組まれた高架駅橋が出来ていました。

 駅構内3橋目の橋脚建立(:3橋目の堅固な横梁桁付きの橋脚建立20081112撮影、:3橋目の骨格完成の高架駅橋20081121撮影)

2009年1月29日には2面高架橋の北側1面にスラブが付き、同2月10日には南面側にもスラブが付き、同21日に見ると、4個目の1面高架橋の骨格が築造され、雑色高架駅橋の築造工事が進んできました。

 雑色高架駅橋の築造1(:3番目高架橋の1面にスラブが付く20090129撮影、:2面目にもスラブが付く20090210撮影、:工事機の片脚がホームから外れて移動20090221撮影)

同4月15日に見ると第2-3橋間の連結橋架設は完了して、架設工事用鋼材は第3-4橋間に移動していました。同5月7日には、連結橋の架設が始められていました。

 雑色高架駅橋の築造2(:架設完了の第2-3高架橋間の連結橋20090501撮影、:第3-4高架橋間架設中の連結橋工事20090507/09撮影)

同6月2日に雑色駅周辺から見ると、駅ホーム中央部と南端部の構内高架橋のホーム用突出し桁梁の外郭コーナ部に、駅舎の外壁取り付け用の外柱をクレーンにて上り・下りホームのそれぞれに3本ずつ建立されました。

 雑色高架駅橋の築造3(:下り南端駅ホーム付近に建立の外柱、:上り側のホーム南端と中央部の外柱、:上り中央部駅ホーム付近に建立の外柱20090602撮影)

同8月17日に見ると、ホーム駅舎屋根柱の骨組み築造の工事は進行しています。

 雑色高架駅橋の築造4(写真拡大20090817撮影)

・駅設備工事
同12月28日に見ると、上り線ホームの地下通路の川崎寄りの階段が閉鎖されエレベータ工事の準備が始まりました。

 雑色高架駅橋の築造5(写真拡大091228)

・高架駅ホーム外観
2010年1月20日に見ると、上り線側の高架駅舎棟の側壁面の養生シートが両端側面部を除いて外され雑色駅の姿を現しました。

 雑色高架駅橋の築造6(:上り高架駅舎棟の養生シートが外れる20100120、:下り高架駅舎棟も養生シートが外される20100127)

・駅設備工事
同4月6日に見ると上り線雑色駅の高架駅橋の階段工事は、階段踏み板が付けられており、エレベータの設置工事も行われていました。

 雑色高架駅橋の築造7(:上り線高架駅橋の階段工事で踏み段が付く20100406、:在来ホームから見た階段工事、:在来ホームから見たエレベータ工事20100414)

同5月16日に上り線が高架化で開通すると上り高架駅ホームへの通路は、在来の地上上り線ホームの川崎寄りの地下連絡通路の先に設置されたエレベータまたは階段を利用して高架駅ホームに進みます。

 雑色高架駅橋の築造8(:下りホーム連絡地下通路階段、:上り高架ホームのエレベータ、:上り高架ホームへの階段20100505)

下り線との地下連絡通路は同5月16日に閉鎖されて、撤去された上り線路上に連絡通路を張り出して拡幅されるようです。

 雑色高架駅橋の築造9(:地下道通路閉鎖お知らせ20100429)

同5月15日の終電車後に、在来上下線ホーム間の地下通路が閉鎖されました。

 雑色高架駅橋の築造10(:下りホーム地下通路閉鎖、:上りホーム地下通路閉鎖、:地下通路閉鎖のおしらせ20100602)

また、上り在来線ホームと上り線線路も閉鎖されました。

 雑色高架駅橋の築造11(:上り線線路閉鎖、:上り線ホーム閉鎖20100602) 

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編雑色駅・下り線高架化(第1回その1)

2012年12月13日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2012 上下線ホーム移設伸延2008年5月2日    

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雑色駅の変遷
1901年(明治34年)2月の雑色駅の開業当初は第1京浜国道上にありましたが、1923年(大正12年)4月に専用軌道となり現在位置に駅ホームが移転しました。

 高架駅工事前の雑色駅(:雑色駅中央口、中:下り線ホーム、:雑色駅西口20080114)

1945年(昭和20年)の世界大戦で戦災を受け復旧して開通したが、1979年(昭和54年)の改良工事で6輌編成用にホームを伸延し、それまでの構内踏切を廃止して地下通路になりました。

 雑色駅地下道(:上りホーム地下階段、右:下りホーム地下階段20080114)

ホーム改良工事の際、将来の高架化工事のために、雑色第1踏切南方の海側に工事車両のヤードが設けられました。

 雑色第1踏切から北方のホームと南方の工事ヤードを見る(:第1踏切北方の雑色駅ホーム、:第1踏切南方の工事ヤード20080227)

・雑色高架駅工事の準備
雑色駅の高架駅化工事のため、上下線ホームの架設化が行われ、利用サービスのため改札口を入るとホームまでの段差にスロープが設置されました。

 雑高架駅化工事のためホームの仮設化と利用サービスのためスロープの設置(左上中上:高架工事のためホームの仮設化20080422、右上・左下:上り線ホームにスロープ設置20080402、中下・右下:下り線ホームにスロープ設置20080422)

雑色高架駅築造のため、上り線改札が改札機と階段が川崎方向に移動して、スロープが架け替えられて、線路側の壁面が一部削減の変更が行われました。また、上下線のホームが、川崎方に約10m伸延(Top写真参照)しました。

 高架駅築造のため上り改札が変更される(:上り改札の変更のおしらせ、:上り線改札の雑色駅西口、:上り改札の変更20080422)

雑色高架駅の築造工事のため、上下線ホームは各種の変更が行われましたが、2008年5月18日現在の雑色駅構内図を示します。

 雑色駅構内図20080518

雑色駅上下線ホーム間には連絡の地下通路がありますが、この地下通路の階段の位置が、高架橋駅の橋脚部に重なるため、階段の幅員を段階的に狭くする工事を行います。

 地下連絡通路工事(左写真:上りホームで閉鎖の地下通路階段、右:8月下旬完了後の地下通路20080528)

地下通路工事は、先ず上りホームの品川寄りの地下階段を閉鎖して、下りホームの階段の幅員を2.5mに縮小されます。次いで7月上旬からは、下りホームの京急川崎寄りの地下階段が閉鎖され、品川寄りの階段の幅員が1.5mに縮小されます。

 地下通路工事は2期に分けて実施(1期工事:2008年5月27日~6月下旬、2期工事:同7月上旬~8月下旬)

・高架橋駅築造の基礎杭打設工事
工事機による駅構内の高架工事の予定は、お知らせによると品川方面から工事機械が入り移動して工事を行い、川崎方面に抜けるまでの工事期間が2008年5月から2009年4月の予定となっています。

 駅構内高架工事予定のお知らせ

工事機による雑色駅ホーム上の基礎杭打設は、工事機を南方に移設しながら工事が行われていました。

 工事機による基礎杭打設工事(左:下りホーム上から見た移設工事機、:京急蒲田第12踏切見た移設工事機、:上りホーム上から見た移設工事機20080729)

基礎杭打設工事は、工事機の南側窓から行われホーム上には工事囲いシート(左・中写真参照)で覆ってあります。また、上りホーム地下通路階段は、2期工事により川崎側の階段が閉鎖され、京急蒲田側階段の通路幅が狭められていました。

 上りホームの基礎杭打設工事(:工事囲いシートで覆って行われている基礎杭打設、:基礎杭打設工事囲いと地下通路階段、:幅が狭められた地下通路階段20080729)

・駅施設改良工事
雑色駅構内の上りホームの改札口に車椅子対応の自動改札機を設置する改修工事が行われ、2008年9月2日の始発から使用が開始されました。

 雑色駅改札改修工事のおしらせ

・工事機が2基で同時に駅ホーム上の工事を開始
最初の工事機による雑色駅ホーム上の基礎工事は南方に移動し、同8月27日には下りホームのほぼ中央部で基礎杭の打設を行っていました。同9月4日には工事機の位置は移動していませんが、下りホームの基礎工事は終了しました。同日には2基目の工事機が京急蒲田第12踏切を越えて、駅ホームの構内に移動して1基目の工事機と同時に構内での高架化工事が始まりました。

 2基の工事機による雑色駅ホーム上の基礎工事(:1基目の工事機によるホームの基礎杭工事、:2基目の工事機によるホームの基礎杭工事2008年9月4日)

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旅ものがたり 善光寺・小布施・渋温泉 北斎が愛した小布施の歴史を追い、渋温泉でくつろぎ善光寺参りその3

2012年12月10日 | 旅ものがたり
kan-haru blog 2012 「北斎漫画展―江戸伝承版木を摺る」案内        

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北斎が愛した小布施(続)
小布施が文化の香り高い地に育まれたのは、小布施有数の豪農・豪商の家に生まれた高井鴻山は、京都や江戸へ遊学し幅広く教養を習得し、学問思想に情熱を傾け、佐久間象山をはじめ広く日本史を彩った思想家、文人と交流して幕末の変革に関わり、江戸の浮世絵師葛飾北斎などの多くの文人墨客を招きました。
北斎が初めて小布施を訪れたのは83歳の秋で、それ以後都合4回訪れました。北信濃の経済の中心地として栄えた小布施を、北斎が愛して晩年の85歳と86歳に半年ずつ小布施に滞在して肉筆画に全力を傾注して描いた作品には、その1が岩松院本堂の大間天井に描かれた巨大な「八方睨み鳳凰図」で、その2は小布施の二台の屋台に描いた天井絵の肉筆画の作品です。

・北斎館
次の北斎館へは、フローラルガーデンおぶせから南方の町道を小布施駅の方向に進み、北信濃くだもの街道を越えて、国道403号線の手前にある四つ角を南に折れて、その先のT字路を西に向かうと左側に北斎館(長野県上高井郡小布施町大字小布施485)の入り口が見えます。

 小布施周辺地図

北斎館は、葛飾北斎の肉筆画、画稿、書簡などを集めて1976年(昭和51年)に開館して、1991年(平成3年)には増改築してリニューアルし、北斎の肉筆画は約50点あまりが保管され、版本や北斎漫画、天井絵が描かれた上町祭屋台などの北斎の画業が観賞できます。

 北斎館のパンフレット

北斎館の入場料は、大人が500円で、小中高生300円で、休館日は12月31日と臨時休館日があります。

 北斎館の入場券

北斎館訪れた10月30日には、企画展として開館35周年記念事業の葛飾北斎生誕250周年記念の「北斎漫画展―江戸伝承版木を摺る」が開催(10月6日~12月4日)されていました。

 小布施の文化の象徴の北斎館(:北斎館入り口、:北斎漫画展開催の北斎館)

企画展の展示場は、第一会場が北斎館の第一展示室(企画展示室)、第二展示室(版画展示室)、第五展示室(学習資料室)であり、第二会場が高井鴻山記念館で屋台蔵と穀蔵の展示と京都の芸艸堂が所蔵する江戸時代から伝承されてきたこの版木を使い、現代の職人が摺りなおした選りすぐりの各種の北斎漫画を北斎館と高井鴻山記念館で展示されまししたが、時間の都合で第二会場には行けませんでした。
「北斎漫画」は、1814年(文化11年)北斎が55歳の時に、300図余の下絵をもとに名古屋の版元永楽屋東四郎より出版され、当初は初編で完結予定が反響により続編が刊行され、1878年(明治11年)までに全15編が刊行されました。この画集には、人物のさまざまな姿態や顔の変化、動植物、風俗、妖怪など森羅万象あらゆる事物が描き出され、その数は3900余図にもなり、絵を描く練習の絵手本として多くの人に活用されました。(北斎新聞 北斎漫画大特集1号から)

 「北斎漫画」十編(北斎新聞 北斎漫画大特集1号リンク表示)

葛飾北斎が、九十歳で亡くなられる間際の1849年(嘉永2年)に「天がもう五年、私を生かしてくれれば、私は本物の画家になれたであろう」と言葉を残して去られました。北斎の絶筆に近い肉筆画「富士越龍図」は、雄大な富士を越えて黒雲とともに龍が昇天するという出世を意味するめでたい図は、巨星北斎が画業を成し遂げ天に昇る図であると捉えると思われます。(北斎新聞 北斎先生の生涯3号~北斎、天にのぼる編~から)

 「富士越龍図」(北斎新聞 北斎先生の生涯3号~北斎、天にのぼる編~リンク表示)

北斎館の第四展示室は屋台展示室で二台の屋台が展示され、東町祭屋台は、文化3年(1806年)に町中の寄附によって造営され、建造は、越後国浦原郡角海邑(現新潟県)大工棟梁栄太郎の作です。上町祭屋台は、文化2年(1805年)高井鴻山が私財を投じて建造したもので、二階建ての構造は東町祭屋台と同じ様式ですが、二階が飾り屋台として仕立てられています。(祭屋台 北斎館HPから)
その東町祭屋台の天井絵には「龍」と「鳳凰」図(1844 年(天保15年)作成)の二面と、上町祭屋台の天井絵には「怒涛」図の「男浪」と「女浪」(1845 年(弘化2年)作成)の二面が描かれております。(ブック・ナビ 北斎館 収蔵作品紹介から)
[東町祭屋台]

 東町祭屋台と天井絵(左:東町祭屋台、中:天井絵「龍」、右:天井絵「鳳凰」)
[上町祭屋台]

 上町祭屋台と天井絵(左:上町祭屋台、中:天井絵「男浪」、右:天井絵「女浪」)ブック・ナビ 北斎館 収蔵作品紹介リンク表示

・竹風堂
時間が頃合いとなりましたので、北斎館から西へ国道403号線に面した竹風堂小布施本店に立ち寄り、知り合いのところへの小布施のお土産の物色です。
 竹風堂小布施本店(写真拡大)

富良野・美瑛産赤えんどうを培煎し超微粒に挽き、粉糖と水だけを加えて作られている、初代が創製して百余年になる小布施三大名菓の一つの干菓子「方寸」を買い、東京に発送しました。

 小布施三大名菓の方寸

・小布施駅から渋温泉に向かう
小布施のおみやげも揃い小布施駅へと戻り、今宵の宿泊の渋温泉の最寄駅長野電鉄湯田中駅へと向かいます。文化の香り高い小布施ともお別れです。後で知りましたが、小布施には一茶句碑が30基建立されており、小布施駅前とホームにも、小林一茶の栗の里の句碑があります。
小布施駅前の句は、岩松院の句碑とともに一茶の真筆であるとのことです。
[小布施駅前の句]
「拾れぬ 栗の見事よ 大きさよ」 (「文政九・十年句帖写」文化10年9月)
[小布施駅ホームの句]
「いがごてら 都へでたり 丹波栗」 (「文政九・十年句帖写」文政10年閏6月)

小布施駅では列車交換のため元東急電鉄の8500系の電車が入線してきました。下り線には特急列車のスノーモンキーの元JR東日本253系成田エクスプレスが入線してきました。小布施駅発は、15時19分発で湯田中到着は15時41分着で、名残り惜しい小布施駅を出発です。

 小布施駅の列車交換風景(:上り普通列車の入線、:上り普通列車の到着、:下り特急列車の入線)

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旅ものがたり 善光寺・小布施・渋温泉 北斎が愛した小布施の歴史を追い、渋温泉でくつろぎ善光寺参りその2

2012年12月06日 | 旅ものがたり
kan-haru blog 2012 北信五岳の斑尾山(標高1381.8m)       

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北斎が愛した小布施(続)
・浄光寺
岩松院から小布施の2つ目の古刹の浄光寺へは、せせらぎ緑道を山麓沿いに曲がりくねって進むと、フローラルガーデンからの道との交差点の正面が浄光寺(長野県上高井郡小布施町雁田676)で、雁田薬師と呼ばれて信仰を集めています。山号は浄瑠璃山、宗派は真言宗豊山派で本尊は聖観音が祀られています。創建は、730年(天平2年)に僧玄明が開山し、809年(大同4年)に坂上田村麻呂が北夷征定の際、戦勝祈願を行い見事願いが達成された為、堂宇を再建し境内を整備しました。
浄光寺大門前の道端に小林一茶の句碑があり、「山寺や畳の上の栗拾ひ」は1818年(文化15年)4月に春甫と雁田参りで詠んだ句です。なお、薬師堂の石段の途中にも「大栗は猿の薬禮と見へにけり」と詠んだ句碑があり、1819年(文政2年)9月の一茶が57歳の時の句です。

 雁田薬師境内案内(小布施観光協会HPから)

浄光寺大門の左の大いちょうの前には湧水の御霊泉があり、小布施には小高くなだらかな雁田山が横たわっており、その雁田山山麓湧水群で崖錐端に湧く「沢清水」で水温は年間通して11℃~12℃であり、全国からお水くみのお客様がみえます。

 浄光寺大門前の御霊泉(:浄光寺大門前、:御霊泉、:御霊泉左手の池の奥が浄光寺本堂)

御霊泉の隣には池があり、その先にある現在の浄光寺本堂には、本尊の木造観世音菩薩、多聞天、不動明王、弘法大師、興教大師を祀ってあります。本堂は1879年(明治12年)に焼失しましたが、1976 年(昭和51年)に近くの旧都住小学校校舎の古材を活用して建てられています。また、御霊泉の隣にある山門には赤と白に塗られた仁王様が立ち、門を潜ると無造作に並べた野面積みの石段を150段ほど登ったところに薬師堂があります。

 浄光寺本堂と山門(:浄光寺本堂(HPから)、:浄光寺山門、:山門から薬師堂を望む)

薬師堂は、1408年(応永15年)に再建されたもので、茅葺の一重入母屋で三間四面の堂で、室町時代初期の寺院建築の手法が残る貴重な建築として国指定重要文化財に指定されています。薬師堂は、2008年で建立満600年を迎えましたが、その前年の2007年に茅葺屋根の総葺き替え工事を行い修復されました(浄光寺HPから)。
薬師堂内には、本尊の薬師瑠璃光如来坐像は十二神将と日光・月光両菩薩像に囲まれており薬師堂建立の翌年の作であり、阿弥陀如来坐像壁画、金銅仏などの文化財が収められています。御霊泉を湧水する小布施町の東端にある雁田山は、火山活動により生成したものといわれ、裾野がほとんどなくまるで町に山があるようです。雁田山の標高は786mであり、小布施町の海抜が360mなので、その差が頂上までの高さです。

 薬師堂と雁田山(:薬師堂へは野面積の石段を登る、中:薬師堂(HPから)、右:雁田山(HPから))

・フローラルガーデンおぶせ
小布施は花の町であり、浄光寺から門前の町道を小布施駅の方向に進み、北信濃くだもの街道の手前のバス停交差点の、雄大な北信五岳と間近にそびえ立つ雁田山の壮大なパノラマに囲まれた場所に、小布施町6次産業センターとフローラルガーデンおぶせ(上高井郡小布施町大字中松506-1)があります。

 フローラルガーデンおぶせ地図

6次産業センターは、農業が食料品の原料のみ提供する1次産業にとどまることなく、食品加工(2次産業)や、販売・情報・観光(3次産業)へも積極的に乗り出し、付加価値と雇用の場を創り出す創業産業目指したのが6次産業センターで、1階が農産物直売所になっており、展示スペースの他、研修室、加工室などがあります。

 6次産業センターおぶせ(左上:6次産業センター農産物直売所、中上右上:農産物直売、左下:りんごの直売、中下:、右下:小布施の栗)

フローラルガーデンは、地上の花々を守ると言われる花と春の女神の名「Flora」の語源から、花と人が創り出す 現代の楽園となるよう、 名付けられました。花のミュージアムのフローラルガーデンおぶせは、鑑賞温室660平方メートル、鳳凰花壇1,400平方メートル、イベント広場1,300平方メートル、アンサンブルガーデン、花木園、万葉の道などの植栽園が3,000平方メートルと、計15,000平方メートルのガーデンで、入園料は大人が200円 、高校生が100円、小中校生は無料です。時間がとれないのでガーデンの見学はパスしました。

 フローラルガーデンおぶせ(・右:(小布施HPから))

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旅ものがたり 善光寺・小布施・渋温泉 北斎が愛した小布施の歴史を追い、渋温泉でくつろぎ善光寺参りその1

2012年12月03日 | 旅ものがたり
kan-haru blog 2012 小布施観光案内帖「信州おぶせ」岩松院から       

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毎年秋には、一泊で温泉に浸るのが楽しみであり信州の紅葉を見たいと思い、秋深まる10月30日に長野渋温泉を選びましたが、今年は紅葉が遅く信州の山はまだ色付いていませんでした。東京駅の出発は、9時20分発新幹線あさま511号で、長野駅には11時5分に到着です。

北斎が愛した小布施
・小布施駅
小布施には、長野発11時43分の長野電鉄の普通電車に乗り、小布施駅到着は12時20分でした。

 長野電鉄路線図

小布施駅では、列車交換で上り特急の「ゆけむり」の進行方向右側の2番線ホームへの入線待ちです。なお、小布施駅は、1926年(大正15年)に長野電鉄株式会社の創設者の神津藤平により建設された樽川第二発電所のペルトン水車と水圧鉄管が、1993年(平成5年)に中部電力株式会社から長野電鉄へ寄贈され、プラットホーム上に展示されています。

 小布施で特急電車「ゆけむり」の待ち合わせ(:小布施で待ち合わせの下り普通電車(元東急電鉄8500系)、:交換の上り特急「ゆけむり」の入線(ホーム中央にはペルトン水車と水圧鉄管が展示されています)、右:試運転のゆけむり(元小田急電鉄10000形2006年))

特急が入線の小布施駅左側の側線にはながでん電車広場があり、2012年3月に引退した長野電鉄オリジナル2000系特急車両が保存されています。長野電鉄は、鉄道マニアにとって魅力の鉄道で、特急電車の編成の2100系の「スノーモンキー」には元JR東日本253系成田エクスプレスが走り、また1000系の「ゆけむり」には元小田急電鉄10000形HiSEで運転されています。なお、長野-信州中野間の普通電車には、元東急電鉄の8500系の電車が運行しています。

 引退の2000系特急車両が保存されているながでん電車の広場(写真拡大)

小布施駅(長野県上高井郡小布施町小布施1497−2)は、1923年(大正12年)3月26日に営業開始の駅で、長野を起点にして17.5kmの地点にあり、2面3線のホームです。

 小布施駅(:改札口へは踏切をわたり3番ホームから出る、:小布施駅入り口、:小布施駅前広場)

小布施町探索
小布施駅内の文化観光協会観光案内所で、おぶせの観光ガイドを貰い、昼時なので小布施のそばを食したいと思い駅近くにある蕎麦屋さんを教えて頂きました。

 小布施観光案内帖

お蕎麦屋さんは、駅前通りを四つ角まで進み、商工会館前の右側の「つくし」ので手打ちの信州本場の蕎麦を味わいました。

 小布施駅前通り(:小布施商工会館、中:小布施そばところ「つくし」、右:「つくし」店内)

・岩松院
駅前に戻ると13時半をまわっていましたので、これから小布施町の探索はタクシーで回ることとしました。東京を発つ前に得た情報では、岩松院前住職が亡くなられて、岩松院本堂の大間21畳の天井に、葛飾北斎が江戸末期の1848年(嘉永元年)に89歳で描いた「八方睨み鳳凰図」が、本葬のため10 月29日より11月2日まで本堂が閉められ見られないことでしたが、境内には入ることができるようなので、まずは探索を岩松院からスタートとして、再び駅前から343号県道を進み、国道403号の中町交差点から東北東に向かい、町立歴史民俗資料館を左に見て進むと、岩松院(がんしょういん)仁王門前の広場に到着です。

 小布施周辺地図(拡大)

岩松院(長野県上高井郡小布施町615)の開創は、1472年(文明4年)に雁田城主の荻野備後守常倫公の開基で、不たく玄珪禅師の開山です。山号は梅洞山、宗派は曹洞宗で本尊は釈迦如来です。岩松院の境内には、1987年(昭和62年)竣工落慶の仁王門の前に六地蔵、古墳墓石の大円相と1953年(昭和28年)建立の太子堂が並んでいます。岩松院仁王門の真っ赤な仁王像は、向かって右側は開口の阿形像で、左側は口を結んだ吽形像のユニークなお姿の一対の護衛役です。仁王門の裏側には観音像と大黒天が祀られています。

 岩松院の仁王門(:岩松院山門前広場、:岩松院仁王門、:開口の阿形像(口を結んだ吽形像クリック))

仁王門を潜ると広場の右側に、岩松院天井絵を調査し北斎直筆と発表した由良哲次(1897年 - 1979年)博士の石碑があり、左手には弁天池があり昔からお茶の水用として汲みに来ます。参道の先は石段を登り正面が本堂で、天井に葛飾北斎の「八方睨み鳳凰図」があり、福島正則公の遺品が展示してありますが、寺法要のため拝観できませんでした。

 若松院本堂(:石段を登ると正面が本堂です、:岩松院本堂、:八方睨みの仏様の功徳)

本堂と向かい合った白壁の座禅堂は禅寺の座禅修業場で、奥の鐘楼は岩松院では一番古い建築物です。本堂の左手には十一面観音菩薩像が建立してあり、蛙合戦の池と福島正則公の霊廟へは、本堂の左横から本堂裏に進みます。

 本堂周辺(:左は寺院では一番古い建築物の鐘楼、右は座禅堂、:十一面観音菩薩像、:福島正則公霊廟と蛙合戦の池へは本堂の横から)

福島正則公霊廟は本堂裏の石段の上にあり、正則は関ケ原の戦いで徳川家康に味方し、安芸・備後で49万8千石を領する大名となったが、1619年(元和5年)に武家諸法度に触れたとして、信州・越後の4万5千石に減封となり、松川の治水事業などに取り組んだが、1624年(寛永元年)に64歳で亡くなり、幕府検死役を待たずに火葬したとして領地は没収となりました。正則は仏教を信仰し、岩松院を菩提樹として海福寺の寺号を付け、霊廟に遺骨を埋葬し、埋葬標識として五輪塔を建て上屋が正則公の霊廟です。
霊廟の手前の右手には蛙合戦の池があり、花見時に多数のひき蛙が集まり、雄が数の少ない雌を奪い合いとなって合戦となります。俳人小林一茶(1763~1827)は、1816年(文化13年)に岩松院を訪れ蛙合戦を見て、「痩せ蛙まけるな一茶これにあり」と詠んだ句碑があります。

 福島正則公霊廟と蛙合戦の池(左上:福島正則霊廟、中上:福島正則公霊廟の説明版、右上左下:蛙合戦の池、中下右下:一茶句碑)

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kan-haru日記 旅ものがたり総目次(カテゴリー別INDEX)2010~2015年版

2012年12月03日 | INDEX

kan-haru blog 2015 1月6日42版

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   旅ものがたり カテゴリー別総目次2010~2015年版



30 旅ものがたり 南紀家族旅行 アドベンチャーワールドで童心に返りパンダやイルカと戯れる(その1)  1月5日
31 旅ものがたり 南紀家族旅行 アドベンチャーワールドで童心に返りパンダやイルカと戯れる(その2)  1月8日
32 旅ものがたり 南紀家族旅行 アドベンチャーワールドで童心に返りパンダやイルカと戯れる(その3)  1月10日
33 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 四国霊場(一・二番札所)、大塚国際美術館、鳴門のうず潮を巡る (その1)  12月15日
34 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 四国霊場(一・二番札所)、大塚国際美術館、鳴門のうず潮を巡る (その2)  12月17日
35 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 四国霊場(一・二番札所)、大塚国際美術館、鳴門のうず潮を巡る (その3) 12月19日



36 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 世界の名画と古代礼拝堂などを再現した大塚国際美術館(第2日目その1) 1月4日
37 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 世界の名画と古代礼拝堂などを再現した大塚国際美術館(第2日目その2) 1月8日
38 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 世界の名画と古代礼拝堂などを再現した大塚国際美術館(第2日目その3) 1月10日
39 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 八木の鼻漁港さびき釣り、鳴門渦潮水中観測船、淡路島周遊(第3日目その1) 1月31日
40 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 八木の鼻漁港さびき釣り、鳴門渦潮水中観測船、淡路島周遊(第3日目その2) 2月3日
41 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 八木の鼻漁港さびき釣り、鳴門渦潮水中観測船、淡路島周遊(第3日目その3) 2月6日



42 旅ものがたり 善光寺・小布施・渋温泉 北斎が愛した小布施の歴史を追い、渋温泉でくつろぎ善光寺参りその1 12月3日
43 旅ものがたり 善光寺・小布施・渋温泉 北斎が愛した小布施の歴史を追い、渋温泉でくつろぎ善光寺参りその2 12月6日
44 旅ものがたり 善光寺・小布施・渋温泉 北斎が愛した小布施の歴史を追い、渋温泉でくつろぎ善光寺参りその3 12月10日



45 旅ものがたり 善光寺・小布施・渋温泉 北斎が愛した小布施の歴史を追い、渋温泉でくつろぎ善光寺参りその4 3月16日
46 旅ものがたり 善光寺・小布施・渋温泉 北斎が愛した小布施の歴史を追い、渋温泉でくつろぎ善光寺参りその5 3月21日



47 旅ものがたり 湯河原温泉 三世代での湯河原温泉宿泊を想い起こし、孫の湯河原勤務を縁に親子孫での温泉旅行 7月24日
48 旅ものがたり 湯野上温泉 同窓旧友たちの旅での会津鉄道を懐かしみ南会津の癒しの温泉の旅その1 12月18日
49 旅ものがたり 湯野上温泉 同窓旧友たちの旅での会津鉄道を懐かしみ南会津の癒しの温泉の旅その2 12月23日



50 旅ものがたり 湯野上温泉 同窓旧友たちの旅での会津鉄道を懐かしみ南会津の癒しの温泉の旅その3 1月5日 

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雑色駅高架下りホーム発着列車

2012年12月02日 | ようこそ kan-haru日記へ

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