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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第8回その2)

2010年10月31日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 [左]旧下り線跡、[中]上り線高架、[右]下り線仮高架(京急蒲田第6踏切跡)

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第2工区工事
・旧上り線梅屋敷駅ホーム解体工事
前回には旧上り線梅屋敷駅ホーム解体状況は、鋼材骨組のホーム枠台のみでした。
10月25日に見ると旧上り線梅屋敷駅ホームは、ホーム枠台支柱として土中に埋め込まれた多数のH型鋼が残され、改札口からホームへ登る石段が以前のままです。なお、旧上り線の線路跡は、平に整地されています。

  解体が進む旧上り線梅屋敷駅ホーム(左上中上右上:大森町第4踏切から見た旧上り線梅屋敷駅ホーム、左下中下右下:梅屋敷第1踏切から見た旧上り線梅屋敷駅ホーム1025写真拡大)

第5工区工事
・下り線傾斜高架橋築造工事
京急下り線の運行は、9月26日から上り線高架化運行に移行する5月16日以前に使用していた元仮上り線高架橋に移設し、京急蒲田第6踏切跡から同第9踏切間の旧下り線線路跡に、下り線傾斜高架橋築造工事が始まります。

 第5工区旧下り線線路跡に下り線傾斜高架橋築造場所

この新設の高架橋は、同踏切間に完成の2階上り線高架橋に並行して、京急蒲田駅から同第6踏切跡の北側まで完成の3階高架橋と接続し、同第9踏切南方に完成の2階高架橋まで斜めに降りて接続する傾斜高架橋です。この築造の傾斜高架橋は、既に2階上り線高架橋上の東側には高架橋脚桁が完成しており、対となる高架橋脚桁を旧下り線線路跡の東端に建立すれば済むように準備されています。

 京急蒲田第6-9踏切間の高架橋新規築造の状況説明写真(:接続する京急蒲田第6踏切北側3階高架橋、:高架橋脚桁が準備された京急蒲田第6-8踏切間上り線高架橋、:接続する京急蒲田第9踏切南の複線高架橋)

10月29日に京急蒲田第6踏切跡南側の下り線傾斜高架橋築造工事現場を見ると、旧下り線線路跡は整地され、上り線高架橋下には鋼板が敷かれ建築物品の運搬や工事機械の設置が出来るよう準備が進んでいます。

 京急蒲田第6踏切跡南方の下り線高架橋築造現場(:京急蒲田第6踏切跡南方の旧下り線線路跡、:京急蒲田第6踏切跡南方の上り線高架橋下部、:京急蒲田第6踏切跡南方の仮下り線高架橋下部1029)

また、京急蒲田第8踏切から北方の旧下り線線路跡を見ると、完成した上り高架橋上部の東側には、築造する傾斜高架橋用の片側の高架橋脚桁がすでに出来ているのが見えます。

 京急蒲田第8踏切跡から見る北方の旧下り線線路跡(:京急蒲田第8踏切跡、:第8踏切跡から北方の下り線高架橋築造現場を見る、:第8から第6踏切跡までの旧下り線線路跡を見る1029)

同第8踏切から反対の南方の旧下り線線路跡を見ると、傾斜高架橋築造の準備工事用の小型ショベルカーなどの3台の工事車が見られます。

 京急蒲田第8踏切跡から見る南方の旧下り線線路跡(:第8踏切跡から南方の下り線高架橋築造現場を見る、:第8踏切跡から南方の下り線高架橋築造現場を見る、:第8から第9踏切までの旧下り線線路跡を見る1029)

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・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(10月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次2010年後期版2010年中期版2010年前Ⅱ期版2010年前期版2009年後期版2009年中Ⅱ期版2009年中期版2009年前期版2008年後期版2008年中期版2008年前期版2006・2007年版
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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第8回その1)

2010年10月29日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 内川橋梁取壊し工事(10月29日)

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第1工区工事
・上り線大森町駅ホーム工事
旧上り線大森町駅ホームの撤去が完了した後の現場では、前回までの工事で上り高架橋エスカレータ取付のための基礎工事が進められ、据え付け土台部の周囲に鋼矢板の埋め込みが行われました。10月25日に見ると、エスカレータ据え付けの土台部造りの工事が始まりました。

 エスカレータ取付基礎工事中の旧上り線大森町駅ホーム跡(1025写真拡大)

同27日に見ると、クレーン車を追加動員して、鋼矢板埋め込みの土台部内部の土掘り工事が行われていました。

 エスカレータ取付土台の土堀工事(1027写真拡大)

エスカレータ取付の基礎工事が行われている旧上り線大森町駅ホーム跡を29日に見ると、工事車が増強され2台のショベルカーと1台のクレーン車で工事が本格的に進んできて、土台部内部の土掘りが深くなり高架橋脚柱芯棒を支える筒状のライナーが露出して見えてきました。

 エスカレータ設置基礎工事(左上:工事に増設された小型ショベルカー、中上:土台の土堀工事の中型ショベルカー、右上:工事材を移動する中型クレーン車、左下:エスカレータ設置土台基礎工事、中下:エスカレータ設置土台基礎工事、右下:エスカレータ設置土台基礎工事)

・内川周辺仮高架橋工事
内川周辺の旧上り線傾斜高架橋跡の解体工事は、前回には上り線線路跡のバラストの撤去が済んで、傾斜高架橋上部の上り線側のコンクリート道床の側壁の切断工事が内川橋梁方から始まっていました。10月25日に区道から傾斜高架橋を見ると、コンクリート道床の側壁の切断工事が進んでおり、崩れないように側壁と道床の間を鋼板やアングルで結合してありました。

 コンクリート道床側壁の切断工事([1025]・[1027]写真拡大)

同25日に見ると平和島第2架橋の南側のコンクリート道床側壁に作業台が取り付けられ、同27日には仮上り線高架橋のKP-17橋脚付近のコンクリート道床に工事覆いの作業台が取り付けられていました。

 コンクリート道床取壊しの準備が進む(:[1025]、:[1027]平和島第2架橋南のコンクリート道床側壁に作業台の取り付け、:[1027]KP-17橋脚付近コンクリート道床に工事覆い作業台の取り付け)

また、同日には仮上り線高架橋のKP-17橋脚の南方で、作業台を使用してコンクリート道床の取壊しの準備が進められていました。

 傾斜高架橋コンクリート道床の取壊し準備(写真拡大)

車窓から傾斜高架橋を見ると、旧上り線の内川橋梁上では工事機械を使用して、鉄橋橋梁の切り取り切断により取壊しを10月始めから進められています。また、平和島第2架橋の北側でも大勢の作業員により、旧上り線の傾斜高架橋の取壊し工事を行っているのが見られます(動画参照)。

 旧上り線内川鉄橋取壊し工事(:[1004]、:[1025]、:[1027]内川橋梁取壊し工事)

旧上り線傾斜高架橋跡撤去工事(平和島ー大森町).wmv

[クリックすると内川橋梁上と平和島第2架橋の2か所での工事作業中が見られます]

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イベント ハロウィン 蒲田西口サンライズカマタ・サンロードに並ぶおばけかぼちゃ

2010年10月27日 | イベント
kan-haru blog 2010 ちびっこ仮装大会 会場  

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蒲田西口商店街ハロウィン
蒲田西口サンライズカマタ・サンロードにおばけかぼちゃが並ぶハローウィンも、今年で第21回目を迎え定着したイベントとなりましたが、今まで行っていなかったので、10月23、24日に見てきました。

 蒲田西口商店街地図

・ジャック・オー・ランタン
第1日目の23日には、蒲田西口商店街のサンライズカマタ・サンロードに地域の子供たちの作った、大小のおよそ200個のおばけかぼちゃ(ジャック・オー・ランタン)を立ち並ばせて展示されます。

 サンロードに立並ぶおばけかぼちゃ(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

17時半には商店街アーケードの照明を落として、おばけかぼちゃのランタンの灯を映えさせます。

 照明を落としおばけかぼちゃのランタンの灯を映えさせる(写真拡大)

おばけかぼちゃには、作った子供の名前と作品番号が書かれており、力作揃いです。

 力作揃いのおばけかぼちゃ(写真拡大)

傑作のおばけかぼちゃには投票が行われ、入賞作品が選ばれます。投票すると小さなプレゼントが貰えます。

 おばけかぼちゃの入賞は投票で選ばれる(:投票が行われ入賞作品が選ばれる、:投票すると貰えるプレゼント)

・ちびっこ仮装大会
第2日目の24日には、蒲田駅西口広場にてちびっこ仮装大会が行われ、審査のうえ入選者には商品が贈呈されます。

 ちびっこ仮装大会審査風景(写真拡大)

ちびっこ仮装大会の参加者を見ると、ちびっこの出場当事者よりも、親の力の入れようの大きさが感じられました。

 ちびっこ仮装大会出場者(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 秋のイベント 旧東海道ふる里まつり・ふれあい祭り・野音祭他 その2

2010年10月25日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2010   

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ふれあい祭り
内川畔の開桜小学校筋向いにある区立大田福祉作業所では、第36回ふれあい祭りが10月3日に開催されましたので見てきました。大田福祉作業所は、2007年2月までは隣の現諏訪公園内にあり、建替えにより川縁の元諏訪公園跡に場所替えして移転した築後3年の新しい施設(「大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2007.10.14)」参照)に生まれ変わりました。

 区立大田福祉作業所地図

大田福祉作業所は地元に長く、近隣とのふれあいを重視しての祭りのテーマは、「このまちに広げようふれあいの輪」ということで、住民に人気のバザーを開いて沢山の近隣住民を集めてふれあいが行われています。

 近隣に呼びかけのふれあい祭り看板(写真拡大)

ふれあい祭りの開催は10時から15時までで、10時45分までは関係者による開会式で、この間に人気のバザーの整理券を配布して、多くの人の行列が福祉作業所前の広場にできます。

 ふれあい祭り会場の大田福祉作業所(写真拡大)

ふれあい祭りでは、1階から3階の会場(会場案内図参照)に、企画(企画一覧参照)グループで企画されたバザー、手作り品販売店・食べ物模擬店、食堂とおふくろの店での食事店で楽しめ、ダンス、演劇、和太鼓演奏、ブラスバンド演奏などのいろいろな演目がふれあいステージ(番組表参照)で観賞できます。

 ふれあい祭りパンフレット

3階の目玉のバザー会場では、並んで整理券を手に入れた人でいっぱいの盛況を呈していました。また、食事処ののふれあい食堂とおふくろの店ではカレーライス、五目寿司やたこやき、飲み物などを飲み食いしながら歓談しながら楽しい時間を過ごしていました。

 3階バザー会場とふれあい食堂・おふくろ店風景(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

2階の会場では、うめのき園、樹林館の手造り品販売コーナーや、合同店舗の自主製品販売、綿あめ、じゃがバターなどの食べ物などが販売されています。また、ゲームコーナーにはダーツ、缶たおし、ヨーヨーなどのほかいろいろなゲームで盛り沢山です。

 2階の製品販売コーナとゲームコーナー(左上:うめのき園売店、中上:樹林館売店、右上:合同店舗売店、左下:輪なげゲーム、中下:スマートボールゲーム、右下:金魚すくいゲーム)

1階のふれあいステージでは、最初に10時45分開演のふれあいこどもクラブの「太鼓演奏」からはじまり、フィナレーの14時30分のおおもり学園ブラスバンド演奏まで7演目の合唱・合奏、ダンス、演劇などで楽しめます。

 ふれあいステージのひとこま(写真拡大)

和太鼓の演奏は、「ふれあいこどもクラブ」と「大田福祉作業所入所者」との和やかな共演の和太鼓演奏が行われ、まさにふれあいの祭りでした。
ふれあいステージでの和太鼓の演奏を聴いてから所要で出かけるため会場を出ました。

福祉作業所ふれあい祭り和太鼓演奏.wmv

[クリックすると「ふれあいこどもクラブ」と「大田福祉作業所入所者」との共演の和太鼓演奏が見られます]

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大森町界隈あれこれ 秋のイベント 旧東海道ふる里まつり・ふれあい祭り・野音祭他 その1

2010年10月23日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2010   

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熱かった猛暑も10月に入るとすっかり秋の陽気となり、大森町界隈の各所では秋のイベントが開かれ、その中から美原通りとするがや横町で開催した「旧東海道ふる里まつり」、大田福祉作業所で行われた「ふれあい祭り」、ふるさとの浜辺で開かれた「野音祭」などを見てきました。

 大森町近辺秋のイベント地図

旧東海道ふる里まつり
旧東海道の三原通りは、東海道を1927年(昭和2年)に拡幅して第1京浜国道を造る際に、三原通り付近は商店が立て込んでいたのでその部分は避けて国道が造られたため、三原通りを旧東海道(「大森町界隈あれこれ 大森町風景 旧東海道(三原通り) その1」参照)と呼ぶようになりました。この三原通りは、この地域の北原、中原、南原の三つをまとめて総称したものであり、現在では美称して美原通りと呼んでいます。美原通りの内川橋の際に歌舞伎で有名な旅籠「駿河屋」があり、この地点から発する羽田道をするがや通りと呼んでいました。
この東海道と羽田道は、江戸時代には川崎大師、池上本門寺や古川薬師などの江戸近郊の名所旧跡、社寺を廻る日帰りあるいは宿泊の旅行者が増え、「海苔」、「和中散」、「麦わら細工」などのみやげを売る店とともに人家が増加して、大森村(「大森町界隈あれこれ 大森町の昔を古地図で探る 大森村絵図その3」参照)の商店街が誕生しました。この三原通りの商店街は、世界大戦に至る昭和時代まで城南では北品川と大井三ツ又とともに大変な賑わいを見せ、毎晩縁日が開かれ通りの両側にはぎっしりと夜店が並びました。
大戦後は焼野原から、北原、中原、南原の各商店街が復興をみせ、三原通り商店街には夜店が立つようになり、戦後の娯楽の無い時代に客を呼びよせ賑わいを見せていました。
旧東海道ふる里まつりは、この三原(大森本町ミハラ通り北商店会、大森ミハラ通り仲町商店会、ミハラ南商店街)とするがや通り商店街の南北に長い旧道沿いの複数の商店会の共催で行われます。
旧東海道ふる里まつりの各商店街のイベントは、北町商店会が模擬店・フットサル、仲町商店会が粋・江戸前の味、みはら南商店街が模擬店・フリーマーケット・江戸下町職人の会、するがや通り商店街が模擬店・フリーマーケット・輪投げゲームを行い、今年は第12回目で10月17日に開催されましたので見てきました。

・大森本町ミハラ通り北商店会会場
北商店会の会場では恒例のフットサル大会が川島海苔店、サニークリーニング店と平和島接骨院前に設けられた3会場で、ちびっこによる熱戦が繰り広げられていました。

 フットサル大会(写真拡大)

また、川良海苔店前では海苔巻教室が行われており、子供と年配ご婦人方が太巻きを真剣に巻いていました。沢山の具の入った出来たての海苔巻きはお土産です。

 海苔巻教室(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

酒処とわ付近には、フリーマーケットが出店していましたが、13時過ぎたばかりで時間が早いせいか物色する客は見当たらず、食べ物の出店も焼きそばとおこのみ焼き屋に野菜の販売店のみで、人出はフットサル大会の応援の親のみので寂しいふる里まつりです。

 北商店会会場のフリーマーケット(写真拡大)

・大森ミハラ通り仲町商店会会場
北商店会会場から仲町商店会会場に進むと、フリーマーケットと食べ物屋の露天が出店しており、間もなく人気の「くすのき連」の阿波踊りが進んで来る時間が近ずいてきましたので、人出もでてきたようです。

 仲町商店会会場の露店(左上中上右上:仲町商店会会場のフリーマーケット、左下中下右下:仲町商店会会場の粋・江戸前の味出店)

また、同会場には江戸下町職人の会の出店も出ていました。

 江戸下町職人の会の出店(写真拡大)

和菓子の大黒屋の前ではお囃子が演奏され、ファミリーマート平和島店前とするがや通り商店街会場では楽器の演奏が行われていました。

 ふる里まつりでのお囃子と楽器演奏(:大黒屋前でのお囃子演奏、:ミリーマート前での楽器演奏、:するがや通り商店街会場での楽器演奏)

仲町商店会会場のお祭り風景を眺めている間に、12時30分にするがや通り商店街をスタートした「くすのき連」の阿波踊り列が北商店会会場に向けて進んできました。

旧東海道ふる里まつり.wmv

[クリックすると「くすのき連」の阿波踊りが見られます]

・するがや通り商店街会場
するがや通り商店街でのふる里まつりの出店には、食べ物屋模擬店にフリーマーケットと輪投げゲームが行われておりました。同会場での変り種の出店は、目前の「うちかわ指圧」の指圧師が個人で指圧の体験コーナーを開いていました。

 するがや通り商店街会場での出店風景(左上:するがや通り商店街会場でのフリーマーケットと指圧体験コーナー[左]、中上右上:するがや通り商店街会場での食べ物模擬店、左下中下:するがや通り商店街会場でのフリーマーケット、右下:するがや通り商店街会場での輪投げゲーム)

旧東海道ふる里まつりは第12回を迎えましたが、第1回の旧東海道ふる里まつりは盛況であり約2万人の人出を数えた云われていますが、前回には2007年の第9回のふる里まつりをブログに掲載しましたが、人出は年を追い減少していくように感じられます。今年は、羽田空港が32年振りに国際定期便が復活することになりましたので、大森の名物を観光客に示して客が呼べるようなアイデアを、大森町商店街や平和島商店街などとタイアップして生み出していく必要がありそうです。

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風景・風物詩 稗田神社 僧行基が天照、八幡、春日の三神を祀り僧日蓮が開眼した延喜式古社その2

2010年10月20日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2010 稗田神社社殿に並んで建つ薬祖・稲荷・三十神社末社

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稗田神社御祭神
新編武蔵風土記稿によると稗田神社は、東海道の西の方に寂しさがただようひとむれの木立が茂り、かたはらに小さな池と水路が廻る面積が2115平方メートルの境内に、本殿(1.8mに2.7m)と拝殿(4.5mに3.6m)があり、社殿前の数メートル先に柱間隔が3.6メートルの石鳥居が建つ北蒲田村の鎮守様です。この石鳥居はその1に記述の通り、現在は大田区指定の有形文化財として神社正門に移動して、その姿を見せています。

 鹿児島紅梅の献木 

稗田神社は本来蒲田八幡社であり、行墓(668-749) 菩薩作が彫った木造彫刻の天照、八幡、春日の三神体を祭神として祀ってあります。行墓の木造は高さが82cmの立像で、天照太神は鉾を逆に杖つきて巌の上の立姿であり、八幡大神(誉田別命)は左の御手に弓をとり、右の御手にて御はかせの柄に手をかけた容姿です。春日大神の像は、慶長年間に新宿村が北蒲田村より分村した時に、稗田神社に勧請して新宿村鎮守として新宿八幡社を創建した際に、春日大明神の像を分けて八幡社に祀られました。新宿八幡社は、1949年(昭和24年)8月に蒲田八幡神社(「風景・風物誌 京急高架化沿線の春 5月開通の上り線高架橋沿線の桜を歩く(蒲田八幡神社)第1回」参照)に改称されました。
この鎌倉時代以前の祭神の三神体像は、第二次世界大戦の戦災により天照、八幡像は稗田神社で、春日像は明治維新の神仏分離に際して遷された旧別当の妙安寺で、それぞれが失われました。
新編武蔵風土記稿の時代の稗田神社の例祭日は、年々正月15日に神楽を奏して祭るとありますが、現在では9月15日近くの土・日曜日に行われ、今年は同11、12日が例祭でした。

 例祭準備の稗田神社(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

現在の御祭神は、その1に記述の通り天照、八幡、春日の三神体と共に武内宿禰命 荒木田襲津彦命の二神体が相殿しており、境内には天祖神社(1965年[昭和40年]10月16日建立)と山野神社(1915年[大正4年] 9月15日建立)の合祀の碑が建てられています。

 天祖神社・山野神社の合祀の碑(:天祖神社合祀の碑、:山野神社合祀の碑正面、:同裏面)

稗田神社末社
稗田神社末社の小祠の創建は古く、江戸時代の1683年(天和3年)で、新編武蔵風土記稿が書かれた1830年には、三祠とも末社は建てられており古い歴史の末社です。
しかし、三社の末社は1945年4月の世界大戦で焼失のため、稗田神社の社殿が再建された1954年(昭和39年)から暫く後の1988年(昭和63年)に、現在の末社の新社殿が再建造営されました。

 稗田神社社殿に並んで建つ薬祖・稲荷・三十神社の末社(写真拡大)

末社の最奥に並ぶ薬祖神社は、祭神には少彦名命と神農大神が祀られ、稗田神社の地主神の元宮と云われています。

 薬祖神社(写真拡大)

真ん中の末社の稲荷神社には、宇迦之御魂神が祀られ、昔は蒲田の農業の神として、現在は商売繁盛の神として参拝者が集まります。

 稲荷神社(写真拡大)

手前の末社の三十神社には、昔のこの地は法華信仰が盛んな地であり、法華神道の教理の三十柱の神様が祀られています。

 三十番神社(写真拡大)

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風景・風物詩 稗田神社 僧行基が天照、八幡、春日の三神を祀り僧日蓮が開眼した延喜式古社その1

2010年10月18日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2010 例祭の稗田神社

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延喜式内社稗田神社
大森町に接した北蒲田の東海道の西方に、延喜式神名帳に記載された歴史の古い稗田神社(大田区蒲田3-2-10 ひえだの『ひえ』は『薭』が正式漢字ですが、一部を除き本文では「くさかんむり」をとった『稗』で表記します)が鎮座されています。
延喜式神名帳は、927年(延長5年)に作られた平安時代の律・令・格の施行細則を集成した法典で、延喜式巻九・十に当時の祈年祭奉幣にあずかる神社2861社の「式内社」を国郡別に羅列して記載されています。延喜式神名帳の東海道武蔵国には44座が記載され、荏原郡には次の様に小2座に「武蔵国荏原郡薭田神社」が記載されています。


稗田神社の社伝によると、709年(和銅2年)に僧行基が天照、八幡、春日の三神を造り神殿に安置したのが創期と伝わっています。武蔵国荏原郡の郷名には蒲田郷の地名が平安時代以前からあり、延喜式神名帳の以前に編纂された歴史書「三代実録」に、「貞観6年8月14日戌辰に詔して武蔵国従五位下蒲田神を以って官社に列す」とある様に、当初の社名は「蒲田神社」でありました。「蒲田神社」が延喜式神名帳に「薭田神社」と記載されたのは、「新編武蔵風土記稿」によると、幕末の国学者栗田寛は「蒲」という漢字の古体字を、「薭」と誤写しそのまま後世に伝えられ、神社に地名を使用しているとは思わずに別当の栄林寺の僧が、神祇管領の吉田家に神社名を「薭田神社」と申請して許可を得たためこの社号が成立したと云われています。

稗田神社
大田区にある延喜式古社の磐井神社(「大森町の社寺 磐井神社 古記に伝わる敏達天皇の二年に鎮座した大森で最も古い磐井神社の夏祭り」参照)と六郷神社(「風景・風物誌 京急高架化沿線の春 5月開通の上り線高架橋沿線の桜を歩く(六郷土手駅付近)第3回」参照)は参拝していますが、大森町から近い稗田神社には今まで参拝しておりませんでしたので、9月祭日の11日とさらに19日に行ってきました。
稗田神社へは、京急梅屋敷駅から第1京浜国道(東海道)を南へ梅屋敷公園角まで進み、右折して西約400m進んだ二股のところが神社の正面入口の鳥居ですが、現在においては古社の面影は全く見られません。大田区は世界大戦で焼野原となり、石造物以外の物は戦災で全て焼失したため歴史的な遺産は殆ど残っていないのです。

 稗田神社地図

道路二股の稗田神社入り口の石鳥居は、柱背面の銘文によって1800年(寛政12年)に北蒲田村の氏子によって寄進されたと記載されており、区内の石鳥居の中で古いものの一つで、大田区指定の有形文化財として1974年(昭和49年)2月2日指定されています。この鳥居は、花崗岩の明神型鳥居で、高さ310センチ、柱間314センチ、中央に「稗田神社」の社号を刻した石額を掲げてあり、笠木は全体にゆるやかな反りをもって、柱のつり合いもよく、安定した姿をみせています(大田区の史跡・歴史より)。

 稗田神社正門(写真拡大)

鳥居を潜ると境内には、正面参道の奥に本殿があり、参道右手に本殿と並んで奥から縦並びに薬祖神社、稲荷神社、三十番神社の三社が合祠されています。境内の左手は、駐車場広場になっています。

 稗田神社境内(GoogleEarth) 

神社境内参道の左側には、由緒が記された大きな石標が1956年に建立されており、右側には手水舎があります。

 稗田神社境内1(:稗田神社由緒書きの石碑、:手水舎)

参道には石灯籠、狛犬と並び正面が拝殿です。狛犬は渦状「前髪」で尻尾も渦を巻いて左右に流れており、狛犬の左の台座には「氏子一同、昭和34年8月15日、青山石勝」とあり、右の台座には「鎮座千二百五十年」とあります。1250年は、鎌倉時代・建長2年にあたりますので江戸時代の奉納であるのではないかとも思われます。

 拝殿前の石灯篭と狛犬(:拝殿前の石灯篭と狛犬、:拝殿前の狛犬)

現在の社殿は平成12年に鉄筋コンクリート造りで竣工したものですが、稗田神社の古い記録は度々の火災や水害で残っていませんが、社伝によれば、709年(和銅2年)に僧行墓が天照、八幡、春日の三神体を創り当社に安置し、後に僧日蓮が村民の請をいれて開眼したといわれていますが記録が定かでありません。旧社格は郷社で、864年(貞観6年)に官社に列し、延喜式に「荏原群稗田神社」とあるのは、当社が当該社であることと云えています。

 平成12年竣工の社殿(:稗田神社本殿、:稗田神社拝殿)

稗田神社の由緒を石碑より読むと、
「主祭神  誉田別命
 相 殿  天照大神 武内宿禰命 荒木田襲津彦命 春日大神
 例祭日  九月十五日
抑も当社は三代実録延喜式その他の古文書に明記せられたる由緒深き所轄延喜式内の神社にして蒲田草々の古社なり
和銅二年(七〇九) 僧行墓は天照・八幡・春日の三神体を造り本社に安置す 後年僧日蓮は池上宗仲の館に入るに及び村民の請を容れ改めて開眼すると伝う
清和天皇貞観六年(八六四)官社に列し従五位下を賜り 明治五年十月郷社に定めらる
安政四年(一八五七)拝殿を改築 元治二年(一八六五)本殿を改築 昭和四年拝殿幣殿を改築 昭和九年本殿屋根葺き替え及び神楽殿を新築す
昭和二十年四月十五日戦災のため灰燼に帰す 昭和二十一年九月十五日仮本殿を再建し 昭和二十九年八月十五日本殿・幣殿・拝殿を新築す
 昭和三十一年八月十五日
                      宮司  上野 喜信
                                 撰」
と記されています。


 稗田神社社殿変遷(左:江戸時代建築の社殿、中:1934年[昭和9年]改築の社殿、右:1954年[昭和29年]再建の社殿、稗田神社HPから)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第7回その2)

2010年10月15日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 糀谷駅仮上り線高架橋の下部  

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第2工区工事
・旧上り線梅屋敷駅ホーム解体工事
旧上り線梅屋敷駅ホームの解体は、9月末にはホーム屋根骨格の解体が終了してホーム張板のみとなりました。

 ホーム板のみとなった旧上り線ホーム(1004写真拡大)

10月14日に見るとホーム張板が取り外され、ホーム枠台の骨組鋼材のみとなりました。

 ホーム台骨組みのみとなった旧上り線ホーム(1014写真拡大)

第6工区工事
・旧上り線雑色駅ホーム解体工事
雑色駅ホームの解体は、上り線高架橋エスカレータ取付個所付近の撤去は9月に終了していますが、10月13日に見ると他箇所部分のホーム解体の準備が始められるようでした。

 解体工事が始まる気配の旧上り線ホーム(1013写真拡大)

・仮下り線高架橋築造工事
雑色第4踏切から同第5鉄橋間の傾斜高架橋上の旧上り線跡に、仮下り線高架橋築造の現場を車窓から見ると工事の準備を進めていたので、同13日に仮上り線高架橋脇の区道から覗いて見ました。

雑色第4踏切-第5鉄橋間本高架橋築造現場101013.wmv

[クリックすると仮下り線高架橋の築造現場の状況が見られます]

仮上り線高架橋と在来の傾斜高架橋との交流分岐点は雑色第5鉄橋の北側で、交流分岐点部では旧上り線傾斜高架橋の橋桁をジャッキアップして高さを合わせてあります。

 新旧高架橋合流点付近の傾斜高架橋(:上り線車窓から見た新旧高架橋合流点、:第5鉄橋北方の新旧高架橋合流点、:新旧高架橋合流点の高架橋梁桁鋼1013)

新旧高架橋の交流分岐点部の橋脚の北方では、在来傾斜高架橋は仮上り線高架橋の奥側で下り坂となり高架橋の高さが低くなって行き、高さが低い地点では盛り土部となります。

 手前の上り線仮高架橋の奥は在来傾斜高架橋(:高架橋の奥は在来傾斜高架橋、:高架橋の奥は在来傾斜盛り土部1013)

雑色第4踏切から見ると、在来下り線と仮上り線高架橋の中間の仮下り線高架橋築造の部分には、高架橋築造工事用の鉄鋼板が敷かれています。

 雑色第4踏切から見た下り線仮高架橋築造現場(:左から下り線と上り線跡と上り線仮高架橋、:下り線仮高架橋築造のため工事鋼板が敷かれた旧上り線跡1013)

第8工区工事
・下り線高架橋築造工事
10月1日に見ると上り線高架橋と在来下り線との中間に築造される下り線高架橋の準備に、大勢の関係者が糀谷駅周辺の工事現場の視察を行っていました。

 仮下り線高架橋築造現場の関係者の視察(1001写真拡大)

同6日には、糀谷駅第1踏切東方の下り線高架橋築造現場に工事用の鉄鋼板が敷かれていました。

 工事用鉄鋼板が敷かれた仮下り線高架橋築造現場(1006写真拡大)

糀谷東方下り線本高架橋築造現場.wmv

[クリックすると下り線本高架橋築造現場の工事用鉄鋼板の敷設状況が見られます]

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第7回その1)

2010年10月13日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 第1工区高架工事説明板  

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第1工区工事
・旧上り線大森町駅ホーム撤去工事
9月30日には残っていた大森町駅北方部の旧上り線ホームも、10月に入ると撤去工事が進み同4日には鋼材のみとなり、13日には跡形がなくなりました。

 旧上りホームの取壊し工事が進む(:取壊し工事が進む旧上りホーム0930、:消えゆく旧上りホーム1004)

大森町駅南方部の旧上り線ホーム跡では、上り高架橋エスカレータ取付のための基礎工事が9月末から連続して行われ、10月4日には基礎工事個所の鋼矢板埋め込みが終わりに近づき、同6日に見ると完了していました。

 上り線高架橋のエスカレータ取付基礎工事が進む(:0930・:1004・:1006)

・内川周辺仮高架橋工事
内川橋梁から平和島第2架道橋北側の上り仮線高架橋との合流点のKP15橋脚までの、旧上り線傾斜高架橋上のバラストの撤去作業は、9月30日には平和島第2架道橋までは取り除かれていました。

 バラスト除去中の旧上り線跡傾斜高架橋(0930写真拡大)

内川周辺仮高架橋工事(バラスト撤去工事).wmv

[クリックすると傾斜高架橋旧上り線上のバラスト撤去工事現場の状況が見られます]

平和島第2架道橋付近の旧上り線傾斜高架橋上のバラストの撤去は、KP15橋脚に滑り台を設け、その下で待機の廃棄車に積んで廃棄場に運搬を行っていました。10月4日に見ると、バラストの撤去作業は完了していました。

 旧上り線傾斜高架橋上のバラストの廃棄完了(:KP15橋脚の滑り台からバラストを降ろし廃棄する、:KP15橋脚までのバラスト除去完了)

旧上り線傾斜高架橋の外部では、高架橋上部のコンクリート道床の取壊しの準備が進み、10月1日にはコンクリート道床の切断の工事は、内川橋梁の北側から行われるようです。

 コンクリート道床取壊しの木組み台が組まれる(1001写真拡大)

同13日に見に行くと工事は休工でしたが、高架橋上部のコンクリート道床の側壁が切断されており、いよいよコンクリート道床の取壊しが開始されます。

 コンクリート道床取壊しの切断が始まる(1013写真拡大)

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イベント 運動会 2010年お茶の水小学校運動会

2010年10月10日 | イベント
kan-haru blog 2010  

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ぐずついた天気で遅延開催の運動会
2010年お茶の水小学校運動会は、小学6年生の孫の通う最後の運動会が9月25日に開催されましたので、昨年の運動会には都合で行けなかったので今年は見に行きました。
お茶の水小学校運動会の開催日は、ブログを開始した2006年から毎年天気に恵まれていましたが、今年の天気予報では朝のうちの天気がぐずつき開催が危ぶまれて、時間を繰り下げ9時10分からの開始が決定されました。
開催が延期となると思っていたところに開催の電話があり、慌てて支度し大森町を出て学校に付いたのは10時半を回っておりましたが、開始後の雨による中断もあり変更プログラムの午前の部の3つ目の幼稚園児による「とびだせ うちゅうへ」の演技を行っているところに着きました。

 遅延開始のお茶の水小学校運動会(写真拡大)

運動会の遅延開始で、プログラムが変更されました。残念ながら孫の出る、「マーチングバンド演奏」と「応援合戦」には、間に合わずに見ることができませんでした。また、例年の運動会に比べ、父兄の見学の出足も遅いようでした。

 遅延開催運動会変更プログラム(プログラム拡大)

御茶の水小学校の運動会は対抗意識を盛り挙げており、毎年22項目のプログラムのうち、演技・体操や幼稚園児などの競技を除く14種目が対抗競技で、白組と赤組優勝を競います。プログラム16の「ねらって いれて」の団体競技まででは、白・赤組の得点では40対20で白組がリードしていました。

 運動会風景1(:得点ボード、:幼稚園児「とびだせ うちゅうへ」、:3・4年生「モンスター 嵐をまきおこせ!」)

プログラムの変更により、プログラム17「力いっぱい、さいごまで!」の2年生の徒競走と、5・6年生の18「風林火山 ~騎馬戦~」にお茶の水小メーンイベントの全学年出場の21「大玉送り」の対抗競技が午前中に繰り入れられました。これにより、午前中の対抗競技は、1年生徒競走の6「はしれ はしれ」と含めて5種目の競技が行われました。
お茶の水小運動会で人気があり迫力のある競技は、何といっても歴史のある騎馬戦です。プログラムの変更により午前中の5番目に行われ、5、6年生の紅白軍団は懸命に相手の帽子を採りに猛然とアタックし、前方の相手に集中してる間に後方から近ずかれて帽子を取られるという面白さもあり、1勝1敗の戦績でした。

お茶の水小学校運動会~騎馬戦~.wmv

[クリックすると騎馬戦の第1、2回戦が見られます]

運動会の競技が、1年生と幼稚園児の徒競走と1・2年生の低学年の演技が進むうちに青空が広がり絶好の運動会日和となり、父兄の見学者も一杯で来賓・保護会の「むかで」競争には爆笑です。1年生の徒競走が終わった得点は、196対172で白組リードの展開です。

 運動会風景2(:1年生「はしれ はしれ」、:1・2年生「ビクトリー」、:父兄「むかでDA☆5☆GO!!」)

例年では最後の競技で得点争いが盛り上がる目玉の「大玉送り」ですが、プログラムの変更により午前中の最終競技となりました。大玉送りは、参加者全員が協調して玉を外さないように送る団体競技です。今年は、白組がミスなく2回戦ともゴールして、得点は276対212で白組が有利に進んでいます。

お茶の水小学校運動会~大玉送り~.wmv

[クリックすると大玉送りの第1回戦が見られます]

「大玉送り」が終わると「幼稚園閉会式」があり、昼食休憩です。午後の部は、和太鼓クラブの和太鼓演奏「ひびけ お茶の水太鼓」で始まります。

 運動会風景3(:幼稚園閉会式、:快晴下の昼食休憩、:和太鼓演奏「ひびけ お茶の水太鼓」)

プログラム変更の午後の競技は、1演技を除いて徒競走などの対抗競技の9競技が続きます。得点経過は、3年の徒競走で322対277となり、5年生の徒競走の後では397対378で赤組が肉薄してきましたが、6年生の徒競走では582対526で白組が盛り返しぎみです。お茶の水運動会の得点の掲示は、残りの3競技については伏せられて最後に発表となります。

 運動会風景4(左上:3年生「ゴールをめざしてかけぬけろ!」、中上: 2年生「ころころ ゴーゴー」、右上:5年生「ごー!Go!5!」、左下:3年生「お茶の水タイフーン」、中下:4年生「コーナーリングで勝利をつかめ!」、右下:6年生「翔ぶが 如く」)

午後の競技は熱い日差しを浴びて熱烈な対抗競技となり、綱引きと5・6年生が心を合わせて演じるピラミッド組体操の熱演に拍手をおくり、いよいよ運動会最後の低学年と高学年の伯仲した対抗リレーが行われ、赤組も頑張りましたが今一歩で今年は697対646点で白組の優勝となりました。

 運動会風景5(左上:4年生「ひっぱって!ひっぱって!」、中上右上左下:5・6年生「絆~心を合わせて~」、中下:低学年リレー「燃えるおもいをバトンにたくせ!」、右下:高学年リレー「Don'tStop Me Now」)

競技終了後運動会の閉会式が行われ、優勝旗・優勝杯の授与が行われ国旗を降ろし、校長先生のお話と最後に児童代表の閉会の言葉で終了しました。

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イベント 歌舞伎観劇 新橋演舞場秀山祭九月大歌舞伎夜の部

2010年10月08日 | イベント
kan-haru blog 2010  

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歌舞伎座から新橋演舞場へ
毎年母校では、歌舞伎観劇会の催しがあり、今年は歌舞伎座建て替えのため新橋演舞場での公演となり、9月12日に秀山祭九月大歌舞伎の夜の部を見てきました。
母校主催の歌舞伎鑑賞は今回が4回目で20062007年と続き、2008年は都合により観劇しませんでしたが、2009年には3回目の歌舞伎座最後の公演で、今年は初めての新橋演舞場での秀山祭九月大歌舞伎の観劇でした。

・さよなら歌舞伎座
121年の伝統と歴史を育んできた歌舞伎座は、建替え工事のため4月30日の「閉場式」をもって休館となりました。休館にあたり16ヶ月にわたり「歌舞伎座さよなら公演」が上演され、2009年の秀山祭は歌舞伎座さよなら公演九月大歌舞伎夜(「イベント 歌舞伎観劇 さよなら歌舞伎座九月大歌舞伎」2009年9月参照)でした。4月30日の歌舞伎座「閉場式」の日には、歌舞伎座周辺は別れを惜しむファンで一杯でした。

 閉場式当日の歌舞伎座前(左上中上右上左下中下右下0430写真拡大)

・新橋演舞場
京都や大阪には演舞場や歌舞練場があるのに東京にはないので、芸者屋森川家の発案で大新橋演舞場を建てようと(大正12年)に着工し、関東大震災に遭遇しましたが(大正14年)4月に開場しました。当初は、目的であった新橋芸者の技芸向上を披露する場として春秋二季に「東をどり」を主に公演しましたが、1940年(昭和15年)新橋演舞場は松竹株式会社と興行契約を結び、松竹が興行面を受け持って松竹傘下の主要劇場となり、歌舞伎、新派、新喜劇、新国劇、前進座の公演を興行していました。第2次世界大戦の戦災を受け焼失しましたが、1948年(昭和23年)に復興しましたが戦後の再建のため舞台機構や諸設備が新しい時代の要請に耐えられなくなり、1982年(昭和57年)に新装されたのが、日産自動車本社ビルと複合した現在の演舞場です。

 新橋演舞場
(写真拡大)

観劇会は、お弁当が付いてイヤホンガイドの使用料も割引で利用でき、座席は抽選で決まりますのでチケットが届くまで分からないのですが、前々回では中央最前列殆ど入手不可の特等席が当たり、また前回には9列1、2番の花道左手の席で連続して良い席で観劇することができました。

 新橋演舞場観客席(写真拡大)

今回は、新橋演舞場の初めての歌舞伎の観劇ですが、座席は花道側の左手の席で12列5、6番(新橋演舞場客席表)と連続して良い席に恵まれました。

 秀山祭チケット

秀山祭九月大歌舞伎
秀山祭九月大歌舞伎の夜の部は午後4時45分の開演ですが、昼の部が遅れて開演すれすれの入場です。演目は、最初が長唄囃子連中と梅玉と松緑役の「猩々(しょうじょう)」で、続いて吉右衛門の俊寛役と福助、染五郎、段四郎、歌昇、仁左衛門と充実した顔ぶれが揃った「俊寛」の一幕だが、既に一度鑑賞済の歌舞伎の名作の一つです。
3番目は、芝翫の清姫と、「うかれ坊主」が富十郎で、地唄舞「鐘ケ岬」です。最後が、染五郎の南与兵衛、孝太郎のお早、東蔵のお幸と松緑の長五郎による「引窓」です。

 秀山祭九月大歌舞演目

・猩々(しょうじょう)
謡曲の「猩々」を舞踊にして1874年(明治7年)に東京河原崎座で初演された、三世河竹新七の作詞、三世杵屋正次郎の作曲の舞踊です。猩々とは、中国で古くから伝わる霊獣で、水中に住み酒を好み、無邪気に舞い戯れる妖精のような霊獣と云われています。
舞台は、中国の揚子江のほとりで、孝行物(芝雀)が夢見ておつげ通り酒売りの店を出すと大繁盛します。いくら飲んでも顔色が変わらぬ客がおり、尋ねると猩々だと答えます。猩々に酒を勧められ舞う、舞踊一番の見どころの猩々舞の舞踊が楽しめます。やがて、猩々はいくら飲んでも尽きない酒壺を酒売りに与えて姿を消します。

 猩々

・俊寛
俊寛は近松門左衛門が著した浄瑠璃「平家女護島」の二段目にあたる作品で、1719年(享保4年)に大阪竹本座で初演され、その翌年に」歌舞伎に移入されました。
舞台は、絶海の孤島に流罪となった俊寛僧都(吉右衛門)、平判官康頼(歌昇)、丹波少将成経(染五郎)が流人生活に疲れ果てていますが、成経が島の海女の千鳥(福助)と夫婦となり、形ばかりの婚礼を執り行いました。
ある日、都から赦免船が到着して、丹左衛門尉基康(仁左衛門)、瀬尾太郎兼康(段四郎)が登場し、瀬尾が読み上げる赦免状には俊寛の名はない。俊寛は島に残る代わりに千鳥を乗船させて欲しいと懇願するが、聞き入れない瀬尾を切り付け討ち果たして、丹左衛門が千鳥の乗船を赦し船が沖へと遠ざかる。

 俊寛

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イベント 和光理研インキュベーションプラザ インキュベーション施設見学とセミナーおよび理研見学その2

2010年10月05日 | イベント
kan-haru blog 2010  

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プラザ事業施設見学会の3番目のスケジュールは、16時から脳科学研究センターの脳に関する研究を学ぶため、プラザの連絡口から移動して理化学研究所に入り、脳科学研究センター「ブレインボックス」展示室を見学しました。

 和光理研インキュベーションプラザ見学コース

理化学研究所
理化学研究所(埼玉県和光市広沢2-1)の沿革は、1913年に 高峰譲吉 国民科学研究所の必要性が提唱され、1917年に 財団法人理化学研究所発足し、我国の産業の発展に資することを目的に東京・文京区駒込の地に設立されました。1958年に 特殊法人理化学研究所発足により特殊法人時代を迎え、2003年には独立行政法人理化学研究所が発足しました。理化学研究所の組織は、本所の元に和光、筑波、播磨、横浜、神戸の研究所と、社会知創生事業および計算科学研究機構から成っています。
・和光研究所
和光研究所は、基幹研究所、脳科学総合研究センターおよび仁科加速器研究センターから成っています。基幹研究所では、物理学、化学、工学、生物学、医科学などの全分野の新科学領域を開拓しています。脳科学総合研究センターでは、わが国の脳科学の中核研究拠点として研究者・技術者を集結し、脳に関する幅広い研究を総合的に実施しています。仁科加速器研究センターでは、原子核とそれを構成する核子の実態を究明し、究極の原子核モデルの構築に貢献しています。

脳科学研究センター「ブレインボックス」展示室
理化学研究所の和光キャンパス内には、「理研ギャラリー」と「ブレインボックス」という2つの展示室があります。今回見学の「ブレインボックス」展示室には、さまざまな手法で最先端の脳科学研究成果の現状が展示されています。
展示室には、①約5億年前に出現した原索動物であるホヤの幼生から、高度な情報処理が可能なヒトの脳ができるまでになった脳の進化、②脳を構成する神経細胞は脳全体では千数百億個もあり電気信号を発し情報をやりとりする細胞で、神経細胞からは「樹状突起」が伸びて別の神経細胞とつながり合い、複雑なネットワーク「神経回路」を形成しており、細胞体と軸索と樹状突起で一つの単位として「ニューロン(神経単位)」と呼ばれます。③軸索の末端はこぶ状に膨らんだ形をしており「シナプス」と呼ばれ、次の神経細胞とは密着してなく、数万分の1mmの「シナプス間隙」があり、電気信号はシナプス間隙を飛び越えられないので、電気信号を化学物質の信号に変えて次の神経細胞に情報を伝達しています。
④展示室バスケットボールプレーヤーの体感コーナーでは、 偏光メガネをかけて空間と実際の空間をずれた状態で、バスケットボールをゴールにスローインすると右にそれます。何度か繰り返していると投げる方向がわかってきて入れられるようになり、人間の脳の順応性の体験を交代で行いました。

 「ブレインボックス」展示室にて

プラザ施設の見学
プラザ事業施設見学会の4番目のスケジュールは、17時からインキュベーションプラザに戻り、プラザ施設の101号室の見学です。

 インキュベーションプラザプラザ施設(左:施設居室、中:商談室、右:会議室)

プラザ施設の101号室には、新世代加工システム株式会社様が入居しており、居室の状況と入居会社様の紹介を頂き、理化学研究所素形材工学研究室で開発されたELID(電解インプロセスドレッシング)鏡面研削装置とナノ精度加工機の説明をお聞きしました。同社では、ELID研削法を中心とした新加工技術の普及に関わるサービスを行うため平成10年6月に創立され、理研ベンチャー企業の認定を受け活動しており、ELID研削法での平面加工や曲面・球面を加工する各種の工作機械の販売とテスト委託加工などを行っています。

 新世代加工システム株式会社パンフレット

懇親会
プラザ事業施設見学会の最後は、17時45分からの懇親会で2度目の理研内の食堂施設への移動です。本日の東京都異業種交流会H11の見学会に、半日の案内をして頂いたチーフインキュベーションマネージャーの溝渕様とご一緒での懇親会は、多彩な内容の見学会の締めとして移動で疲れた躰にはビールが進み、メンバー間の話も盛り上がりましたが時間も経過しましたので、西門から和光市駅まで歩き解散しました。本日は溝渕様にはお世話になり、充実した見学会のご案内を頂き誠に有難うございました。

 理研食堂施設での懇親会

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(10月分掲Indexへ)
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イベント 和光理研インキュベーションプラザ インキュベーション施設見学とセミナーおよび理研見学その1

2010年10月03日 | イベント
kan-haru blog 2010 和光理研インキュベーションプラザ 

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和光理研インキュベーションプラザ事業施設
所属している東京都異業種交流会H11メトロの定例の見学会は、9月14日に和光理化学研究所敷地内にあるインキュベーションプラザ(埼玉県和光市2-3-13)(以下プラザと称する)の事業施設を見学しました。
見学会会場へのアクセスは、東武東上線または営団有楽町線の和光市駅南口に12時50分に集合し、プラザへはタクシーで外環道路を南へ進み理化学研究を左にみて通り過ぎ、和光樹林公園の信号を左折するとプラザ入り口は、研究所敷地の東端にあります。なお、インキュベーションプラザへは、理化学研究所の構内から通り抜けはできません。

 インキュベーションプラザへのアクセス図(:和光市駅からプラザへの地図、:プラザ周辺詳細地図)

プラザ入り口を入るとすぐ玄関でインキュベーションプラザの建屋は4階の建物で、運営の主体は独立行政法人中小企業基盤整備機構が行っており、同機構の関東支部が管理しています。
研究所敷地の東側境界の敷地には、米軍向けのラジオ放送用のアンテナ塔2基が接して建っている環境です。

 和光理研インキュベーションプラザ(:プラザ玄関、:4階建てのプラザ、:プラザの東隣は米軍のアンテナ塔が建つ)

プラザ事業施設見学会
当日の見学会は無料で、中小企業基盤整備機構のチーフインキュベーションマネージャーの溝渕様にご案内を頂き、スケジュールは、先ず、13時30分開始の同プラザ平成22年度セミナー第5回目開催の「生産財マーケッティング-2」に参加した後、当プラザ施設についての概要を聞き、理化学研究所に移動して脳科学研究所「ブレインボックス」を見学し、再びプラザに戻り入居施設(101号室)を見せて頂き、終了後に理研内の食堂施設で懇親会を行い多彩な内容で充実した見学会でした。

・プラザ平成22年度セミナー
プラザでは、企業支援の一環として、和光理研インキュベーションプラザの入居企業及び周辺地域の企業・団体を対象に平成22年度セミナー計画では、5月から12月まで毎月1回毎にテーマを定めて13時30分から15時30分の2時間の講義を開催しています。このなかで、8月から10月までのセミナーは、「生産財マーケッティング」をテーマとして、講師に合同会社経営予防総研 代表取締役、(社)日本経営士会 副支部長 豊田 賢治氏により3回開催されます。
見学日の9月14日のセミナーは、「生産財マーケッティング-2」が開催され、講義内容は「マーケッティングの基礎」がテーマーで事例を織り込みながらの解説の講義が行われました。この日のセミナーに、H11メトロの見学会の参加者にも受講が公開されましたので、プラザ会議室でお話しを聞きました。

 インキュベーションプラザセミナー(:セミナー開催会議質、:セミナーテキスト)

・インキュベーションプラザの施設概要
プラザの施設概要説明はリフレッシュルームで行われ、まず施設の特徴として立地が、①理化学研究所敷地内にあり、理研と連携した事業推進が効率的に実施でき、②都心部への交通アクセスは高速道路が至近にあり、私鉄・地下鉄が利用でき便利です。プラザの施設は、居室が研究室仕様(ウェットベース、床加重、天井高)ですので、バイオ・化学、ものづくり等の事業を推進でき、会議室、リフレッシュルーム、商談室等共用施設、セキュリティ機能が充実しています。
また、インキュベーションマネージャーが常駐しており、•入居の起業家・企業の成長と目標達成に向けて継続的なサポート活動を行われ、•地域の起業家・中小企業のサポート・ニーズに地域の支援機関と連携して対応します。さらに、中小機構、理化学研究所、埼玉県、和光市が連携する事業であり、入居者や地域起業家・中小企業は各機関の支援・情報を当施設で効率的に得ることができるなどです。
施設の概要は、鉄筋コンクリート造りの1~4階の居室数は、23.8~63㎡の部屋が36室あり、天井高は1階が3.5mで、2~4階が3.0mの高さがある他、共用設備として会議室、商談室、リフレッシュスペースなどがあり、セキュリティはICカードキー方式による機械警備で」備えてあります。
電源設備は単相(100V、200V)、三相(200V)が利用でき、通信設備は情報用にはLANケーブル、電話用はメタルケーブルが引き込まれています。プラザ施設の賃料は、月額賃料が3,800円/㎡(税別)で、敷金は3ヶ月分を要し、月額駐車場料金は3,150円/台であるとのことです。

 施設概要 居室レイアウト例(和光理研インキュベーションプラザホームページから)

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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 10月INDEX

2010年10月01日 | INDEX
kan-haru blog 2010 10月1日26版

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K&A kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事の即時検索のほか、カテゴリー別の登録記事の全て(2006年3月から最新登録まで)の検索ができます。
また、京浜急行の高架化の駅別工区をキーとした、大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次のフォームを変更しました。

[K&A kan-haru 日記の見方について]
ブログ左覧のガイド板「カテゴリー」には、kan-haru日記のカテゴリー名とカテゴリー毎の記事登録数が掲載されております。
カテゴリー名の「ようこそ kan-haru日記へ」欄内には、次に示す日記の総合目次と日記を見るためのガイダンスが掲載してあります。
総合目次は、この月間INDEXと統合しており、同一のカテゴリー別目次を併用しております。
「ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について」は、この日記を見るためのガイダンスを記載してあります。日記の見方について (その1)の解説には、カテゴリー別の概要説明と共に、カテゴリー項目からは当該カテゴリーの第1回登録記事から最終・最新の登録までの全ての記事の索引が行えるようにカテゴリー別INDEXと結合してあります。
kan-haru日記 カテゴリー別総合目次(全日記INDEX)
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その1)  2007年1月30日 更新
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その2)  2007年1月22日更新
・ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その3) (未完)

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[ブログ記事内の参照地図・写真などを拡大して見るには]
次の2006年3月月間INDEXに方法が記載してありますので、参照して下さい。
番外編 ブログ記事の参照地図を拡大して見る方法 [付 kan-haruの日記3月月間INDEX] 2006年4月1日

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次
■印覧の10年9月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。

 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年!
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)
      付 東京大空襲 ~あれから61年~
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 ■ 大森町の社寺 貴菅神社 第1京浜国道拡幅で本殿移動前の夏祭り 9月6日
 ■ 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 谷戸三輪神社2010年秋の例祭 9月8日
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
  ◇ 2006・2007年版2008年前期版2008年中期版2008年後期版2009年前期版2009年中期版2009年中Ⅱ期版2009年後期版2010年前期版2010年前Ⅱ期版2010年中期版
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
 9 大森町界隈あれこれ イベント  
 ■ 大森町界隈あれこれ 梅屋敷盆踊り大会 ぷらもーる梅屋敷商店街納涼盆踊り 9月3日 
 ■ イベント モノづくり大田区 第15回工作機械関連産業総合展マシンツールフェアOTA 9月10日
 ■ イベント 羽田空港国際化 羽田空港D滑走路と新国際ターミナル完成の羽田GLOBAL EXPOその1 9月21日
 ■ イベント 羽田空港国際化 羽田空港D滑走路と新国際ターミナル完成の羽田GLOBAL EXPOその2 9月23日
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや
 
  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
  ◇ 関連側道高架化全工区下り線工事2010年版全工区統合2009年版全工区統合2010年版大森町付近工区2006・2007年版大森町付近工区2008年版大森町付近工区2009年版梅屋敷付近工区京急蒲田付近工区2006~2008年版京急蒲田付近工区2009年版雑色付近工区糀谷付近工区
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第5回その1) 9月13日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第5回その2) 9月16日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第5回その3) 9月18日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第6回その1) 9月26日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第6回その2) 9月28日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第6回その3) 9月30日
  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版 
22 小さな旅 総目次
  ◇ 2006~2009年版2009・2010年版
23 旅ものがたり 総目次
24 秋葉原界隈 総目次
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009・2010年版
26 ITと技術 総目次
27 Weblog 総目次

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