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・歌川国芳後期展 遊び心と西洋の風
歌川国芳展の出品リスト(クリックで見られます)によると、6月1~26日の前期展の「豪快なる武者と妖怪」をテーマにして勇:武者絵が35点、怪:妖怪画が40点、華:役者絵が27点の浮世絵が展示され、7月~26日の後期展の「遊び心と西洋の風」をテーマにして、遊:戯画が81点、爽:美人画が32点、憧:洋風画が39点の浮世絵が展示されました。
今年開催の歌川国芳展は、4月から大阪市立美術館の大阪展、7月から静岡市美術館の静岡展や太田記念美術館の特別展の他、12月から森アーツセンターギャラリー(六本木)で開催の予定であります。また、5月には広島の奥田元宋・小由女美術館で「浮世絵猫づくしにゃんとも猫だらけ展」開催、2月に北九州市立美術館で「浮世絵 国芳の美人画展」開催されており、日本中で歌川国芳展の花盛りで、そのため沢山のブログ投稿によりその1記載の事項以外からも、Webを検索すると数多くの国芳の浮世絵を見ることができます。
・戯画、狂画
戯画、狂画とは、戯れに書かれた絵や風刺の意図をもって書かれた絵であり、見ると思わず吹き出してしまうものや、作者の遊びに気づいてニヤリとするもの、対象への暖かい思いから微笑んでしまうものなどの絵をいいます。
後期展のテーマの国芳の浮世絵の戯画は前・後期で最も多い出品であり、江戸っ子国芳のユーモアとウィットが満載で、天保の改革という幕府の禁制をかいくぐって閉塞した社会を笑いのめそうとする、遊びの精神にあふれた奇妙奇天烈な造形表現は国芳の真骨頂を示しています。戯画は現代の漫画の原点とも言われ、国芳の戯画は現代においても我々の笑いを喚起させ、その表現の多様さや型破りな発想は、見るものにとって大変と面白く楽しく感心させられます。
国芳の浮世絵の最初の戯画を見ていく。初めに「人をばかにした人だ(1847~49図録105)」(クリックで見られます太田記念美術館から)の戯画は、国芳の代表作の一つの寄せ絵(嵌め絵)で、物を寄せ集めて別の物体に作りあげたもので、顎を突き出しておでこに貼った紙を息で飛ばす遊びの絵であるが、何と人物の首絵であるが体や手足が裸体人間を集合して組み立てられたもので、初めて見るとびっくりします。戯画の鼻、髪、顎、肩などの顔は沢山の裸の男性で構成されており、この絵の奇抜な発想はどこから生じたものでしょう。後期展示の嵌め絵には、「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ(1847頃図録103)」、「としよりのよふな若い人だ(1847~49図録104)」、「人かたまって人になる(1847~49図録106)」がシリーズになっています。
国芳の代表作の寄せ絵(左:みかけハこハゐがとんだいゝ人だ、右:人かたまつて人になるWikipediaから)
国芳は無類の猫好きで、常に猫を飼い、懐に猫を抱いて作画していたと伝えられる。それだけに猫の仕草に対する観察眼は鋭く、猫を擬人化した作品も多い。また、猫に限らず、狸・雀・蛸などの身近な動物を擬人化して世相を風刺したり、動物に託して江戸の庶民の生活を描写した作品も豊富で、これらは現代日本の漫画・劇画の源流の一つを見る事ができます。(Wikipediaから)
2番目の国芳の戯画の、猫の擬人画の「猫の当字 かつを(1840~44図録109)」(クリックで見られます太田記念美術館から)を見ると、浮世絵は文字の形に猫が複数匹重なりあっており、「嵌め絵」で見事に文字の形になった猫を描き分けている。「かつを」の「か」の字は茶のとらキジ模様と白、黒ぶちの猫3匹で構成し、「つ」の字は黒ぶちと白猫が3匹で構成し、「を」の字は5匹の猫で構成しています。国芳の猫の擬人画は、後期展示で12点が出品されています。後期展示には、出品されませんでしたが、参考のためWikipediaから擬人画の「猫の当字 なまず」を表示します。
生き物に向けられた優しい眼差しによって、歌川国芳は幕末の江戸市民たちの共感を得ることができたのです。
『猫の当字 なまず』当て字絵(Wikipediaから)
・美人画、風俗画
美人画とは、女性の美しさを強調して描いた絵であり、国芳の描く美人画は、国貞や英泉のように妖艶でなく、明るく健康的でおきゃんで気さくな颯爽とした江戸美人を醸し出しています。
「山海愛度図会 ヲゝいたい(1852図録194)」
勢いよく抱きついてきた猫に爪を立てられ、ヲゝいたいと身をそらす美人を描いている。この絵から、甘えてくれる愛猫が一層可愛く感じる心情が伝わってくるようである。
「山海め伝度図会 津ゞきが見たい 志州西宮白魚」
NHKの『日曜美術館』で紹介されていました。
山海め伝度図会 津ゞきが見たい 志州西宮白魚(Wikipediaから)
・洋風画
歌川国芳展の洋風画の展示作品は、洋風表現の風景画の陰影法などが西洋絵画のオランダで1682年に刊行された「東西海陸紀行」(原書を後期展会場に展示)の積極的に模倣して描いた浮世絵は、国芳独特の才能で日本の風俗、景色へと変えて見事に表現されています。国芳の現代のグラフィックデザインにも通じる感覚は、生家は染物屋であり西洋画の学習で磨かれたものとみられています。
洋風画の「近江の国の勇婦於兼(1831~33図録230)」(クリックで見られます太田記念美術館から)は、国芳が西洋の憧れを端的に表した一作で、浮世絵風の美人と洋風風景に奔馬を取り合わせた紛れものであるが、国芳のオリジナル作品として完成させている洋画風浮世絵です。遠景中央の山並は「東西海陸紀行」のサンフインセントの港から採り入れ、美人お兼ねは「古今著聞集」で名をはせる遊女で、暴れ馬の手綱を足駄で踏んで鎮めている場面が描かれ、この浮世絵を見た江戸の人々の驚きの感情がみえるようです。
次にその1で掲載の「忠臣蔵十一段目夜討之図(1831~33図録2301」(クリックで見られます太田記念美術館から)は、「東西海陸紀行」のバタビアの領主館の構図を殆ど借用しており、原図のバタビアの街並みを江戸の町に転換する大胆な進取性には驚きです。
「東西海陸紀行」バタビアの領主館
次に「東都三ッ股の図(1831~33図録225)」(クリックで見られます太田記念美術館から)の三ッ股は、新大橋の下流、小名木川と箱崎川が隅田川に合流するところである。右手川下に永代橋と佃島が、左手東岸に小名木川に架かる万年橋を、隅田川西岸から水平線を低くとってみた図です。画面手前では、船の保全を行っており、対岸には火の見櫓と井戸を掘るための櫓が、西洋画に触発されてわざと誇張して描かれています。
2月22日の東京新聞に、浮世絵「東都三ツ股の図」の記事がのり、要約すると「絵に描かれている隅田川に流れ込む小名木川にかかる万年橋のたもとに火の見櫓がある。そしてその横には高い塔が立っている。 まるで、建設中のスカイツリーにそっくりではないか。」という新聞に、巷では国芳の浮世絵にスカイツリーが描かれていると話題で盛りあがっています。
「二十四考童子鑑 大舜(1843~45図録238)」は、舜は中国古代の王で、父母弟にうとまれたがよく孝行を尽くし、弟を思いやった。畑仕事の時、取が草を切り、象が来て耕したと云われる。国芳は巨大な象を真正面から描き、小さい象を後ろから描き、大舜を真横から描いています。小さい象は「東西海陸紀行」の挿絵の象から採られています。
二十四考童子鑑 大舜
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