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kan-haruの日記

イベント 歌舞伎観劇 さよなら歌舞伎座九月大歌舞伎

2009年09月30日 | イベント
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今年も恒例の母校の歌舞伎観劇会の催しがあり、9月13日の歌舞伎座さよなら公演九月大歌舞伎夜の部を見てきました。昨年の観劇会は都合により見に行けませんでしたが、ブログ開始以来3回目の観劇であり、今までみた歌舞伎の観劇は第一回(2006年)第二回(2007年)の秀山祭九月大歌舞伎の夜の部でした。

 さよなら公演九月大歌舞伎

来年取り壊される歌舞伎座の歴史をホームページから見ると、1889年(明治22年)に初代の歌舞伎座が造られ、第二代の歌舞伎座は1911年(明治44年)に大改築が行われ、1924年(大正13年)に第二代の建物が焼失により耐震耐火の桃山時代の様式で竣工し、1945年(昭和20年)の空襲で外郭を残して消失したので、1949年(昭和24年)に現在の歌舞伎座が竣工しました。平成14年に登録有形文化財に指定された現在の歌舞伎座は、舞台間口が15間(約27.6m)、廻り舞台直径が60尺(約18m)でセリが4か所で、観客席は桟敷や一幕見席を合わせて2000席です。

 さよなら公演もあと残り230日

観劇会は、お弁当が付いて一般料金よりやや安く、イヤホンガイドの使用料も割引で利用でき、座席は抽選で決まりますのでチケットが届くまで分からないところがまた楽しみで、前回は中央最前列の席が当たり、普通では殆ど入手不可の席で観劇させて貰いました。


今年のさよなら公演の夜の部の演題に歌舞伎十八番の勧進帳がありますので、座席がどの辺かを楽しみにしていましたら、9列1、2番の花道左手の席が当たり前回に続いて良い席に恵まれ、年1、2度の歌舞伎観劇の素人には勿体ない席で、歌舞伎座最後の観劇を堪能させて貰え良い想い出となりました。

 花道横の座席から見る

歌舞伎座さよなら公演九月大歌舞伎夜の部
夜の部の上演では、中村吉衛門の幡随院長兵衛役で鶴屋南北作の浮世柄比翼稲妻、富樫左衛門役の勧進帳、紅屋長兵衛約の松竹梅湯島掛額に出演しての演技が見られます。なお、この他吉衛門は昼の部の時今也桔梗旗揚にも出演しています。


浮世柄比翼稲妻
鶴屋南北作の浮世柄比翼稲妻の最初の幕の「鞘當」は、桜満開の吉原に不破伴左衛門(松緑)と名古屋山三(染五郎)の二人の武士が登場する。登場人物の二人は、違った世界の題材のものですが、作者が独自に固有に作り上げた劇世界での芝居です。
二人の武士が吉原で行き違った時に互いの刀の鞘が当たり、争いになったところを茶屋女房お京(芝雀)が間に入って抜いた刀を納め、お京の言葉に従い互いの刀を取り替えると自分の刀に収まります。実は山三の家には同じ刀が二振りあったのだが、山三の父が闇討ちにされた際に奪われたもので、山三は伴左衛門が父の敵といきり立つが、お京の計らいでここでは立ち別れると云う南北特有の作りです。
初めて花道の脇の座席から見上げる役者の衣装や仕草は、迫力満点でした。
次の幕の「鈴ヶ森」は、東海道品川宿に近い鈴ヶ森の刑場が場面で、鈴ヶ森は自宅の大森町から2つ目大森海岸駅から徒歩五分程度のところに刑場跡の碑があります。

 左:鈴ヶ森刑場遺跡、右:鈴ヶ森刑場処刑者の墓

また、手配者の白井権八(梅玉)が乗った駕籠の提灯には「するがや」と書かれてありますが、この「するがや」は大森町近くの旧東海道の内川橋の袂に存在した旅籠屋の屋号で、この通りをするがや通りと呼んでいます。この場面で、権八が切りまくる雲助の立ち廻りでは小道具を使って、笑いの要素を入れた芝居は、南北ならでの観客を楽しませてくれました。

 左:旧東海道内川付近の石畳、右:旧東海道を東に折れるとするがや通り

勧進帳
勧進帳は、年1、2度の観劇でも今回で2度目の鑑賞です。花道での演技が多いので期待していた演目です。舞台は能舞台を模した大道具の「松羽目」と下手には五色の「揚幕」に上手には「臆病口」の「松羽目物」です。吉衛門の富樫左衛門、幸四郎の弁慶、染五郎の義経という俳優陣は、七世幸四郎が生涯で千六百回も演じたと云われる弁慶役者の没後60年を偲ぶ舞台です。
幕が開くと、強力にやつした義経と山伏姿に変えた弁慶と4人の家来の一行が安宅の関に向かう道中の花道の場面です。血気盛んな家来たちは力ずくで関を踏み切ると勇んでいるのを、弁慶がとても関を越えることは出来ないので考えがあるので任せて欲しいと申し出により、義経は家来たちに従うように命じて安宅の関に向かいます。目前の花道で聞く役者の台詞と俳優の表現にはとても迫力が感じられます。
安宅の関では、富樫と弁慶のやりとりと、弁慶が咄嗟の機転で義経を金剛杖で打ち据える名場面と、富樫の心情の変化と酒宴での弁慶が延年の舞いを舞います。
最後の見どころは、富樫の配慮に感謝して、先に落ち延びさせた義経一行の後を弁慶が追って行く「飛び六方」を目前の花道で見られて感激しました。

 左:当代幸四郎の弁慶、右:七代目幸四郎の弁慶(プロマイドから)

松竹梅湯島掛額
松竹梅湯島掛額は、1856年(安政3年)に河竹黙阿弥が、1809年(文化6年)に初演の福森久助作「其往昔恋江戸染」の「吉祥院の場」と、1773年(安永2年)に人形浄瑠璃で初演された「伊達娘恋緋鹿子」の「火の見櫓の場」を継ぎ合わせて脚色して、1856年(安政3年)に初演されたものです。
最初の「吉祥院お土砂の場」は、八百屋お七(福助)と小姓吉三郎(錦之助)の恋物語に、紅屋長兵衛(吉衛門)がお七の恋に手を貸すという筋で、真言宗の秘法で土砂を洗った「お土砂」を死体などにかけると柔らかになる不思議な粉を撒いて客席に笑いを生み出し、歌舞伎では珍しい笑劇です。この場面で出てくる、子役の丁稚長太(玉太郎)は可愛い演技を熱心に演じていました。
次の「四ツ木戸火の見櫓の場」は、吉三郎が探している重宝天国の短刀を、お七の家に来ている釜屋武兵衛が持っているので、盗みだして吉三郎に届けに行くようにと下女お杉(歌江)がお七に勧めたが、時刻は暮れ六つを過ぎており木戸は閉じられており開けて貰えないので、罰を受けるのを覚悟で櫓の太鼓を打って木戸を開かせ短刀を吉三郎のところに持って駆けつける筋で、場面の一部が文楽人形の動作の“人形振り”で演じる「櫓のお七」の場面です。

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Kan-haru日記へのご訪問有難うございます 日記からのお知らせとご案内

2009年09月23日 | Weblog
kan-haru blog 2009

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Kan-haru日記へのご訪問、誠にありがとうございます。お蔭さまで、これまでのご訪問者は24万を超え、閲覧数も67万を超えました。
今後ともご閲覧の程を、宜しくお願い致します。

Kan-haru日記も、2006年3月の開始以来記事の投稿数も670件に達し、1.9日に1件の記事を掲載して参りまして、3日以上の間隔を空けること無く投稿を続けて来ました。
しかしこの度は、9月24日から28日までの5日間を都合によりまして、記事の投稿を休まさせて頂きますのでお知らせです。ご容赦のほどをお願い致します。

今後の記事投稿の予定を次に示します。
1.大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化
京浜急行の高架化工事も、第1次工程の上り線運行用の高架橋の築造がほぼ終わり、ここにきて1段落の状態で、この5連休は全工区で工事を休止しております。


今後は、来年の3月末を運行の目標にして、軌道敷設の工事が始まり、次いで架線などの電力工事、通信・信号などの通信設備工事と共に、駅設備の施設工事が進んでいきますので、今後も情報を収集して記事を掲載していきたいと考えております。

2.大森町商店街を主体として、京急高架化工事の進展に伴う関連駅商店街の変貌を追います
京急高架化工事の進展とともに、今後高架関連の駅周辺が大きく変貌していきます。大森町駅周辺の商店街の商店が閉店し、建て替え工事の槌音が響いております。
今後の梅屋敷、京急蒲田、雑色および糀谷の各駅周辺の変貌を追い伝えていきます。
最近の記事には、「大森町界隈あれこれ 大変貌の大森町商店街 京急高架化で商店閉店と店舗取壊しが相次ぐ(その1、2)」のシリーズものが掲載しております。


これまでの記事で、「大森町商店街 京急高架化で大変貌 ラーメン屋さん閉店第一号 2006.10.3」などが多くの閲覧を頂いております。

3.大田区の街づくりなどのイベント
大田区は古くからものづくりの集積地ですので、モノづくりに関するイベントや町起しのイベントを掲載しております。
最近の記事には、「イベント モノづくり大田区 マシンツールフェアOTA と都立産業技術研究センター施設公開(その1、2)」や「イベント ものづくり大阪 東大阪のものづくり企業が地元大田区で大阪ビジネスEXPO 2009を開催」の記事などが掲載してあります。


また、来る10月10、11日には、大田区産業プラザPIOで、大田区の地域伝統のモノ、職人の技を見せる「おおた商い観光展2009」が開催されますので、昨年の同展に引き続いて今年も取材して掲載を予定しています。

4.大森町界隈や近辺の風景・風物詩
大森は、300年前に海苔の養殖発祥の地でしたが、大森の海は海苔の養殖に適さなくなり今から45年前に生産を止めました。しかし、生産は止めても、江戸時代から培われてきた海苔作りの伝統は、地元の海苔流通業の中に生きており、大森には数多くの海苔問屋は流通網の拠点となっています。
2008年に大森ふるさとの浜辺公園(「大森町界隈あれこれ 大森町風景 オープンの大森ふるさとの浜辺公園」参照)内に、大森海苔のふるさと館「大森町界隈あれこれ 海苔の歴史を学び体験する 大森海苔のふるさと館オープン その1、2」参照) が誕生しました。


海苔に関する記事とともに、大田区の風景・風物詩のあれこれを掲載しており、「風景・風物詩 池上松涛園 西郷隆盛・勝海舟の江戸城開場会見の名園 その1、2」には多くの方の閲覧を頂いております。

5.小さな旅、旅行や観劇記、イベントなど
小さな旅では、京都桜の日帰り花見、矢切りの散歩道、茨城古河の桃祭、稲取りの雛つるし飾り祭、開成町のあじさい祭、笛吹市の桃の桃源郷、館林のつつじと鯉のぼりなど多数の日帰りの小さな旅日記と、旅行記や観劇などの記事を掲載しておりますが、「小さな旅 秋のばら観賞 京成バラ園」の記事は今年の春季に長期間にわたり閲覧を頂きました。
また、イベント記では「イベント 日比谷公園 日比谷オクトーバーフェスト2009でミュンヘンの想い出にひたる(その1、2)」などを掲載し、大変に沢山の方の閲覧を頂いております。


小さな旅日記には、「巾着田の彼岸花」や「歌舞伎座さよなら公演9月大歌舞伎第2部」観劇記と、「開国・開港Y150」博覧会見学記などの掲載を予定しています。

6.大森町学びや
大森町の学びやの大森学園は今年で70周年記念日を迎えました。入学したのは、終戦の翌年の焼け残り工場跡の机も椅子もない教室でした。戦争の忌まわしい想い出とともに、大森学園の創立に纏わる記事を纏めて記述したいと思っています。


このブログのスタートの目的の一つに、あの悲惨であった世界大戦の様子を、戦争を知らない世代に伝えていきたいとの強い想いから、私の父の同僚であった若山氏の大森町大空襲の体験記の手記を提供頂き、手記の記事とともに解説記に纏め、「鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)」、「手記第2編 戦災日誌中野編」、「手記第3編 戦前戦後目黒にて」を掲載しており、現在中途で掲載を休んでおりますが再開を予定しています、これまでの掲載記事の閲覧を希望しております。

 防空演習

7.IT関係記事
10月に入るとマイクロソフトから新しいOSのWindows 7 が登場します。Windows Vistaよりも快適に動くと云われています。一方、グーグルやその他のITベンダーなどにより、企業も一般もITの活用は、ネットにある資源を利用するというクラウドコンピューティングの技術が進んできました。日本ではITの活用は、インターネットのインフラは進んでいるのに反して世界では大変と遅れています。
IT活用を進めるために、新しいITテクノロジ―の紹介の記事を今後掲載して見たいと思っています。今までに、「ITと技術 地図情報コンテンツ Googleマップのストリートビューをブログで使用して見る(第1回)」の記事に多くの方の閲覧が見られています。

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 糀谷駅付近(第15回その2)

2009年09月22日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
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糀谷駅東の高架橋築造
糀谷駅ホーム東方部の高架橋は、高架化最終工程の上り線用の高架橋が築造されており、糀谷商店街ガードを渡ると、カーブしながら傾斜高架橋で地上へと降り、盛り土部を経て地上に達しますが、この間の単線高架橋の築造は殆ど出来上がりました(工事地形図参照)。
高架化の最終完了時には、羽田空港発の京急蒲田駅通過の都心方面と横浜方面行の直通列車が運行されますが、第1次工程完了時の列車の仮運行では、羽田空港発都心方面行の上り列車と、横浜方面からの空港行き下り列車の上下線の両方向での運転がされます。

・構内高架橋
糀谷駅構内高架橋は、高架駅橋に架設された連結橋の先に築造された2面高架橋で、糀谷第1踏切に達します。この構内高架橋は、高架化の最終完了時には上下線の複線高架橋に築造されますが、現段階では単線の片面の仮高架橋であるため、高架橋北面側の橋脚柱は四角型鋼柱による仮橋脚柱で支えられています。また、高架橋側面には鋼棒の仮柵壁が付けられています。

 駅構内上り仮高架橋と連結橋(:駅構内上り仮高架橋と連結橋0918撮影、:糀谷第1踏切から見た駅構内高架橋0910撮影、:北面が四角型仮橋脚柱で支えられた構内高架橋0916撮影)

・糀谷商店街通りガード
前回記述時点では糀谷商店街通りガードは、PC桁橋梁が架設され工事覆いが被されて工事が行われていました。
9月10日に見るとガード南面には外壁塀が付けられていましたが、単線仮ガードのため北面には鋼棒の仮柵塀が付けられています。また、一部には工事覆いが被せられガードの底部には工事用底板が付けられ工事が続行していました。同18日には、工事覆いと底板が外されて工事が完了していました。

 糀谷商店街通りガード築造(:南から見た糀谷商店街通りガード、:北から見た糀谷商店街通りガード0910撮影、:工事囲い取れた糀谷商店街通りガード0918撮影)

・傾斜高架橋
前回記述時には工事覆いが架けられて工事が進められていましたので、それまでは傾斜高架橋の構造が見えませんでした。
9月5日に見ると、工事覆いが外され傾斜高架橋の橋脚柱の構造が姿を見せました。上り単線の仮高架橋は、単体の橋脚柱で固定されており、北面に並行設置する最終の下り高架橋と接続して2脚柱の高架橋になります。

 糀谷第1踏切から見た傾斜高架橋(:踏切北寄りから見た傾斜高架橋、:傾斜高架橋を北面下から見る、:傾斜高架橋を南面下から見る0916撮影)

上り仮線の傾斜高架橋は南面には外壁塀が付けられていますが、北面には仮の鋼棒の柵塀が付けられています。

 上り仮線傾斜高架橋(:南面から見た傾斜高架橋0910撮影、:東方側から見た傾斜高架橋下部0916撮影、:傾斜高架橋の東端部0910撮影)

・外壁塀(高欄)
高欄(こうらん)とは一般に、宮殿や神殿などの周囲や廊下や橋の両側につけた欄干(らんかん)を云い、擬宝珠高欄や跳高欄などがあり勾欄とも呼ばれます(小学館辞典から)。
高架橋の側面の壁も高欄と呼んでいます。高欄は、高架橋周辺の電車による風圧や騒音を和らげ、線路巡回の作業員が落ちないようにする目的のものです。以前の高欄は、コンクリート製のものが主でしたが、京浜急行の高架橋では炭素繊維で補強されたプラスチック素材のFRP高欄を使用しています。FRP高欄は軽くて丈夫な上、劣化がしにくい特徴があり、色付けのデザインができ京急では濃淡のブルー色の帯線を付けています。

 北面から見た外壁塀[白色部分]の内面側

・盛り土部
前回記述時には、単線上り部の盛り土部の築造は完成しており、接地部付近でのコンクリート打ちの道床作成の作業が進んでいました。
9月5日に見ると、盛り土部北面の傾斜土手側面にはコンクリート壁が築かれ、高欄には仮の鋼棒の柵が付けられてていました。

 上り線仮り盛り土部(:車窓から見た盛り土部0905/0910撮影、:環8通りから見た盛り土部0916撮影)

・上下線線路切り替えポイント設置
第1次工程の上り線高架運転が開始されると、高架橋を降りた糀谷第2踏切付近で、上り線と下り線間の切り替えポイントが必要となります。9月5日に見ると、同第2踏切の南側のレールの交換が行われロングレールが敷設され、同踏切北側に在来レールとの間に伸縮継ぎ目が見られました。上下線との切り替えポイントは、この辺りに設けられるものと思われます。
また、同踏切南の線路側面には工事のための塀が建てられ、道床脇では工事の準備が進められ、同16日に見ると下り線路側にバラストを入れた布袋とバケツが置かれていましたので、上り線運用のための線路の移設が行われるようです。

 糀谷第2踏切付近の切り替えポイント設置の準備橋(:糀谷第2踏切北の下りロングレール接続箇所、:糀谷第2踏切北の上りロングレール接続箇所、:糀谷第2踏切東側の線路移設の準備と路肩の作業0916撮影)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 糀谷駅付近(第15回その1)

2009年09月19日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009 糀谷祭りの糀谷第1踏切

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駅構内高架橋築造工事
・高架駅橋築造
糀谷高架駅橋の工事(工事説明書参照)は、最終高架橋用の上り線と下り線高架橋の使用に合わせた方法で築造を進めており、第8工区の高架化工事は糀谷第1踏切以東では高架橋から地上に降りる(工区地形図参照)ため、上下の複線線路の工事を同時には出来ないので、最初の行程は上り線のみの仮運用の工事となります。したがって、在来上下地上線を運用しながらの工事では、地上から高架橋まで昇る高架線路は、新たな3本目線路として築造となり在来線の南側に並行して建設されます。

 糀谷駅高架駅橋工事説明図新(再掲)

京急の高架化工事のステップは、第1次行程では本線上り線のみの高架運用となり京急蒲田駅では上り線は2階高架橋を走り、第2次行程以降で本線下り線が3階高架橋を走りますので、最初の運用時には下り線は在来の地上線路の運行となります。
糀谷駅高架橋の第1次運用では、羽田空港発の都心方面行は2階高架橋駅に停車しますが、同空港発の横浜方面行きは地上の在来下り線ホームを使用することになります。同様に都心方面からの空港行きは現状と同じ地上下りホームを運行し、横浜方面からの空港行きは2階高架橋駅に入って(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 糀谷駅付近(第10回) 」参照)きます。

 工区地形図(再掲)

・第1次運用の仮高架駅橋の構造
第1次運用では2階高架駅橋の運用は品川行きと横浜発の列車の2本立ての運用となり、また在来ホームも上下線が走りますので両ホーム間を行き来できることが条件となり、改札出口の1本化が必要です。
そのため、築造の高架駅橋を仮工事して、高架下り線の線路上に仮ホームを構築して築造の高架下りホームと結び、その先にある旧跨線橋の階段までの通路を設けて在来下りホームと結び中央改札口を共用します。なお、在来上り線の南改札口は閉鎖され、築造中の高架上りホームは最終時点まで使用されません。

この、第1次運用の仮高架駅の築造形態を東の糀谷第1踏切側から見る(高架橋構造説明写真参照)と、最終高架化形態の複線高架駅橋用の高架橋横梁①(B+C)に下りホーム突き出し梁③(D)を接続し、その先に拡幅用の梁④(E)を継ぎ足して在来下りホーム上に設けた橋脚柱で支えており、反対側の橋脚柱の先には上りホーム突き出し梁②(A)があり、その上に最終行程後に使用するホームが築造されています。
第1次の仮運用では、上り高架橋が高架橋横梁①の半分の(B)に架設されており、ホーム突き出し梁③上の下りホーム部と上り高架橋間(C)部の、未築造の下り高架橋上に仮ホームを設けて、拡幅用梁④上の通路を通り階段で中央改札口と接続されるものと思います。
最終行程で上下線線路が高架化されると、高架橋梁①の端に高架橋脚が付けられ拡幅用の梁④は撤去されます。

 糀谷仮高架駅構造説明写真

・高架駅舎棟の築造
糀谷駅舎棟の築造は西端側(京急蒲田(空)第4踏切東側)から建設が始められ、前回記述時には駅舎棟外柱と屋根梁骨組みが大分組み上がっていました。この西端部の4面高架駅橋の構造は、東側から見た高架橋構造説明図に示す拡張用梁④は無く、高架橋横梁①とホーム突き出し梁③までの横梁と高架脚柱の最終高架化の形体で、上下線2線路の拡幅の高架橋で構成されています。

 京急蒲田(空)第4踏切から見た合成高架駅橋西端部(:高架駅橋西端部の下り線ホーム部0918撮影、:高架駅西端部の駅舎棟下り線側0916撮影、:高架駅橋西端部の下り線ホーム部0918撮影)

・高架駅ホーム
糀谷駅下りホームは高架化の最終完成後に使用されますが、仮上り線運用時にはこのホームを臨時に拡幅して、品川方面行直通列車と横浜方面からの直通列車の乗り降りの通路として使用されます。最終用の下りホームは、西方の4面高架橋の4面目からホーム幅員が広くなります。第1次工程では、写真右の拡大写真に示す様に下り高架橋部分(C)には拡幅の臨時ホームが設けられ、ホーム突き出し梁部分(D)が最終時の下りホーム部で、拡張梁部(E)は在来の中央改札口に降りる階段に接続する通路部です。

 糀谷高架駅下りホーム(:北側区道から見た糀谷高架駅下りホーム0905撮影、:在来下りホームから見た下り高架駅0918撮影、:在来上りホームから見た下り高架駅0916撮影)

前回記述時には高架駅橋の東端側(雑色第1踏切側)の駅舎棟の骨組みは、まだ組み上がっていませんでした。また、上りホームも東方部は築造の途中でした。
9月5日に見ると、駅舎棟外柱と屋根梁骨組みが組み上がり、上りホームの築造も進んでいました。

 築造が進む糀谷高架駅橋(:上り仮運用で使用する中央改札口に降りる階段、:築造が進む東端の高架駅舎棟0916撮影、:区道から見た上りホーム底部0910撮影)

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風景・風物詩 神田連雀町を歩く 江戸っ子伝統の「かんだ藪蕎麦」と「甘味処竹むら」で昔の味を食する

2009年09月17日 | 風景・風物詩
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遠い昔によく通った連雀町界隈
神田連雀町とは、万世橋と須田町一丁目、淡路町二丁目に囲まれた界隈の旧町名です。町名の由来は、行商人が背負う荷籠の連雀に因んでいると云われ、尺が雀に変わり連雀町となったそうですが、この町名は昭和の初めに無くなりました。この記事では、万世橋、須田町と淡路町の三町界隈を総合して呼べるので都合が良いので、老舗の街並みを連雀町と仮称して記述しました。

・連雀町小史
連雀町の周辺は、大戦で空襲に遭いましたが運良く焼け残って、都心部としては数少ない地域なのです。

 昭和22年秋葉原・万世橋・神田周辺航空写真(goo地図から)

この須田町から万世橋にかけての連雀町界隈は子供の頃から縁が深い地域で、ここの万世橋には小学生の頃から中学生時代にかけ、鉄道に憧れて交通博物館に何回ともなく通った懐かしいところで、JR中央線に赤レンガの想いでの万世橋駅がありました。
また、戦前から戦後時代には、現在のJR品川駅から上野駅まで都電が通っており、須田町交差点から万世橋、秋葉原を径由し、ゆっくりと町並の流れを見ながら、乗車時間がかかるのを意識して利用していた優雅な時代でもありました。

戦後の、1947年(昭和22年)の工業系中学生の頃には、ラジオや電気部品の露店が、神田駅北口から中央通りの西側歩道上と須田町交差点からは靖国通りの南側歩道上に多数の露店が競い合い店を並べており、ラジオの組み立てをするため通った場所で、当時は真空管の時代でした。1949年(昭和24年)には、GHQの露店撤廃令により露天商が秋葉原に移動すると共に、今度は秋葉原通いと変わりました。秋葉原は電気街として発展して、現在の賑わいのある街に変革したのです。
1952年(昭和27年)には、大学工学部に入り校舎(当時の校舎写真)が小川町交差点近くの本郷通りにあったので、散策には秋葉原や須田町が庭みたいな所であり、大学生時代にも連雀町とは縁の深いところでした。

老舗の街連雀町界隈を歩く
今回は、小学から大学生の時代に足繁く通った連雀町を久方振りに歩き、戦災で残った風情のある老舗街のお店を見に9月5日の土曜日に行ってきました。

 神田の食通老舗地図

須雀町への経路は、京急と都営に乗り継いで神保町から靖国通り北側歩道を東に進み、小川町交差点を過ぎて淡路町交差点に着くと須雀町界隈です。交差点から外堀通り北方には、1902年(明治35年)に開店した本場の海苔を使用した老舗の「神田志乃多寿司」(神田淡路町2-2 地図⑨)のお店が見えます。
さらに進むと靖国通りはやや右に折れて3差路交差点となり、細い道路を直進すると直ぐ左手に、明治初期に開店して小説家の池波正太郎が下駄ばきで通った、江戸の手打ちそばを名物にした「神田まつや」(神田須田町1-13 地図⑤)がありますが、そこでの食味は次の機会とします。神田まつやの建物は、平成15年に千代田区景観まちづくり重要物件に指定されています。
まつやの前の道路を進み交差点を左折して、先の十字路の左手には1987年(明治30年)の頃より鳥のすきやき一筋に、備長炭と鉄鍋で昔ながらの味を落とさずに営業をしている「ぼたん」(神田須田町1-15 地図④)の建物が見え、昭和初期に建造した景観街づくり重要物件です。

 神田須田町の食味老舗1(:神田まつや、:ぼたん)

・かんだ藪蕎麦
続いて、十字路を直進しすると左手にある、1900年(明治13年)に営業開始の「かんだ藪蕎麦」(神田淡路町2-10 地図①)のお店で昼時なので、近くに住んでいる孫・親子の3代で共にして藪蕎麦の昼食をとることにしました。

 かんだ藪蕎麦(写真拡大)

着いたのが12時半頃で、門を入ると先客が一杯で脇の待合所に座って待ちましたが、重要物件指定の古き良き日本家屋の佇まいから板塀に囲まれた前庭を眺めたり、創業者の胸像を見ている間に、蕎麦食なので回転が速くほどなく選んだお座しき席に通されました。お店の構えは、玄関を入ってのところが椅子席で、左奥がコの字型に座敷が配されており右側の一番手前の席に着いてお蕎麦の注文です。

 神田須田町の食味老舗2(:創業者胸像、:前庭、:テーブル席)

百有余年の歴史のあるお店には私の父も良く通い、昔の人はお蕎麦屋さんでお酒をとりお蕎麦を食するのが楽しみの時代でした。そこで、昔を食するため日本酒を注文するとお味噌が付いてきましたが、おつまみに店自慢の昔から好まれた芝海老かき揚げの「天たね」と天麩羅を注文して明治時代を偲びました。
お蕎麦を味わうには何と言ってもせいろうです。青みがかかった蕎麦は創業者の七兵衛が新蕎麦の青みを出そうと工夫したそうで、厳選の玄蕎麦を熟練した職人が引き製麺したもので細く滑らかな舌触りのお蕎麦を、昆布、鰹節で濃厚な出汁をとり、濃口醤油、味醂などで味を調えたやや辛目のそば汁で2枚たいらげました。

 昔の食味やぶ蕎麦(:お座敷席、:酒のつまみの味噌、:おそばは何と言ってもせいろう)

食事を終え藪蕎麦の店を出て角を左折すると昭和初期の雰囲気の喫茶店「ショパン」(神田須田町1-19 地図⑥)がありますが、蕎麦の後にはコーヒーは合わないので次の機会とし、そこには寄らないで「ぼたん」のある十字路まで戻り、そこで左折すると角道の右に創業が1830年(天保元年)の江戸情緒が残るあんこう料理の「神田いせ源」(神田須田町1-11-1 地図③)のお店ですが、重要物件指定の建物だけを見て楽しみは今度の機会とし、対面にある1字違いのあんこの甘味の店に入りました。

 あんこ料理の神田いせ源(写真拡大)

・おしるこ竹むら


竹むら(神田須田町1-19 地図②)は神田には本格的な汁粉屋がなかったので、1930年(昭和5年)に開業したと云う老舗で、北海道の小豆を原料として自家製の餡を使用して伝統の味を売りにして、あんみつ、氷しるこ、揚げまんじゅうなどが楽しめますので、各自思い思いの品を注文して昔の味を味わいました。

 おしるこ竹むら(:おしるこ竹むら、:千代田区景観まちづくり重要物件の証額)

こしあんは、しっとりとした程よい甘味で好まれる味でした。店の造りは千代田区景観まちづくり重要物件で、1階がテーブル席で2階に固室があるようです。

 昔の想い出の味(左:おしるこ、中:あんみつまめ、右:あんずみつまめ)

この他、連雀町には洋食松栄亭(神田淡路町2-8 地図⑦)、近江屋洋菓子店(神田淡路2-4 地図⑧)などがありますが、この次の機会に譲り神保町から都営線で帰宅しました。

千代田区景観まちづくり重要物件
区民に親しまれてきた歴史的な価値のある建造物を景観まちづくり重要物件として指定し、保存していく事業を行い、区内に残る歴史的な価値を有する建造物等を千代田区景観まちづくり条例に基づき、景観まちづくり重要物件として指定しました。
千代田区では、千代田区景観まちづくり重要物件を9地区の界隈に分けて指定し、本文の連雀町界隈関連の建物は、御茶ノ水・駿河台界隈として11件の建物を平成15年6月9日に指定し、第1KSビルの1件を平成15年8月8日に指定しました。


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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 雑色駅付近(第19回) 

2009年09月15日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009

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雑色駅構内の高架化工事
・雑色高架駅ホーム駅舎の築造工事
7月に高架駅棟舎の鉄骨柱の組み立てが始まり、前回記述時には駅棟舎の屋根部の骨格の組み立てがほぼ終わり、ホームなどの高架駅設備の築造が行われていました。
9月7日に見ると、組み立てが完成した駅棟舎の屋根梁鉄骨組み中央部分のみが白色のペイントで塗装されていましたが、側面の柱部と横梁などの骨格部まではペイントが施されてされていません。

 雑色高架駅舎棟の下りホーム側骨組み築造1(左:駅舎棟北端の骨組み構造、中・右:駅舎棟下りホーム側面の骨組み構造0907撮影) 

雑色駅高架駅棟舎の築造の外観は、他工区の工事とは異なり高架駅周辺は比較的に空き地が多くあり、また工事覆いの幕が透けたネットのため作業の進展状況が良く観察できますが、高架橋の高さが一般建屋の4階建に相当し、駅棟舎の屋根の頂点の高さはおよそ6階建てに相当するため、周辺の平地からは高架橋内部やホーム施設の築造の状況を見ることができません。

 雑色高架駅舎棟の下りホーム側骨組み築造2(写真拡大0907撮影)

雑色駅南の高架橋築造
・雑色第1踏切ガード
前回記述時には、雑色駅南方に築造の高架橋と雑色第1踏切ガードにも外壁塀が付けられて完成の状態です。

 雑色高架駅南の高架橋築造(写真拡大0907撮影)

・雑色第1-2踏切間の高架橋築造
前回記述時には、同第1踏切から第2踏切までに築造の高架橋には外壁塀が付けられ完成の状態で、各高架橋間の連結橋も全てが架設済みでしたが、第2-3高架橋間の連結橋には外壁塀が未取り付けでした。9月7日に見ると外壁塀の取り付けが完了しており、この間の高架橋の築造も完成の状態です。

 完成した雑色第1-2踏切間の高架橋(:仲六郷三丁目公園北方の完成高架橋、:同公園南仲六郷三丁目公園、:献血供給事業団大田の西側献血供給事業団大田0907撮影)
  
六郷土手付近の傾斜高架橋部の上り仮線敷設高架工事
・雑色第4踏切付近の底地盛り土部付近
前回記述時には雑色第4踏切南側に築造の高架橋から南方の、低地盛り土個所付近の上り仮線高架橋築造は、H型鋼桁梁の橋桁を架設した上にコンクリート製の道床が載せられたところで、まだ、外壁塀は付けられてない状態でした。
9月7日に見ると、低地盛り土部付近の仮高架橋には外壁塀が付けられて完成していました。

 外壁塀が付いた低地盛り土部付近の高架橋(写真拡大0907撮影)

・盛り土部中間位置付近の仮高架橋築造
前回記述時には、盛り土部中間位置付近の仮高架橋の築造は高架橋の架設が掛けおわり、外壁塀の取り付けの準備工事を行っていました。
9月7日に見ると外壁塀が取り付けられ、盛り土部中間部付近の仮高架橋は完成していました。

 外壁塀が付いた中間盛り土部付近の高架橋(写真拡大0907撮影)

・傾斜高架橋付近の仮高架橋築造
前回記述時点では傾斜高架橋付近の仮高架橋の築造は、H型鋼桁梁の橋桁を架設した上にコンクリート製の道床が載せられていましたが、外壁塀は付けられておらず、本線との分岐点近くも道床をコンクリートで打って作られていました。
9月7日に見ると、仮線高架橋の道床コンクリートに外壁塀が付けられて完成していました。

 傾斜高架橋部付近の仮高架橋築造(写真拡大0907撮影)

ほぼ完成の上り仮線高架橋は、六郷土手駅北から緩い勾配をやや下がった場所の日立システム六郷寮に面した道路に架かるガードの北側からの、本線傾斜高架橋の架橋の1スパーン先から分岐して別れます。この点からの本線高架橋は地上へと降下して、盛り土部へと繋がりますが、仮線高架橋は逆にここから高架化高架橋の高さまで昇る構造形体となっています。
仮線高架橋を六郷土手駅からと、反対の雑色第4踏切から覗いてみました。

 仮線高架橋の全体構造(:仮線高架橋は本線ガード先の傾斜高架橋から分岐する、:六郷土手駅から仮線高架橋を遠望する、:雑色第4踏切から仮線高架橋を遠望する0907撮影)

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イベント モノづくり大田区 マシンツールフェアOTA と都立産業技術研究センター施設公開(その2)

2009年09月13日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2009 

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東京都立産業技術研究センター城南支所施設公開
「第14回マシンツールフェアOTA」開催中の大田区産業プラザPIO(大田区南蒲田1-20-20)で、9月9~11日の期間に合わせて、PIO展示会場の東京都城南地域中小企業振興センター1階にある、東京都立産業技術研究センター城南支所で施設の公開が行われましたので、最終日の11日に見てきました。
・東京都立産業技術研究センター
東京都立産業技術研究センターは地方独立行政法人で、様々な製品や材料等について、試験、測定、分析、設計、加工、デザイン等のサービスを提供しております。また、センター機器や施設利用による製品・技術開発支援を実施しており、利用者が独自に利用できる様々な試験機器が備えてあり、使用者の実験室として、製品や材料等の試作、測定、分析が行え、機器の使用法や試験データの読み方についての指導もして貰えます。
センターでは機器の利用の他に、利用者の依頼で試験、測定、分析等を実施し、成績証明書の発行や技術的なアドバイスのサービスも受けられます。
なお、センターの試験機などのサービスを利用できる場所は城南支所の他、西が丘本部、城東支所、墨田支所、駒沢支所、多摩支所と八王子支所の各地で利用できます。

・城南支所センター公開施設の見学
城南支所センターの公開見学は、PIOの1階の一番奥が入り口で見学の受付を済ませて、当日はスタンプラリーを行っており見学コース案内図を貰い順路にしたがい1から10番までの試験機室を廻ります。各施設機器室では、スリッパに履き替えて入室します。各設備室には、試験機器の説明書が置いてあり自由に貰え、説明担当員が丁寧に機器の説明してくれます。
最初の設備室は、ノイズ試験室①と精密測定室②です。ノイズ関連の試験装置には、静電気試験器、電力線から伝搬ノイズのバースト試験器、雷サージ器、交流電源の波の一部をカットしたサイクルサグ試験器などがあります。

 公開の東京都立産業技術研究城南支所センターの内部1(左:センター廊下、中:公開設備①②室入口、:ノイズ試験室)

ノイズ試験室の隣は精密測定室②で、設備の試験機器の台数と種類はかなりの数がありマイクロハイスコープ、3次元測定器、形状測定器、万能投影機、工具顕微測定器、形状測定器、表面あらさ測定器、ダイヤルゲージテスターなどが備えてあります。
マイクロハイスコープは、工学系レンズとCCDカメラを組み合わせてディスプレイに撮し出して測定や解析をする装置で、高低差のある表面の立体表示がかのうで、1800万画素の観察が可能です。

 公開の東京都立産業技術研究城南支所センターの内部2(:マイクロハイスコープ、:三次元測定器、:形状測定器) 

次の設備室は機器分析室③と電子顕微鏡室④で、機器分析室には赤外分光分析装置などがあり、資料に赤外線をあてて顕微反射法により金属部品上の油状付着物などの測定ができます。電子顕微鏡室には、各種の顕微鏡と共に資料の表面形状の観察や成分分析など行うため、資料を顕微鏡観察に適した形状に加工するマイクロカッターや自働研磨・琢磨装置および、コーティング装置やイオンミリング装置などの顕微鏡用の処理装置があります。

 公開の東京都立産業技術研究城南支所センターの内部3(:公開設備③④室入口、:実体顕微鏡、:走査型電子顕微鏡)

次の設備室⑤⑥では、光造形システムによりプラスチックの製品加工の実演が行われており、廊下にはいろいろな試作品や資料が展示されていました。

 公開の東京都立産業技術研究城南支所センターの内部4(:光造形システム装置、:3Dレーザー加工装置)

ナノテクノロジーセンター⑦には、マイクロフォーカスX線透過装置がありIC内部のミクロの世界を透視して試験ができます。当日は、装置にペンシルを置いて実演を見せて貰えました。また、材料・検査加工室⑧には、3Dレーザー加工装置がありセラミックスや超硬な難削材などを3次元の立体加工が行えます。

 公開の東京都立産業技術研究城南支所センターの内部5(:公開設備⑦⑧室入口、:マイクロフォーカスX線透過装置、:資料の鉛筆にX線をあてCT透視の実験)

最後の恒温恒湿室⑨⑩では各種の恒温恒湿装置があります。特に大型の電気・電子機器等の温・湿度試験を行うための高温恒湿室のサイズは、幅が4.07m、高さが2.1m、奥行きが3.02mもあり、温度が-40~+80℃、湿度が20~95%の範囲の環境で試験ができます。今回の公開実験ではこの恒温恒湿室を-30℃に設定した恒温室内に入っての極寒の体験を行っていました。折角の機会でしたので、入室して極寒を体感してみました。

東京都立産業技術研究センターの施設には、中小企業では設備ができない試験機器や装置が整っています。東京都では、これらの装置を利用する料金を、経済不況対応緊急技術支援の一環として減額を行っていますので活用して、得意とする大田区のモノづくりで不況を乗り切りたいものです。
見学を終え、アンケートを書いて出口で景品のペンライトを頂いて帰りました。

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イベント モノづくり大田区 マシンツールフェアOTA と都立産業技術研究センター施設公開(その1)

2009年09月11日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2009 

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マシンツールフェアOTA
京急蒲田駅前の第1京浜国道に面したところにある大田区産業プラザPIO(大田区南蒲田1-20-20)の前を通ると、案内板に「第14回マシンツールフェアOTA」(主催:大田区/(財)大田区産業振興協会/日刊工業新聞社)9月9~11日開催の案内が出ていました。

 第14回マシンツールフェアOTA会場(写真拡大)

大田区でのモノづくりに関する催しであるので関心があり、開催2日目の10日に寄り道して見てきました。
世界的の景気低迷の最中であり、大田区のモノづくりの集積地である地元の取り組みの状況が覗けたらと思い、展示会の雰囲気に触れてきました。また、フェアの併催事業でPIOの1階の奥にある東京都立産業技術研究センター城南支所の施設公開が期間中行われていましたので、日を改めて11日の午後見に行きました。

 第14回マシンツールフェアOTA案内(案内Webページ)

約3月前の6月4日には、東大阪と河内のものづくり企業集団が上京し、PIO会場で「大阪ビジネスEXPO 2009」(「イベント ものづくり大阪 東大阪のものづくり企業が地元大田区で大阪ビジネスEXPO 2009を開催」参照)の開催も見ておりますので、大田区モノづくり企業との元気さを比べて見たいとの思いもありました。

マシンツールフェアは、大田区のモノづくり基地での、日本の代表的な工作機械メーカー、関連機器メーカー、機械商社と共に地場の独創的技術を持つ大田区の企業が誇る製品や技術を一堂に展示する見本市です。今年は世界景気の不況により機械関係の受注の落ち込みを受けた厳しい状況ですが、新規企業の出展も含めて60社、6団体の昨年を上回る出展企業の参加がありました。また、特別協賛として日本工作機械輸入協会の第3回 国際工作機械と周辺機器展 IMTP2009を併催し、9社1団体が出展してました。

出展内容は、工作機械及び関連製品、工作機械及び関連製品、金型及び関連製品、自動化・省力化(FA)機器、制御機器及び関連製品、検査・測定機器、工場内環境設備機器、そのほか機械関連機器及び関連情報などです。

 マシンツールフェア展示会場風景1

今年の記念講演は、9日に前経済産業省事務次官の北畑隆生講師の「世界同時不況は怖くない~日本のモノづくりの未来~」と、10日に㈱エーワン精密取締役講師の「私はこんなことを考えながら“強い町工場”を創りました」が行われ早くから満席の状況でした。また、10、11日には経営サポートセミナーの4項目が開催されました。

 マシンツールフェア展示会場風景2

なお、昨年度開催のマシンツールフェアの参加者は、3日間で6,923名の入場者がありました。今年の会期中の入場者はどのようでしたでしょうか、景気の回復が待たれます。

 マシンツールフェア展示会場風景3

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第24回その2)

2009年09月09日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009

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京急蒲田駅南方第5工区の高架化工事
・京急蒲田第2-4踏切間の高架橋築造
前回記述時点では、同第2-4踏切間の高架橋の築造は出来上がり、3階の第3、4高架橋間に連結橋が架設されておりました。2階部高架橋の東西面には外壁塀が付けられていましたが1部に未取り付けの個所があり、3階部の外壁塀の取り付けは第2踏切ガードから3面第3高架橋までの間までです。
8月27日に見ると、2階部の3面第3高架橋の取り付けが未完であった外壁塀の取り付けが完了していました。外壁塀の付いていない3階部第3高架橋以南の高架橋では仕上げの工事が行われていました。

 第1京浜国道から見た京急蒲田第2踏切南の高架橋(:第2踏切[右側]南の高架橋、:第2踏切南の1面第2高架橋付近0905撮影、:3面第3高架橋2階部に外壁塀が付く0903撮影)

・京急蒲田第4踏切ガード
前回記述時点では、2面第4高架橋南側の京急蒲田第4踏切のガードが架設され、2階部のガードには外壁塀が付けられていましたが、8月27日に見るとガード3階部の工事覆いが取られて仕上げ工事が行われていました。

 第4踏切付近高架橋(:第4踏切北付近高架橋[左側]0827撮影、:第4踏切ガードと高架橋0903撮影、:西側道路から見た第4踏切付近高架橋0827撮影)

・京急蒲田第4-5踏切間の高架橋築造
前回記述時点では、京急蒲田第4-5踏切間の3階部高架橋間には連結橋が架設されていました。8月27日に見ると、前回時点と外観的には変化がありませんが仕上げの工事が進められています。

 第4-5踏切の高架橋築造(:第4踏切南の2面第1高架橋、:第5踏切北の1面第2高架橋と連結橋0827撮影、:環8通り北の高架橋築造0903撮影)

・京急蒲田第5-9踏切間の高架橋築造
前回記述時点では、京急蒲田第5-8踏切間の高架橋の築造はほぼ出来上がっておりました。
9月3日に見ると、同第6踏切北側の上下線の高架橋は外壁塀がついて完成しており、京急蒲田駅の3階構成の高架橋の南端面で、今期はここまでの築造です。第6踏切の上り線ガードにも外壁塀がつけられ完成です。同踏切南側の上り線高架橋は、次期の下り線高架橋の片側の橋脚を建立して、西側面にのみ外壁塀を付けて高架橋の下は綺麗に整理されています。

 第5-8踏切間の高架橋築造(:第6踏切北の2、3階高架橋、:2階上り線のみ築造完の第6踏切南方の高架橋、:西側面にのみ外壁塀の付いた第8踏切ガード0903撮影)

京急蒲田第6踏切南側直近の2面高架橋は、隣接の環8上り線仮高架橋と高さ位置関係が同じで並んでいます。この付近の上り線築造の高架橋を車窓から見ると、この部分の西面には外壁塀が取り付けられていなく、簡単な鉄線の柵で仕切られており、容易に高架橋橋間を歩行移動できます。両高架橋間は密着していなく隙間がありますので、双方の線路間を交差させるのはかなり難しいと思われます。

 第6踏切南直近の高架橋上を車窓から見る([0801撮影]・[0903撮影]・[0907撮影]写真拡大)

同第9踏切付近の高架橋の築造は前回記述時点には高架橋西面には外壁塀が付き、殆ど完了状態でした。
9月3日に見ると、高架橋築造時の工事鋼材が踏切北高架橋の西側の橋脚に1本取り残されているのみで、その他は何も残されていなく完成状態です。

 第9踏切付近の高架橋築造(写真拡大0903撮影)

第7工区の高架化工事
・京急蒲田(空)第1踏切付近の高架橋工事
前回記述時には、京急蒲田(空)第1踏切東ヤード付近の高架橋の築造は完了していましたが、2階部高架橋の一部は外壁塀が付いていませんでした。
8月27日に見ると、2階部高架橋の外壁塀の取り付け工事を行っていました。

 第1京浜国道ヤード付近の高架橋2階部外壁塀の取付け工事([0827撮影]、[0903撮影]写真拡大)

・京急蒲田(空)第2-4踏切間の高架橋工事
前回記述時点では、京急蒲田(空)第3踏切の東方に架設済みの長大連結鉄橋までの高架橋には外壁塀が付いていました。長大連結鉄橋架設の東側3面高架橋の東方には、同第4踏切に接した2面高架橋があり、その高架橋間に連結橋架設の工事を行っていました。
8月21日に見ると、同第2-4踏切間の長大連結鉄橋から東方の高架橋、連結橋には外壁塀が付けられて完成です。

 第2-4踏切間の連結橋に外壁塀が付く(:長大連結鉄橋に外壁塀が付く、:第4踏切西方の高架橋間連結橋に外壁塀が付く0905撮影)

また、工事中の京急蒲田(空)第4踏切ガードも8月21日に見ると外壁塀が付けられて完了です。

 外壁塀が付いて完成の第4踏切ガード([0821撮影]、[0905撮影]写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第24回その1)

2009年09月07日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
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京急蒲田駅北部第3工区の高架駅橋と鉄橋架設工事
・多摩堤通り鉄橋架設と呑み川北岸高架駅橋工事
前回記述時には、多摩堤通りガードの架設が完了し仕上げの工事に入りました。多摩堤通り北の第2、3工区境界の高架橋間の3階部連結橋工事が行われていました。
8月21日に見ると境界の3階部連結橋には外壁塀が付けられていました。また、呑み川北岸の高架駅橋の工事が進捗し、同28日には工事覆いが延長して被されていました。

 呑み川北岸で築造中の高架駅橋(:仕上げ工事中の多摩堤通り3階部ガード0903撮影、:呑み川北岸で築造中の高架駅橋0821/0827撮影)

・呑み川ガード架設工事
同21日には呑み川上に、3階東側下り線のガードが架設されており、9月3日に見ると3階のガード鋼橋桁の下に橋脚が3脚建てられていました。また、作業台上には、3階西側下り線のガード用の鋼橋桁材が置かれてありました。

 呑み川3階ガード架設工事(:呑み川東側線路の3階ガード架設0821撮影、:呑み川3階ガード桁に橋脚が付く、:作業台上に置かれた西側線路3階ガード架設用の橋桁0903撮影)

京急蒲田駅南部第4工区の高架駅橋と第1京浜国道ガード
・第1京浜国道空港支線鉄橋
前回記述時には第1京浜国道ガードに鉄橋側道が付き、2階部ガードの南北面には外壁塀が付けられました。
8月21日に見ると3階部の第1京浜国道上北面に外壁塀が付き、同27日には南面にも外壁塀が付けられ、9月3日には国道西側の京急蒲田駅引き込み線部のガードにも外壁塀が付きました。

 第1京浜国道ガードに外壁塀が付く(:第1京浜国道上の3階部ガード北面に外壁塀が付く0821撮影、:第1京浜国道上の3階部ガード南面に外壁塀が付く0827撮影、:蒲田駅ホーム側のガードに外壁塀が付く0903撮影)

・第4工区高架駅橋築造
前々回の記述時には、第4工区高架橋築造(高架橋工事図参照)は、3面高架橋(RS61)上の3階部に高架駅舎棟の屋根部の鉄骨骨組みが姿を見せました。

 3面高架橋(RS61)上の駅舎棟屋根部骨組み築造を北側から見る

8月27日に見ると、3面高架橋上の駅舎棟屋根部の鉄骨骨組が南方の高架橋(RS62)上へと延長して築造が行われていました。

 駅棟舎屋根鉄骨骨組みが南に延長築造(写真拡大0827撮影)

9月3日に見ると、京急蒲田第2踏切寄りの高架橋(RS64)付近の高架駅橋上で駅舎棟屋根部の鉄骨骨組の築造工事が行われていました。

 高架橋RS64上付近に駅舎棟屋根部の鉄骨築造(:本線西側から高架橋を見る0903撮影、:第1京浜国道側から高架橋を見る0905撮影)

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大森町界隈あれこれ 大変貌の大森町商店街 京急高架化で商店閉店と店舗取壊しが相次ぐ(その2)

2009年09月05日 | 大森町界隈あれこれ 商店街
kan-haru blog 2009 

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東京都都市計画道路事業により大森町商店街の閉店取壊しと建て替えがはじまる
京急大森町駅周辺の商店街では、京急蒲田駅付近連続立体交差事業の高架化工事のため、それに付随する東京都市計画道路事業により、大田区画街路第3号線と都市高速鉄道京浜急行電鉄本線付属街路第1号線(京急付属街路第1号線)の道路が拡幅および新設されるため、商店の閉店と店舗の取壊しが相次ぐと共に、取壊し店舗が共同で建て替えの再開発ビルの建設工事が始められました。

 東京都市計画道路事業(再掲)

これにより、大森駅周辺の商店街は大きく変貌しつつあります。

 大森町駅周辺商店街立退・取壊しによる変貌図

・大田区画街路第3号線の道路拡幅
東京都市計画道路事業の大田区画街路第3号線(事業認可 大田区 平成14年3月27日 東京都告示第341号)は、大森町駅東口から第一京浜国道までの大森町商店街通りの延長63mを、幅員13mに拡幅するものです。
前回記述(「大森町界隈あれこれ 大変貌の大森町商店街 京急高架化で商店閉店と店舗取壊しが相次ぐ」参照)時点では、商店街変貌図に示す理容店(図④)と駅前のホケン堂薬局(図⑤)のお店が1月に取り壊されて平地となりました。また、大田街路第3号線の並びの和菓子店の青柳(図⑨)、クリーニング店のCLEAN BLUE(図⑩)、和食の大森食堂(図⑪)と向かい側の焼肉店のとんべつが同時に閉店し、クリーニング店は閉店した焼き肉店とんべつ(図赤⑩)に移り仮開店しました。店舗閉鎖の3店は、2月に取壊しの準備が始まりました。

取壊しの始まった3店舗は3月には取壊しが完了し、先に取壊された2店舗の跡と共に平地となりました。また、取壊し5店舗の裏側の工務店(図⑫)オフイスも、7月に取壊しが始まりました。

 大田街路3号線の商店街店舗の取壊しが進む(左:閉店3店舗の取壊し完了0305撮影、中:取壊し5店舗の跡が平地となる0307撮影、右:工務店の取壊しが始まる0717撮影)

7月下旬には工務店の取壊しも終了し、大森町駅東口前の大田区画街路第3号線商店街通りの南側で再開発ビル第1号の建設が始まりました。

 店舗取壊し跡には早くも再開発ビル建設のつち音(左:工務店の取壊しが完了0724撮影、:取壊し跡は再開発ビル建設の準備が始まる0828/0307撮影)

7月に入ると大森町駅東口の隣りの並びの店舗で営業中の東京惣屋キッチン(図⑬)が、7月31日を持って閉店する通知を張り出して店を閉め、それまで2階で営業を行っていた理容師店が一足早く閉店していたので、店舗は完全に閉ざされました。

 閉店の東京惣屋キッチン(左:閉店日の東京惣屋キッチン0731撮影、中・:閉店後の東京惣屋キッチン0806撮影)

8月21日に見ると、東京惣屋キッチンが営業していた3階建てのビルの解体工事の通知が張り出され、同28日には解体が始まりました。

 大森町駅東口隣接店舗ビルの解体工事が進む(:解体工事のお知らせ0821撮影、中・右:解体工事が始まる0828/0903撮影)

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風景・風物詩 高円寺阿波おどり おどれセシオン2009

2009年09月03日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2009

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高円寺阿波おどり
高円寺の阿波おどりは、今年で第53回の開催となりますが今までに2回ほど見に行き、前回は4年前のブログ開始時の2006年第50回阿波踊り(「風景・風物詩 夏の風物詩 高円寺阿波踊り」参照)を見ました。

 高円寺阿波おどり50周年記念誌

高円寺の阿波おどりは、本場徳島に次いで東日本では最大の阿波踊大会で、約12,000人の踊り手が笛、太鼓、三味線のお囃子にのって170連以上が繰り出して、2日間にわたり商店街を踊りぬきます。今年の第53回阿波おどりは、8月29、30日の18時から21時まで開催しましたが、2日目は開始早々に雨が降り出して最後まで止みませんでしたが、見学者は終了まで応援して盛り上げたと報道されていました。

 第53回高円寺阿波おどり大会(説明拡大)

久し振りに阿波おどりを見たくなり、今年は夜の時間が都合つかないので演舞会場では無く、セシオン杉並の舞台での「おどれ高円寺セシオン 2009」の1日目の8月29日の第2部14時開演を見てきました。

 「おどれ高円寺セシオン 2009」29日第2部公演チケット

おどれ高円寺セシオン 2009
おどれ高円寺セシオン 2009は、NPO法人東京高円寺阿波おどり振興協会の主催で、本大会阿波おどり開催日の8月末の土・日曜日の2日間にわたり、第1部が11時30分と第2部が14時開場の2回開催されます。

 おどれ高円寺セシオン 2009 29日公演阿波おどり(出演連拡大)

セシオン杉並(杉並区梅里1-22-32)には、自宅から京急電鉄品川で乗換えの、JR山手線の新宿で東京メトロ丸の内線に乗換えて新高円寺駅下車、青梅街道を新宿方面に進むと徒歩7分で環状七号線の手前の道路を右折したところにあります。開場の座席は、前から2列目の中央の席で、席についたら間も無く開演です。

・天狗連
天狗連は、1965年(昭和40年)に前身の「きらく連」を母体にして有志を募り結成して、1971年(昭和46年)には本場の徳島の「平和連」と姉妹連となりました。鳴り物衆がテンポや曲を変えて踊り子達を魅了させます。(女踊り)


・しのぶ連
しのぶ連は、1972年(昭和47年)に梅里地区の若者を中心に結成して、今年で37周年を迎えました。連員は杉並地区に留まらず広範囲から集まり、年齢も様々。最近では親子二代で踊りやお囃子を楽しむ家族も増え、裏方のお父さん、お母さんを含め、連全体が“大家族”の様に一丸となり、明るく楽しく頑張っています。お囃子は、連独自の"音"にこだわりと誇りを持ち、日々研究と精進を重ねています。(女踊り) 


・仕留波阿連
仕留波阿連は、1970年(昭和45年)に高円寺シルバー商店会の有志連「シルバー連」として発足しました。1978年(昭和53年)により美しく、より本格的な阿波踊りをめざして、その携帯を町会連から独立連とし、名称を阿波の志を留める連の意味を込めて「志留波阿連」として再スタートしました。平成元年には、本場徳島の有名連である徳島県阿波踊り協会所属「みやび連」と姉妹連として提携をむすび、現在約100名の連員を有しています。今年のテーマは月でした。(仕留波阿連お囃子)


・飛鳥連
飛鳥連は、1970年(昭和45年)に東京高円寺阿波おどりの発足に携わった高円寺パル商店街の商店主たちが、今までの黒子から今度は汗を流した分、喜び合える連を作ろうと結成したのが飛鳥連です。当初は子供達を含めて30名に満たないスタートでした。現在は、地域や年齢を超えて集まった約130名の連員を擁し、徳島阿波おどりの最高峰・娯茶平の姉妹連として、自由で美しい踊りと情緒豊かな鳴り物を目指して活動しています。
水の流れにも似た女踊りの笑顔と指先、男踊りの低い姿勢と足の運び、さくらのきれいにシンクロした組み踊り、そしてそれらを、踊る阿呆の踊り手をより阿呆らしく踊らせる鳴り物ががっちりとまとめ上げます。(子供踊り)


・吹鼓連
吹鼓連は、「皆で元気づける」という意味の「鼓吹」と言う言葉が由来です。また、笛を吹き、太鼓をたたくという意味もこめられています。平成13年7月に、 杉並区在住のメンバーを中心に結成して活動する連員が80名のグループです。徳島とのつながりは深く、結成初年度から毎年「徳島・阿波踊り」に 一連で参加しています。平成14年からは徳島で4月に開催される「はな・はるフェスタ」に 県外招待連として出演しております。また、徳島の「ぐるーぷ藍吹雪」から指導をいただき、正調を極めんと取り組んでいます。平成20年1月には、徳島市阿波おどり振興協会所属「天水連」と姉妹連として連携しています。女踊りは全体の和の 美しさを表現することをモットーにし、男踊りはテンポに合わせてバラエティー豊かに、子供踊りは元気よく、そして、鳴物はメロディを奏でる三味線や笛を中心に、ややゆったりした テンポで「正調」を基本としています。


・江戸歌舞伎連
江戸歌舞伎連は、平成7年に結成して、今年で14年目を迎えます。現在連員は高円寺の近くに住んでる人や他の県からの参加者を含めて70人程在籍!職業や学校もいろいろです。
江戸歌舞伎連の阿波踊りは本場徳島県の正調阿波踊りを基本にしています、飛んだり跳ねたりの踊りではなくって「これがホントの阿波踊り」を目指しています。
お勧め、見どころはしなやかな女踊りと渋い男踊り、そして本場徳島でも評価してもらっている奴踊りと、笛と三味線を中心にした心地よい お囃子です。(寄り合踊り)


・葵新連
葵新連は、1967年(昭和42年)に設立したグループで、連員が約100名おります。うちわの名手、女子だけの子ども踊り、優雅にしてしとやかな女踊り、若さいっぱい粋のいい男、女ハッピ踊り。踊り手が繰り広げる路上パフォーマンスを、葵新連独特の鳴りものとともに楽しめるバランスのとれた連です。


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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 9月INDEX

2009年09月01日 | INDEX
kan-haru blog 2009 9月1日22版

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K&A kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事の即時検索のほか、カテゴリー別の登録記事の全て(2006年3月から最新登録まで)の検索ができます。
また、京浜急行の高架化の駅別工区をキーとした、大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次を新設しました。

[K&A kan-haru 日記の見方について]
ブログ左覧のガイド板「カテゴリー」には、kan-haru日記のカテゴリー名とカテゴリー毎の記事登録数が掲載されております。
カテゴリー名の「ようこそ kan-haru日記へ」欄内には、次に示す日記の総合目次と日記を見るためのガイダンスが掲載してあります。
総合目次は、この月間INDEXと統合しており、同一のカテゴリー別目次を併用しております。
「ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について」は、この日記を見るためのガイダンスを記載してあります。日記の見方について (その1)の解説には、カテゴリー別の概要説明と共に、カテゴリー項目からは当該カテゴリーの第1回登録記事から最終・最新の登録までの全ての記事の索引が行えるようにカテゴリー別INDEXと結合してあります。
kan-haru日記 カテゴリー別総合目次(全日記INDEX)
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その1)  2007年1月30日 更新
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その2)  2007年1月22日更新
・ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その3) (未完)

[ブックマーク からカテゴリー別目次を見る]
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閲覧日記と同一のカテゴリーの目次は、記載日記最後尾のカテゴリー別Indexから見られます。

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[ブログ記事内の参照地図・写真などを拡大して見るには]
次の2006年3月月間INDEXに方法が記載してありますので、参照して下さい。
番外編 ブログ記事の参照地図を拡大して見る方法 [付 kan-haruの日記3月月間INDEX] 2006年4月1日

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次
■印覧の09年08月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。

 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年!
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)
      付 東京大空襲 ~あれから61年~
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
  ◇ 2006・2007年版2008年前期版2008年中期版2008年後期版2009年前期版2009年中期版2009年中Ⅱ期版
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第23回その1) 8月7日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第23回その2) 8月9日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 雑色駅付近(第19回その1) 8月18日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 雑色駅付近(第19回その2) 8月20日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 糀谷駅付近(第14回) 8月25日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第37回) 8月29日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第24回) 8月31日
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
 9 大森町界隈あれこれ イベント  
 ■ 大森町界隈あれこれ 夏のイベント 大森町商店街サマーフェスティバル2009(その1) 8月12日
 ■ 大森町界隈あれこれ 夏のイベント 大森町商店街サマーフェスティバル2009と盆踊り(その2) 8月14日
 ■ 大森町界隈あれこれ 大田区の花火 大田区平和都市宣言記念事業「花火の祭典」 8月27日
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや

  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
  ◇ 大森町付近工区2006・2007年版大森町付近工区2008年版大森町付近工区2009年版梅屋敷付近工区京急蒲田付近工区2006~2008年版京急蒲田付近工区2009年版雑色付近工区糀谷付近工区

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008・2009年版
 ■ 風景・風物詩 羽田神社例大祭 13基の神輿を3千人がヨコタ担ぎで練り歩く町内神輿連合渡御 8月16日 
 ■ 風景・風物詩 上野公園不忍池 弁天堂近くで開花した蓮の花の観賞 8月22日
22 小さな旅 総目次
23 旅ものがたり 総目次
24 秋葉原界隈 総目次
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009年版
26 ITと技術 総目次
27 Weblog 総目次
 ■ Kan-haru日記 トータル閲覧数が60万を超えました 多数のご閲覧ありがとうございます(その2) 8月3日
 ■ Kan-haru日記 トータル閲覧数が60万を超えました 多数のご閲覧ありがとうございます(その3) 8月5日
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