kan-haru blog 2011 府中郷土の森2007年2月12日
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先日、近所のお宅からひな人形を飾ったのでどうぞとのお誘いがあり、家では男子ばかりなので、家庭に飾った桃の節句のひな人形を目の前でじっくりと見る機会がなかったので、お言葉に甘えて鑑賞させて頂きました。
七段飾りひな人形
お雛様は、お部屋に入ると今から30年ほど前のご長女誕生時に誂えた、赤い緋毛氈が映えて華やかな立派な七段飾りひな人形でした。現在は、女子のお孫さんが誕生しており、2世代の災いを見守ってくれるお雛様です。

七段飾りひな人形
ひな祭りの起源は、古代中国に起きた上巳の節句を日本に伝えられたと云われています。上巳の3月上旬の巳の日から、日付けを変動しないように3月3日としました。
昔から季節の節目には災いをもたらす災いが入りやすいと考えられ、禊や祓いを形代を身代わりとした信仰があり、自分の躰を人形にこしられて撫でて穢れを移していました。これを上巳の節句に混ざり合い、流し雛(「小さな旅 すみだ郷土文化資料館と墨田川江戸流しびな」参照)が定着していきました。
平安時代ごろ、宮中や貴族の子女間で紙の人形を使った遊びが盛んになり、雛遊びといわれるようになりました。この遊びと上巳の節句が結びつき、人の厄を受ける男女一対の紙製立雛が誕生し、これが雛人形の原型です。
2009年2~4月に三井記念美術館にて、おひなさまと特別展示きもの展(「イベント 三井記念美術館 三井家のおひなさまと特別展示きもの展」参照)が開催され、展示場には「立雛」が展示されておりましたが、撮影禁止のため絵葉書写真を再掲します。

立雛(三井記念美術館絵はがき再掲)
江戸時代になると幕府が五節句を制定し、3月3日を「桃の節句」とし、5月5日を「端午の節句」としました。
昔は旧暦でしたので3月3日は桃の季節ですが、それで桃の節句ではなく、桃には邪気を祓う力があるとされ様々な神事に取り入れられていたので、邪気祓いをする上巳の節句が桃の節句になったのです。

親王雛(左・中・右写真拡大)
・七段ひな人形の飾り方
七段ひな人形の飾り方は、最上段に「新王」(内裏)雛を正面から見て左側に男雛、右側に女雛を並べます。しかし、昔は男雛が正面から見て右側、女雛が左側にかざっていましたので、京都など伝統を重んじるところでは現在も男雛を正面から見て右側に飾っています。
なお、上記の「おひなさまと特別展示きもの展」の展示の内裏様の飾り方は、向かって左に男雛が飾られていました。

内裏様(三井記念美術館絵はがき再掲)
二段目に「三人官女」を並べ、向かって右から順に長柄の銚子、嶋台、提子(ひさげ)を手にした女官を飾ります。
三段目の「五人囃子」は、右から扇を持つ謡い手、笛、小鼓、大皮鼓、太鼓の順に並びます。

親王、三人官女、五人囃子の飾り方
四段目に左大臣と右大臣の「随臣」を並べ、五段目に「仕丁」を飾り向かって右に左近の桜、左に右近の橘を置きます。五段目には「箪笥」「長持」「鏡台」「針箱」「火鉢」「茶の湯道具」を並べ、六段目には「重箱」「御駕籠」「御所車」を飾ります。

ご道具揃い(上段左から:箪笥・長持・鏡台・針箱・茶の湯道具、中段:香炉、下段:駕籠・重箱・御所車)
その他、七段ひな人形の部品は多く、最上段には「屏風」「雪洞(ぼんぼり) 」「三宝」を置き、二、四段には「丸もち」「菱台」「膳揃え」を置きます。

御膳揃い(上段:丸もち・三宝、下段:菱台・善揃え)
雛のつるし飾り
ひな祭りの飾りには、稲取温泉の「雛のつるし飾り」(「小さな旅 雛のつるし飾りまつりと河津桜まつり その1」参照)があり、江戸時代から伝わるといわれる全国でも珍しいものです。「雛のつるし飾り」は雛祭りのときに雛壇の両脇に一対のつるし飾りを飾る風習で、親から子へと代々受け継がれてきた祭りです。
つるし雛は、猿っこ、柿、唐がらし、座布団、這い子人形など数10種類ある各人形には「いわれ」があり、成長への願いを込めてお飾りが色鮮やかに、愛情あふれる手作りのつるし飾りで、雛壇のまわりにあふれています。

稲取つるし雛(20070304)
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先日、近所のお宅からひな人形を飾ったのでどうぞとのお誘いがあり、家では男子ばかりなので、家庭に飾った桃の節句のひな人形を目の前でじっくりと見る機会がなかったので、お言葉に甘えて鑑賞させて頂きました。
七段飾りひな人形
お雛様は、お部屋に入ると今から30年ほど前のご長女誕生時に誂えた、赤い緋毛氈が映えて華やかな立派な七段飾りひな人形でした。現在は、女子のお孫さんが誕生しており、2世代の災いを見守ってくれるお雛様です。

七段飾りひな人形
ひな祭りの起源は、古代中国に起きた上巳の節句を日本に伝えられたと云われています。上巳の3月上旬の巳の日から、日付けを変動しないように3月3日としました。
昔から季節の節目には災いをもたらす災いが入りやすいと考えられ、禊や祓いを形代を身代わりとした信仰があり、自分の躰を人形にこしられて撫でて穢れを移していました。これを上巳の節句に混ざり合い、流し雛(「小さな旅 すみだ郷土文化資料館と墨田川江戸流しびな」参照)が定着していきました。
平安時代ごろ、宮中や貴族の子女間で紙の人形を使った遊びが盛んになり、雛遊びといわれるようになりました。この遊びと上巳の節句が結びつき、人の厄を受ける男女一対の紙製立雛が誕生し、これが雛人形の原型です。
2009年2~4月に三井記念美術館にて、おひなさまと特別展示きもの展(「イベント 三井記念美術館 三井家のおひなさまと特別展示きもの展」参照)が開催され、展示場には「立雛」が展示されておりましたが、撮影禁止のため絵葉書写真を再掲します。

立雛(三井記念美術館絵はがき再掲)
江戸時代になると幕府が五節句を制定し、3月3日を「桃の節句」とし、5月5日を「端午の節句」としました。
昔は旧暦でしたので3月3日は桃の季節ですが、それで桃の節句ではなく、桃には邪気を祓う力があるとされ様々な神事に取り入れられていたので、邪気祓いをする上巳の節句が桃の節句になったのです。

親王雛(左・中・右写真拡大)
・七段ひな人形の飾り方
七段ひな人形の飾り方は、最上段に「新王」(内裏)雛を正面から見て左側に男雛、右側に女雛を並べます。しかし、昔は男雛が正面から見て右側、女雛が左側にかざっていましたので、京都など伝統を重んじるところでは現在も男雛を正面から見て右側に飾っています。
なお、上記の「おひなさまと特別展示きもの展」の展示の内裏様の飾り方は、向かって左に男雛が飾られていました。

内裏様(三井記念美術館絵はがき再掲)
二段目に「三人官女」を並べ、向かって右から順に長柄の銚子、嶋台、提子(ひさげ)を手にした女官を飾ります。
三段目の「五人囃子」は、右から扇を持つ謡い手、笛、小鼓、大皮鼓、太鼓の順に並びます。

親王、三人官女、五人囃子の飾り方
四段目に左大臣と右大臣の「随臣」を並べ、五段目に「仕丁」を飾り向かって右に左近の桜、左に右近の橘を置きます。五段目には「箪笥」「長持」「鏡台」「針箱」「火鉢」「茶の湯道具」を並べ、六段目には「重箱」「御駕籠」「御所車」を飾ります。

ご道具揃い(上段左から:箪笥・長持・鏡台・針箱・茶の湯道具、中段:香炉、下段:駕籠・重箱・御所車)
その他、七段ひな人形の部品は多く、最上段には「屏風」「雪洞(ぼんぼり) 」「三宝」を置き、二、四段には「丸もち」「菱台」「膳揃え」を置きます。

御膳揃い(上段:丸もち・三宝、下段:菱台・善揃え)
雛のつるし飾り
ひな祭りの飾りには、稲取温泉の「雛のつるし飾り」(「小さな旅 雛のつるし飾りまつりと河津桜まつり その1」参照)があり、江戸時代から伝わるといわれる全国でも珍しいものです。「雛のつるし飾り」は雛祭りのときに雛壇の両脇に一対のつるし飾りを飾る風習で、親から子へと代々受け継がれてきた祭りです。
つるし雛は、猿っこ、柿、唐がらし、座布団、這い子人形など数10種類ある各人形には「いわれ」があり、成長への願いを込めてお飾りが色鮮やかに、愛情あふれる手作りのつるし飾りで、雛壇のまわりにあふれています。

稲取つるし雛(20070304)
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