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kan-haruの日記

イベント 太田記念美術館 江戸時代後期を代表する破天荒な作品を生み出した浮世絵師歌川国芳を見るその2

2011年08月31日 | イベント
kan-haru blog 2011 太田記念美術館玄関    

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・歌川国芳後期展 遊び心と西洋の風
歌川国芳展の出品リスト(クリックで見られます)によると、6月1~26日の前期展の「豪快なる武者と妖怪」をテーマにして勇:武者絵が35点、怪:妖怪画が40点、華:役者絵が27点の浮世絵が展示され、7月~26日の後期展の「遊び心と西洋の風」をテーマにして、遊:戯画が81点、爽:美人画が32点、憧:洋風画が39点の浮世絵が展示されました。
今年開催の歌川国芳展は、4月から大阪市立美術館の大阪展、7月から静岡市美術館の静岡展や太田記念美術館の特別展の他、12月から森アーツセンターギャラリー(六本木)で開催の予定であります。また、5月には広島の奥田元宋・小由女美術館で「浮世絵猫づくしにゃんとも猫だらけ展」開催、2月に北九州市立美術館で「浮世絵 国芳の美人画展」開催されており、日本中で歌川国芳展の花盛りで、そのため沢山のブログ投稿によりその1記載の事項以外からも、Webを検索すると数多くの国芳の浮世絵を見ることができます。

・戯画、狂画
戯画、狂画とは、戯れに書かれた絵や風刺の意図をもって書かれた絵であり、見ると思わず吹き出してしまうものや、作者の遊びに気づいてニヤリとするもの、対象への暖かい思いから微笑んでしまうものなどの絵をいいます。
後期展のテーマの国芳の浮世絵の戯画は前・後期で最も多い出品であり、江戸っ子国芳のユーモアとウィットが満載で、天保の改革という幕府の禁制をかいくぐって閉塞した社会を笑いのめそうとする、遊びの精神にあふれた奇妙奇天烈な造形表現は国芳の真骨頂を示しています。戯画は現代の漫画の原点とも言われ、国芳の戯画は現代においても我々の笑いを喚起させ、その表現の多様さや型破りな発想は、見るものにとって大変と面白く楽しく感心させられます。

国芳の浮世絵の最初の戯画を見ていく。初めに「人をばかにした人だ(1847~49図録105)」(クリックで見られます太田記念美術館から)の戯画は、国芳の代表作の一つの寄せ絵(嵌め絵)で、物を寄せ集めて別の物体に作りあげたもので、顎を突き出しておでこに貼った紙を息で飛ばす遊びの絵であるが、何と人物の首絵であるが体や手足が裸体人間を集合して組み立てられたもので、初めて見るとびっくりします。戯画の鼻、髪、顎、肩などの顔は沢山の裸の男性で構成されており、この絵の奇抜な発想はどこから生じたものでしょう。後期展示の嵌め絵には、「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ(1847頃図録103)」、「としよりのよふな若い人だ(1847~49図録104)」、「人かたまって人になる(1847~49図録106)」がシリーズになっています。

 国芳の代表作の寄せ絵(左:みかけハこハゐがとんだいゝ人だ、右:人かたまつて人になるWikipediaから)

国芳は無類の猫好きで、常に猫を飼い、懐に猫を抱いて作画していたと伝えられる。それだけに猫の仕草に対する観察眼は鋭く、猫を擬人化した作品も多い。また、猫に限らず、狸・雀・蛸などの身近な動物を擬人化して世相を風刺したり、動物に託して江戸の庶民の生活を描写した作品も豊富で、これらは現代日本の漫画・劇画の源流の一つを見る事ができます。(Wikipediaから)
2番目の国芳の戯画の、猫の擬人画の「猫の当字 かつを(1840~44図録109)」(クリックで見られます太田記念美術館から)を見ると、浮世絵は文字の形に猫が複数匹重なりあっており、「嵌め絵」で見事に文字の形になった猫を描き分けている。「かつを」の「か」の字は茶のとらキジ模様と白、黒ぶちの猫3匹で構成し、「つ」の字は黒ぶちと白猫が3匹で構成し、「を」の字は5匹の猫で構成しています。国芳の猫の擬人画は、後期展示で12点が出品されています。後期展示には、出品されませんでしたが、参考のためWikipediaから擬人画の「猫の当字 なまず」を表示します。
生き物に向けられた優しい眼差しによって、歌川国芳は幕末の江戸市民たちの共感を得ることができたのです。

 『猫の当字 なまず』当て字絵(Wikipediaから)

・美人画、風俗画
美人画とは、女性の美しさを強調して描いた絵であり、国芳の描く美人画は、国貞や英泉のように妖艶でなく、明るく健康的でおきゃんで気さくな颯爽とした江戸美人を醸し出しています。
山海愛度図会 ヲゝいたい(1852図録194)」
勢いよく抱きついてきた猫に爪を立てられ、ヲゝいたいと身をそらす美人を描いている。この絵から、甘えてくれる愛猫が一層可愛く感じる心情が伝わってくるようである。
「山海め伝度図会 津ゞきが見たい 志州西宮白魚」
NHKの『日曜美術館』で紹介されていました。

 山海め伝度図会 津ゞきが見たい 志州西宮白魚(Wikipediaから)

・洋風画
歌川国芳展の洋風画の展示作品は、洋風表現の風景画の陰影法などが西洋絵画のオランダで1682年に刊行された「東西海陸紀行」(原書を後期展会場に展示)の積極的に模倣して描いた浮世絵は、国芳独特の才能で日本の風俗、景色へと変えて見事に表現されています。国芳の現代のグラフィックデザインにも通じる感覚は、生家は染物屋であり西洋画の学習で磨かれたものとみられています。
洋風画の「近江の国の勇婦於兼(1831~33図録230)」(クリックで見られます太田記念美術館から)は、国芳が西洋の憧れを端的に表した一作で、浮世絵風の美人と洋風風景に奔馬を取り合わせた紛れものであるが、国芳のオリジナル作品として完成させている洋画風浮世絵です。遠景中央の山並は「東西海陸紀行」のサンフインセントの港から採り入れ、美人お兼ねは「古今著聞集」で名をはせる遊女で、暴れ馬の手綱を足駄で踏んで鎮めている場面が描かれ、この浮世絵を見た江戸の人々の驚きの感情がみえるようです。
次にその1で掲載の「忠臣蔵十一段目夜討之図(1831~33図録2301」(クリックで見られます太田記念美術館から)は、「東西海陸紀行」のバタビアの領主館の構図を殆ど借用しており、原図のバタビアの街並みを江戸の町に転換する大胆な進取性には驚きです。

 「東西海陸紀行」バタビアの領主館

次に「東都三ッ股の図(1831~33図録225)」(クリックで見られます太田記念美術館から)の三ッ股は、新大橋の下流、小名木川と箱崎川が隅田川に合流するところである。右手川下に永代橋と佃島が、左手東岸に小名木川に架かる万年橋を、隅田川西岸から水平線を低くとってみた図です。画面手前では、船の保全を行っており、対岸には火の見櫓と井戸を掘るための櫓が、西洋画に触発されてわざと誇張して描かれています。
2月22日の東京新聞に、浮世絵「東都三ツ股の図」の記事がのり、要約すると「絵に描かれている隅田川に流れ込む小名木川にかかる万年橋のたもとに火の見櫓がある。そしてその横には高い塔が立っている。 まるで、建設中のスカイツリーにそっくりではないか。」という新聞に、巷では国芳の浮世絵にスカイツリーが描かれていると話題で盛りあがっています。

「二十四考童子鑑 大舜(1843~45図録238)」は、舜は中国古代の王で、父母弟にうとまれたがよく孝行を尽くし、弟を思いやった。畑仕事の時、取が草を切り、象が来て耕したと云われる。国芳は巨大な象を真正面から描き、小さい象を後ろから描き、大舜を真横から描いています。小さい象は「東西海陸紀行」の挿絵の象から採られています。

 二十四考童子鑑 大舜

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イベント 太田記念美術館 江戸時代後期を代表する破天荒な作品を生み出した浮世絵師歌川国芳を見るその1

2011年08月28日 | イベント
kan-haru blog 2011 JR原宿駅   

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今年は5月に幕末の絵師狩野一信の仏画の五百羅漢図(「イベント 江戸東京博物館 幕末の絵師狩野一信が描く100幅の五百羅漢図を見るその1~3」参照)と、6月に浮世絵師東洲斎写楽の浮世絵(「イベント 東京国立博物館 江戸三座の役者28図を描いてデビューし10カ月で姿を消した東州斎写楽を見るその1、2」参照)を見る機会がありました。それに続いて6月から太田記念美術館で破天荒な浮世絵を描く歌川国芳の特別展が開催されていましたので、浮世絵には素人ですが国芳の浮世絵は型破りな武者絵・戯画で大衆を魅了したと云われ、それに関心を持ち後期展示の「遊び心と西洋の風」を7月24日に見てきました。

太田記念美術館
太田記念美術館(渋谷区神宮前1-10-10)は、昭和の初めより半世紀以上に渡り浮世絵を約12000点を蒐集した5代目太田清藏(1893~1977)が、生前にコレクションを一般に公開し、教育の発展に寄与することを願っていました。遣族はその遣志を受け、未公開であった作品の展示を行い、広く我が国の美術振興の一助とすることを決意し、1980年(昭和55年)に浮世絵専門の私設美術館を開設しました。美術館の展示環境は、和風の落着いた展示室で中央に石庭があり、左手の奥は一段高い展示室になっています。
アクセスは、JR山手線「原宿」駅の表参道口より徒歩5分で、東京メトロ千代田線、副都心線「明治神宮前」駅、5番出口より徒歩5分です。

 太田美術館(左:太田記念美術館アクセス地図、右上:太田記念美術館全景、右下:太田記念美術館入口)

・没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳特別展
没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳特別展は、主催が太田記念美術館、NHK、 NHKプロモーションで、前期(6月1~26日)と後期(7月1~28日)の2期に分けて展示テーマの構成を変えて開催しました。展示は、前期が「豪快なる武者と妖怪」をテーマにして勇:武者絵、怪:妖怪画、華:役者絵の構成で、後期が「遊び心と西洋の風」をテーマにして遊:戯画、爽:美人画、憧:洋風画の構成で展示されました。

 歌川国芳特別展パンフレットと入場券(:パンフレット、:入場券)

歌川国芳の浮世絵を見るには、図録「没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳」(太田記念美術館販売)の入手がお奨めです。図録にはテーマ別に6構成の浮世絵が255点が収蔵され、全作品の解説が記載されています。また、国芳浮世絵の解説記事として洋画家悳俊彦氏の「国芳の画稿」と、太田記念美術館主幹学芸員日野原健司氏の「国芳の戯画-そのアイデアの源流」などが寄稿されています。

 禄没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳図録表紙

また、太田記念美術館ホームページの「没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳」(ここをクリック)で展覧会の構成で20数点の各テーマの浮世絵が見れます。また、「没後150年 歌川国芳展」(ここをクリック)で12点の浮世絵が拡大して見られます。さらに、「歌川国芳- Wikipedia」(ここをクリック)で25点の浮世絵が拡大して見られますので、破天荒の浮世絵師歌川国芳の浮世絵に触れて下さい。
なお、森アーツセンターギャラリー(東京・六本木ヒルズ)では、2011年12月17日から、2012年2月12日まで「没後150年 歌川国芳展」が開催されますので、歌川国芳の浮世絵が見られます。

・歌川国芳
歌川国芳(1798-1861)は、父は京紺屋を営む柳屋吉左衛門の子として江戸日本橋本銀町1丁目(現在の東京都中央区日本橋本石町4丁目あたり)に生まれ、幼名は井草芳三郎で、後に孫三郎となる。国芳は幼少期から絵を学び、12歳で描いた「鍾馗提剣図」が初代歌川豊国(1769- 1825)の目に留まり15歳で入門したといわれる。合巻『御無事忠臣蔵』表紙と挿絵(1814年頃)が初作とされ、画号を一勇斎、朝桜楼、採芳舎と号す。

 歌川国芳の自画像(拡大図Wikipedia)

師の豊国没後の1827年頃に発表した大判揃物『通俗水滸伝豪傑百八人』という『水滸伝』のシリーズが評判となるり“武者絵の国芳”と称され、人気絵師の仲間入りを果たした。『東都名所』などの西洋の陰影表現を取り入れた名所絵(風景画)にも優れており、美人画や役者絵、狂画(戯画)にも多くの力作を残している。
1841年に、老中水野忠邦による天保の改革。質素倹約、風紀粛清の号令の元、浮世絵も役者絵や美人画が禁止になるなど大打撃を受ける。そこで、『源頼光公館土蜘作妖怪図』(1843年)は、表向きは平安時代の武将源頼光による土蜘蛛退治を描いたものだが、江戸幕府の理不尽な弾圧を黙っていられない国芳は、絵のいたるところに隠されている悪政に対する風刺を描いて、江戸の人々は謎を解いては溜飲を下げて喝采しました。
『宮本武蔵と巨鯨』(1848 - 1854年)は、浮世絵3枚分に描かれた大スペクタル絵画は、鯨と戦わせて武蔵の強さを伝える、度肝を抜く武者絵で国芳を称える声が満ち溢れた。
国芳は西洋の銅版画を集め、遠近法や陰影の付け方の研究に励んで、『近江の国の勇婦於兼』(1830年)で、画面左の女性は伝統的な美人画の技法で描き、対する馬はまるで西洋画のようにリアルな立体感が陰影によって描かれている。
この時代、公儀に逆らった赤穂浪士を称えることはご法度で、『赤穂浪士』(1852年)に西洋画を学んだ国芳は、実在の人物としてリアルに描いた像は、当時の人々にとって写実的な肖像画は受け容れられなかった。

 忠臣蔵十一段目夜討之図(拡大図Wikipedia)

国芳の作品は役者絵、武者絵、美人画、名所絵(風景画)から戯画、春画までさまざまなジャンルにわたり、中でも歴史・伝説・物語などに題材を採り、大判3枚つづりの大画面に巨大な鯨や骸骨、化け物などが跳梁するダイナミックな作品に本領を発揮している。反面、肉筆画の作品の種類は多彩だが、現存数が少ない。現在確認されている作品数は、二千数百点に及ぶ。華々しい武者絵の世界を築いた国芳はひとつの時代の終焉に合わせるかのように1861年に65歳の生涯を閉じた。(Wikipediaから)

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大森町界隈あれこれ 戦争の記憶風化を憂う 第32回大田平和のための戦争資料展

2011年08月26日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2011 戦争資料展  
      
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今年8月15日の終戦記念日は、戦後66周年を迎えました。総務省統計局2009年の人口統計を見ると、戦後生まれの人口は全体の87.3%となり、戦争を知らない世代は10人中約9人となり、もはや戦争の記憶は風化の状態です。
ここに至っては、戦争の悲惨さ、残酷さを、戦争を知らない世代に伝えていく必要があります。このブログでも、記録中心の編集をしており、父の同僚の若山武義氏が大戦中の大森、中野と目黒で大空襲の爆撃に遭遇した内地での戦時生活の手記が掲載してありますので、次に示す戦争記録の一端を読んで頂ければと願います。
 大森町界隈あれこれ 鎮魂!大森町大空襲(第1編) 目次 10編掲載
 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野にて目次 7編掲載
 大森町界隈あれこれ 手記第3編 終戦前後目黒にて目次 9編掲載
 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編目次 21編掲載

第32回大田平和のための戦争資料展
第32回大田平和のための戦争資料展では、区内の教員ら住民でつくる大田平和のための戦争資料実行委員会が主催で、今年は太平洋戦争開始70年にあたり、日中戦争とのかかわりあいもふくめて、戦争はどのように準備されたのかなどをテーマにして、資料展と朗読、講演の催しを、8月10、11日午前10時から午後6時に大田区民ホールアプリコ展示室と小ホールで開催されたので、11日に見に行きました。

 大田区民ホールアプリコ(:大田区民ホールアプリコ地図、右上:アプリコ正面玄関、右下:資料展、朗読・講演会場案内)

資料展の展示内容と朗読・講演は展示案内に示された通りで、今年の展示には東日本震災の原発事故は、原爆と深いかかわりがありますので、核兵器廃絶は原爆だけにとどまらないため新しく展示されました。

 大田平和のための戦争資料展展示会、朗読・講演会場(:第32回大田平和のための戦争資料展 展示案内、右上:資料展示会場入り口、右下:朗読・講演小ホール会場)

・戦争資料展示会場
戦争資料展示会場は、地下1階の展示室約360平方メートルをぶち抜いて展示され、展示コーナーでは、展示案内に示される通り、
・戦争はどのように準備されたのか
・対外侵略はどのように行われたか
・核兵器廃絶と原発事故
・今こそ生かそう平和憲法、いのちとくらしを守る九条
・平和作品展など
5つのコーナーに分けて、大田区の有志が30年以上にわたり、こつこつと資料を集め、保管し、毎年展示を行っているもので、展示品はなかなか充実さで見ごたえがありました。戦時中の代用材料で造られた当時の物品や、満蒙開拓団の姿の展示などを見て、親類一族が開拓団に応募して帰らぬ人となった悲しい想い出がよぎり、戦争は二度と繰り返えしてはいけません。

 戦争資料展示会場(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

展示会場の入場者には、子供を連れたお母さんも見られましたが、見学者は概して年配者が多いようでした。このブログの過去の記事にも、戦争展示関連の記事が掲載してありますので、参考にして下さい。
イベント あれから62年「東京大空襲を語り継ぐ集い」 2007年3月19日
イベント 63年前の東京大空襲傷痕 浅草、本所、深川の戦跡をめぐり平和を祈願する その1その2その3その4 2008年3月14~20日
イベント 東京大空襲資料展 64年前の3月10日は無差別爆撃で浅草、本所、深川の下町が大惨禍 2009年3月27日

・朗読
展示会場の隣の小ホールでは11日には、13時から区民とつくる地場演劇の会の出演で、朗読の『ヒロシマ・ナガサキ、そして3・11の言葉たち』が上演されました。
区民とつくる地場演劇の会は、大田区に住む俳優の江角英明(えすみ えいめい)氏が、地元に伝わる歴史に興味を持って書いた一冊の芝居台本からスタートして、1990年に行われた旗揚げ公演活動が、大田区の文化振興協会の目にとまり支援を受け、公演は大規模な開催となり大成功を収めた、10代から70代と年齢も個性も幅広い地元のメンバーの集団です。メンバーの中のFさんとは町会の付き合いの永いい方ですが演劇の会に参加されています。Fさんのご案内で、2007年に大田文化の森での第18回公演(「大森町界隈あれこれ イベント 地場演劇公演『山わろ~呑川へきたかっぱのこと~』」参照)と、2009年12月の大田区民プラザでの20周年公演「蒲田太平記 羽田たいへん記うたかた二十年」を観劇させて頂きました。

 区民とつくる地場演劇の会20周年記念公演(写真拡大)

この関係で、大田平和のための戦争資料展の11日のご案内を頂き、久愛振りの区民とつくる地場演劇の会のメンバーによる朗読の公演です。朗読の台本はヒロシマ・ナガサキでは木村光一構成「この子たちの夏」大友会出版から「原爆あの日あの時」の一部をお借りし、大震災については新聞・テレビが伝える現地の人々の言葉を軸に構成した朗読を聞かせて頂きました。

 区民とつくる地場演劇の会による朗読(写真拡大)

・講演
同14時から不戦兵士・市民の会代表理事の猪熊得郎氏の「少年兵の無念」という2時間に亘る講演で、講演者の略歴は1928年(昭和3年)日本橋浜町に生まれて、1944年(昭和19年)に旧制中学3年の15歳で陸軍特別幹部候補生を志願して少年兵となる。
そこから話が進展し、たった一度の青春を侵略戦争に捧げた少年兵は42万名で、同年米艦載機の襲撃を受け初めての戦闘を体験し、戦友1200名が戦死する。戦争は人と人の殺し合いである。1945年4月旧満州に転属となり、関東軍をこの目で見て、同8月に敗戦となり戦友と別れ、反乱や略奪、殺し合い、脱走の混乱で、自分の身は自分で処せとなる。
敗戦によりソ連の捕虜となり、シベリアのアムール州に抑留され、零下30度で奴隷的重労働と一切れのパンとスープの餓え、寒さ、重労働の三重苦を味わい、収容所では6人に1人が異国の土となる。1947年12月に舞鶴港に復員するが、父は亡く、兄は人間魚雷回天で18歳で戦死という悲惨、残酷な青春でした。これからは若者たちの青春が、戦争のための青春でなく、平和のための青春であることを心から願って講演を締めました。

 猪熊得郎氏の「少年兵の無念」講演(写真拡大)

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イベント 練馬大根産地であった練馬での異業種交流会 日テレ紹介のあわび亭でH11メトロの暑気払い

2011年08月24日 | イベント
kan-haru blog 2011 練馬駅 

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H11メトロの暑気払い
異業種交流会H11メトロは、地方独立行政法人東京都立産業技術研究センターが異業種交流事業として募集した、東京都異業種交流会グループの中の平成11年に発足したグループの一つで、毎月例会を開催しており7または8月には暑気払いを行っております。
今年は、日本テレビの2009年11月21日に放送された「ぶらり途中下車の旅 旅人八名信夫」で紹介されている、練馬の「あわび亭」でH11メトロの暑気払いを7月14日に開催しました。

・練馬あわび亭
あわび料理ということで海に近い場所なのかと思いきや、暑気払いのお店は海から離れた23区内で一番暑いところの東京の北西にある練馬です。

 練馬の地図(左:練馬区の位置、:練馬駅周辺地図)

練馬と云えばかっては練馬大根の産地で元禄の江戸時代から栽培されており有名ですが、練馬の由来は練馬区役所ホームページによると、
・関東ローム層の赤土をねったところを「ねり場」といった
・石神井川流域の低地の奥まったところに「沼」=「根沼」が多かった
・奈良時代、武蔵国に「のりぬま」という宿駅があった
・中世、豊島氏の家臣に馬術の名人がおり、馬を馴らすことを「ねる」といった
などの諸説がありますが、定説はありませんとのことです。

あわび亭(練馬区練馬1-35-1)へのアクセスは、大門から地下鉄大江戸線に乗り換え、直通で練馬駅には約35分で着きます。練馬駅の北口にでて、大通りを北に進み練馬文化センター方向に進みます。

 あわび亭へのアクセス(左:アクセス図、右:練馬文化センター横の大通り)

練馬文化センターが切れる前に公園横の路地を右に折れて、先の四つ角の左側建屋を曲がって2軒目が暑気払いあわび亭で、駅からは徒歩5分です。

 あわび亭(Googleストリュートビューから)

あわび亭の料理を先の「ぶらり途中下車の旅」のテレビを見て、さらにあわび亭ホームページを覗いてみましょう。まず、旅人の八名信夫が見たあわび亭の印象は、『練馬の住宅街にあるアワビ料理専門店で、こちらのご主人は、以前、食品を配送する仕事をしていましたが、その時出会ったアワビに惚れ込み、脱サラしてお店を始めました。季節ごとに一番美味しい産地の物を選び、今(放送当時)は三陸のアワビを使っているそうです。和洋中を織り交ぜた30種類以上のアワビ料理を頂く事が出来ます。』と紹介しています。

 コース料理1(写真拡大)

あわび亭のお品書き料理には、活きたあわび料理は刺身だけではありません。あわび亭では、様々な調理法であわび料理をご用意いたしております。煮て、焼いて...全てが『あわびづくし』です。小付・前菜・刺身・煮物・焼物のコース料理は、3,800円、4,800円、6,000円、10,000円のコースがあります。リーズナブルな料金で思う存分ご堪能くださいとあります。今回は、4,800円のコースでの暑気払いであわび料理を堪能しましたが、会の後で参加者の印象を尋ねててみると、「あわび亭はとても楽しくおいしかったです。 量がハンパなく、それを平らげる我々も 大したもんです。」と大変と満足した様です。

 コース料理2(写真拡大)

暑気払いは6時半からで、時間が近くなるとメンバーが集まってきましたので、まずはビールで乾杯して、暫くは今年の猛暑を凌いでビールで冷えるまで歓談です。料理は時間の制限がないのでゆっくりと味わうことができる嬉しいコースで、小付・前菜・刺身・煮物・焼物の伊勢海老とあわびづくしの料理を堪能し、各人思い思いに日本酒、焼酎などを注文して宴席が盛り上がりました。最後は、炊き込んだあわびご飯での仕上げです。

 あわび料理をまえにして暑気払いの歓談

東京では珍しい食事時間制限のないお店なので、ゆっくりと料理が味わえてアルコール量も比例したようです。暑気払いの記念写真も、ご飯が出てくる前に撮影するという前例のないものです。店のマスターの岩楯博さんも愛想が良く、店員さんと一緒に写真に加わって頂きました。

 暑気払い記念写真2011(クリック拡大:奥に立つ右側マスター、左側サービス店員)

食事を食べ終わると11時少し前で、あわび亭の玄関前でも写真を撮りお開きです。

 あわび亭玄関前

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大森町界隈あれこれ ニュース 建替えが進む大森町駅周辺の商店街(2011.8.21号)その3

2011年08月21日 | 大森町界隈あれこれ 商店街
kan-haru blog 2011 ナンカ堂跡の大森町高架駅ホームの工事  

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前回までのその1では、大森町第1踏切東側から第1京浜国道までの商店街通り(大田区画街路第3号線延長63m)を幅員13mに拡幅の変遷を追い、同商店街道路北側の商店が全て壊されるまでをみました。その2では大森町駅西側の京急付属街路第1号線のうち、大森町駅前周辺の約144mの通称ほのぼの通りが、道路幅員が6メートルから13メートルに拡幅される過程にあり、丸忠行川商店とコマツヤ靴店の取壊しと、同6月には旧山谷旅館跡のマンションが取り壊されるまでをみてきました。
今回は、ほのぼの通り東側に残るナンカ堂A館の取壊しと、同通りから見た東側の空き地を利用して京急大森町高架駅の築造が進む様子を追います。

ほのぼの通り東側跡地利用
2008年7月17日から大森町駅商店街のほのぼの通りの東に面したゑびすヤードの幅を縮小して、ほのぼの通り北端から臨時改札口までの間に、大森町駅前臨時自転車駐車場がオープン(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第21回その1-2)」参照)し、2時間以内は無料で利用できるようにました。

 大森町駅前臨時自転車駐車場開設

2008年10月には、大森町高架駅橋はほのぼの通りのナンカ堂B館付近まで築造が進み道床のコンクリート打ちが行なわれ、2009年4月には南に延びる高架駅橋築造工事のため、臨時改札口の上に高架橋工事の足場が組まれました。

 ほのぼの通り東側商店街跡での高架橋工事1(:高架橋築造がナンカ堂B館付近まで進む20081008、:臨時改札口の上に高架橋工事の足場が組まれる20090416)

2009年7月には大森町高架駅橋の築造は、駅舎ホーム棟の屋根・壁面骨格の組立が開始(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第3回その2)」参照)されました。

 築造中の上り線大森町高架駅ホーム舎棟(写真拡大)

・ナンカ堂A館閉館
同7月17日にはナンカ堂A館の閉館を告げる看板が、ほのぼの通りの角に掲げられA、B館で閉店セールが行われ、12月31日で閉店となりました。

 ナンカ堂A館の閉館でA、B館の閉店セール(左上:ナンカ堂A館閉館の看板、中上右上左下:ナンカ堂A館閉店セール、中下:ナンカ堂B館閉店セール、右下:ナンカ堂A館閉館)

2010年1月には上り線側の大森町高架駅橋の築造は、ナンカ堂A館の建物までの駅舎ホームの壁面が完成(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第11回)」参照)しました。

 ナンカ堂A館まで完成の上り線大森町高架駅壁面(写真拡大)

1月14日になると、閉館したナンカ堂A館の取壊しが始められました。

 ナンカ堂A館の取壊しが始まる(写真拡大)

また、同時にナンカ堂B館と田肥電器店に挟まれたところに商店ビルの建設が行われ、旧コマツヤ靴店の跡にもビル建設の基礎工事が始まりました。

 ほのぼの通り西側商店の再建が始まる(:ナンカ堂B館と田肥電器店間に建設の商店、:旧コマツヤ靴店跡のビル建設)

1月半ばから始まったナンカ堂A館の解体は、2月に入ると建物の姿は無くなりました。

 ナンカ堂A館の解体が進む([100126]・[100131]・[100203]写真拡大)

ナンカ堂A館跡地は同14日には更地となり、高架工事完了時点までの仮区用地を確保しました。ナンカ堂の建物のため出来なかった、大森町駅ホーム駅舎棟の壁面の取付け工事が同12日に始まりました。

 ナンカ堂跡では高架ホーム駅舎壁面取付工事開始と仮区用地確保(:ナンカ堂A館跡地100222、:ナンカ堂跡ホーム壁面取り付け工事100312、:ナンカ堂跡地の区用地確保100314)

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(8月分掲Indexへ)
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大森町界隈あれこれ ニュース 建替えが進む大森町駅周辺の商店街(2011.8.18号)その2

2011年08月18日 | 大森町界隈あれこれ 商店街
kan-haru blog 2011 旧山谷旅館跡の都市計画整理地 

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前回の2011.7.17号その1では、東京都市計画道路事業の大森町駅第1踏切から東側の第1京浜国道間の大田区画街路第3号線の商店街通りの商店街の変遷を追いました。今回は、同道路事業の大森町駅西側の通称ほのぼの通りについてみていきます。

東京都市計画道路事業京急付属街路第1号線のうち大森町駅前周辺
今回は、大森町駅西側の京急付属街路第1号線のうち、大森町駅前周辺の約144mの通称ほのぼの通りが、道路幅員が6メートルから13メートルに拡幅される過程にあり、現在までのほのぼの通り近辺の商店街の変遷を追います。

 東京都市計画道路事業(再掲)

大森町駅周辺の商店街は、三光軒が2006年10月に立退く (「大森町界隈あれこれ 大森町商店街 京急高架化で大変貌 ラーメン屋さん閉店第一号」参照) までは、ほのぼの通りの東側には、ゑびす市場、100円ショップ、三吉野、ナンカ堂A館が並んでいました。

 2006年移転取壊し前の大森町駅周辺商店街図

2007年に入るとほのぼの通りの東側商店は、まずゑびす市場の取壊しが行なわれ、3月になるとその南に隣接の100円ショップと三吉野の閉店解体に入り、ナンカ堂A館のみが残りました。

 2007年のほのぼの通り東側商店街(左上中上:ゑびす市場取壊し、右上:100円ショップも取壊しが始まる、左下:中下三吉野も閉店する、中下:、右下:ほのぼの通り東側の商店はナンカ堂A館のみとなる)

取り壊された商店跡は整地され、同年5月21日に大森町商店街踏切の混雑緩和のために、大森町駅臨時改札口が開設されました。

 東側商店取壊し跡に大森町駅臨時改札口開設(写真右上:商店取壊し跡、右中:整地された取壊し跡、右下:臨時改札口開設)

ほのぼの通りの西側の商店街は2009年に見ると、北からナンカ堂B館の一軒おいて、田肥電器、コマツヤ靴店、丸忠行川商店、TSUTAYAと並んでいました。なお、ナンカ堂B館と田肥電器に挟まれた商店は、2008年8月に閉店し更地(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第21回その1-2)」参照)となっていました。

 2009年のほのぼの通り西側商店街(左上中上:ナンカ堂B館、右上:田肥電器店、左下:コマツヤ靴店、中下:丸忠行川商店、右下:ツタヤ)

2009年3月には、丸忠行川商店とコマツヤ靴店の取壊しが始まり、同6月には旧山谷旅館跡に建設されたマンションが取り壊されました。

 ほのぼの通り商店街取壊し(写真左上:丸忠行川商店取壊、左中:コマツヤ靴店取壊、左下:マンション取壊)

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大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の夏のイベント(2011年7・8月号その3)

2011年08月15日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2011 
      
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○ こらぼ大森夏まつり
大田区区民活動支援施設大森のこらぼ大森(大田区大森西2-16-2)では、主催がこらぼ大森夏まつり実行委員会、共催が大田区、大森西地区自治連合会により8月7日11~15時に恒例の第8回こらぼ大森夏まつりが開催されました。

 こらぼ大森夏まつりポスター

こらぼ大森夏まつりの協力団体は、大森学園高等学校、大森西地区の6自治連合会・町会、大田区保護司会第1分区や大森西地区民生児童委員協議会、青少年対策大森西地区委員会、大田区シルバー人材センターなどの団体が協力しています。昨年は都合が悪くいけませんでしたが、今年は最高気温が34.5度のかんかん照りの中を駆け足で見てきました。

 夏まつりプログラム(クリックで拡大)

先ずは南門から入り、受付で夏まつりプログラムの資料を貰い、猛暑の芝生のグランドでの模擬店、市場やイベント展示などを時計回りに見てきました。受付右側のコーナーは、大田福祉作業所でゲームを楽しめはポップコーンを売っており、その隣の2張のテントでは城南保健生協で健康チェックで血圧や体脂肪、骨密度の測定を行っており、わたあめも売っています。その次のヤクルト乳飲料ではヤクルト製品などを販売しています。

 こらぼ大森夏祭り風景1(:大田福祉作業所、:城南保健生協、:ヤクルト)

夏祭りの13張りのテントコーナーには、模擬店や市場、飲食店が並んでおり、次の沢田東町会では人気のどじょうつかみや宝つりゲームの他、ビールや焼き鳥を売っています。その隣の大森消防団第2分団では消防団員の募集をしていました。地元の防災のため、是非応募して欲しいです。次の東コーナーのテントは、大田区被災地支援ボランティア調整センターで、東北大地震の支援ボランティアの調整を行い、バザーを開き売上金の全額を義捐金として送るそうです。その隣の福島市場では、福島県須賀川産の野菜や、ジャムとキャンディに、熟ソースとヨーグルトなどを販売していました。また、グランド中央の大田NPO活動団体交流会では、パネル展示と大田・花とみどりのまちづくりで花苗を販売していました。

 こらぼ大森夏祭り風景2(左上中上:沢田東町会、右上:大森消防団第2分団、左下:大田区被災地支援ボランティア調整センター、中下:ふくしま希望市場、右下:おおた花と緑のまちづくり) 

こらぼ大森施設西側の元体育館前に並んだコーナーは、北から開桜丸でかき氷とフランクフルトを売っており、次のすずらん会では煮込み、からあげ、ところてん、焼きとうもろこしやカツサンドを販売し、カツサンドは売り切れでした。次のコーナーは大森西保育園父母の会ではアイスクリームが買え、くじ引きのゲームができます。一周した入り口近くの明るい社会づくり運動の会では、いそべ焼きが売られており祭り屋台の食べ物が勢ぞろいです。こらぼ大森夏まつりの本部テントは、元校舎の1階入り口に設置されています。 

 こらぼ大森夏祭り風景3(左上:開桜丸、中上:すずらん会、右上左下:大森西保育園父母の会、中下:明るい社会づくり運動の会、右下:本部)

酷暑の中、グランドを一周して夏祭りのプログラムを見ると、さすがにバテ気味です。そこで、最後ははしょり気味に舞台前で演出していたこらぼ大森太極拳の太極拳演舞の公開を見て、旧校舎内で行っている催しの似顔絵製作とおはなしたまて箱の会場を覗いて帰りました。

 イベント演出公開(:太極拳演出、:似顔絵製作、:おはなしたまて箱) 

○ 大森西三丁目大寿会第一クラブ定例会・誕生会
大田区老人クラブ連合会大森西三丁目大寿会第一クラブでは、年4回開催の定例会と誕生会(5、6、7月生まれ該当者22名)を、7月20日に諏訪神社諏訪会館(大田区大森西2-23-6)で開催しましたので出席しました。
定例会は副会長の司会と開会の辞で開始され、会長の挨拶後誕生者や新入会員の紹介と、米寿お祝いの贈呈を行い、乾杯にて歓談しながらお弁当を食べてから、今回は八幡長寿会の松木様の自作、自演の紙芝居を公演して貰いました。紙芝居の演出を記念して、会長自作の拍子木を松木様に贈呈しました。

 特別公演の紙芝居(写真拡大)

紙芝居の演題は「ナイチンゲール」で、近代看護教育の生みの親で、病院建築でも非凡な才能を発揮し、クリミア戦争での負傷兵たちへの献身や統計に基づく医療衛生改革で著名なフローレンス・ナイティンゲイルの物語の公演で、大変と好評でした。
贈呈の拍子木の一音を録画しておきました。

紙芝居公演 ナイチンゲール.wmv

[クリックすると拍子木の音と紙芝居のはしりが見られます]

紙芝居の後に懇親会となり、恒例の余興が行われ合唱、カラオケ、舞踊と和やかに過ごしました。

 恒例の余興大会(写真拡大)

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大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の夏のイベント(2011年7・8月号その2)

2011年08月13日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2011 大森諏訪公園で初めての盆踊り櫓
      
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今年の夏も旧盆を迎え、帰省客のラッシュが報じられています。大森町でも恒例の夏のイベントの大森町商店街のサマーフェスティバル2011、第61回社会を明るくする運動大森西地区集会の行事も済み、続いて大森三丁目連合町会盆踊り大会、こらぼ大森夏まつり、大森西三丁目大寿会第一クラブ定例会・誕生会および、平成23年度もり校会同窓会総会などの各種の催しが行なわれました。

 大森町界隈夏のイベント会場地形図

○ 大森三丁目連合町会盆踊り大会2011
2009年に町会創立60周年を迎えた歴史のある大森三丁目連合町会(「大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2009.11.29)」60周年記念行事および連合町会の歴史小史参照)は、なぜか今年は大森三丁目連合町会の組織が一新して変わりました。2011年の新制町会による盆踊り大会が8月6、7日に大森諏訪公園(大田区大森西3-3)で行われましたので、大森町界隈の記録保存のため6日に見てきました。
大森諏訪公園は、2007年に移転した現在の大田福祉作業所の内川端の土地にありましたが、移転前の元大田福祉作業所跡に公園を移して2008年春に完成し、広さが1,286平方メートル(約390坪)で、地元の要望に応えて造成され、幼児用遊具施設と身障者が使用可のトイレ施設と、広場だけの樹木の少ないオープンに開けた明るい公園(「大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2007.10.22) 」参照)です。大森諏訪公園には、町会60周年記念の植樹記念式典が大田区長参列のもとで行われ、諏訪公園中央の西側奥の花壇に記念に梅の植樹が行われました。

 盆踊り会場とポスター(:盆踊り会場大森諏訪公園航空写真、:盆踊り大会ポスター)

盆踊り大会は、ポスターによると午後6時から第1部の子供の盆踊りが開始となっていますが、6時をまわりましたがまだ開始されていなく準備中です。盆踊り大会会場は、ゲートを入って右側に受付があり、その先の福祉作業所建物の前が招待者席となっています。

 大森諏訪公園での新制町会初の盆踊り大会1(写真拡大)

午後6時も大分まわり観客は諏訪公園奥の芝生上に三々五々と集まりだし、シートを敷いて席をとり開始を待っていますが、集まりが鈍いようです。露天も準備中で、6時半過ぎから販売を開始するとアナウンスされています。6時半頃になると、サービスの「うちわ」配りが始まり、貰う人が殺到しました。

 大森諏訪公園での新制町会初の盆踊り大会2(左上中上:見物人の集まりもまだまだ、右上左下中下:露天の食べ物やもまだ準備中、右下:「うちわ」配りには希望者が殺到)

櫓の上では、盆踊りの音頭とり太鼓を打つ子供たちが揃い、調整準備中です。

 音頭とりの櫓太鼓も調整準備中(写真拡大)

やがて、子供の踊りがはじまり、2曲目には沢山の子供たちが踊りの輪に加わり、新制盆踊り大会がスタートしましたので、ビデオを撮りました。

大森三丁目連合町会盆踊り大会2011 子供の踊り.wmv

[クリックすると、第1部の子供の踊りが見られます]

第2部の一般の踊りは、午後7時からなので一度自宅に戻り、7時20分頃に再度訪公園に訪れ一般の踊りを見物しました。露店も繁盛の様で、露店裏側の公園の奥には、飲食のための椅子が置かれてありました。

 第2部盆踊り大会風景1(左上中上:第2部盆踊り大会、右上左下中下右下:盆踊り会場の露天)

時間が来て第2部の一般の踊りが始まりましたが、例年の盆踊りに比べて、踊りに参加する人は少ない様で、また見物客も少ない盆踊りでした。盆踊りは午後9時までですが、8時半前に会場を出て帰宅しました。

 第2部盆踊り大会風景2(:一般の部盆踊り)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第20回その3)

2011年08月10日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2011  
    
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第8工区
・糀谷高架駅橋下の工事
前回には、糀谷高架駅橋下では地中の整理工事が行なわれており、7月23日に見ると、西側に建立の高架駅橋柱を中心にして溝が掘られ、高架橋柱間の強化工事を進めていました。

 糀谷駅高架橋柱間の強化工事1(0723写真拡大)

8月6日には、建立の高架橋柱の周囲や、高架橋柱間に溝を掘り高架橋の強化工事が進展していました。

 下り線高架橋3脚目の橋脚が建立糀谷駅高架橋柱間の強化工事2(左・中・右・左・中・右0806写真拡大)

・下り線高架橋築造工事(糀谷第1踏切西側構内)
前回には、糀谷第1踏切西側構内の下り線高架橋築造工事は、踏切から建立橋脚2脚目の梁桁上にクレーン台が据え付けられていました。
7月5日に見ると、糀谷第1踏切西側構内の下り線高架橋築造は、3脚目の橋脚が建立され、縦梁桁が築造されていました。

 踏切西側構内下り線高架橋3脚目の橋脚が建立(0705写真拡大)

同19日には踏切西側構内の下り線高架橋は、ホーム縦梁とともにホーム台骨組みが付けられています。

 踏切西側構内下り線高架橋にホーム桁枠組が付く(0719写真拡大)

同23日に見ると、踏切西側構内の下り線高架橋築造の2橋脚目のクレーン塔の上に工事用のクレーンが取付られていましたので、新たに8月10日にクレーンを中心とした周辺から工事クレーンを撮影しました。

 下り線高架橋築造用の工事クレーン(左上中上右上左下中左下中右下右下0810写真拡大)

8月6日に見ると、踏切西側構内の下り線2スパーンの高架橋上には、床板が敷かれました。

 踏切西側構内2スパンの下り線高架橋には床板が付く(写真拡大)

同6、10日には、踏切西側構内の下り線高架橋の上で工事が行われていました。

 踏切西側構内の下り線高架橋の上の工事(0806・0810写真拡大)

・下り線高架橋築造工事(糀谷第1踏切東側傾斜高架橋)
前回記述時には、第1踏切東側では下り線高架橋築造の橋脚柱の基礎工事が行われていました。7月1日には、踏切東側では下り線高架橋築造の橋脚柱の建立工事が行われていました。

 糀谷第1踏切東で高架橋脚柱の建立工事(写真拡大)

8月6日に見ると、踏切東側では下り線高架橋築造の橋脚柱の建立工事は、工事覆いがとられて、橋脚柱が現れました。踏切から4脚目以東の橋脚柱では、高架橋の築造工事が開始しているようです。

 踏切東側では下り線高架橋築造の橋脚柱が姿を見せる(写真拡大)

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kan-haru日記 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 2011年後期版

2011年08月10日 | INDEX
kan-haru blog 2011 12月18日326版

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  大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 カテゴリー総目次 2011年後期版



2010年後期 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照



268~289項INDEXは、2011年前期 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX (ここをクリックして下さい)

290 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第16回その3)5月20日
291 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第16回その4)5月22日
292 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第17回その1)6月15日
293 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第17回その2)6月17日
294 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第17回その3)6月19日
295 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編[大森町ホーム移設編](第17回その4)6月22日
296 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編[大森町駅の変遷](第18回その1)6月24日
297 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編[大森町駅の変遷](第18回その2)6月26日



298 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第19回その1)7月25日
299 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第19回その2)7月27日
300 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第19回その3)7月29日
301 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第20回その1)8月5日
302 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第20回その2)8月8日
303 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第20回その3)8月10日
304 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第21回その1)9月3日
305 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第21回その2)9月5日
306 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第21回その3)9月7日
307 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第22回その1)9月28日
308 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第22回その2)9月30日
309 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第22回その3)10月4日
310 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第23回その1)10月22日
311 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第23回その2)10月24日
312 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第23回その3)10月27日
313 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第23回その4)10月29日
314 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第24回その1)11月8日
315 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第24回その2)12月11日
316 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第24回その3)12月13日
317 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第24回その4)12月16日
318 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第24回その5)12月18日

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第20回その2)

2011年08月08日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2011 第9踏切から北方の高架橋を見る[左から仮下り運用線路、上り線運用高架橋、下り線築造中高架橋] 
    
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第5工区工事
・京急蒲田第6~9踏切間旧下り線線路跡工事
前回記述時には、京急蒲田第6踏切跡から同第9踏切間の旧下り線線路跡の工事は、工事網で被って傾斜高架橋の築造が進んでおり、蒲田消防署南側に接する突き当り路地の南側の高架橋では、唯一工事網が外されていました。
8月2日に見ると高架橋の築造現場では、かなりの高架橋で工事網が外されてきました。同第6踏切跡南側の高架橋では工事網が外され、3階高の高架橋が姿を現しています。

 築造が進む京急蒲田第6踏切南の傾斜高架橋(0802写真拡大)

第6踏切跡から高架橋下を見ると、北側では高架橋下の整理工事が行われ、南側では下り傾斜高架橋の築造工事が進んでいます。

 第6踏切跡から南北の側高架橋下の工事現場を見る(:第6踏切跡から北側高架橋下を見る、:第6踏切跡から南側高架橋下を見る0802)

第6踏切跡から南にある蒲田ヤードから築造中の傾斜高架橋を見ると、ヤードの南に見える高架橋はまだ工事網が付けられたままです。

 蒲田ヤードから築造高架橋を見る(0802写真拡大)

蒲田ヤードの南縁の路地を入ると突き当りに見える左側の高架橋は、ヤード入り口から見えた工事網が付いた高架橋で、その左の高架橋は工事網が外されています。路地を戻り、第1京浜国道の隙間から除ける高架橋も工事網が外されており、高架橋間の連絡橋部には工事網がみられます。その南の第8踏切跡北側の高架橋までは、工事網が外されています。

 京急蒲田ヤード南から第8踏切間の高架橋(:京急蒲田ヤード南路地先の高架橋、:第1京浜国道から覗いて見た高架橋、:第8踏切跡北側の高架橋0802)

第8踏切跡道路の南側には蒲田消防署があり、消防署南側路地までの高架橋には、工事網が付けられています。

 消防署裏の築造高架橋(:第8踏切南消防署裏の高架橋、:消防署の南側路地から見た消防署裏高架橋、消防署裏南端部の高架橋:0802

第8踏切跡から高架橋築造工事を見ると、下り線本傾斜高架橋の高さは上り線運用高架橋と高さは殆ど同じになります。図中のまる1は下り線本傾斜高架橋で、まる2は現在運用中の上り線高架橋で、まる3は現在運用中の下り線仮高架橋です。

 第8踏切から見た高架橋築造工事)(0802写真拡大)

蒲田消防署南側路地先突き当りの南方の高架橋は、前回記述時時点では工事網が外されていました。その先の第9踏切北側の高架橋までは、今回には工事網は外されています。

 消防署南路地の南方から第9踏切跡間高架橋)(:消防署南路地の南方の高架橋、:ヤード脇路地先の高架橋、:0802)

京急蒲田第5踏切から第9踏切間付近までを、8月2日に下り線および上り線普通列車先頭車両から旧下り線線路跡の下り線本高架橋の築造工事現景を撮影しました。

京急蒲田第5-9踏切間高架橋築造現場110802.wmv


[クリックすると、京急蒲田第5-9踏切間の下り線および上り線高架橋築造現場を先頭車窓からの前進風景が見られます]

動画をご覧頂けない方は、「京急蒲田第5-9踏切間高架橋築造現場110802.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.19

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・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(8月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 : 2011年前期版2011年後期版
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京急蒲田第5-9踏切間高架橋築造現場110802.wmv

2011年08月08日 | ようこそ kan-haru日記へ

kan-haru blog 2014

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動画の「スタート」ボタンを押すと、動画が見られます。

京急蒲田第5-9踏切間高架橋築造現場110802.wmv

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第20回その1)

2011年08月05日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2011 
    
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第19回では、大森町駅在来下り線駅舎・ホームの取壊しを記述したので、今号では内川下り線高架橋の工事を見ておきます。

下り線仮高架橋築造工事
・内川から北方周辺の仮高架橋工事
第17回その1記述時点では、橋脚台P-18の基礎工事では4脚の橋脚柱のライナーに、橋脚鋼材を埋め込み、その穴にコンクリートの打ち込みを行っていました。
6月22日に見ると、橋脚台P-18の基礎工事はコンクリートの打ち込みを継続して行なわれていました。

 橋脚台P-18の基礎工事(0625写真拡大)

7月に入ると橋脚台P-18の基礎工事は、下り線高架橋の内川橋梁の北岸橋脚台として、徐々に築造が進んできました。

 橋脚台P-18築造の基礎工事の進捗を見る(左上中上:7月5日時点の橋脚台P-18築造工事状況、右上左下:7月15日時点の橋脚台P-18築造工事状況、中下右下:8月5日時点の橋脚台P-18築造工事状況)

ここで、現在内川北岸仮下り線高架橋築造工事は、新橋脚台P-18の基礎工事を行っていますが、内川北岸仮下り線高架橋工事構造をおさらいして見ておきます。

 内川北岸仮下り線高架橋工事構造説明図

7月30日に、平和島第2架道橋下から展望した仮下り線高架橋築造現場を撮影しましたので、現時点の工事築造状況を下り線高架橋工事構造説明図と対比して確認しておきます。

 内川北岸仮下り線高架橋築造工事状況(左上:平和島第2架道から仮下り線高架橋築造工事現場を展望する、中上:最初に見えるのは新P16橋脚土台、右上:新P16橋脚土台の先に見えるのはP16・17橋脚、左下:その先に見えるのは新P17橋脚土台、中下:その先に見えるのはP18橋脚、右下:その先に見えるのは新P18橋脚の基礎工事)

・内川南岸周辺の仮高架橋工事
前回には、旧上り内川南岸橋梁橋脚南方から平和島第5踏切北側高架橋の北方の下り線仮高架橋築造工事現場では、高架橋脚柱建立のため基礎工事が進められています。
南岸周辺の仮高架橋工事現場の状況を、上り線仮高架橋を運行の列車内からの写真撮影で見ます。

 走行列車から見た南岸橋脚台の基礎工事(:7月7日撮影、:7月14日撮影、:8月5日撮影)

内川南岸橋梁橋脚の基礎工事場を、平和島第5踏切と内川北岸から見ました。

 内川南岸橋梁橋脚の基礎工事場を見る(:7月15日撮影、:8月5日撮影)

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風景・風物詩 羽田神社例大祭 復興日本を被災地の皆様へ届けよとヨコタ担ぎで羽田13町内神輿連合渡御

2011年08月03日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2011

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東日本大震災の災害を被り、これまでは各地では例大祭を自粛しておりましたが、被災地では8月に入ると青森ねぶた祭りを筆頭に東北祭りが繰り広げられています。これからは、「復興日本」をスローガンに被災地に届けようと、羽田神社夏季例大祭「羽田まつり」が開催されましたので、2年振りに見に(「風景・風物詩 羽田神社例大祭 13基の神輿を3千人がヨコタ担ぎで練り歩く町内神輿連合渡御」2009年参照)行きました。

 町内神輿連合渡御ポスター

羽田神社夏季例大祭
羽田神社夏の例大祭は7月最後の土・日曜日に行われ、日曜日には恒例の13町内神輿の連合渡御が、羽田空港弁天橋際広場を午後3時頃出発して、弁天橋を渡り弁天橋バス通りを産業通りまで巡行します。2011年の、13町内神輿の発輿の順序は、前河原、寿会、横町、旭町、稲荷前、仲七、仲羽田、大東、中村、上田、西町、上東、仲東の順に連合渡御が行われます。

 羽田神社神輿連合渡御ルート(再掲)

御輿渡御の31日の日曜日は、薄曇りの日で気温が30度以下で神輿見物には炎天下でなく恵まれました。家を出て、弁天橋バス通りと産業通りに着いたのは15時30分頃で、見学場所は首都高速神奈川1号横羽線下の六間堀公園で見ることにしました。六間堀公園の六間堀は、年(大正10年)に耕地整理のため設けられたもので、南前堀ともつながっていて、漁船の航路や船着場、台風時の避難場所として使われ、幅が六間(約10.8m)あったことから六間堀の名称がついた。1962年(昭和37年)に漁業権が放棄され、昭和40年代には下水道も完備されたことにより、役目を終え埋め立てられました。

 連合御輿渡御見物場所(:御輿渡御見物で一杯の弁天橋バス通り、:見物場所の高速道下六間堀、:六間堀跡)

高速道下の六間堀跡では、大田ケーブルテレビが連合渡御の生中継を15時30分から18時まで行いました。16時頃、連合渡御の行列が進んできました。渡御の先頭部には、神職の後に先導役の猿田彦、山車囃子に続き役員が進み、渡御神輿の先頭の前河原町会の神輿が六間堀跡高速道下でヨコテ担ぎの披露が繰り広げられました。

 羽田神社例祭風景(:先導の山車お囃子、:神輿ヨコテ担ぎ、:羽田まつりのテレビ中継)

神職を先頭に、猿田彦、山車囃子に続く前河原町会の御輿のヨコタ担ぎをビデオに撮影しました。

羽田神社夏の例大祭神輿連合渡御(前河原町会).wmv

[前河原町会神輿のヨコタ担ぎの動画は、画面のボタンを押すとみられます。]

羽田神社例祭神輿の「ヨコタ担ぎ」は独特な担ぎ方で、左右の担ぎ手の一方がしゃがみ、反対側の担ぎ手がはねあがって、神輿を左右に振らしながら担ぐもので勇壮な担ぎ方です。

 各町会神輿(:横町町会神輿、:稲荷前町会神輿、:旭町町会神輿)

羽田空港弁天橋際広場をスタートした神輿は、要所要所で留まり組頭の唄の合図に従い神輿をローリングさせます。神輿の担ぎ方が激しいので、担ぎ手だけで3千人を超し、3万人以上の見物客が訪れる大変賑やかな夏の羽田っこのお祭りです。
13町会の神輿のうち、渡御2番手の寿会町会神輿から、渡御5番手の稲荷前町会神輿までのヨコタ担ぎをビデオに撮影しました。

羽田神社夏の例大祭神輿連合渡御(寿会、横町、旭町、稲荷前町会).wmv

[寿会町会から稲荷前町会神輿のヨコタ担ぎの動画は、画面のボタンを押すとみられます。]

・羽田神社参詣
5町会の神輿のヨコテ担ぎを見てから、羽田神社参詣に向かい参詣してきました。混雑の羽田神社境内を見て、18時少し前に帰りの路につきました。

 羽田神社例祭参詣(左上中上:混雑する羽田神社境内、右上:羽田神社神輿、左下中下右下:祭礼露店風景)
 
・お知らせ
大田ケーブルテレビ(地上11チャネル)では、羽田神社例大祭町内神輿連合渡御のヨコタ担ぎのテレビ放送の再放送を、次の通り行います。
1.8月6日(土) 18時~19時
2.8月7日(日) 11時~12時 および 21時~22時

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(8月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index 風景・風物詩 カテゴリー別総目次 2010~2011年版2008~2010年版2007・2008年版2006・2007年版
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次回 風景・風物詩 千躰荒神祭 竃の神様として賑わう海雲寺を久方振りに参詣する
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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 8月INDEX

2011年08月01日 | INDEX
kan-haru blog 2011 8月1日35版

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K&A kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事の即時検索のほか、カテゴリー別の登録記事の全て(2006年3月から最新まで)の検索ができます。

[K&A kan-haru 日記の見方について]
ブログ左覧のガイド板「カテゴリー」には、kan-haru日記のカテゴリー名とカテゴリー毎の記事登録数が掲載されております。
総合目次は、この月間INDEXと統合しており、同一のカテゴリー別目次を併用しております。
「ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について」は、この日記を見るためのガイダンスを記載してあります。
kan-haru日記 カテゴリー別総合目次(全日記INDEX)
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その1)  2007年1月30日 更新
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その2)  2007年1月22日更新

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次の2006年3月月間INDEXに方法が記載してありますので、参照して下さい。
番外編 ブログ記事の参照地図を拡大して見る方法 [付 kan-haruの日記3月月間INDEX] 2006年4月1日

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次
■印覧の11年7月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。

 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年!
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)
      付 東京大空襲 ~あれから61年~
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街
 ■ 大森町界隈あれこれ ニュース 建替えが進む大森町駅周辺の商店街(2011.7.17号)その1 7月17日
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
  ◇ 2006・2007年版2008年前期版2008年中期版2008年後期版2009年前期版2009年中期版2009年中Ⅱ期版2009年後期版2010年前期版2010年前Ⅱ期版2010年中期版2010年後期版2011年前期版
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
 9 大森町界隈あれこれ イベント  
 ■ 大森町界隈あれこれ 第4回大田区加工技術展示商談会 モノつくり大田の工匠と優工場表彰その1 7月6日
 ■ 大森町界隈あれこれ 第4回大田区加工技術展示商談会 モノつくり大田の工匠と優工場表彰その2 7月8日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京急ふれあいフェア in大田 昭和39年の大田区蒲田が舞台の映画「昭和物語」上映その1 7月10日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京急ふれあいフェア in大田 昭和39年の大田区蒲田が舞台の映画「昭和物語」上映その2 7月13日
 ■ 大森町界隈あれこれ 夏のイベント 大森町商店街サマーフェスティバル2011その1 7月19日
 ■ 大森町界隈あれこれ 夏のイベント 大森町商店街サマーフェスティバル2011その2 7月21日
 ■ 大森町界隈あれこれ 夏のイベント 大森町商店街サマーフェスティバル2011その3 7月23日
 ■ 大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の夏のイベント(2011年7月号その1) 7月31日
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや
 
  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
  ◇ 関連側道高架化全工区下り線工事2011年版高架化全工区下り線工事2010年版全工区統合2009年版全工区統合2010年版、大森町付近工区:2006・2007年版2008年版2009年版梅屋敷付近工区、京急蒲田付近工区:2006~2008年版2009年版雑色付近工区糀谷付近工区
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第19回その1) 7月25日 
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第19回その2) 7月27日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第19回その3) 7月29日

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版2010~2011年版 
22 小さな旅 総目次
  ◇ 2006~2009年版2009~2011年版
23 旅ものがたり 総目次
24 秋葉原界隈 総目次
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2010・2011年版
 ■ イベント ビジネスと物産 異業種交流機会創出のビジネスフェアと地元の銘品に感動の物産展その2 7月3日
26 ITと技術 総目次
27 Weblog 総目次

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