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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第22回)

2009年06月30日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009 解体される1号工事機

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梅屋敷高架駅橋建設
・梅屋敷ホーム上の高架駅橋築造
前回記述時には梅屋敷ホーム上の高架駅橋の築造は、1面と4面高架橋にスラブが付き連結橋の架設は完了していました。
6月29、30日に見ると、6輌編成の列車が停車できる高架駅ホームの築造が開始されたところで、大森町第4踏切道(商店街通り)上のPC橋桁のガードと踏切北の高架橋まで延ばしたホーム梁桁に、ホーム土台枠骨組の組み立てが行われています。

 ホーム土台枠の組み立て(:下りホーム土台枠の組み立て0629/30撮影、:上りホーム土台枠の組み立て0630撮影)

ホーム上の連結橋のホーム梁桁から南方の梁桁には細い棒鋼が並べて置かれ、高架駅ホームの築造の準備が進んでいました。

 高架駅ホームの築造が始まる(:下から覗いた下りホーム梁桁部、:下から覗いた上りホーム梁桁部0630撮影)

大森町第3、第4踏切間の高架橋築造
前回記述時には大森町第3踏切から第4踏切までの高架橋の築造は完了し、同第3踏切南方の1面高架橋とその先の4面高架橋間で連結橋の架設が行われていました。
6月16日に見ると両高架橋間の連結橋の架設が終わり、同26日には連結橋の架設用鋼材が第3踏切上に移動され、30日には第3踏切ガードのPC橋桁の架設が行われていました。

 PC橋桁の高架橋架設(:連結橋の架設終了0616撮影、:第3踏切道ガード架設の準備0626撮影、:第3踏切道ガードの架設工事0630撮影)

この間に築造の高架橋では仕上げ工事が行われており、同第4踏切北の高架橋の北方の2面高架橋間の連結橋は未架設です。

 第3-4踏切間の高架橋築造(:踏切間南方部の高架橋築造、:踏切間中間部の高架橋築造、:踏切間北方部の高架橋築造0630撮影)

大森町第3踏切北から第2工区北端までの高架橋築造
前回記述時には同第3踏切北に丸型鋼製橋脚の1面高架橋が完成し、その北方に2面高架橋が築造されていました。また、第2工区北端では1号工事機により3面高架橋を築造した後に、工事機は解体され撤去されました。
6月8日に見ると同第3踏切北側の1面高架橋とその北方の2面高架橋間に連結橋が架設されていました。同26日には工事機撤去後(トップ写真参照)の2面高架橋の北側には、橋脚柱を建てて3面目の高架橋を築造しており、29日にはスラブが付いて仕上げの工事が行われていました。

 工事機撤去跡に3面高架橋が築造(:第3踏切北方高架橋間に連結橋の架設0608撮影、:工事機撤去跡に1面追加の高架橋築造0626撮影、:1面築造高架橋にスラブが付く0629撮影)

梅屋敷第1~第4踏切間の高架橋工事
梅屋敷第1踏切から第2踏切間の3階傾斜高架橋の築造は前回記述時には、1、2階部の1部に外壁塀が付けられていました。
6月16日と29、30日に見ると、同1踏切から第2踏切間の3階傾斜高架橋部の殆どの個所に外壁塀が付けられ、2階部高架橋部にも外壁塀の取り付け工事が進んでいました。また、第1踏切道のPC橋桁ガード上では、仕上げのコンクリート打ちが行われていました。

 第1-2踏切間の高架橋築造(:第1京浜国道側から見た外壁塀が付けられ高架橋0629撮影、:西側の区道側から見た外壁塀が付けられ高架橋、:第1踏切PC橋桁ガード上で仕上げのコンクリート打ち0630撮影)

同第2踏切から第3踏切間の2、3階高架橋では、外壁塀が付けられこの間の高架橋は完成間近です。

 第2-3踏切間の高架橋築造(:第1京浜国道から見た高架橋0629撮影、:西側区道から見た高架橋0630撮影) 

同第3踏切から第4踏切間の2、3階高架橋はほぼ完成状態で、第3工区境界の高架橋では3階部の連絡橋の架設工事が行われています。

 第3-4踏切間の高架橋築造(:第1京浜国道から見た高架橋、:西側区道から見た高架橋、:第2-3工区高架橋間の3階部連結橋の架設工事0629撮影)

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・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(6月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 2009年中期版2009年前期版2008年後期版2008年中期版2008年前期版2006・2007年版
・サブ・カテゴリー別Index 京浜急行の高架化 大森町付近工区2009年版大森町付近工区2008年版大森町付近工区2006・2007年版梅屋敷付近工区京急蒲田付近工区2009年版京急蒲田付近工区2006~2008年版雑色付近工区糀谷付近工区 へ
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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第35回その2)

2009年06月28日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009 大森町商店街高架ガードを初潜りの子供神輿行列

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第1工区踏切道架橋工事
・大森町第1踏切道架橋
大森町第1踏切道(大森町商店街通り)のPC架橋ガードの架設工事は、5月15日から始まり、前回記述時には西側のサイド架設橋桁とともに、5本のPC橋桁が架設されていました。
5月27日には東側サイド架設橋桁とともに1本のPC橋桁が架設され、6月2日にはPC橋桁が7本に増えて、同7日には同第1踏切道ガードの架設が終わり架設用鋼材は移動していました。

 大森町第1踏切道のPC橋桁のガード架設が進む(:[0527撮影]・:[0602撮影]・:[0607撮影]写真拡大)

・平和島第5踏切道架橋
第1工区には2箇所ある踏切道の一方の、平和島第5踏切道のガード架設は5月19日に架設工事が始まり、前回記述時には東側サイド架設橋桁と2本のPC橋桁が架設されていました。
5月31日に見るとPC橋桁の架設が終了して、6月4日にはガードの仕上げ工事のため青色布幕で側壁が囲われていました。

 PC橋桁の架設工事が進む(:[0531撮影]・:[0604撮影]写真拡大)

内川橋梁南岸部高架仮線敷設工事
・平和島第5踏切北部の上り仮線高架橋築造
内川南岸部の上り高架仮線高架橋(上り高架仮線敷設部説明図参照)は、前回記述時点では南岸部直近の連結橋(KG20)と2面仮線高架橋(SRC1)の足場が外されて、出来上がりの状態でした。
6月19日に見ると2面仮線高架橋(SRC1)の南部で、築造中の上り高架仮線高架橋が出来上がり、足場の取り外し作業が行われていました。

 上り仮線高架橋築造の足場取り外し作業(0619撮影写真拡大)

上り高架仮線高架橋が接続分岐する平和島第5踏切北の4面仮線高架橋(SRC3)は、側面壁塀が付けられ出来上がりの状態です。

 上り高架仮線高架橋の築造が進む(0619撮影写真拡大)

同21日には高架橋築造の足場が除去され、内川橋梁南岸部の上り高架仮線が出来上がりました。

 工事足場が取り除かれた上り高架仮線高架橋(0621撮影写真拡大)

内川橋梁北岸部高架仮線敷設工事
内川北岸部の上り高架仮線高架橋(上り高架仮線敷設部説明図参照)は、6月21日現在で区道から見た目の工事状況は前回記述時点と変わらず、工事覆いの幕を張って作業を行っております。
上り高架仮線高架橋の本線高架橋との合流部付近の工事状況を6月11日に車窓から見ると、高架橋(G14)付近では側壁塀築造用土台の基礎工事が行われており、その北方の高架橋は基礎工事が終わっていました。

 上り高架仮線高架橋と本高架橋合流点付近の築造工事1(左:[0621撮影]、:[車窓から0611撮影]写真拡大)

同19日に見ると土台の基礎工事が終わった個所に、コンクリート製U字溝が並べられていました。

 上り高架仮線高架橋と本高架橋合流点付近の築造工事2(左:[0621撮影]、:[車窓から0619撮影]写真拡大) 

大森町第1踏切以南の高架橋築造
前回記述時には1号工事機の解体が始まり、6月4日には第1工区でも工事機の姿が消えました。

 1号工事機の解体(左:[0527撮影]・中:[0530撮影]・右:[0604撮影]写真拡大)

大森町第1踏切以南の高架橋築造は、高架橋(R15)(大森町第1踏切以南高架橋の工事説明図参照)の築造とその連結橋の架設を残すのみとなりました。高架橋(R15)の築造は、6月16日には4対の橋脚柱の建立と1本の横梁桁が付き、同21日には南の高架橋の1面にスラブが付き、26日には高架橋の3面にスラブが付きました。また、第1工区南端の3面高架橋(R17)には、側面壁塀が付けられました。

 工事機解体跡に第1工区最後の高架橋築造(:[0616撮影]・:[0621撮影]・:[0626撮影]写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第35回その1)

2009年06月26日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009

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大森町駅構内高架橋の工事
・駅構内高架駅橋のホーム建設
第1区の大森町駅高架駅は、ホーム北の1+3面高架橋と南の3面高架橋橋のほかに、高架橋間の連結高架橋の2橋で構成されています。高架橋上のホーム建設工事はかなり進展しており、前回記述時には大森町駅ホーム北側の第4面高架橋までは、高架駅ホームの土台枠骨組の組み立てが完成していました。
5月29日に見ると、完成したホーム土台枠骨組の上に高架ホーム駅棟用の骨材が荷揚げされており、同土台枠骨組の脇には高架ホーム駅に敷く石板も荷揚げされておりました。また、ホーム南の3面高架橋の上には、ホーム土台枠用の骨格材が荷揚げされており、高架駅ホームの築造の準備が進んできました。

 大森町駅上高架橋で高架駅ホームの築造が進む1(:ホーム土台枠が完成の駅北側高架橋、:北側高架橋に荷揚げされた高架駅築造のホーム駅棟用骨材とホーム敷石材、:南側高架橋に荷揚げされたホーム土台枠骨格材0529撮影)

6月1日にはホーム南の3面高架橋の上ではホーム土台枠の組立て準備が行われ、6日には駅ホーム上の連結橋の架設が行われ、同10日には完了しており、またホーム土台枠の組立てが始められていました。

 大森町駅上高架橋で高架駅ホームの築造が進む2(:南側高架橋上のホーム土台枠骨組立て準備0601撮影、:駅ホーム上の連結橋架設工事0606撮影、:連結橋架設が完了し、ホーム土台枠骨組立てが始まる0610撮影)

6月16日に見ると、高架ホーム駅北端のホーム上には高架駅棟舎の骨組みが建築されていました。また、連結橋上ではホーム土台枠骨組の組み立てを進めていました。

 大森町駅上高架橋で高架駅ホームの築造が進む3(:高架駅橋ホーム上に駅棟舎骨組みの築造が始まる0616撮影、:連結橋の上ではホーム土台枠骨組の築造を進める0622撮影)

高架駅棟舎の骨組みの建築は日ごとに進展し、最近の高架化工事は電車の運行に関係することが無くなり、昼夜にわたり造工事を行えますので効率が非常に上がっているようです。

 高架駅棟舎骨組み建築が進む(:[0620撮影]・:[0622撮影]・:[0626撮影]写真拡大)

大森町駅北部高架橋の線路敷設工事
前回記述時点では、平和島第5踏切南側高架橋から大森町駅ホーム北端部の高架橋間に、線路敷設の準備が行われ、高架橋上に黒いシートを敷きコンクリートの枕木が並べられ、短尺のレールが敷かれていました。
5月28日には敷かれたレールの上に、タイヤと鉄輪の両輪のダンプカーが運転されていました。ヤードにクレーンを設置し、運ばれてきたバラストを高架橋上に揚げて、枕木にバラストを敷設する作業を行っていました。

 上り線のバラスト敷設作業(:線路上のダンプにバラストを積む、:バラストを敷設場所に運ぶ、:バラストを降ろす0601撮影) 

上り線側の枕木の敷設が終了すると下り線側に枕木を並べ、上り線側の線路を下り線に移動してバラストを敷設します。バラストの敷設が終わると、線路を撤収します。この線路は作業用の線路で、運用線路は長尺レールを内川の上り仮線から搬入するものと思われます。

 下り線側の枕木敷設(:下り線側にも枕木が並ぶ0604撮影、:上り線側の枕木上の線路を下り線側に移す0607撮影、:線路を下り線側に移動0616撮影)

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大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 諏訪神社2009年例祭

2009年06月24日 | 大森町界隈あれこれ 社寺
kan-haru blog 2009  

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諏訪神社2009年例祭
氏神様の諏訪神社の例祭は毎年5月最後の土・日曜日に行われます。この時期は梅雨のはしりにかかる関係で、祭日中に雨に会う機会が多いのですが、今年も1日目の朝まで雨が降り続け、2日目の午後3時頃には通り雨にも遭いましたが例祭は最後まで行われました。

 諏訪神社例祭1(写真拡大)

以前の諏訪神社例祭日は6月の土・日曜日に行われていましたが梅雨時であり近隣の神社の例祭と重なるため縁日の開催を5月に変更してからは、境内と参道前の道路には沢山の露店の出店が出るようになり、お祭りの雰囲気を盛をり上げています。

露天出店の多い諏訪神社例祭

 諏訪神社例祭2(左・中:大森3丁目連合町会お神酒所、:例祭ポスター)

お祭りの縁日の露店には、射的、輪投げ、型抜きチャレンジ、金魚すくい、キャラクタお面、綿飴、あんず飴、バナナチョコ、かき氷、たこ焼き、焼きそばなどの店が出て、子供たちにとっては何よりの楽しみなのです。

 諏訪神社例祭の露天

露天出店の大半は食べ物屋で、子供にとり年に一度のお祭りでは与えられるおやつと違い、貰った小遣いで自分の食べたい物をわくわくした気持ちで買う喜びは、何にも変えられないのです。孫は帰りがてらにお腹が減り、コリントゲームで引いて当たるとイチゴ付きが200円で定番のバナナチョコをまず買いました。串に刺したバナナに湯煎したチョコレートを浸して、冷やしてトッピングなどでコーティングした色とりどりの見ても楽しめるバナナチョコを片手に、腹の足しにとたこ焼きも買いました。
この祭の雰囲気は、大人になっても何時までもノスタルジアの想いを残してくれます。

 食べもの屋の露店

世相により変化するお祭
諏訪神社の例祭は父の代から孫の代までにわたる長く、大変懐かしい大森町の小さな氏神様のお祭りですが、時代と共に世相に応じて長くお付き合いをさせて頂いております。諏訪神社の例祭の記事(2006年2007年2008年例祭参照)は、毎年にわたり掲載し、暗い戦時中のお祭りなど各時代のお祭りの一端を記載してあります。

大戦中は戦局の悪化とともにお祭りの雰囲気はなくなり日常の物資が欠乏し、おもちゃなども小学生3年の時にゴムまりが60人のクラスに5個の配給で、それを抽選で配る有様でした。出征で担ぐ人のいない神輿も供出などで無くなり、寂しいお祭りが行われた時代がありました。隣組の床屋さんが、子供たちが可哀そうだと手造りの樽神輿を造りそれを担いで、諏訪神社前で撮った写真(2008年例祭参照)がこの時代の唯一の記録写真です。その翌年に、子供たちは学童疎開で東京を離れていったのです。

小学6年の終戦で東京に引き上げると神社や京急の山谷駅(現大森町駅)は戦災で焼失し、大森町界隈の町内は焼け野原で一軒の家も無く、当座の仮の住まいは焼け残りの元事務所で複数世帯の居候でその日暮らしでした。その住居所在地の氏神様は隣接町の貴船神社であり、終戦翌年にはお祭りが復活して行われ、当時は地元の青年会が主催して境内では素人演芸会を開かれ、娯楽に飢えていた住民が多く集まり盛況でしたが、境内には売るものが何も無く露店の出店は無しで、自転車の荷台に付けたアイスキャンディだけがただ細々と売られていたとの記憶が残っています。

小学生の孫は、江戸3大祭の氏子に住んでいますが、お祭りが好きで小さな神社の祭の雰囲気もまた楽しいといって、一人で遊びに来て泊まり朝から晩まで日一杯楽しんでから帰ります。 孫の親もお祭り好きで、当時大森第2 (現開桜) 小学校時代の頃には、やはり朝から夜まで1日中祭に詰めていました。この頃から、お祭りの露天には射的、輪投げ、スマートボールや型抜きなどのゲームが出る様になり、特に男の子の対抗心を煽り熱中させます。ただ、子供を野放図にさせないためには、大人の監視か小遣いを制限して、平和なお祭りに親しまさせて楽しみを味あわせる方向付けが重要です。

 熱中させる競技ゲームの露店

神輿・曳き太鼓
諏訪神社の氏子は第1京浜国道を境にして、東の町会と西の町会に別れています。大戦の疎開前までは東の町会に住んでいて、子供の頃は戦時色のお祭りを味わいました。戦後疎開先から東京に戻って西の町会に長年お世話になり復興期を経て、平和時のお祭りが続いております。
諏訪神社の氏子町会の神輿は東の町会では大人の神輿が復活して、大森警察署内に闖入(2006~08年例祭参照)しています。しかし、西町会では供出により大人神輿は無く、いまだに子供神輿と曳き太鼓だけでお祭りを祝っており、第1日目は町会神酒所を13時に、2日目は11時に出発して町会を一巡して幼児・児童を楽しませます。

 子供神輿の町内会循環

諏訪神社奉納演芸会
年に1度の例祭は、地元町会の住民たちが楽しむ大祭です。例祭には、毎年恒例により奉納演芸プログラムが組まれ、第1日目はカラオケの唄を主体とした30番組と、第2日目は舞踊を主体とした35番組のプログラムが組まれ、両日とも多数の観客で盛況でした。
世相により変わるお祭りも今の平和の持続を祈願して、住民の楽しみが何時までも永く続くことを願って止みません。

 奉納演芸会

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 糀谷駅付近(第12回)

2009年06月22日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009 糀谷第2踏切から盛り土部工事現場を遠望

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駅構内高架橋築造工事
・高架駅橋築造
第8工区の糀谷駅高架化の建設は、現在仮上り線設営の第1期工事と第2期上下線運用の高架橋本工事を併せた形態で築造が行われています。

 糀谷高架駅橋工事(再掲)

在来線の上り線ホームの上では、第2期高架化工事完了で使用する上りホーム部分の基礎工事が工事幕を覆って行われています。

 次期使用上り線高架駅橋ホームの築造(:糀谷第1踏切北の仕上げ工事中の上り線高架橋、:次期使用の上り線高架駅ホームの基礎工事0604撮影、:工事用天幕を張り次期本高架橋ホームの基礎工事中0612撮影)

京急蒲田(空)第4踏切東側の4面高架橋の部分は、第2期高架化工事完了時に使用する形体の上下線の高架駅橋です。第2期で使用する下り線の高架駅ホーム部の築造は、第1期の仮上り線の運用時には上り線の仮ホームの一部として使用されるようです。その仮ホーム部の築造は、ホーム底部に下囲い板を張って工事が進められています。上り線の仮線運用時には、このホーム部は京急蒲田駅高架2階ホームと接続されます。

 次期工事下り駅ホームの築造(写真拡大0612撮影)

糀谷第1踏切側の上り線仮線運用時の仮駅ホームの工事の進展状況は、地上部からははっきり見えませんが外部周辺から見ると、工事網の囲いを張り築造が進められているようです。

 糀谷第1踏切側の上り線仮線運用ホームの工事(:糀谷第1踏切側の上り線仮線運用ホームの工事0604撮影、:在来下り線上の上り線仮線運用ホームの工事0612撮影) 

糀谷第1踏切東側の高架化工事
・傾斜高架橋工事
糀谷第1踏切東の上り線用の傾斜高架橋工事(第8工区地形図参照)は、6月12日には高架橋のコンクリート固めのため、支え枠がまだ付いた状態です。

 上り線用傾斜高架橋築造(写真拡大0612撮影)

・盛り土部工事
盛り土部の工事は土砂の搬入は現場が狭いため、袋に詰めた土をクレーンで積み上げるという方法が採られています。

 盛り土部工事現場1(:資材搬入口から見た東端傾斜高架橋、:資材搬入口から見た西端盛り土部、:盛り土部平坦部脇のヤード0604撮影)

盛り土部工事の進捗状況を、作業現場の脇を通る列車の車窓から撮影して見ました。

 盛り土部築造工事1(写真拡大[車窓から]0604撮影)

高架駅から平地に降る傾斜高架橋と盛り土部の境の場所は、第8工区地形図の×印で示す空港線の線路部が弓なりの頂点付近で、ここは工事資材を搬入する旧踏切跡の行き止まりの道路の地点です。また、盛り土部が平坦となる箇所の横には狭いヤードがあり、盛り土部の土の搬入はこの2地点から行っています。

 盛り土部築造工事2(写真拡大[車窓から]0612撮影)

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・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 2009年中期版2009年前期版2008年後期版2008年中期版2008年前期版2006・2007年版
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イベント 日比谷公園 日比谷オクトーバーフェスト2009でミュンヘンの想い出にひたる(その2)

2009年06月20日 | イベント
kan-haru blog 2009  閉店が近ずいても名残りを惜しんで立ち去らない会場  

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ズルムターラー楽団の演奏
ビールをお代わりしている間にあたりがすっかり暗くなり、日比谷オクトーバーフェスト最終日の最後のズルムターラーの公演が始まりました。
ズルムターラーは南ドイツからやって来た20代から30代の若手楽団であり、リーダーのマテイアスさんが率いる演奏は、バイエルン地方の音楽のほかにも、ポルカ、ワルツ、ポップ音楽などを奏で、日本語で上手に語りかけてドイツ文化の一端を披露してくれました。
演奏が始まると会場は、メンバーが演奏しながらいい飲みっぷりを見せてのパフォーマンスで、ビールの熱気とともに一斉に会場が盛り上がり、一般のビアホールでは味わえない素晴らしい雰囲気です。

 ズルムターラー楽団の演奏(写真拡大)

・ドイツの乾杯の歌の大合唱
演奏が進み、次はドイツの乾杯の歌を会場のみんなで大合唱です。
YouTube Prost(乾杯)~♪の歌(ここをクリック)

のどが渇くポルカ(ドイツの乾杯の歌)  日比谷オクトーバーフェストで貰った歌詞から
Ein Prosit, Ein Prosit, Der Gemutlichkeit
(さあ乾杯をあげよう さあ乾杯をあげよう この心地よいひとときに)

Ein Prosit, Ein Prosit, Der Gemutlichkeit
(さあ乾杯をあげよう さあ乾杯をあげよう この心地よいひとときに)


Eins! Zwei! Drei! G'suffa!
(1! 2! 3! 飲み干せ!)

(Prost!)
(乾杯!)

歌の最後の「プロースト」で乾杯ですが、歌を繰り返していくうちに段々と酔いがまわってきそうな歌です。

 乾杯の歌演奏で大合唱してプロースト

・みんなでダンス
会場ではズルムターラーの演奏に合わせて歌い、乾杯をして、次は隣にいる人と肩を組み手をつないでのダンスが始まります。
ダンスが盛り上がると、前の人の肩に手をかけ長い列を作り踊りながら噴水の周りの会場を半時計廻りに一周です。飲んで、歌って、踊ってフェストの楽しみが最高潮です。

 前の人に手をかけ踊りながら噴水の周りを廻る(写真拡大)

会場は息き会い合いとした雰囲気となり、ズルムターラーのメンバーの一人が明日誕生日であると紹介すると、彼の回りに群がり「ハッピー バースデー トゥユー」を合唱してのお祝いの乾杯です。オクトーバーフェストの良いところは、会場で誰とでも仲良くなれることです。
ドイツビールの消費が進む会場でのビール祭を満喫して、閉会の21時少し前に帰路に着きました。

 翌日が誕生日のズルムターラーメンバーに祝杯の観衆(写真拡大)

今後開催のオクトーバーフェストの紹介
ビールジョッキーが1000円のいろいろな種類のドイツ生ビールと、ソーセージなどのドイツ料理がほどほどの値段で嗜め、それよりドイツ文化の一端に接することができるオクトーバーフェストは素晴らしいイベントです。参加してみたい方は、今年「開国博Y150」が開催中の横浜で、10月9日から18日まで「横浜オクトーバーフェスト2009」が開かれる予定であり、また9月18日から27日まで「仙台(秋)オクトーバーフェスト2009」も開かれるようですので、参加できるオクトーバーフェストに出かけられるとよいかと思います。

ドイツバイエルンの想い出
2002年7月にドイツバイエルン地方の旅行中に、ガルミュッシュに宿泊した時にたまたま「ガルミュッシュ創立1200年祝賀パレード」を見ることができました。そのパレードでは、ドイツでは昔の文化を大切にして、それを現代に伝えていこうとする気持ちが伝わり、またお祭を大事にする民族であると感じました。ミュンヘンを含むバイエルン地方の想い出として、祝賀パレードの一遍の写真を載せてみました。

 ガルミュッシュ創立1200年祝賀パレード(写真拡大)

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イベント 日比谷公園 日比谷オクトーバーフェスト2009でミュンヘンの想い出にひたる(その1)

2009年06月18日 | イベント
kan-haru blog 2009 ホフブロイ ミュンヘン ビールのジョッキー  

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5月最終の週末は大森の氏子神社の祭礼で、孫が1人で泊まりがけで遊びに来たので、帰りの日曜の夜は途中まで送って行くことにして、31日は帰路途中の日比谷公園で2009日比谷オクトーバーフェストが開催されているとのことなので、会場で家族と落ち合うことにしました。

 日比谷オクトーバーフェストポスター

オクトーバーフェスト
オクトーバーフェスト(Oktoberfest)は、9月の半ばから10月の第1日曜日までドイツバイエルン州のミュンヘン市西のテレージエンヴィーゼで開催される、世界の最大のビール祭りで1810年に始まりました。
祭の会場のテレージエンヴィーゼは42ヘクタールもある巨大な会場で、ジェットコースターや巨大観覧車、お化け屋敷などの移動式遊園地が設置され、大手ビール会社が運営する座席数1万席のテントを巨大ビールテント(フェストハレ)10数棟が並び、600万人以上の人が訪れ木製のテーブルと木の椅子に腰かけて580万リットルものビールを消費します。お祭り会場の入場料は無料で、夕方からは、ヨーロッパ・ポップ音楽やドイツのヒット曲が演奏され、ビールを飲んで陽気に人々は歌い、踊って楽しみます。

日比谷公園オクトーバーフェスト2009

 日比谷オクトーバーフェスト会場マップ

日本国内では、2003年に横浜で開催したのが始まりで、日比谷公園でのオクトーバーフェストは2006年から始まり今年で4回目の開催となります。今年は日比谷のほか、横浜、仙台、上越、福岡の5会場で開催され、昨年は7会場で開催し20万人が来場しました。
今年の日比谷公園オクトーバーフェスト2009は、日比谷公園噴水広場にミュンヘンから運んだ1500席の木製のテーブルとベンチを噴水の周囲に配置して、5月22日から31日まで開催されました。開催時間は、月~金曜日が12~21時30分で、土・日曜日が11~21時までで、ドイツビールやドイツ料理を提供して、ステージでは楽団が演奏して会場が盛り上ります。

会場の噴水広場周辺はドイツの雰囲気
当日の天気は午後3時ごろ強い雨に見舞われ、大森での祭の神輿は雨宿りで待機しているうちに雨は上がり宮入も無事に終了しました。一面雲がかかる天気を気にしながら都営三田線に乗り換えて、日比谷公園に向かい18時過ぎに噴水広場のオクトーバーフェスト会場に着きました。
会場は天候の状況もあり日曜の最終日にも関わらずテント内は満員でしたが、噴水周囲の天幕下には、ミュンヘン旅行で懐かしい想い出の木のテーブルとベンチの席を確保しました。

 オクトーバーフェストのテント席はすでに満員(写真拡大)

オクトーバーフェストでは、何といってもドイツ生ビールとソーセージです。今年の出店ブースも規模を拡大したとかで、7企業のテントでドイツビール、オリジナルソーセージ・フードやワインなどが並んでいます。また、日比谷公園に飲食出店の露店もこの期間に限り、祭に合わせての延長開店で会場は盛り上がっていました。
・出品ビール
生ビールを売るお店は、噴水の周囲に7店の店が出ており、ビールの購入はビール代にプラスして1000円を支払い、お好みのビールをジョッキーに注いで貰います。お代わりのビールは、そのジョッキーを持って代金を払い注いて貰います。帰る時にジョッキー返却口に返すと1000円が戻ります。記念にジョッキーが欲しければ、そのまま持ち帰れますので、持ってきました。

 ドイツビールの出店(:シュパーテンビール、:ホフブロイ ミュンヘン、:自分のジョッキーを持ってお代わりのビールを買う)

出品ビールは15種類ほどありましたが、最初は一般的なラガービールを選び、本場のオクトーバーフェスト6大公式ブルワリーの1つであり、世界で初めて製造された“シュパテン・ミュンヘン”の元祖ラガービール1000円のRegularサイズを飲んでみましたが、食感はややさっぱりして日本人に合うような印象でした。ビールのサイズは、1リットルジョッキーのMassサイズも販売しており、ドイツのビアガーデンを思い出しました。

・出品料理
オクトーバーフェストの出品料理は、オリジナルソーセージの店であらびきソーセージやジャーマンプレートなどが売っておりましたが、ソーセージやウインナーとポテトなどが中心です。それと、ドイツではビールのおつまみに欠かせない、塩味のきいたブレッツェルというパンがあります。日比谷オクトーバーフェストでは、ビールを買うとおまけにブレッツェルが付いてきました。

 オクトーバーフェストの食べ物の店(:オクトーバーフェストオリジナルソーセージの店、:食べ物フード店、:ブレッツェルとソーセージのおつまみ)

ミュンヘンのビアガーデンの想い出
公園の緑の環境のもと木のテーブルとベンチで、ブレッツェルとソーセージをつまみにしてビールをあけているうち、飲むほどに酔うほどにいつの間にかミュンヘンのビアガーデンで楽しんでいる様な錯覚に落ち入りました。
ドイツのバイエルンには、2002年7月に旅行に行きミュンヘンのビアガーデンの何か所かを回りましたので、日比谷オクトーバーフェストはその想い出をよみがえさせてくれました。
ドイツのバイエルンはビールをよく飲む地域です。この地方のビアガーデンは、緑に囲まれた庭の様な雰囲気の昔からの地域の憩いの場所で、地域に住む人が食べ物を持ち込むのを許可し、手軽に1リットルのジョッキーでビールを飲み仲間たちと楽しめるところから、食べ物は質素でセルフサービスなので気軽に足を運んでいます。ドイツでのビアガーデンを楽しむ雰囲気は、緑の多い恵まれた環境で質素な市民生活を送っており、朝は皆早くから勤勉に仕事に励んでいる姿が見られ、年配の日本人にはとても好感がもてます。

今回、日比谷オクトーバーフェストに参加したのを機会に、この記事にミュンヘン旅行のビアガーデンの想い出の記憶を少したどってみます。
ドイツに旅をしてビアガーデンの想い出の記録のその1は、帰国当日にミュンヘンの南部のイザール谷沿いにあるビアガーデンのヴァルトヴィルトシャフトに訪れて昼食をとった時の写真です。このビアガーデンも、木のテーブルとベンチで周辺には木が茂り、ドイツ独特の環境の良い場所にあり、席が2500席もあってジャズが聴けるビアガーデンとして有名なところです。

 ビアガーデン「ヴァルトヴィルトシャフト」(・中:ヴァルトヴィルトシャフト020803撮影、:ミュンヘン新市庁舎020726撮影)

特に印象に残ったのは、2002年7月28日に訪れたヒルシュガルテンのミュンヘンの最大のビアガーデンで、席が約8,000席もある王立のビアガーデンです。ここで飲めるビールは、ミュンヘンで人気の高い地元のビールのアウグスティーナーです。ビアガーデンのある公園は、元は選帝候カール・テオドールによって造営された狩猟場でありましたが、現在は27ヘクタールの公園の一部で鹿が飼われており、ヒルシュ(鹿)の公園からヒルシュガルテンと呼ばれています。この広大な公園も緑が茂り、夕飯後には沢山の人が集まっていました。席は、木のテーブルですが、椅子はベンチでなく単独1席の木製椅子でした。

 王立ヒルシュガルテン(左・中:ヒルシュガルテン020728撮影、右:1リットルジョッキー020819撮影)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 雑色駅付近(第16回その2)

2009年06月16日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009 雑色第4踏切から六郷土手高架駅を望む

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雑色第2-4踏切間の高架化工事
雑色第2-3踏切間の高架橋築造は完了しており、前回の記述時点では連結橋の架設工事を行っていました。
6月9日に見ると、この間の連結橋の架設は終了し、連結橋の仕上げの工事を行っていました。

 第2-3踏切間の高架橋築造(:第2踏切付近の高架橋築造、:第2踏切から南で築造中の高架橋を見る、:仕上げ工事中の連結橋0609撮影)

前回記述時点では雑色第3-4踏切間での高架橋工事は、外壁塀の取り付けが開始されたところでした。
同11日に見ると、南部の第4踏切付近での高架橋の外壁塀の取り付けは終了しており、第3-4踏切間の中央部より北方付近での外壁塀取り付け工事を行っていました。

 第3-4踏切間の高架橋築造(:第3踏切付近で築造中の高架橋、:外壁塀の取り付け工事中の高架橋、:外壁塀の取り付けが完了した第4踏切付近0611撮影)

六郷土手付近の傾斜高架橋部の上り仮線敷設高架工事
六郷土手付近の上り仮線敷設高架橋の工事は、この地域が多摩川地下水の影響で工事には手間がかかった様子です。6月11日に見ると、雑色第4踏切南側の高架橋に接した作業台は、解体が行われていました。

 六郷土手傾斜高架橋工事現場(写真拡大0611撮影)

作業台脇での高架橋築造工事は、高架橋脚柱の基礎柱の頭が出ており、右側の区道には上り仮線高架橋築造のための基礎杭部の工事が行われていました。

 作業台脇付近の高架橋脚柱と仮線高架橋脚柱建立の基礎工事(写真拡大0611撮影)

盛り土部での工事は、盛り土護岸壁を壊して高架橋脚柱の基礎柱を建立して、コンクリート固めを行っていました。

 六郷土手盛り土部の高架橋築造(写真拡大0611撮影)

在来線の傾斜高架橋付近の高架橋築造工事は、コンクリート製の本高架橋脚柱と並べて鉄鋼製組み立ての仮線高架橋脚柱が建立されていました。

 高架橋と仮高架橋脚柱が並んで建立の高架橋築造(写真拡大0611撮影)

雑色駅北側の高架橋工事
雑色駅北側の高架橋工事の築造が、第6工区内では早期に着工されたところであり、2月に京急蒲田第13踏切(雑色商店街)道のPC橋桁鉄橋の架設により、同第8踏切南の北端の高架橋から雑色商店街北の高架橋までの全連結橋の架設が完了しています。現在では、高架橋の外壁塀の取り付けが未着工の、OKディスカウントセンター北側付近での残り外壁塀の工事が行われています。

 雑色駅北の高架橋築造(:京急蒲田第8踏切南の高架橋、:外壁塀が付け終えた第8踏切付近の高架橋、:OKディスカウント北で外壁塀取付け中の高架橋0602撮影)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 雑色駅付近(第16回その1)

2009年06月14日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009 雑色高架駅橋の築造

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雑色駅構内の高架化工事
・雑色高架駅ホーム駅舎の築造工事
前回記述時の雑色駅構内の高架化工事は、駅構内の第3-4高架橋間の連結橋の架設工事が行われていました。同連結橋の架設は5月15日には終了して、雑色駅構内の高架橋の4橋は全て結ばれました。
6月2日に雑色駅周辺を巡回すると、駅ホーム中央部と南端部の構内高架橋のホーム用突出し桁梁の外郭コーナ部に、駅舎の外壁取り付け用の外柱をクレーンにて上り・下りホームのそれぞれに3本ずつ建立していました。

 駅ホームに建立の外壁取り付け用の駅舎外柱1(:下り南端駅ホーム付近に建立の外柱、:上り側のホーム南端と中央部の外柱、:上り中央部駅ホーム付近に建立の外柱0602撮影)

9日には、建立の外柱に工事用のネットが掛けられており、いよいよ、雑色駅の高架駅橋も駅舎ホームの築造が始まりました。

 駅ホームに建立の外壁取り付け用の駅舎外柱2(:工事用ネットが張られた下り南端の外柱、:ヤード内の作業枠が付けられた上り南端の外柱0609撮影、:工事用ネットが張られた上り中央部の外柱0611撮影)

・ホーム南の高架橋築造
前回記述時点では、雑色第1踏切までの3面高架橋を築造中でした。
5月15日には、3面目の高架橋にスラブが付き、6月11日には、高架橋が完成しました。2号(北)工事機は、役務が終わり国道際の車両際のヤードの北方に移動しました。

 ホーム南の高架橋築造(:ホーム南高架橋にはスラブが付く0515撮影、:3面高架橋の完成0611撮影、:工事機がヤード北端まで移動0602撮影)

雑色第1-2踏切間の高架化工事
前回記述時点の5月9日には、高架化工事以前から存在していた車両ヤードの引き込みレールと移動型のクレーンが撤去され、また、雑色第1踏切北側に建てられていた工事関係の保管建屋が取り壊され平地となりました。

 高架化工事進展に伴う設備撤収跡(0509撮影)

6月2日に見ると、高架化工事で最も遅くまで活躍した2号(北)工事機により、雑色第1踏切南に築造の高架橋はほぼ完成しました。仲六郷三丁目公園東側の高架橋の築造は、対面のヤードに備えたクレーンで工事を行い、1面の高架橋に横・縦桁梁が付けられ、その北に1対の高架橋柱が建立されていました。9日には、2面高架橋にスラブが付いていました。

 雑色第1-2踏切間の高架橋築造1(:雑色第1踏切南の高架橋築造、:仲六郷三丁目公園東のヤード横の高架橋築造0602撮影、:スラブが付いた公園横の2面高架橋0609撮影)

同公園の南側高架橋から献血供給事業団大田の西側の同第2踏切際までの高架橋の築造は、前回の記述時にはほぼ完成し、第2踏切のPC桁鉄橋は架設が済んでいました。また、同踏切北の高架橋間の連結橋の架設も完了しており、6月2日には、献血供給事業団大田の西側の高架橋間の連結橋の架設工事が行われていました。

 雑色第1-2踏切間の高架橋築造2(:架設が終わって仕上げ工事中の第2踏切鉄橋0611撮影、:第2踏切北の架設済み連結橋0609撮影、:献血供給事業団西側で架設工事中の連結橋0602撮影)

9日には連結橋架設用鋼材が北に移設し、献血供給事業団の北方の高架橋間連結橋の架設工事が行われていました。

 雑色第1-2踏切間の高架橋築造3(:事業団西側の連結橋架設が終わる、:事業団北方での連結橋架設工事0609撮影)

かなり以前に分解された2号(南)工事機により築造された、仲六郷三丁目公園南の高架橋から南の事業団の北方までの高架橋には、連結橋の未架設個所がまだ2か所あります。

 雑色第1-2踏切間の高架橋築造4(:公園南の高架橋、:連結橋見架設の高架橋0609撮影)

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イベント 江戸消防慰霊祭 江戸消防記念会東京11地区87組員による木遣と梯子乗りの伝統文化の披露

2009年06月12日 | イベント
kan-haru blog 2009 梯子乗りの妙技披露 

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この春4月に、三浦半島(記事参照)に一緒に伴にした親しい知人の奥さんの実家は、江戸時代の町火消しの組織を現在に担われている、江戸消防記念会の組頭を務められております。そのことから、浅草寺で江戸消防慰霊祭が毎年5月25日に執り行われ、東京地区の組織員の約800名が参列し、江戸の火消し伝統文化の木遣り・纒振り・梯子乗りなどが披露されることを知り、見に行きました。

江戸消防記念会
1719年(享保4年)の江戸時代に、町奉行大岡越前の唱導で「いろは四十八組」の町火消が江戸に誕生しました。町火消は、自衛・自治の考え方で創設され、勇気、機敏、技術に秀でた「鳶」と呼ばれる建築労働者を中心に選ばれ、選ばれた名誉と意気に感じ身を犠牲にして猛火と闘い、「江戸の華」として庶民に頼られてきました。
1867年の明治維新によって町火消は市部消防組と名を改め、東京の町を守り抜いてきました。しかし、1939年(昭和14年)戦時下の国民総動員令によって既存の防護団と統合し消防組は廃止されました。そこで、同年消防組の有志により、町火消しの伝統の纏、木遣り、梯子乗りなどの技術を伝承し後世に伝えるため江戸消防記念会が結成され、1954年(昭和29年)に公益法人となりました。
江戸消防記念会の組織は、東京都の23区を11地区に地域割をして「区」と呼び、区の下に番組と称する「組」を設けて総数87組で約800名の会員がいます。
今年1月の成人の日に大森町の弁天神社境内などで、大森土木鳶建設組合の皆さんによる梯子乗り(「大森町界隈あれこれ 初春の伝統行事 大森土木鳶建設組合恒例のはしご乗り」参照)を初めて見る機会がありました。この組合の皆さんも、大田区の所属する7区の会員に参加しているのではないでしょうか。

消防殉職者慰霊祭
江戸時代から昭和初期にかけて、その職で殉じた先人の遺徳を顕彰してその霊を祭る消防殉職者慰霊祭が浅草寺裏で、毎年5月25日に行われています。
慰霊祭は、9時に各区の纏と梯子が雷門前に集合し、仲見世通りを行進して、今年は浅草寺本堂の屋根の葺き替え工事のためかなり狭まくなった浅草寺裏に整列します。会場へは、秋葉原経由のつくばエクスプレスの浅草駅を降りて浅草寺裏に直通すると、全組の87本の纏いが整列しており、慰霊祭が始まるところでした。

 消防殉職者慰霊祭の浅草寺裏会場(:つくばエクスプレス浅草駅から浅草寺本堂はすぐ近い、:屋根葺き替え工事で狭くなった浅草寺裏、:87本の纏いが勢ぞろいの慰霊祭会場)

慰霊祭は、浅草神社宮司によって式典が執り行われ、江戸消防記念会小宮名誉会長・石原知事が祭文を奉読し、各団体の代表などが玉串を奉奠しました。東京消防庁音楽隊が演奏する中、殉職者たちに黙祷が行われ、神職退場の後、鹿島会長の御礼の挨拶で式典は終了しました。

 消防殉職者慰霊祭式典(写真拡大)

梯子乗り
慰霊祭の第2部では、今年は工事で会場が手狭なため纏いの行進は中止でしたが、東京都技芸無形文化財に指定された「江戸の鳶木遣」を、参加会員で歌われた後に、11区全組の87本が勢ぞろいした豪勢な纏い振りが行われました。 江戸町火消しの纏いは、白と黒に統一されいろいろな形のデザインの纏いの「陀志(だし)」と、その下の48本の紙または革製の「ばれん」と「真笠」から出きており、高さが約2.4mで重さが約20kgあります。纏いの「ばれん」の横線の数は「区」を示しています。

 伝統の木遣と纏い振りの披露(:全員で仕事唄の木遣を歌う、:勢ぞろいの87本の纏い振り)

続いての梯子乗りは、もともと鳶職人は梯子を使用して高所での危険な仕事をしており、作業をするためには機敏さ、慎重さ、勇敢さが要求されます。火消しも同じことが求められ、火災現場の確認や人命救助の器材である梯子を訓練に採り入れて、毎日血のにじむ訓練を積んできました。
梯子乗りの梯子は、高さ6.5mの真新しい青竹と15本の横さんで作られ、この梯子を12本の鳶口で支えます。揺れ動く梯子上での演技者と、下で梯子を支える者との結束の固さが妙技を生み出します。

 梯子乗りの準備(写真拡大)

各組の梯子乗りが交互に江戸時代から引き継がれた妙技を披露して観衆の喝采を浴びました。

 梯子乗りの妙技1(写真拡大)

梯子乗りの妙技は、3種類の48の型があります。梯子乗りの演技を終えてから、鹿島会長の音頭で観客も一緒に手締めを行い、慰霊際が終了しました。

 梯子乗りの妙技2(写真拡大)

浅草神社と周辺散策
梯子乗りが終わり浅草神社に行くと、本殿前では5区の組員が揃って整列して記念写真を撮っていました。浅草神社風景を撮影していると、そこで梯子乗りを見に来ていた組頭のご息女と偶然と出会うことができましたので、お父さんと一緒に役半纏姿の貴重な写真を撮らして頂きました。
お父さんとはお別れして、一緒に仲見世通りの裏通りを散策しながら進むと、江戸で生まれた染絵手拭屋のふじ屋さんの前を通りましたので、記念に手拭を買いました。

 江戸絵手拭いのふじ屋

お店を見てから食事時でしたので、以前に入った食事処のたつみやで昼食を一緒に頂きました。帰路は、浅草から観光路線バスで東京駅径由で帰宅しました。

 食事処たつみ屋と観光路線バス停

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(6月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index イベント総目次 2009年版2008年版2006・2007年版
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次回 イベント 日比谷公園 日比谷オクトーバーフェスト2009でミュンヘンの想い出にひたる(その1) へ
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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第21回その3)

2009年06月10日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009 第1京浜国道架設の空港線2、3階層鉄橋

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第1京浜国道空港支線鉄橋3階部架設
空港支線鉄橋3階部の架設工事は、2階部架設の2日後の6月9日に第1京浜国道を交通止にして架設が行われ完了しました。

 第1京浜国道空港線2、3階架設鉄橋(写真拡大0609撮影)

6月1日にヤードに登場した京急高架化工事で最大級の巨大クレーンは、第1京浜国道空港支線鉄橋2、3階部の架設に威力を示して完了しました。

 空港支線鉄橋2、3階部の架設で威力を見せた巨大クレーン(0609撮影) 

第5工区の高架化工事(続)
・京急蒲田第6から第8踏切間の高架橋工事
前回の記術時点では同第6から第8踏切間の高架橋の築造は、高架橋築造平面拡大図に示す2面高架橋の5橋と3面高架橋の1橋の3階傾斜高架部の橋柱付きの2階部上り線用仮高架橋がほぼ出来上がりの状況でした。
6月9日に行くと、この間で築造の高架橋間には連結橋が架設されていました。連結橋の施工は、高架橋の西側は仮上り線高架橋で上り線を運行しており、東側は在来の下り線が運行しているという、狭くて環境がかなり悪い工事現場ですので、足場などを組んで架設する方法が採られています。
第6踏切南の第1、2高架橋間のコンクリーとの連結橋はほぼ完成しており、ヤード脇の第2、3高架橋間の連結橋も足場が外され出来上がっていました。

 第6から8踏切までの高架橋間の連結橋(:第1、2高架橋間連結橋、:第2、3高架橋間連結橋0609撮影)

ヤード脇の第3、4高架橋間とヤード南の第4、5高架橋間の連結橋は、足場が取れずに架設の工事を続行中ですが、その南の第5、6高架橋間の連結橋は足場が外され出来あがっていました。また、京急蒲田第8踏切上のPC桁の橋梁は、架設工事が完了していました。

 第6、8踏切間の連結橋と踏切道PC桁橋の架設(:第3、4高架橋間の連結橋、:第4、5高架橋間の連結橋、:架設完成の第8踏切道上PC桁橋梁0609撮影)

・京急蒲田第8から第9踏切間の高架橋工事
同第6踏切から第9踏切までの築造高架橋の西側の大部分には、外壁塀が付けられています。同第8踏切南の第1、2高架橋間の連結橋は完成しており、第2、3高架橋間の連結橋は足場を組み築造工事が続行していました。

 第8踏切から第9踏切までの高架橋築造1(:外壁塀が付けられた第8踏切付近の高架橋の西側、:第1、2高架橋と連結橋、:第2、3高架橋間の連結橋築造工事0609撮影)

同第8踏切南に築造中の高架橋の東側は、次期工事の時点で傾斜の僅かな段差が付いた下り線本線高架橋が並んで結合して築造されますので、外壁塀は付けずに仮塀が付けられるものと思われます。この間の連結橋もほとんどが築造されていますので、京急蒲田駅への上り高架の本線路が間もなく連結接続できます。

 第8踏切から第9踏切までの高架橋築造2(:築造中の第3高架橋から南をみる、:第4、5高架橋間の連結橋、:外壁塀が付いた第5高架橋西側から北方を見る0609撮影)

第7工区の高架化工事
・京急蒲田(空)第1踏切付近の高架橋工事
6月に入ると、京急蒲田(空)第1踏切東の2面第1高架橋と国道際の2、3階建ての高架橋柱間および、4面第2高架橋間ならびに4面第3高架橋間の2、3階部連結橋の架設がが全て完了しました。

 京浜国道東のヤード脇の高架橋と連結橋の築造(:京浜国道東の2面高架橋と前後に架設の2、3階連結橋0602撮影、:第1高架橋と工事中の4面高架橋間に架設の連結橋、:第2高架橋と完成の4面高架橋間に架設の連結橋0601撮影)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第21回その2)

2009年06月08日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009

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第1京浜国道空港支線鉄橋2階部架設
京浜急行空港支線の鋼床板箱桁の2階部鉄橋が、6月7日に予定通り第1京浜国道を交通止にして架設が行われ完了しました。

 第1京浜国道空港線架設鉄橋(写真拡大0607撮影)

2階部鉄橋架設工事を行った巨大クレーンは、同9日に工事予定の同3階部鉄橋架設のための準備を進め、3階用鋼床板箱桁の鉄橋梁をクレーンに吊り下げて架設の工事を待ち受けています。

 3階部鉄橋の架設を待機中の大型クレーン(写真拡大0607撮影)

第5工区の高架化工事
・京急蒲田第2踏切鉄橋架設工事
前回記述時には京急蒲田第2踏切のPC橋桁の架設は2階部の架設が済み、3階部が4本の橋桁が架設してありました。
5月21日に見ると3階部 PC橋桁の架設が完了していました。同第2踏切のPC橋梁は京急蒲田駅ホームへの高架橋線路幅が広がっており、そのため橋梁の左右両端での幅員が異なるため、PC橋桁を扇形状に配して架設してあります。

 京急蒲田第2踏切のPC橋桁3階部の架設が完了(写真拡大0521撮影)

6月1日には2階部PC橋桁の底が囲い板で覆われていました。同7日には同2階部橋桁が工事囲いで外壁を覆われ、3階部の橋桁底の一部が囲い板で覆わていました。

 通行止め架設工事が終了した京急蒲田第2踏切PC橋梁(:底板で覆われた1階部PC橋桁0601撮影、:工事囲いで外壁を覆われた1階部PC橋梁0607撮影、:夜間通行止め工事終了お知らせの看板0601撮影)

・京急蒲田第2から第6踏切間の高架橋工事
6月2日に見ると京急蒲田第2踏切から南の2面第1高架橋と第2高架橋には連結橋を含めて外壁塀の取付け工事が行われていました。3面の第3高架橋の築造はまだ3階部は骨格の状態であり、2面第4高架橋はかなり完成の状態です。

 第2踏切から第4踏切間の高架橋築造(:第2踏切南の第1、2高架橋と連結橋の外壁塀取付け工事0602撮影、:同第2高架橋[右]と第3高架橋[左]、:同第3高架橋[右]と第4高架橋[左]0607撮影)

6月2日に見ると京急蒲田第4踏切道上のPC橋桁架設工事が始まっており、7日には工事外壁塀が付けられていました。第4踏切南と第5踏切北の高架橋はほぼ出来上がっています。

 第4踏切から第5踏切間の高架橋築造(:蒲田第4踏切道のPC橋梁架設工事0607撮影、:第4踏切南2面高架橋0601撮影、:第5踏切北の高架橋0521撮影)

京急蒲田第5踏切上の環8鉄橋の3階部には外壁塀が6月7日には付けられており、同踏切南の高架橋にも外壁塀の取付け工事が行われていました。同第6踏切北の高架橋は6月2日の時点では、スラブがまだ付けられていませんでした。

 第5踏切から第6踏切間の高架橋築造(:外壁塀が付いた環8鉄橋の3階部0607撮影、:第5踏切南の高架橋0607撮影、:第6踏切北の高架橋0602撮影)

6月2日に見ると第6踏切道上では、2階部のPC橋桁架設工事が行っていました。5月15日に車窓から見ると、6踏切北の高架橋上では連結橋の架設工事が行われていました。

 第6踏切の2階部PC橋桁の架設工事(:第6踏切北の高架橋上での連結橋架設工事風景[
車窓から]0515撮影、:第6踏切の2階部PC橋桁の架設工事0602撮影)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第21回その1)

2009年06月06日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009 第1京浜国道空港支線鉄橋架橋工事クレーン

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京急蒲田駅北部第3工区の高架駅橋と鉄橋架設工事
・多摩堤通り鉄橋架設
前回の記述時には、多摩堤通り(梅屋敷第4踏切)上の第1京浜国道側に3階の側壁用のガードが架設されていました。
5月27日に見に行くと、多摩堤通りの3階部に2本目のホーム用の鋼桁梁が架設されており、6月2日には多摩堤通り踏切際には、3本目に架設する鋼桁梁が保存されていました。また、多摩堤通りの交通規制のお知らせには、6月21日に交通止めの実施予定で、予備日を23日として架設工事を行うと記されていました。

 多摩堤通り上の3階部鋼桁梁鉄橋の架設(:多摩堤通り上の3階部に2本目のホーム用鋼桁梁が架設0527撮影、:3本目の鋼桁梁を保存0602撮影)

高架橋の築造は、5月27日時点では梅屋敷第4踏切際から2個目の2面高架橋は、前回記述時と同様に北側面の3階部高架橋にはスラブがまだ付いておらず、呑み川北岸の第3高架橋には南面の3階部骨格部に横桁梁が付いていました。また、呑み川南岸の第4高架橋の3階部骨格部にもスラブが付けられていません。

 第3工区の高架橋築造(:梅屋敷第4踏切際の第1、2高架橋、:呑み川北岸の第3高架橋、:呑み川南岸の第4高架橋0527撮影)

京急蒲田駅南部第4工区の高架駅橋と空港線鉄橋架設工事
・第4工区の3階高架駅橋の築造
前回記述時には高架橋工事図(再掲)に示す第4工区の高架駅橋工事は、高架橋RS63-64間の3階連結橋が架設工事中でした。
6月1日に第1京浜国道側から第4工区の高架橋見ると、高架橋RS63-64間の3階連結橋は、本線と空港支線からの分岐線の連結橋が架設されていました。また、RS61高架橋の3階部には、高架駅築造の足場が組まれていました。

 第1京浜国道から見た築造中の第4工区高架橋(:RS65[左]とRS64[右]高架橋、:連結橋に挟まれたRS63高架橋、:3階高架駅築造の足場が組まれたRS61高架橋0601撮影)

第4工区高架橋を京急蒲田西口の道路側から見ると、RS62、63高架橋は足場が組まれて工事囲い布で覆われ高架駅橋の工事が行なわれており、RS64高架橋は空港分岐線連結橋と結合が行なわれ、RS65高架橋は第5工区が施工した旧多摩堤通り上をPC橋桁で結ばれていました。

 京急蒲田駅西口道路から見た第4工区高架橋(:足場を組み築造中のRS62、63高架橋、:空港分岐線連結橋と結ばれた築造中のRS65高架橋、:第5工区とPC橋で結ばれたRS65高架橋0602撮影)

・第1京浜国道空港支線鉄橋架設
前回記述時点では、第1京浜国道京急蒲田駅側の高架橋RS62と空港線北側の円筒形鋼管橋脚柱間に架設された橋脚梁桁と、高架橋RS61間に空港支線に添ってカーブした2階の支線鉄橋PSA1-1が架設され、その先には空港線南側の円筒形鋼管橋脚柱に築造された3階橋桁柱の2階部の橋脚梁桁間にもカーブした支線鉄橋PSA1が架設されていました。
5月1日に見ると2階部支線鉄橋PSA1の上に3階部鉄橋を仮設するために、鉄橋桁を受ける仮の取付け台が設けられていました。同8日には3階部支線鉄橋PSA1の一部分が架設されており、13日には京急蒲田駅側枝線部の3階部支線鉄橋の架設が完了していました。

 空港支線京急蒲田駅側の枝別れ鉄橋架設工事(左上:0501撮影、中上:0508撮影:、右上・左下:0513撮影、中下:0601撮影、左下:0527撮影)

5月21日には京急蒲田(空)第1踏切際の空港線脇ヤードには、第1京浜国道空港線鉄橋の鋼橋桁の一部分の資材が搬入されていました。

 第1京浜国道空港線鉄橋桁梁の搬入(:0521撮影、:0527撮影写真拡大)

第1京浜国道設置看板の交通止のお知らせによると、実施日が6月7、9日で、予備日が同14、16日とあり、第1京浜国道空港線鉄橋の2階部の架設が7日に行われ、9日には3階部の架設工事が行われるものと思われます。これにより、京急高架化の鉄橋架設の大詰めを迎えます。残りの鉄橋架設は、多摩堤通りの6月21日、7月12日、8月2日で終わりの予定で、高架化工事関連の大通り踏切道上の鉄道橋の架設が完了します。

 最大級クレーンを使用して第1京浜国道鉄橋の架設(:第1京浜国道交通止めのお知らせ0601撮影、:ヤードに搬入された鉄橋架設の巨大クレーン0601撮影、:第1京浜国道鉄橋架設のため待機のクレーン0602撮影)

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イベント 国立大劇場観劇 前進座五月特別講演・中村梅之助舞台生活七十年

2009年06月04日 | イベント
kan-haru blog 2009 観劇の花道横の座席 

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今年は、2年振りで母校の観劇会に参加して、5月16日に国立劇場で前進座の五月公演昼の部を見てきました。

国立劇場
国立劇場(東京都千代田区隼町4-1)は、伝統芸能の保存・振興を牽引して、歌舞伎、文楽、能・狂言などの日本固有の文化価値をいっそう高めるために伝統芸能を上演し、将来を支える人材を高めるために独立行政法人日本芸術文化振興会を1966年に設立して、国立劇場大・小劇場の本館が開場しました。
国立劇場へのアクセスは、東京メトロの半蔵門線の半蔵門駅から徒歩5分、または永田町駅(有楽町線・半蔵門線・南北線)から徒歩10分のところにありますが、自宅からは足場が悪いので京急から直通の都営地下鉄で新橋駅でおり、そこからタクシーを利用しました。
今回の観劇は、大変と久し振りの前進座の演劇であり、また国立劇場は一度行って観たいと思っていましたが、なかなか機会がなくて初めての前進座五月公演の観劇で実現しました。観劇の座席は、1階の4列11番で前から3列目での花道から1つ離れた席で、わりあいと良い席に当たりました。

 入場券

前進座
前進座は、実は古くから馴染みのある劇団でした。大戦直後の1946年の混乱期の頃に営業・裏方・設営・移動等を俳優自身が行う巡演“青年劇場運動”を開始し、当初は学校を廻って生徒に演劇を見せていた時代がありました。丁度、その頃中・高等学生の時代で、娯楽に乏しく全校生で年に何度かの観劇や映画観賞会に参加していた時代がありました。その、観劇会が品川区で焼け残こった講堂のあった、現在の都立八潮高校(京急青物横丁駅下車、当時は女子高校)で上演の前進座の演劇で、出し物は「レ・ミゼラブル」や「ベニスの商人」などの文芸作品であったと記憶しています。
前進座(Wikipedia参照)の歴史は古く、1931年に創立の歌舞伎劇団で下級俳優が創設したことで、市井の庶民を描く世話物の演劇には定評があり、歌舞伎・時代劇・現代劇・児童劇と多彩なレパートリーを演じ、多くの女優陣が所属し歌舞伎の一部の役を女性が演ずるなどの特長があります。前進座の贔屓筋は多種多様で、保守・独占資本家や日本共産党などの心情的支持層、文学・芸能関係者、演劇ファンまでの広い層を持つ劇団です。


五月公演演目
前進座国立劇場大劇場五月公演は27回目の出演で、中村梅之助が1939年に新橋演舞場で「観進帳」の太刀持の初舞台以来、舞台生活七十年となる目出度いお祝の上演です。
昼の部の公演は11時半開演で出し物は、青山青果作「江戸城総攻」の三部作の通し上演と、松本清張作「左の腕」の生誕百年と共に梅之助の舞台生活七十年の記念公演です。

 前進座五月国立劇場公演パンフレット

・江戸城総攻第1幕
「江戸城総攻」の第一部は1926年に発表され歌舞伎座で初演され、第二部「慶喜命乞」は1930年に発表され、初演は1933年に東京劇場で上演されました。1943年に第三部の「将軍江戸を去る」を明治座で公演後は一度も上演されてこなかった出し物で、今回は鈴木龍男の改定・演出による始めての通し上演です。
慶応4年3月15日に決定していた江戸城総攻撃が中止され、無血開城になった歴史的事実の時代の徳川慶喜(嵐圭史)、幕府方の勝麟太郎(瀬川菊之丞)や山岡鉄太郎(嵐広也)、官軍の西郷吉之助(藤川矢之輔)たちのこの時代の生きざまを、青果は膨大な資料をもとに描き出して、「江戸を戦火にさらしてはならない、無辜(つみ)の民を殺してはならない」というヒューマン的な選択が感動を与えてくれる作品です。

 江戸城総攻配役

第1幕第1場は勝安房守の屋敷で、乗り込んできた山岡鉄太郎(嵐広也)と寄宿する薩摩の浪人益満久之助(益城宏)が勝麟太郎(瀬川菊之丞)の名を借りて西郷に合って、慶喜公の命乞いの談判をしたいので書状を認めて貰い、二人で死を覚悟で出かける場面。
同第2場は駿州静岡、征東大総督府武家参謀の詰所で、前場の数日後に薩摩藩が詰めている隊長に益満久之助が慶喜公の命乞いにきたと言っている場面に、西郷吉之助(藤川矢之輔)と山岡が談笑しながら現れる。西郷に書簡を渡して江戸城無血開城の五ヶ状の条件が示される。

・幕間の昼食
幕間の昼食は、予め国立劇場大劇場内のお食事処の「十八番」の幕間の幕の内弁当を注文しておいたので、2階の会場に行くと席まで案内してくれます。定番のお弁当は、季節の料理が入った、おかずが多い定食でした。食事前と食事後には種類の異なるお茶をサービスがあり美味しく頂きました。食事後の昼の幕間の間に、簡単なお土産を買っておきました。

 食事処「十八番」お土産屋店

・江戸城総攻第2幕
第2幕第1場は江戸薩摩屋敷で、慶応4年3月14日の午後に幕府海軍奉行の勝が訪れ4年ぶりの再会で、談判が始まり以心伝心の腹芸で決着し、「明日の城攻めは取り止め」の命令を下す。
第2幕第2場は上野大慈院で、鉄太郎が慶喜に「国土の権も人民に奉還なされませ」と乞い奉ります。
第2幕第3場は千住の大橋で、大橋の袂で出生の地の水戸に向かう慶喜公を旗本の侍、市民たちが見送る場面。

左の腕 ―無宿人別帳―
清張作品の「左の腕」公演は、今年は松本清張生誕百年と重なり記念すべき演目です。松本清張は、前進座の次代を育てるために「矢の会」の発起人として、海音寺潮五郎、大佛次郎、井上靖、水上勉とともに1968年に発足させました。

 舞台生活七十年となる中村梅之助が演じる卯助

・第1場亀戸天神
飴売りの卯助(中村梅之助)の一人娘のおきみ(上沢美咲)が、奉公先の料理茶屋松葉屋の女主人おあさ(河原崎国太郎)のお供で亀戸天神の甘酒茶屋へ。

 左の腕配役

・第2場松葉屋板場
おあさの気配りで卯助も松葉屋で働くことになる。おきみに横恋慕の岡っ引きのいなりの麻吉は、卯助が左の腕を布で匿しているのは無宿者の入れ墨とにらんでおあさに絡むと、卯助は麻吉に「ついて来い」という素振り。
・第3場松葉屋裏手
「金をだすからおきみを妾にしないか」と執拗な浅吉に、「可愛い娘は金では売れない」と撥ねつけると、「それなら左の腕を見せろ」と云われて長門無宿の見せて、卯助は「この古疵ばかりは娘に知られたくない」と浅吉に懇願する。
・第4場元の板場
松葉屋に強盗が押し入り、居合わせた浅吉と店の者が残らず縛られ、抜き身をおあさに突き付けた時、卯助が現れて大太刀廻りで強盗の頭が頬冠りをとった。
翌日は亀戸の天神祭、おきみと板前職人の銀次は内祝言をあげるという演題の庶民の哀歓の役を好演して見せてくれました。

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(6月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index イベント総目次 2009年版2008年版2006・2007年版
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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 6月INDEX

2009年06月01日 | INDEX
kan-haru blog 2009 6月1日19版

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K&A kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事の即時検索のほか、カテゴリー別の登録記事の全て(2006年3月から最新登録まで)の検索ができます。
また、京浜急行の高架化の駅別工区をキーとした、大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次を新設しました。

[K&A kan-haru 日記の見方について]
ブログ左覧のガイド板「カテゴリー」には、kan-haru日記のカテゴリー名とカテゴリー毎の記事登録数が掲載されております。
カテゴリー名の「ようこそ kan-haru日記へ」欄内には、次に示す日記の総合目次と日記を見るためのガイダンスが掲載してあります。
総合目次は、この月間INDEXと統合しており、同一のカテゴリー別目次を併用しております。
「ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について」は、この日記を見るためのガイダンスを記載してあります。日記の見方について (その1)の解説には、カテゴリー別の概要説明と共に、カテゴリー項目からは当該カテゴリーの第1回登録記事から最終・最新の登録までの全ての記事の索引が行えるようにカテゴリー別INDEXと結合してあります。
kan-haru日記 カテゴリー別総合目次(全日記INDEX)
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その1)  2007年1月30日 更新
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その2)  2007年1月22日更新
・ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その3) (未完)

[ブックマーク からカテゴリー別目次を見る]
ブログ左覧のガイド板の「ブックマーク」に、カテゴリー別目次を登録しました。カテゴリーを選択するとカテゴリー別の目次が見られます。
閲覧日記と同一のカテゴリーの目次は、記載日記最後尾のカテゴリー別Indexから見られます。

[閲覧日記のページから総合目次を見るには]
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各閲覧日記の先頭または後尾に記載の"< 総合INDEX へ" からも最新の目次が見られます。

[ブログ記事内の参照地図・写真などを拡大して見るには]
次の2006年3月月間INDEXに方法が記載してありますので、参照して下さい。
番外編 ブログ記事の参照地図を拡大して見る方法 [付 kan-haruの日記3月月間INDEX] 2006年4月1日

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次
■印覧の09年05月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。

 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年!
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)
      付 東京大空襲 ~あれから61年~
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
  ◇ 2006・2007年版2008年前期版2008年中期版2008年後期版2009年前期版2009年中期版
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第20回その1) 5月3日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第20回その2) 5月5日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第20回その3) 5月7日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 雑色駅付近(第15回) 5月11日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 糀谷駅付近(第11回) 5月17日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第34回その1) 5月23日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第34回その2) 5月25日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第34回その3) 5月27日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第21回) 5月31日
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
 9 大森町界隈あれこれ イベント  
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや

  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
  ◇ 大森町付近工区2006・2007年版大森町付近工区2008年版大森町付近工区2009年版梅屋敷付近工区京急蒲田付近工区2006~2008年版京急蒲田付近工区2009年版雑色付近工区糀谷付近工区

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008・2009年版
22 小さな旅 総目次
 ■ 小さな旅 三浦半島 十数年振りの三浦三崎港と城ヶ島での晩春の散策 5月9日
 ■ 小さな旅 世界一のつつじと鯉のぼり 館林のつつじが岡公園と文福茶釜の茂林寺に芝桜の遊覧その1 5月13日
 ■ 小さな旅 世界一のつつじと鯉のぼり 館林のつつじが岡公園と文福茶釜の茂林寺に芝桜の遊覧その2 5月15日
23 旅ものがたり 総目次
24 秋葉原界隈 総目次
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009年版
 ■ イベント 横浜開港150周年 ザよこはまパレード、フラワーアートフェスティバル、神奈川県庁公開その1 5月19日
 ■ イベント 横浜開港150周年 ザよこはまパレード、フラワーアートフェスティバル、神奈川県庁公開その2 5月21日
 ■ イベント 大森ベルポート 第9回早慶明大学対抗ジャズ・フェスティバルで明治大学優勝 5月29日
26 ITと技術 総目次
27 Weblog 総目次

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