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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 桃の節句 親子代々の七段飾りひな人形を目の前でゆったりと観賞

2011年02月28日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2011 府中郷土の森2007年2月12日
        
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先日、近所のお宅からひな人形を飾ったのでどうぞとのお誘いがあり、家では男子ばかりなので、家庭に飾った桃の節句のひな人形を目の前でじっくりと見る機会がなかったので、お言葉に甘えて鑑賞させて頂きました。

七段飾りひな人形
お雛様は、お部屋に入ると今から30年ほど前のご長女誕生時に誂えた、赤い緋毛氈が映えて華やかな立派な七段飾りひな人形でした。現在は、女子のお孫さんが誕生しており、2世代の災いを見守ってくれるお雛様です。

 七段飾りひな人形

ひな祭りの起源は、古代中国に起きた上巳の節句を日本に伝えられたと云われています。上巳の3月上旬の巳の日から、日付けを変動しないように3月3日としました。
昔から季節の節目には災いをもたらす災いが入りやすいと考えられ、禊や祓いを形代を身代わりとした信仰があり、自分の躰を人形にこしられて撫でて穢れを移していました。これを上巳の節句に混ざり合い、流し雛(「小さな旅 すみだ郷土文化資料館と墨田川江戸流しびな」参照)が定着していきました。
平安時代ごろ、宮中や貴族の子女間で紙の人形を使った遊びが盛んになり、雛遊びといわれるようになりました。この遊びと上巳の節句が結びつき、人の厄を受ける男女一対の紙製立雛が誕生し、これが雛人形の原型です。
2009年2~4月に三井記念美術館にて、おひなさまと特別展示きもの展(「イベント 三井記念美術館 三井家のおひなさまと特別展示きもの展」参照)が開催され、展示場には「立雛」が展示されておりましたが、撮影禁止のため絵葉書写真を再掲します。

 立雛(三井記念美術館絵はがき再掲)

江戸時代になると幕府が五節句を制定し、3月3日を「桃の節句」とし、5月5日を「端午の節句」としました。
昔は旧暦でしたので3月3日は桃の季節ですが、それで桃の節句ではなく、桃には邪気を祓う力があるとされ様々な神事に取り入れられていたので、邪気祓いをする上巳の節句が桃の節句になったのです。

 親王雛(写真拡大)

・七段ひな人形の飾り方
七段ひな人形の飾り方は、最上段に「新王」(内裏)雛を正面から見て左側に男雛、右側に女雛を並べます。しかし、昔は男雛が正面から見て右側、女雛が左側にかざっていましたので、京都など伝統を重んじるところでは現在も男雛を正面から見て右側に飾っています。
なお、上記の「おひなさまと特別展示きもの展」の展示の内裏様の飾り方は、向かって左に男雛が飾られていました。

 内裏様(三井記念美術館絵はがき再掲)

二段目に「三人官女」を並べ、向かって右から順に長柄の銚子、嶋台、提子(ひさげ)を手にした女官を飾ります。
三段目の「五人囃子」は、右から扇を持つ謡い手、笛、小鼓、大皮鼓、太鼓の順に並びます。

 親王、三人官女、五人囃子の飾り方

四段目に左大臣と右大臣の「随臣」を並べ、五段目に「仕丁」を飾り向かって右に左近の桜、左に右近の橘を置きます。五段目には「箪笥」「長持」「鏡台」「針箱」「火鉢」「茶の湯道具」を並べ、六段目には「重箱」「御駕籠」「御所車」を飾ります。

 ご道具揃い(上段左から:箪笥・長持・鏡台・針箱・茶の湯道具、中段:香炉、下段:駕籠・重箱・御所車)

その他、七段ひな人形の部品は多く、最上段には「屏風」「雪洞(ぼんぼり) 」「三宝」を置き、二、四段には「丸もち」「菱台」「膳揃え」を置きます。

 御膳揃い(上段:丸もち・三宝、下段:菱台・善揃え)

雛のつるし飾り
ひな祭りの飾りには、稲取温泉の「雛のつるし飾り」(「小さな旅 雛のつるし飾りまつりと河津桜まつり その1」参照)があり、江戸時代から伝わるといわれる全国でも珍しいものです。「雛のつるし飾り」は雛祭りのときに雛壇の両脇に一対のつるし飾りを飾る風習で、親から子へと代々受け継がれてきた祭りです。
つるし雛は、猿っこ、柿、唐がらし、座布団、這い子人形など数10種類ある各人形には「いわれ」があり、成長への願いを込めてお飾りが色鮮やかに、愛情あふれる手作りのつるし飾りで、雛壇のまわりにあふれています。

 稲取つるし雛(20070304)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第13回その5)

2011年02月26日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2011 完成状態の橋脚柱は下りトロリー左の丸筒に建てられる       

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第8工区工事
・糀谷高架駅橋設備工事
現在の糀谷高架駅の築造は仮構築であり上下線の高架駅橋設備を完成するには、先ず、本体構造部が完成している上り線高架ホ-ムに、階段、エレベータおよびエスカレータの取付工事を行います。一方の下り線高架ホ-ム構造部で使用されている、張り出し部が設けられた仮上り線ホーム(写真青②)を撤去し、その跡に現在架設済みの上り高架橋に平行して下り線高架橋を架設して、下り線を高架化運航に移行します。下り線の高架後、旧地上の下り線線路(写真黄緑②)を撤去します。その時点では、下り高架ホームからは現在使用している仮階段と仮エレベータを通路として利用します。

 糀谷高架橋駅構造構成説明図

次に、糀谷高架駅橋の築造のため、高架橋の橋脚を最終構成の場所(写真黄①)に建立した後に、下り線高架ホ-ムには、階段、エレベータおよびエスカレータの取付工事を行い、1階改札口を高架橋下の中央部に移設し、仮下り高架ホームの拡張幅員部(写真黄②③)間の高架橋桁(写真黄④)と橋脚柱(写真黄⑤)を撤去して、旧下り線地上ホーム(写真青③)や駅舎、中央改札口およびその通路などを撤去することにより上下線の高架化は完成ですが、それには相当の工程期間と複雑な工事を必要とします。

 完成糀谷駅の改札口と周辺図

2月6日に見ると、糀谷高架駅橋西方の幅員拡幅高架橋部の2か所で、最終完成形態高架橋用の橋脚建立穴部の基礎工事が終了していました。

 糀谷高架駅橋の完成形態幅員の橋脚位置2ヶ所の建立橋脚穴基礎工事完(:、:完成高架橋脚建立西より2脚目の脚穴基礎工事完了、:同西より1脚目の脚穴基礎工事完了0206)

同21日には、2か所の橋脚穴のうち2脚目の位置に完成高架駅橋用の橋脚柱(糀谷高架橋駅構造構成説明図の黄①参照)が建立されていました。

 最終完成形態幅員2脚目位置に高架橋脚建立(矢印)(0221写真拡大)

また、同25日には西よりの1脚目の橋脚穴にも、橋脚柱が建立されていました。なお、最終完成形態の糀谷高架駅橋の完成までには、地上下り線路との間が接近のため建立できない箇所を含めて、残りの4脚の橋脚柱建立が必要です。

 最終完成形態幅員位置1脚目に高架橋脚建立(0225写真拡大)

さらに同日には、高架駅橋下には各種の工事機が置かれ、クレーンや穴掘り機などを駆動して、橋脚柱建立の穴掘り基礎工事や高架駅設備築造の準備工事が進んでいました。

 高架駅橋下では工事機を駆動して基礎工事が進む(0225写真拡大)

・下り線高架橋築造工事(糀谷第1踏切西側構内)
1月には、糀谷第1踏切西側構内の下り線高架橋築造の橋脚柱3脚の地中基礎工事が終了しているようです。2月15日には、高架橋南の区道側には高架橋築造用の防護カーテンを取り付けていました。

 高架橋築造工事用の作業カーテン膜取付(0215写真拡大)

同21日に見ると踏切西側構内の下り線高架橋築造現場には、各種の工事機が集結し、同25日には同踏切西際の高架橋脚柱の地下基礎部を露出し、橋脚柱建立の準備が進んでいました。

 糀谷第1踏切西側構内の下り高架橋脚柱建立の準備が進む(:糀谷第1踏切西側構内には橋脚柱建立の工事機が集結0221、:、:切西側の高架橋基礎部が橋脚柱建立により露出される0225)

・下り線高架橋築造工事(糀谷第1踏切東側傾斜高架橋)
2月21日の糀谷第1踏切東際では工事機を備えて、下り線高架橋築造の高架橋脚柱地下部基礎の工事が進められていました。

 工事機により高架橋脚柱地下基礎部の工事(0221写真拡大)

同25日には、橋脚柱地下基礎工事の工事機は第1踏切際橋脚柱から、4脚目の東方に移動して工事を進めていました。

 事機による高架橋脚建立の基礎穴工事(0225写真拡大)

同日には、大鳥居駅からの地上線路運行列車車窓から、稼働している橋脚柱地下基礎工事の工事機を動画で撮りました。

糀谷第2踏切-糀谷駅間.wmv

[クリックすると、車窓からの糀谷第2踏切-糀谷駅間仮下り線高架橋築造現場が見られます。]

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第13回その4)

2011年02月23日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2011 階段・エスカレータの取付工事が行われる下り線高架ホーム      

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第6工区工事
・雑色駅設備工事
雑色駅の上り高架ホーム設備は、昨年の暮れにエスカレータが開通(第11回その4)して駅設備の設置は完了しました。今後の雑色駅設備工事は、まず下り高架ホームに階段、エレベータおよびエスカレータの設置工事となり、それには在来下り線ホームを閉鎖して撤去することが必要となります。

 撤去される雑色駅東口と下り線ホーム(:夏祭りの雑色駅東口20100605、:京急蒲田第13踏切から見た在来下り線ホーム、:雑色駅在来下り線ホーム0215)

在来下り線のホームを撤去するには、仮の地上下りホームを旧上り線線路跡上に設置して、現西口改札口を共用して出入りすることになります。そのため、先ずは2月15日から西口現改札口の変更の工事が行われました。

 上り発券機・改札機の移設と増設のお知らせ

西口改札口の変更の工事は、下り仮ホームの築造を前提として、券売機が線路側に移設され改札機の増設の変更が行われました。

 下り高架ホーム工事で改造された西口改札口(:糀谷駅西口移転の発券機、:西口改造の入り口から見た改札機、:西口改造の出口側から見た改札機0216)

また、同時に上り高架ホームへの通路区分も変更されました。

 上りホームへの通路区分変更のお知らせ

上り高架ホームへの通路は、改札を入って手前にエスカレータがあり、その先にエレベータと階段があり、通路の左手の白板塀の外側は在来下り線線路際で、仮下り線ホームが設置されます。

 高架ホームへは西口改札から仮通路を通って進む(:旧上り線線路上に設けられた仮通路を通って高架ホームへ、:多機能トイレ前の仮通路を通過して高架ホームへ、:仮通路を進みエスカレータ・エレベータで高架ホームへ0216)

これからのの駅設備変更工事の工程は、旧上り線の線路跡上に地上下り仮ホームが設けられて、その後に在来下りホーム、改札口と駅舎が取り壊し撤去が行われた後に、下り線の高架ホームに階段、エスカレータおよびエレベータの取付を行う段階を踏んで進みます。

 旧上りホームの先の元上り線路上に仮下り線ホームが設置される(0216写真拡大)

雑色高架駅の完成イメージを大田区のホームページで見ると、上下線の高架ホームの北端は、現東西の改札口位置から南の横浜寄りとなります。上下線の高架化運用が開始されると雑色駅の1階改札口は、横浜寄りに移動した高架橋下の中央部に設けられます。雑色駅東方から改札口へは、第1京浜国道と高架橋下にかけて築造予定の駅前広場から入ります。また、雑色駅西方から改札口へは、高架橋西側に沿って新設される関連側道から入ります。

 雑色高架駅の改札口(完成イメージ大田区ホームページ)

・六郷下り線仮高架橋築造工事
雑色第4踏切南方の旧上り線低地盛土部から六郷土手駅近くの雑色第5鉄橋間では、盛土と傾斜高架橋を撤去して、六郷下り線仮高架橋築造工事の準備が進められています。

 車窓から見た下り線仮高架橋築造工事現場(:雑色第4踏切南方付近の工事現場、:上り線車窓から見た工事現場0216、:雑色第5鉄橋付近の車窓から見た工事現場0221)

2月21日に車窓前方から、六郷土手北方の雑色第4踏切-第5鉄橋間の旧上り線線路跡仮下り線高架橋築造現場の動画を撮りました。

六郷土手北方の仮下り線高架橋築造現場.wmv

[クリックすると、車窓からの雑色第4踏切-第5鉄橋間の仮下り線高架橋築造現場が見られます。]

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第13回その3)

2011年02月20日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2011 京急蒲田高架駅橋下の工事現場     

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第3、4工区工事
・京急蒲田高架駅設備工事
現在の京急蒲田駅の構内構造設備は、2010年5月16日に高架化開通の2階部高架駅橋の4、6番線には横浜方面発の品川方面または羽田空港行列車と、羽田空港発の品川方面行き直通列車が発着しており、在来地上ホームの1、2番線には品川方面発の横浜方面行または羽田空港行き直通列車と、羽田空港発の横浜方面行き直通列車が発着しています。京急蒲田駅の東口および西口からは地下道が通じており、階段またはエレベータで地下に降り、地上および2階高架ホームへは階段またはエレベータが通じています。なお、西口からは直結の1階通路を経て2階高架ホームへの階段、エレベータまたはエスカレータが通じています。さらに、地上ホームと2階高架ホーム間には仮の2階連絡通路橋で接続されており、階段で昇り降りします。

 京急蒲田駅構内図(2010年05月16日現在)

3階高架化工事が進み京急蒲田高架駅が完成したイメージを見ると、3層構造の高架駅の改札口は2階の駅コンコース階に設けられ、東側の第1京浜国道の空港線高架橋南の袂付近から、西側駅前広場間を直線に結ばれる「東西連絡通路」から階段、エスカレータやエレベータを上がります。このコンコース階駅舎には、第1京浜国道の東口駅前広場を跨ぐ横断歩道橋と、西口あすと商店街広場を跨ぐペデストリアンデッキとが結ばれ、京急蒲田駅周辺の東西南北から改札階に繋がります。

 京急蒲田駅改札口と周辺横断歩道橋(完成イメージ大田区ホームページ)

2月15日に京急蒲田高架駅橋の下部を見ると、駅コンコース階の桁枠の組みたての殆どが終わっており、2階ホームと地上ホームを結ぶ仮の連絡通路橋との中間の高さに位置しており、徐々に京急蒲田高架駅の姿が見える様に進んできました。

 京急蒲田駅コンコースの築造が進む(:駅コンコース南側の地上部工事、:京急蒲田駅コンコース端[下部]と仮連絡橋[上部]、:駅コンコースの北側呑川方0215)

・第1京浜国道歩道橋工事
第1京浜国道歩道橋の工事は、東口駅前広場の北方と南方をUの字形に挟んだ歩道橋が設けられます。現在、Uの字形一辺の東口駅前広場南方の大田区産業プラザPIO側の歩道橋の架設工事で、国道を1月17日に跨ぎました。

 横断橋架設の京急蒲田駅東口駅前広場のイメージ

PIO横歩道橋の旧堤方通り側では、南側にエレベータが設置され、高架橋寄りの奥側にはU字形折り返しの自転車通路の傾斜道が設けられます。なお、東口駅前広場北方にも国道歩道橋が架設されると、南北の歩道橋間に連絡橋が架設され京急蒲田駅改札口に連絡します。

 架設が進む第1京浜国道西側の歩道橋工事(:歩道橋の突起部裏側にエレベータを設置、中:歩道橋の突起部は北側歩道橋との連絡接続部、:U字形折り返し傾斜橋の橋脚台0215)

PIO横歩道橋の東口駅前広場側では、国道歩道の南側にエレベータが設置され、広場の横を東方に向かってU字折り返しの自転車通路の傾斜道が設けられます。

 架設工事が進む第1京浜国道東側の歩道橋(:歩道橋の突起部にはエレベータを設置:、:東口広場にU字形折り返し傾斜橋の橋脚台設置、:歩道橋先にはU字形折り返し傾斜橋を設置0206)

第5工区工事
・京急蒲田第2~6踏切間旧下り線線路跡工事
2月15日に見ると、京急蒲田第2~6踏切跡間では、高架橋下の各場所に応じた基礎工事が継続して行われています。同第5~6踏切跡間では、工事で余った土砂を同第6踏切南側に建立した橋脚柱穴に運び、埋め込みの工事を行っていました。

 第2~6踏切跡間の高架橋下の整備工事(:第2~4踏切跡間の高架橋下の整備工事、:第4~5踏切跡間の高架橋下の整備工事、:第5~6踏切跡間の高架橋下の整備工事0215)

・京急蒲田第6~9踏切間旧下り線線路跡工事
同15日には同第6踏切南方では、高架橋脚柱用の鉄筋柱が一列に並んで建立されていました。高架橋脚柱用の穴は数十メートルの深さがあり、穴にライナーが埋められその中に鉄筋柱が何本も挿入され、土砂を入れてコンクリート打ちを行い、その上に高架橋脚柱が建立されますが、この区間の橋脚柱の形状が四角形のコンクリート柱であるので、コンクリート柱の鉄筋が組まれています。

 第6踏切跡南では傾斜高架橋鉄筋柱が建立する(0215写真拡大)

コンクリート柱の鉄筋の建立は、同第6踏切から南へと延び、ヤードから除くと築造の高架橋橋脚に並んで建っており、第6踏切では3階の高さから傾斜して下がり、第9踏切では2階の高さとなります。

 高架橋鉄筋柱の建立をヤードから見る(0215写真拡大)

同第8踏切北方の橋脚柱用の鉄筋柱の建立工事は、橋脚柱間の基礎工事と同時に行われています。

 第8踏切跡付近の傾斜高架橋鉄筋柱の建立工事(0215写真拡大)

同第9踏切北側では、踏切際の橋脚柱の建立工事が行われていましが、その他は基礎工事の段階です。

 第9踏切付近の高架橋柱の建立工事(:第9踏切北側の高架橋柱建立工事、:第9踏切付近の高架橋柱の建立基礎工事0215)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第13回その2)

2011年02月18日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2011 大森町東口隣の商店解体跡地の仮ヤード    

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第1工区工事(続)
・内川北岸周辺の仮高架橋工事
1月には内川北岸周辺の仮高架橋工事現場で、旧上り線跡の傾斜高架橋橋脚の取壊し撤去が行われ、平和島第2架橋梁の橋脚台の取壊しの準備が進められていました。1月29日に見ると、平和島第2架橋梁の橋脚台の取壊し撤去が終わっており、旧上り線跡の高架橋脚のP17の取壊しも行われており、残るは両岸の内川橋梁橋脚台のみとなりました。

 旧上り線跡の平和島第2架橋梁橋脚台の取壊し撤去(0129写真拡大)

2月3日に見ると、旧上り線跡の傾斜高架橋橋脚の撤去残材は整理され、仮高架橋建立の新橋脚台の設置の準備が始まりました。

 旧上り線跡橋脚台の撤去が終わり新脚台の準備(:旧上り線跡に仮高架橋架設の新橋脚台設置の準備、:新P-16橋脚台設置の準備が進む、:新P-17橋脚台設置の準備が進む0203)

大森町商店街の商店建替え
大森町駅東口の商店街通りは、京急高架化の関連で幅員が13mに拡幅(区街3号都市計画線)されるため、建屋を解体し建て替えの工事が進んでいます。前回記載の商店街通り北側の建屋も解体工事が始まりました。

 大森町駅東口商店街の建屋解体、建替え工事(0203・0208・0210写真拡大)

大森町駅の下り線駅舎、改札口、地上下り線ホームを上り線側に仮設して、下り線高架駅ホームの工事を進展させる方向に進んでいます。下り線高架駅ホームの階段、エレベータ、エスカレータの工事が完成し、下り線の高架化の運用が開始すると、大森町駅高架下には駅設備が完備します。

 大森町駅周辺地図

また、大森町駅西側商店街では、商店の建て替えが2棟完成し、商店の取壊し跡地には自転車駐輪場が設けられました。

 大森町駅西側商店街は高架化で姿を変える(:田肥電器北側に新築のオフィスビル、:田肥電器南側に新築の接骨院0218、:TSUTAYA北側に開設した駐輪場0203)

現在は下り線の高架工事が進行のため、駅周辺は工事で繁雑となっていますが、平成24年末頃に完成の大森町駅西側では道路(本付1号都市計画線)が拡幅(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 関連側道整備編交通計画大森西地区説明会(第1回その2)」参照)され、東西駅前商店街通りは幅員が拡張され、タクシー駐車場が設けられる予定です。

 大森町駅周辺の側道計画説明図(再掲)

また、京急高架橋の西側沿いには、内川南岸から第2工区の梅屋敷まで、幅員が6mの関連側道(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 関連側道整備編交通計画大森西地区説明会(第1回その1)」参照)が開通します。

 大森町・梅屋敷駅付近側道地図(再掲)

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<前回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第13回その1)
次回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第13回その3)
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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第13回その1)

2011年02月16日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2011 地上下り線仮ホーム台用柱の設置工事  

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第1工区工事
・上り線大森町駅ホーム跡工事
2月3日には、上り線大森町駅高架橋下の旧ホーム跡では、高架橋脚間の地中設置梁工事も詰めの段階に入り、未着手の上り線高架ホームへのエスカレータの据え付け工事の準備が始まります。

 上り線大森町駅高架橋下の旧ホーム跡の基礎工事1(0203写真拡大)

同6日には高架橋脚間の地中設置梁工事もあらかた完了して、大森町高架駅西側の外壁取付の準備工事が始められました。

 上り線大森町駅高架橋下の旧ホーム跡の基礎工事2(0206写真拡大)

同15日に見ると、高架駅西側の外壁取付柱を建て、同日中に南端部分まで付け終えました。また、エスカレータ取付の中間部にエスカレータ桁枠の受け台が設置されていました。

 上り線大森町駅高架橋下の旧ホーム跡の基礎工事3(0215写真拡大)
 
翌16日にはエスカレータ枠の受け台を整備して、高架ホーム南側から北向きに降る地上部では足場が組まれて、いよいよエスカレータの設置工事が始まります。上り線の高架駅ホームの工事は、エスカレータが設置されると完成です。

 エスカレータ取付工事が始まる(写真拡大)

・大森町駅駅舎・改札口・下り地上ホームの改造変更工事
ここで、大森町駅の高架化の変遷を振り返って見ると、2007年4月29日時点の駅の構造は、改札口が東口と西口にあり、構内には上下線間を連絡する踏切がありましたが、同年5月に入ると上下線連絡の踏切は、高架化工事のため閉鎖撤去されました。

 2007年4月29日の大森町駅を見る(:大森町駅東口、:大森町駅東口、:上下線連絡の構内踏切)

2010年5月16日の上り線高架運用では、西口改札口は旧上り線線路およびホームの運用を停止し、上り線高架ホームまでは仮通路を経て、階段およびエレベータを開通し高架運転が完成しました。

 上り線高架化開通前後の大森町駅西口改札(:上り線高架化前、:上り線高架化後20100516)

下り線高架化工事を行うには、下り線の高架駅ホームへの、階段、エレベータおよびエスカレータの取付工事が必要です。その工事には、下り線高架ホームの下にある在来下り線駅施設の駅舎・東口改札口・下り線地上ホームなどの撤去工事が必要です。
そのためには、駅舎施設を西口に移設新設して、旧上り線線路跡の上に仮下り線ホームを仮設し、西口改札口を変更して上下線ホームと連絡路を設ける改造工事が必要となります。

 下り線高架化工事には在来下り線駅舎の解体撤去を要す(:在来大森町駅東口(下り線改札口)駅舎、:大森町駅在来線下りホーム、:大森町駅舎の西側へ移転新築工事が始まる0216)

・仮下り線地上ホーム仮設工事
2月15日に見ると、旧上り線線路跡の上に仮下り線地上用のホーム台を設置する固定柱が、在来地上ホームの北端部に並べて設置の工事を行っていました。これは、在来の地上下り線の代替えのホーム用で、上り高架駅ホームの工事のために撤去する仮設工事です。

 地上下り線仮ホーム台用柱の設置工事(左上中上右上左下中下右下0215)

・大森町駅舎移設新築仮工事
同8日に見ると、在来の下り線側にある駅舎を撤去解体するために、西側にあった旧ナンカ堂跡地に鋼柱が建ち仮大森町駅舎の築造が開始されました。仮駅舎の築造と旧上り線線路跡に設けられる下り線仮ホームが出来上がると、旧下り線駅舎とホームが撤去されるので、下り線高架駅ホームの工事が進展します。これにより、仮の大森町駅設備は、旧上り線側の上下ホームにより、完成まで運営されます。この運営形態は、第2工区の梅屋敷駅が、反対の旧下り線側を使用しての上下ホーム運用と同じ形態になります。

 上り線側大森町駅仮地に仮駅舎築造が始まる(左上0208・中上右上0210・左下0215・中下右下0216)

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大森町界隈あれこれ 大森町2月の風景・風物誌 諏訪神社の節分・初午と金山神社の針供養他

2011年02月14日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2011 節分豆まき        

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節分祭と初午祭
2月には、氏神様の諏訪神社では立春の前日に「節分祭」が、最初の午の日に末社の伏見稲荷神社で「初午祭」を行い、引き続き内川沿いの末社の金山神社にて「針供養」を行うのが恒例で、春を前にした大森町の風物誌です。

 2月の大森町の風物詩の諏訪神社と末社(:節分祭の諏訪神社、:初午祭の末社伏見稲荷神社、:針供養を行う末社金山神社)

節分祭・初午祭・針供養のご案内。

 節分祭・初午祭・針供養のご案内

・節分祭
節分祭は2月3日に行われ、今年の年男・年女の申込者31名を3組に分けて、先ず本殿にて追儺式を挙げます。追儺の儀式は、「鬼やらい」「なやらい」「鬼走り」「厄払い」「厄おとし」「厄神送り」等と俗に称せられ、疫病などをもたらす悪い鬼を駆逐する行事(「大森町界隈あれこれ 二月の風景・風物誌 諏訪神社の節分・初午と金山神社の針供養2009」参照)をいいます。追儺式には、年男・年女は裃を着用し手水舎で左右の手と口を清め、神官を先頭にして本殿に上がり祝詞を捧げ、一同礼拝してから本殿内の内部に2回「福は内」と豆をまき、外部に向って1回の「鬼は外」と唱えて豆を撒きます。

 節分追儺の儀式

神官が太鼓を鳴らして儀式が終わると、豆の入った枡が各自に渡され、本殿前で記念写真を撮り神楽殿に上がり、クライマックスの豆まきが3回行われます。豆まきは、豆、お菓子、みかん等が撒かれ皆がわれ先にと縁起物を取り合う風景は大森町鎮守様の春の風物詩です。

 節分豆まき

・初午祭
初午祭は、お稲荷さんの総本社である伏見稲荷様は、711年(和銅4年)に降臨されたのが2月の初午だったと云われ、2月の最初の午の日である2月8日に、諏訪神社の鳥居を潜って右側に鎮座の末社の伏見稲荷神社で、午後3時から「初午祭」が行われます。初午祭の式典は、神社役員やお参りに来た人が諏訪会館に集まり、神主さんの先導でお稲荷さま内で祝詞を挙げて儀式を行い、参詣人が代表に合わせて参詣します。

 伏見稲荷神社で初午祭

・針供養
針の供養は江戸時代から、針の労をねぎらい裁縫上達を祈る祭りとして広まったそうで、関東では一般に2月8日に行われます。内川縁にある諏訪神社の末社の金山神社での針供養は、初午祭と同日に行うのがしきたりですが、今年はたまたま2月8日に重なりました。神主さんと神社役員や針供養をする女性が参列して豆腐に針を刺して神殿に捧げ、祝詞を挙げて供養をして代表に合わせあて参拝します。諏訪神社では、初午祭と針供養の儀式が終わると、一般参詣者にお菓子が配られますので、大勢の子供がお母さんと待ちかねて並んで貰う風景は微笑ましいものです。

 末社金山神社での針供養

大森三丁目連合町会創立60周年記念植樹の梅の花
大森三丁目連合町会では2009年が町会創立60周年に当たり、11月8日(日)に大田区長の出席のもとで、大森諏訪公園に区の木である白、ピンク、赤色の梅の木3本の記念植樹式典(「大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2009.11.29)」参照) が行われました。2010年2月3日に公園に立ち寄り植樹された梅の木を見ると、3本の梅のうち真ん中の木にピンクの花を咲かせて(「大森町界隈あれこれ 内川風景 変化する冬の内川を歩く(その2)」参照)いました。
今年も2月3日に大森諏訪公園に植樹された梅の木を見に行くと、3本の木の左端の梅に白い花を付けていました。

 町会創立60周年記念植樹の梅の花

大寿会第一クラブ新年会・誕生会
大寿会第一クラブでは、新年会と11、12、1月生まれの方の誕生会を、1月25日に諏訪神社諏訪会館で開催しましたので出席しました。
会長の挨拶後新年会が開始され、今年は地方選挙の年で多くの議員の祝辞があり、大森三丁目連合町会長濱勝康様、同女性部長田村正子様の来賓祝辞に続き、大寿会第2および第3クラブ会長の紹介がありました。

 会長挨拶・町会長・婦人部長挨拶

続いて誕生者の氏名が、11月生まれ6名、12月生まれ6名と1月生まれ12名の紹介があり、新役員2名の紹介などがあり乾杯によりお弁当を食べながらの新年会の懇親会が始まり、新年恒例の抽選会が行われました。

 乾杯の音頭後恒例のお楽しみ抽選会

新年会も盛り上がり、お楽しみの余興の時間に入り合唱、カラオケ、舞踊と和やかに過ごしました。

 盛り上がる新年会余興

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ITと技術 日本の宇宙技術 講演と宇宙展を見て小惑星物質を持ち帰ったはやぶさの技術に誇りその3

2011年02月12日 | ITと技術
kan-haru blog 2011 太陽の力で推進する宇宙ヨット「イカロス」(JAXA公開)
       
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日本が誇る宇宙技術
・世界で初めて小惑星の粒子を持ち帰った「はやぶさ」
日本の宇宙技術の素晴らしさをJAXAが見せてくれたのは、2003年に打ち上げた小惑星探査機「はやぶさ」が、小惑星イトカワに着陸して粒子を世界で初めてカプセルに採取して持ち帰り、7年をかかって昨年6月に予定したオーストラリアに帰還させ、その偉業には日本国民に大きな感動を与えてくれました。

 カプセルから掻き出しヘラの電子顕微鏡写真(JAXA公開)

・世界最初の宇宙帆船「イカロス」
昨年5月21日に「あかつき」との相乗りで打ち上げられた宇宙帆船イカロスは、世界で初めて厚さが7.5μmのポリイミドフイルムの膜面で、一辺の長さが14mで帆の重さが15kgの大型の帆面に、厚さが25μmの薄膜太陽電池と、宇宙塵計測装置、電源ON/OFFで帆の向きを制御する液晶薄膜(その2参照)、が張られています。

 液晶デバイスによる姿勢制御のイメージ(JAXA公開)

イカロスの帆の中央には四角い窓が設けられており、ここには直径1.6m、高さ0.8mの円筒形の船体があり、この船体に帆を帯状に折り畳み、外周に巻き付けた形で収納した、JAXA固有のユニークな世界初の宇宙帆船です。

 イカロスの帆の膜面・形状配置説明図(JAXA公開)

宇宙ヨットの構想は1919年、ロシアのツィオルコフスキーらにより提案され、1963年SF作家のアーサー・C・クラークが、地球上空から月に向かう宇宙ヨットレースを描いた短編「太陽からの風」に登場して知られるようになり、JAXAのイカロスによって実証されたことになります。

 イカロスの実証行程(JAXA公開)

宇宙帆船イカロスは、太陽光を受けて燃料なしで推進する世界初めての実証機で、金星に向かう軌道に送り出され、同年12月8日に金星に最接近しました。

 イカロス打ち上げ軌道(JAXA公開)

イカロス宇宙船の実証任務は、先ず第1番として、円筒形の船体に巻き付けられた大型膜面の展開・展張と展張状態の評価は、同5月26日に先端マスを分離して、同6月2~8日に一時展開して、同9日に二展開を実施して、その後もスピンにより展張状態を維持して事前予測とおおむね一致し目的が達成されました。

 大型膜面の展開・展張(JAXA公開)

第2番目には、セイル上に搭載された薄膜太陽電池を、6月10日に発電して確認し、電池データの特性を把握し達成しました。
第3番目には、ソーラーセイルによる加速効果を、軌道決定により光子加速の効果を確認し、力が設計値とほぼ一致することを確認し、光学特性を考慮した姿勢軌道ダイナミクスを構築し、学パラメータ同定法を確立し、道計画系へ反映させました。

 帆による加速(JAXA公開)

第4番目には、ソーラーセイルによる航行技術の獲得では光子加速モデルを構築し、ラッキングを含む実運用に耐える軌道決定手法を確立し、セイル姿勢状態を制御することで想定通りの軌道制御ができることを用いた航法誘導技術を確認しました。

 液晶による帆の制御
 
JAXAでは2011年1月26日に、小型ソーラー電力セイル実証機(IKAROS)の定常運用終了報告書を出して、定常運用を終了しました。

・小型ソーラー電力セイル実証機「IKAROS」ビデオ
JAXAが2010年04月01日に作成した、『小型ソーラー電力セイル実証機「IKAROS」』ビデオは、実証機の開発期間中に作成されたもので、イカロスの詳しい解説から、打ち上げ後のミッションシーケンスの内容などを、解りやすく13分27秒のビデオに編集されており、Youtubeのおすすめ動画に登録されたものです。クリックしてご覧下さい。

小型ソーラー電力セイル実証機「IKAROS」


「はやぶさ」の感動よ いま一度!
『空と宇宙展~飛べ!100年の夢~』の展示会場(マップ参照)のイカロスコーナーの隣は、はやぶさコーナーです。コーナーには、2010年6月13日に日本中を沸かせて地球に帰還して、大気圏に突入して飛散した「はやぶさ」の実物大の模型が展示してあります。

 はやぶさ模型(写真拡大)

「はやぶさ」のミッションシナリオは、2003年5月9日にM-Vロケット5号機によって打ち上げられ、小惑星「イトカワ」に向かって出発し、2004年5月に地球スウィングバイを行なって、2005年9月に小惑星イトカワに到着しました。
この目的のため、「はやぶさ」の推進機構のひとつに電気推進エンジンがあり、この電気推進エンジンは、まず、マイクロ波によって推進剤のキセノンをイオンに電離します。次に生成したイオンを強力な電場で加速、高速で噴射させ、その反動を利用して推進力を得ます。電気推進エンジンは、従来の化学推進エンジンと比べて、燃料の効率が良いことが知られています。その一方で、その推進力は極めて小さいため、化学推進エンジンと同じだけの軌道変更を行うためには、非常に長い時間、連続して作動させなければなりません。

 はやぶさの推進エンジンにはイオンスラスターを持つ

また、イトカワへ着陸して、試料を採収して持ち帰るためのサンプル採集装置と12基の化学エンジンを装備してあります。2005年11月26日には小惑星イトカワへの降下着陸を行い、試料採取のためのタッチダウンに成功しました。

 はやぶさにはサンプル採集装置・イオンエンジン・化学エンジンを装備(:イトカワでのサンプル採集装置、・右:イオンスラスター4基と化学ラスタが12基装備)

「はやぶさ」は、遠く離れた小惑星に探査機が自ら判断して近づく「自律航法」、小惑星の表面に小さな玉を打ち込んで、はねかえるかけらを採集する「微小重力下での試料採取法」、採集した試料を地球に届けるため耐熱設計された「帰還カプセル」などのいろいろな技術を使用しています。

 はやぶさはいろいろな技術を駆使しています(JAXA公開)

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ITと技術 日本の宇宙技術 講演と宇宙展を見て小惑星物質を持ち帰ったはやぶさの技術に誇りその2

2011年02月10日 | ITと技術
kan-haru blog 2011 イカロスJAXA提供      
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日本航空機の100年
『空と宇宙展~飛べ!100年の夢~』の展示会場を、国内100年前の初飛行から見て回り、戦後の再開した後の空への進展は素晴らしく発展しました。時計回りに会場を進み、日本航空機変遷の資料や天井に吊るされている風洞模型の飛行機を見ながら、わが国100年間の空の歴史を辿ることができました。最終日の6日は日曜日で、「はやぶさ」の地球への見事帰還の感激もあり、小さい子と一緒の親子ずれの見学者も多く入場者は混雑しており、日本経済新聞の発表によると期間中の入場者数は約15万7千人と発表しています。

 空と宇宙展会場風景(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

羽田に近い大森町に移って着た当時(1938年)には、愛称が「あかとんぼ」と呼ばれたオレンジ色の複葉の練習機が街上を飛び回っていたのも、今では懐かしい想い出です。
展示会場右隅端の突き当りを回廊(マップ参照)にでると飛行機図面コーナーがあり、ここでは、1910年より1935年ごろまでに撮影された航空機の手彩色の写真約90枚が、戦前に日本陸軍の展示が行われたものを、国立科学博物館が秘蔵していた写真を航空・宇宙100年を記念して初公開されました。手彩色写真は、カラー写真が無かった時代の白黒の陸軍機の写真を、手で彩色した貴重なものです。

 科博秘蔵の航空機の手彩色写真(写真拡大)

日本の空の100年の歴史は宇宙開発に広がる
・日本の宇宙開発
1910年に日本の空を初めて飛行機が飛んで、45年後の1955年に糸川英夫教授がひきいたチームがペンシル・ロケットの水平発射を行い、ロケット開発の幕開けとなりました。1970年にはラムダロケットにより、初の人工衛星「おおすみ」が誕生しました。1974年には日本独自の個体燃料Mロケットで「たんせい」などを打ち上げました。1997年には世界最大級の3段個体燃料のM-Vロケットにより「のぞみ」、「はやぶさ」などの惑星探査や天文観測の人工衛星を打ち上げました。
また、同時にH-Ⅰ国産ロケットが実用化して、1986年から6年間に3段式ロケットで「きく5号」、「さくら3号」、「ひまわり4号」などの多数の衛星を上げ、3衛星同時打ち上げの成功など成果が結びました。2段式全国産技術によるH-Ⅱロケットの開発は、苦闘のすえ1994年に「すいせい」、「みょうじょう」などの衛星が打ちあげられました。現在、「あかつき」、「IKAROS(イカロス)」、「みちびき」などを2010年に打ち上げて、活躍しているH-ⅡAロケットは、打ち上げコストをH-Ⅱロケットの約1/2におさえることに成功しています。
さらに、国内最大規模を誇るH-ⅡBロケットは、国際宇宙ステーション(ISS)へ、宇宙飛行士の生活に必要な物資や定期交換機器、実験装置、実験サンプルを運ぶ宇宙ステーション補給機(HTV)が、2009年から1号機、2号機と打ち上げられ、スペースシャトルが引退後には、国際宇宙ステーションの活動に必要な補給機となり、世界から期待されています。

 日本の宇宙開発の衛星(:準天候衛星みちびき、:宇宙ステーション補給機(HTV)、:ISS宇宙空間の有人活動施設「きぼう」)

・世界初の宇宙帆船「IKAROS」
展示会場の右隅端の突き当りを出た回廊の壁面には、陸軍の手彩色の写真が展示してあり、そのコーナースペースにはイカロス映像コーナーがあり、イカロスの解説画面を観賞していました。

 陸軍の手彩色写真展示とイカロス映像コーナー(写真拡大)

イカロス映像コーナーを先に進むと反対側に出入り口があり、展示会場に入れます。会場に入るとイカロスコーナーで、実物大のイカロスの帆が展示されています。イカロスとは、小型ソーラー電力セイル実証機のことで、太陽の光を膜面の帆に受けて、推進力を世界で最初の宇宙帆船(ソーラーセイル)で、2010年5月21日にH-ⅡAロケットで、金星探査機「あかつき」と相乗りで打ち上げられました。

 膜面の一辺が14mのイカロスの帆(:イカロスの帆の膜面外観、:液晶デバイスをONにした状態、:液晶デバイスをOFFにした状態)

ソーラー電力セイルは、太陽からの光の圧力で推進するので、燃料なしで飛ぶことができます。イカロスの膜面面積は、200㎡ですので、太陽光を直角に受けてすべてが反射した場合には、約0.2gの力しか得られませんが、金星に到着の半年間で100m/sの加速が得られます。
イカロスが太陽から大きな推進力を得るには軽くする必要があり、膜の厚さは7.5マイクロメートルのポリイミド樹脂を使用しています。一般に髪の毛の太さは約100マイクロメートルありますので、その薄さがわかります。また、膜面には太陽光を良く反射するように、アルミ箔を蒸着させてあります。イカロスの膜面には、薄幕太陽電池、液晶デバイス、膜面ハーネスト等が張り付けてあります。イカロスの膜面の面積は、畳の120畳以上ありますが、膜面に張り付けた搭載品を含めて重量は僅かに15kgです。

 イカロス構造部品・材料(:イカロス構成部品機器、:イカロス膜面の現物材料)

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ITと技術 日本の宇宙技術 講演と宇宙展を見て小惑星物質を持ち帰ったはやぶさの技術に誇りその1

2011年02月08日 | ITと技術
kan-haru blog 2011 戦後初めて飛んだ霧ヶ峰式鷹7号グライダー     

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おおた工業フェアで「はやぶさ」の基調講演
第15回おおた工業フェアが、大田区産業プラザPIOで2月3~5日に開催されましたので、最終日の14時に見に行きました。

 第15回おおた工業フェア(写真拡大)

工業フェアの受付前で係員が、基調講演が始まっていますので4階コンベンションホールに行くようにと案内していました。案内ポスターによると基調講演は、講師がJAXAの宇宙科学研究所・宇宙輸送工学研究系の国中均教授による、『イオンエンジンを駆る「はやぶさ」小惑星探査機の宇宙往復航海』の講演が始まったところです。そこで工業フェアの展示見学は諦めて、はやぶさが感動と夢を与えてくれた、日本独自の発想で創り出された「マイクロ波放電式イオンエンジン」の技術について知りたいと思い、イオンエンジンの開発者の講演を聞きに会場に入りました。

 第15回おおた工業フェアJAXA国中講師の基調講演(写真拡大)

なお、はやぶさに関する講演の聴講はこれで2回目で、最初は私の所属している会の開催によるもので、講師がJAXA 宇宙科学研究所 宇宙輸送工学研究系 研究の細田聡史氏の『「はやぶさ」を地球にかえすまで』を、昨年の9月4日にも聞いています。

 所属会合でのJAXA細田講師の「はやぶさ」講演(写真拡大)

科学博物館 空と宇宙展で「はやぶさ」の展示
はやぶさに関する講演を聞いたので、国立科学博物館と日本経済新聞社が主催する『空と宇宙展~飛べ!100年の夢~』が、2010年10月26日から2011年2月6日まで開催していることを思い出し、最終日の午後上野の国立科学博物館に見に行きました。

 科学博物館 空と宇宙展(写真拡大)

科学博物館(台東区上野公園7-20)の特別展示の入場料は、一般・大学生が1300円で、小・中・高校生が500円で常設展も見られます。

 「空と宇宙展」入場券

「空と宇宙展-飛べ!100年の夢」の開催は上記2社の主催で、後援が国土交通省、経済産業省、文部科学省、 (財)日本航空協会、(社)日本航空宇宙工業会と、特別協力が宇宙航空研究開発機構 (JAXA)、協力が愛知県、日経サイエンス社ならびに、協賛がIHI/IHIエアロスペース、NEC、川崎重工業、清水建設、東レ、三菱重工業、三菱電機の他、展示協力が新明和工業、ブリヂストン、三菱航空機などが広範に携わって開催されています。
「空と宇宙展」では、日本初の動力飛行が実現してから100周年となり、航空史上に残る貴重な写真・模型などの資料と、小惑星探査機「はやぶさ」の実物大モデルなどを展示し、空や宇宙へと挑む日本の科学技術姿や、未来への展望を示す夢と力にまで触れています。

展示会場(マップ参照)は、入り口を入るとまず「前史:鳥のように空を飛ぶ夢」のコーナーでは、江戸期の飛行船の記録、滑空記録や、明治初期の工部大学校や陸海軍による気球開発、二宮忠八の烏模型「飛行器」など、知られざる航空界の先駆者を紹介しています。
会場を奥に進むと「飛行機時代の幕開け」のコーナーがあり、1910年に国内初の飛行に成功し、フランスに留学した徳川好敏はフランス製のアンリ・ファルマン複葉機で、ドイツに留学した日野熊蔵はドイツ製のハンス・グラーデ単葉機に搭乗しました。

 鳥のように飛たい思いの模型飛行機と初飛行時代のプロペラ(:烏型模型飛行機、:玉虫型模型飛行機、:日本初の動力飛行時代のプロペラ)

「歩み始めた自立への道/自主開発力の開花」のコーナーでは、大正期から第二次世界大戦終了までの、世界記録へ挑戦した日本の科学者・技術者の努力の記録や、他国を凌ぐ高い水準の航空機設計・製造を果たした記録を紹介し、現代まで連綿と続く航空機開発の歴史を展示しています。

 1910~45年の日本の航空機(左上:日本の航空100年の歩み年表ボード、中上:1910~25年時代の複葉機、右上:1925~35年時代の自立飛行機、左下:、中下:、右下:1935~45年時代の自主開発飛行機)

「再開した空へ」のコーナーでは、1945年8月15日、敗戦を迎えた日本はGHQの占領下に入り、航空禁止令が布告され、あらゆる航空研究が禁止されました。世界最高峰を誇った日本の航空技術は、GHQ主導のもと、一切が排除されました。1957年に日本企業による飛行機の運航や製造の禁止が全面解除となり、1962年に日本初の国産旅客機となる「YS-11」が初飛行し、戦後日本の航空開発の夜明けとなりました。
「国際共同開発と新たな空へ向けて」のコーナーでは、1985年には航空宇宙技術研究所(現在のJAXA)で開発されたSTOL(短距離離着陸)飛行実験機「飛鳥(あすか)」が初飛行し、また、遭難救難機USシリーズなど世界に類を見ない特殊航空機を開発しています。

 戦中・戦後の自主国産飛行機(:日本初の国産旅客機YS-11(1962年)、:二式大型飛行艇(1941年)、:川西九七式飛行艇(1938年))

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旅ものがたり 徳島鳴門旅行 八木の鼻漁港さびき釣り、鳴門渦潮水中観測船、淡路島周遊(第3日目その3)

2011年02月06日 | 旅ものがたり
kan-haru blog 2011 神戸淡路鳴門自動車道を淡路島から鳴門に戻る    

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淡路島に寄り道し高松への帰路に向かう
徳島鳴門旅行の目的であった鳴門の渦潮を見たので、折角四国の東端に来たので鳴門海峡の対岸にある兵庫県の淡路島に寄り道して昼食をとった後、高松空港へと向かい帰路につきました。

 鳴門から淡路島へ 

・大鳴門橋
淡路島へは、亀浦観光港観潮船乗り場から、宿泊したルネッサンスリゾートナルトの前に戻り、鳴門北インターチェンジから神戸淡路鳴門自動車道に入り、鳴門の渦潮の上の鳴門海峡に架かっている大鳴門橋を渡ります。
大鳴門橋は、徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦と兵庫県南あわじ市福良丙間の鳴門海峡の最狭部を結ぶ吊り橋で、1985年 (昭和60年)6月に開通しました。橋長は1,629mで、中央径間は876mで、幅員は25mで、主塔の高さは144.3mあり、橋は上下2層式となっております。上部は片側3車線の道路で、現在は計6車線の内の中央の4車線を使用しており、下部は将来的に鉄道を通すことが出来る構造となっています。

 大鳴門橋(:大鳴門橋空中写真Google、:大鳴門橋鳴門側橋脚(再掲)、:橋脚は渦潮への影響を最小限に抑えるために多柱基礎構造を採用(再掲))

1985年 (昭和60年)6月に開通当時は、東洋一の吊り橋として完成してから、旅行の年の2010年6月は大鳴門橋開通25周年を迎え、6月には大々的なイベントが行われた様です。
イベントの内容を見ると6月6日に、鳴門市文化会館でベートーヴェン「第九」交響曲演奏会が開かれ、第1日目の俘虜収容所におけるドイツ兵捕虜によりベートーヴェンの交響曲「第九」の全曲の演奏のドイツ館での模擬展示(「旅ものがたり 徳島鳴門旅行 四国霊場(一・二番札所)、大塚国際美術館、鳴門のうず潮を巡る (その2)」参照)が想い起こされ、同6日には阿波踊り in 渦の道でのイベントの、渦月連による阿波踊りの演舞(「旅ものがたり 徳島鳴門旅行 四国霊場(一・二番札所)、大塚国際美術館、鳴門のうず潮を巡る (その3)参照」)については、ホテル第1夜でかげつ連出演の阿波踊りが披露され本場の踊りが堪能でき、徳島鳴門旅行の良い思い出が残っています。

 鳴門旅行の思い出の一コマ(左:俘虜収容所におけるベートーヴェンの交響曲「第九」演奏の再現場面[ドイツ館にて]、右:渦月連による阿波踊りの演舞[ホテルにて])

・淡路島
瀬戸大橋を渡ると兵庫県の淡路島で、島は北東から南西へかけて細長く伸びて南北が約53kmで、東西が約22km、周囲が約203kmであり、島の北部は幅が5kmから8kmと細く、南部では幅が拡がっています。面積は、592.26km²で対馬に次いで第7位の大きさであり、鳴門から入ると南あわじ市で、北に向かって洲本市、淡路市と続きます。地形は、北部と南部が淡路山地で山地急斜面は海岸まで迫ります。中南部は淡路平野で占められ、気候は温暖であるが、冬季に雨が少ない瀬戸内海式気候に属しています。このため多くの農業用ため池があり、島内では23,000を超えるそうです。

 南あわじ市阿那賀鎧崎(淡路島には農業用ため池が多い)

淡路島は地理不案内であるがとりあえず瀬戸大橋を渡り、淡路島南インターチェンジで神戸淡路鳴門自動車道から降りて、西海岸沿いに進んでもお店が1軒も見当たらず、南あわじウインドウファーム風車が並んでいるだけで、このあたりは民宿が多くあり夏場の海水浴場のようです。
時間は午後3時近くになり、まだ昼食が済んで無いので、ユータンして戻り兜崎にたった1軒の食事処「坂口荘」がありましたので、瀬戸内海の活魚料理で遅い昼食をとりました。

 鎧崎の食事処で遅い昼食をとる(写真拡大)

淡路島では見物する余裕の時間が無いので移動しながら、大見山の2004年3月にタワーの高さが97.5mで翼の直径が75mの風力発電機が導入されており、現在日本最大級の発電力を誇る15基(1基の発電能力200kw)の風力発電機が立ち並ぶ風景を車窓から見ましたが、なかなかの壮観でした。

 南あわじウインドウファーム風車(・右写真拡大)

・札所83番一宮寺に寄り道して高松空港へ
淡路島での昼食後大鳴門橋を鳴門に戻り、高速道を高松東道路に移り途中のサービスエリアで小休止し、一路西へと進み高松中央インターチェンジで高速道を降りて、県道172号を南に進むと一宮町交差点です。交差点の南西に第83番札所一宮寺がありますので、寄り道して門前に着いたら午後5時20分過ぎでしたので、札所は閉門となっていました。

 札所83番一宮寺

一宮寺(香川県高松市一宮町607)の創建は、わが国に仏教が伝来して約160年後の歴史を誇ります。開基は、奈良仏教の興隆の礎を築いた義淵僧正で、当時は大宝院と呼ばれ、南都仏教の一つ法相宗の普及をはじめました。また、大同年間に弘法大師が訪れ約106cmの"聖観音" 聖観世音菩薩を彫造し、伽藍の再興にあたり、この時に真言宗に改宗されました。一宮寺も、天正の兵火により灰燼に帰しました。本堂は、1701年(元禄14年)に十方施主により再建されました。平成18年に竣工の護摩堂前の石灯籠は、西村金造氏の創作の灯篭です。
さすが11月23日ですので、秋のつるべ落としであたりは見る見る暗くなってきましたが、暗い中の一宮寺をお参りさせて頂きました。

 第83番札所一宮寺(左上:境内側から見た仁王門、中上:西門、右上:、左下:大師堂、中下右下:護摩堂)

一宮寺のお参りをして、高松空港に向かいレンタカーを返して、予定通り空港19時10分発ANA540便にて羽田空港には20時20分に到着して、楽しい旅も無事に終わりました。

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旅ものがたり 徳島鳴門旅行 八木の鼻漁港さびき釣り、鳴門渦潮水中観測船、淡路島周遊(第3日目その2)

2011年02月03日 | 旅ものがたり
kan-haru blog 2011 観潮船の甲板上の船室  

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観潮船で鳴門の渦潮を見る
鳴門公園亀浦観光港を出発した、水中観潮船アクアエディの展望室の水中窓からは、あまり透明でない水面下1mの青色の海水しか見えない座席で、そろそろ飽きてきたころ「渦潮に接近したので、甲板に上がって見て下さい」の船員の声が聞こえたので、船客は一斉に甲板へと上がって行きました。

 水中観潮船アクアエディで渦潮へと向かう(左:満員の水中観潮船アクアエディの水面下の展望室、・右:水中観潮船の甲板上の船室)

外の風景は、風は収まり鳴門市孫崎と淡路島との間の鳴門海峡の瀬戸大橋の付近の鳴門海峡は幅が1.3kmと狭く海峡内に深さが200mの深いくぼみの地形があります。また、この鳴門海峡独特の海底の地形が潮の干満にともない、鳴門海峡をはさんだ播磨灘と紀伊水道との間で海水面に水位差(最大約1.5メートル)が生じ、海面の高い満潮側から低い干潮側へ激しい勢いで海水が流れ込み、中央部を流れる速い流れと、その両側の遅い流れとの速度差で鳴門の渦が発生するのです。

 鳴門海峡渦潮の上に架かる鳴門大橋(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

2010年11月23日の潮見は干潮の大潮が13時10分で、渦潮近辺を周回していた時間は13時過ぎから干潮時間のちょっと前までの時間帯であり、渦潮見物には良い条件でした。当日の13時13分の潮流の速さは、南流で8.7ノット(16.1km/h)(第5管区海上保安本部調べ)でありました。また、当日の観潮は、大潮の引き潮に当たりましたが、満潮の渦潮と干潮の渦潮を体験で比べてみると、干潮の渦潮の方がよりダイナミックに感じるのではと書かれており、しかも前日の22日が望(満)月であり渦潮を見学の条件としては最良のタイミングに恵まれました。

 2010年11月潮見表

観潮船は、大小無数の渦巻が発生する間を縫い、目の前で渦潮を見ながらコースをとります。海面のあちこちで渦が発生し、やがて数十秒が経つと消えることをくりかえしており、これが待望の鳴門の渦潮です。

 観潮船からの渦潮見物(写真拡大)

観潮は、風も収まり渦潮による船の大揺れの遭遇はありませんでしたが、渦潮の輪は大輪で直径が15 m程度ありましたが、春、秋の大潮の時は直径が20mに及ぶときもあるそうで、世界でも最大規模と云われています。

鳴門海峡渦潮.wmv

[クリックすると、水中観潮船アクアエディから撮った鳴門の渦潮が見られます]

あちこちに渦潮が湧くように現れる様は雄大には違いないのですが、目の前で見る観潮は小型船で水面差が低いため、渦潮を見る視野が1個に注がれる関係もあり、観潮前の期待の思惑とは異なる印象でした。むしろ、大型船で高所から次々に移動しながら発生する多数の渦潮をみる方が、スケールを感じたかも知れません。
水中観潮船は観潮遊覧の所要時間は25分で、亀浦観光港には13時10分に戻りました。水中観潮船アクアエディ料金は、大人2200円で子供1100円でした。

 鳴門海峡渦潮の観潮を終え亀浦観光港に帰る水中観潮船(写真拡大)

・干潮時の鳴門海峡の渦の出来方
鳴門海峡に渦潮ができるのかを見ていきます。例えば2010年11月23日6時40分の鳴門海峡の南側の紀伊水道が満潮の場合、鳴門海峡は幅が狭いので紀伊水道から播磨灘へ流れる潮流(北流)は流れが速くなります。また、13時10分の紀伊水道が干潮に場合には、播磨灘から紀伊水道に流れる潮流(南流)が速くなります。
それは、紀伊水道から播磨灘への潮流は鳴門海峡の他、大阪湾方面への潮流があり、そこから明石海峡を通って、淡路島を一周して播磨灘側の鳴門海峡に6時間かけて到達すると云われております。その結果、紀伊水道が13時10分になると干潮となり、一方の鳴門海峡北側の播磨灘側の海面は満潮の高さとなり、鳴門海峡の海面に落差が出来て南流れの潮流により早い流れが発生します。
潮の流れが速いと渦潮が出来る理由は、鳴門海峡は中央部がぐんと深く約100メートルほどあり、この潮流は本流と呼び抵抗なく早く流れます。一方、本流の両岸は浅瀬になっているため、抵抗があって流れは緩やかです。渦潮は、流れの速い本流と、その両サイドの緩やかな流れの境目付近で渦が発生します。速い本流の流れに流れの遅い水が引き込まれて渦潮がまくものと考えられています。潮流が北から南に向かって流れている時(南流時)、大鳴門橋を背にして正面を向いた時、右側(鳴門側)には時計の針の動きと同じ右巻きの渦が、そして左側(淡路島側)には左巻きの渦が発生します。南流時は鳴門側に、北流時には淡路島側にのみ多く発生し、右巻きの渦潮がほとんどなのです。

 鳴門海峡の潮の流れ

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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 2月INDEX

2011年02月01日 | INDEX
kan-haru blog 2011 2月1日30版

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 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)
      付 東京大空襲 ~あれから61年~
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街
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 ■ 大森町界隈あれこれ 正月恒例 第87回箱根駅伝その2 1月14日
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 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第12回その1) 1月22日 
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第12回その2) 1月25日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第12回その3) 1月27日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第12回その4) 1月29日

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版2010~2011年版 
 ■ 風景・風物詩 初詣風物詩 川崎大師平間寺2011 1月20日
22 小さな旅 総目次
  ◇ 2006~2009年版2009~2011年版
23 旅ものがたり 総目次
 ■ 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 世界の名画と古代礼拝堂などを再現した大塚国際美術館(第2日目その1) 1月4日
 ■ 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 世界の名画と古代礼拝堂などを再現した大塚国際美術館(第2日目その2) 1月8日
 ■ 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 世界の名画と古代礼拝堂などを再現した大塚国際美術館(第2日目その3) 1月10日
 ■ 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 八木の鼻漁港さびき釣り、鳴門渦潮水中観測船、淡路島周遊(第3日目その1) 1月31日
24 秋葉原界隈 総目次
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2010・2011年版
 ■ イベント 池袋サンシャイン・ワールドインポマート 第65回日本書道美術院「教育部展」その1 1月17日
26 ITと技術 総目次
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