大森町の変遷
大森町の交通の要所は、大森町の北境で東西に貫通している環七通りと、地勢の中心点で南北に走る国道15号(第一京浜)と国道131号(産業道路)が合流して三叉路を構成しており、さらに大森町の中心部を南北に京浜急行電鉄が縦断しているのが特長です。
現在、三叉路のところに大森警察署がありますが、前回述べたように戦前、戦時中には大森区役所が立地し、隣接して大森消防署が立ち並んでおりました。
また、大森町中心位置の京浜急行電鉄の現「大森町」駅は、戦前、戦時中には「山谷」駅と云われており、隣駅の現「平和島」駅は以前「学校裏」駅と呼ばれており、戦前の学校裏駅は環七通りの南側にありました。
大森町は、戦前、戦時中、戦後の時代とともに大きく変遷してきました。その、変遷の一部を、写真や地図によって見てみましょう。
写真・地図で見る大森町界隈の変遷
写真・図の番号をクリックすると表示します。ブログに戻るには、ブラウザの「戻る」メニューをクリックします。(写真出典:写された大田区 ~懐かしい・まちとくらし~ 大田区立郷土博物館 1992年2月15日発行)
・写真1 現在の大森警察署付近(国道15号道路側)
・写真2 1961年頃の大森警察署屋上から見たの第一京浜(左)と産業道路(右)の合流点、右の鉄塔は隣接の消防署火の見櫓
・写真3 1954年頃の学校裏駅近くの第一京浜と環七通り合流点、当時環七通は合流点が終点でした。国道沿いの建物も、殆どが1,2階の木造建築です。
・写真4 1992年頃の写真3と同地点、環七通は平和島埋め立て地に順延しており、第一京浜と立体の大森陸橋が作られました。
・写真5 1959年頃の環七通り北側の京浜急行電鉄の学校裏駅。現在は、高架駅となっております。
・地図1(PDF地図版) 戦中の大森町地図。
出典:複刻古地図 地形社編 昭和十六年 大東京三十五区内 大森区詳細図 人文社から抜粋
戦中の大森町は、昭和十六年(1941年)太平洋戦争開戦の年に発行の地形社編の地図により、さまざまな情報が正確に盛り込まれておりますので、当時の大森町の様子を知ることが出来ます。
当時の京浜電車の「山谷」(現、大森町)、「学校裏」(現、平和島)、「八幡」(廃止駅)、「海岸」(現、大森海岸)、「鈴ヶ森」(廃止駅)の駅の変遷や、大森消防署や大森警察署の場所(旧東海道、美原通り)等とともに電気館、大森劇場、日活館の存立が分かります。当時の大森町の丁目名は大森一~九丁目の区画割りになっていました。東京湾には、まだ埋め立て地は無く、海岸駅近くには、大森海水浴場がありました。
<前回 大森町に住んで65年!(その3)へ 次回 大森町に住んで65年!(その5)>
大森町の交通の要所は、大森町の北境で東西に貫通している環七通りと、地勢の中心点で南北に走る国道15号(第一京浜)と国道131号(産業道路)が合流して三叉路を構成しており、さらに大森町の中心部を南北に京浜急行電鉄が縦断しているのが特長です。
現在、三叉路のところに大森警察署がありますが、前回述べたように戦前、戦時中には大森区役所が立地し、隣接して大森消防署が立ち並んでおりました。
また、大森町中心位置の京浜急行電鉄の現「大森町」駅は、戦前、戦時中には「山谷」駅と云われており、隣駅の現「平和島」駅は以前「学校裏」駅と呼ばれており、戦前の学校裏駅は環七通りの南側にありました。
大森町は、戦前、戦時中、戦後の時代とともに大きく変遷してきました。その、変遷の一部を、写真や地図によって見てみましょう。
写真・地図で見る大森町界隈の変遷
写真・図の番号をクリックすると表示します。ブログに戻るには、ブラウザの「戻る」メニューをクリックします。(写真出典:写された大田区 ~懐かしい・まちとくらし~ 大田区立郷土博物館 1992年2月15日発行)
・写真1 現在の大森警察署付近(国道15号道路側)
・写真2 1961年頃の大森警察署屋上から見たの第一京浜(左)と産業道路(右)の合流点、右の鉄塔は隣接の消防署火の見櫓
・写真3 1954年頃の学校裏駅近くの第一京浜と環七通り合流点、当時環七通は合流点が終点でした。国道沿いの建物も、殆どが1,2階の木造建築です。
・写真4 1992年頃の写真3と同地点、環七通は平和島埋め立て地に順延しており、第一京浜と立体の大森陸橋が作られました。
・写真5 1959年頃の環七通り北側の京浜急行電鉄の学校裏駅。現在は、高架駅となっております。
・地図1(PDF地図版) 戦中の大森町地図。
出典:複刻古地図 地形社編 昭和十六年 大東京三十五区内 大森区詳細図 人文社から抜粋
戦中の大森町は、昭和十六年(1941年)太平洋戦争開戦の年に発行の地形社編の地図により、さまざまな情報が正確に盛り込まれておりますので、当時の大森町の様子を知ることが出来ます。
当時の京浜電車の「山谷」(現、大森町)、「学校裏」(現、平和島)、「八幡」(廃止駅)、「海岸」(現、大森海岸)、「鈴ヶ森」(廃止駅)の駅の変遷や、大森消防署や大森警察署の場所(旧東海道、美原通り)等とともに電気館、大森劇場、日活館の存立が分かります。当時の大森町の丁目名は大森一~九丁目の区画割りになっていました。東京湾には、まだ埋め立て地は無く、海岸駅近くには、大森海水浴場がありました。
<前回 大森町に住んで65年!(その3)へ 次回 大森町に住んで65年!(その5)>