K&A

kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 2014年中期版

2014年05月28日 | INDEX

kan-haru blog 2014 10月28日96

< 総合INDEX へ

  大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 カテゴリー総目次 2014年中期版


2013年後期版 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照



2014年前期版 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照



451 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その1) 5月28日
452 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その2) 6月4日
453 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その3) 6月8日
454 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その4) 6月12日 
455 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第3回) 8月11日
456 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事梅屋敷駅編(第6回) 8月18日
457 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事雑色駅編(第5回その1) 8月25日
458 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事雑色駅編(第5回その2) 8月29日
459 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事雑色駅編(第5回その3) 9月4日
460 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事雑色駅編(第5回その4) 9月8日
461 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 内川下り本線線路切り替え工事完了速報 大森町駅編(第4回) 9月21日
462 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事糀谷駅編(第5回その1) 9月30日
463 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事糀谷駅編(第5回その2) 10月6日
464 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事糀谷駅編(第5回その3) 10月11日
465 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 六郷下り本線線路切り替え工事完了速報 雑色駅編(第6回) 10月16日

< 総合INDEX へ
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次、2014年中期版、2014年前期版2013年後期版中期版前期版2012年後期(2)版後期版前期版2011年後期版前期版2010年後期版中期版前2期版前期版2009年後期版中2期版中期版前期版2008年後期版年中期版前期版2006・2007年版
・サブ・カテゴリー別Index 高架化関連側道編高架化全工区統合編2012年後期版前期版高架化全工区統合編2011年後期版前期版高架化全工区下り線工事2010年版高架化全工区統合編2010年版2009年版大森町付近工区2009年版2008年版2006・2007年版梅屋敷付近工区京急蒲田付近工区2009年版2006~2008年版雑色付近工区糀谷付近工区 へ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その1)

2014年05月28日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2014 区道より大森町駅の東面を見る

< 総合INDEX へ

大森町駅西壁面築造工事
大森町高架駅の西側面ホーム下の壁面築造工事の準備が、3月7日に見ると始められていました。

 大森町駅西側ホーム下壁面工事1(写真拡大0307)

同17日に見ると、高架駅西側面ホーム下には、足場が組まれ工事シートの覆いが付けられました。

 大森町駅西側ホーム下壁面工事2(写真拡大0317)

同26日には、高架駅西側面ホーム下は工事覆いで覆われ、壁面築造の準備が整いました。 

 大森町駅西側ホーム下壁面工事3(写真拡大0326)

高架駅西側面ホーム下は工事覆いで覆われているため、壁面築造工事の様子はみられませんでしたが、5月20日に見ると工事覆いが外され、完成外観に示された通利の高架下壁面が披露されました。

 大森町駅西側ホーム下壁面工事4(左上中上右上左下中下右下0524)

・大森町駅入り口東壁面完成工事
3月7日に見ると大森町高架駅入り口の東壁面には工事覆いが架けられていました。

 大森町高架駅入り口東壁面工事1(写真拡大0307)

14日には、東壁面の工事作業が見られました。

 大森町高架駅入り口東壁面工事2(写真拡大0314)

5月28日現在の大森町高架駅の完成度は、駅高架下西面の内壁面の取り付けが未完のほか、高架駅橋の壁面の周囲の整地化整備を残すのみで、粗方の工事は終了の様です。

 大森町高架駅玄関出入口(左上:大森町駅出入口西門、中上:大森町駅出入口全景、右上:大森町駅出入口、左下:大森町駅改札口、中下・右下:大森町駅東壁面0528)

総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(4
月分掲示INDEXへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 : 2011年前期版2011年後期版2012年前期版2012年後期(2)版2013年前期版2013年中期版2013年後期版2014年前期版2014年中期版
・ サブ・カテゴリー別Index : 高架化全工区下り線工事2011年前期版、・高架化全工区下り線工事2011年後期版高架化全工区下り線工事2012年前期版高架化全工区下り線工事2012年後期版 へ
<前回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第5回その6)
次回 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その2)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イベント 東京写真美術博物館 冠松次郎と穂苅三寿雄写真展を見て想いでの黒部と槍を辿るその3

2014年05月23日 | イベント

kan-haru blog 2014 上高地にて1955年(昭和30年)7月    

< 総合INDEX へ

黒部と上高地の想い出(続)
・愛本変電所
1955年(昭和30年)7月の大学工学部電気工学科の黒部見学は、当時黒部川5発電所の発電電力を集めて、わが国初めて275kVの高圧送電を行った変電所の見学が目的でした。
25日に黒部渓谷欅平の見学を終えてから、再びトロッコ電車で宇奈月駅まで戻り、富山鉄道に乗りついで愛本駅で下車して、目的の愛本変電所の見学です。

 愛本周辺地図

関西電力愛本変電所(現新愛本変電所)は、愛本駅舎のすぐ横にあります。愛本は、1954年(昭和29)年7月に東山村、愛本村、内山村が合併して宇奈月町となりました。現在の新愛本変電所への名称変更は、新北陸幹線の完成時の頃からです。

 愛本変電所
(変電所構内1955年7月)

見学当時の1955年の関西電力の黒部川水系の総発電量は、表左に示す5発電所のみで232,500 kWでしたが、現在は11発電所で総発電量は、894,600kWとなっています。

 黒部水系発電所一覧

これまでの送電幹線の電圧は154kVであったが、関西電力の黒部発電所から大阪の消費地に電力を送るには遠距離であるため、送電線の送電損の低減化が必須のため、1952年7月に愛本変電所から、わが国最初の275kV幹線による長距離送電を開始しました。

  愛本変電所見学
(変電所構内1955年7月)

愛本屋外変電所の見学は、発電所側から受電の1次設備と、275kVで送電する2次設備の各変圧器、遮断機、断路器、避雷器および計器用変成器などを見ました。


  愛本変電所見学記念撮影
(変電所構内1955年7月)

・実験グループメンバーと上高地へ行く
大学での黒部見学が終わり、東京への帰路です。愛本から富山鉄道の魚津駅に戻り、北陸本線に乗り換え東京に向かう車内で、学校の実験グループのメンバーが、折角ここまで来たのだから上高地に足を延ばそうということになり長野で下車し、中央線に乗り換えて松本駅で松本電鉄に乗り継ぎ、新島々駅終点で下車して、新島々バス停からバスで上高地バス停まで乗車して上高地に到着です。

 上高地栞
(1955年7月)

夕刻に着き、バス停から河童橋まで歩き、上高地での宿泊は橋のたもとの五千尺ホテル(旧名養老館明治45年開業)に予約なしでお米を出して泊まれました。

 松本ー上高地地図


上高地に入った1955年(昭和30年)7月25日は、旅館前の梓川の河童橋付近を散策しました。橋上から眺める穂高連峰や焼岳、梓川の水面などの景色は訪れる人の心をとらえます。初代の河童橋はすでに明治後期から昭和初期には架けられていたともいわれますが、河童橋と命名と共にわかっていません。

 河童橋にて(左:河童橋上から梓川の流れを望む、右上:下流から河童橋を望む、右中:梓川の流れを望む、右下:五千尺ホテル客室より河童橋を見る1955年7月)

翌26日には、下流の大正池まで散策しました。大正池は、活火山の焼岳が1915年に噴火し、泥流によって梓川が堰き止められて形成されたもので、池にある立ち枯れの木々の景観により、1928年に「上高地」が「名勝及ビ天然紀念物」に指定される際の理由の一つとなりました。

 立ち枯れの木々の大正池を散策
(1955年7月)

さらに、河童橋上流の徳沢キャンプ場や明神橋方面に足を延ばし、散策してから上高地より長野経由で東京に戻りました。

 河童橋周辺風景
(左:穂高岳を望む、中:明神橋を渡る、右:徳沢キャンプ場1955年7月)

< 総合INDEX へ

毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(
4月分掲示INDEXへ)
・カテゴリー別Index イベント総目次 2014年版2013年版2012年版2011年版2010年版2009年版2008年版2006・2007年版
<前回 イベント 東京写真美術博物館 冠松次郎と穂苅三寿雄写真展を見て想いでの黒部と槍を辿るその2
次回 イベント 東京鉄道祭 JR東日本の東京駅100周年を迎える鉄道の日を記念して開催のスタンプラリー

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イベント 東京写真美術博物館 冠松次郎と穂苅三寿雄写真展を見て想いでの黒部と槍を辿るその2

2014年05月19日 | イベント

kan-haru blog 2014      

< 総合INDEX へ

黒部と上高地の想い出
・宇奈月温泉宿泊
冠松次郎と穂苅三寿雄写真展を見て、1955年(昭和30年)7月に大学工学部電気工学科の前川教授の引率で、初めて黒部の愛本変電所の見学時に、トロッコ列車で黒部渓谷の欅平まで行き、その先の黒部の熱風墜道は入れませんでしたが、自然に溶け込んだ黒部第3発電所からの風景を見た59年前の想い出は、黒部の有数の谷の深さに感動し、未だに忘れられない風景なのです。その2以降は、写真展に展示された写真に見る、燕岳、常念岳、槍ヶ岳、立山、乗鞍高原の紀行を記していきます。
1955年7月24日に、信越本線経由で上野駅を出発して、直江津駅からは北陸本線を通り魚津駅で下車して、富山鉄道(現在の富山地方鉄道)に乗り換えて宇奈月駅前の宇奈月温泉桃原館に宿泊しました。

 信越本線で黒部溪谷へ(左:横川駅付近、中:関東平野を北西に進む、右:急行列車内座席1955年7月)

当時は、お米が配給制であったので、宿泊するには1宿泊に付きお米300グラム(2合1勺)を袋にいれて持参する必要がありました。その代わり、昼食には、握り飯弁当を用意してくれます。

 黒部溪谷地図


 宇奈月温泉は、1915(大正4)に黒薙からの引湯樋設置工事が始められ、1917年に黒部川左岸の内山地内「荷上」に「愛本温泉」が営業を開始したが、1921(大正10)の台風災害により閉湯し、1922年に建物と温泉の権利を黒部温泉会社に売却され、これが現在の宇奈月温泉の礎です。宇奈月温泉桃原館は、現在宇奈月温泉駅近くで1923(大正12)に創業した老舗で、現在の旅館は1964(昭和39)に、黒部川沿いの場所に移転し、名称も宇奈月の地名(宇奈月町桃原)に由来して「ホテル桃源」と改称して営業しています。

 宇奈月温泉桃原館
(左:桃原館女将を中に見学メンバー記念撮影、右:お米持参の夕食1955年7月)

・黒部渓谷欅平
翌28日は関西電力と掛け合ったが、欅平から先の熱風墜道は見学者お断りとのことで、黒部渓谷トロッコ電車で、欅平まで黒部渓谷の風景を堪能しました。トロッコ電車は、1923年(大正12年) 日本電力(株)が発電所建設のための資材運搬用の専用鉄道として、宇奈月 - 猫又間(11.8km)の軌道敷設工事に着手し、1937年(昭和12年)に宇奈月 - 欅平間の運転を開始しました。1953年(昭和28年)に、関西電力が宇奈月 - 欅平間を黒部鉄道として営業を開始しました。
 トロッコ電車で欅平に進む
(左:トロッコ電車、左中・右中・右:トロッコ電車から見る黒部第二発電所1955年7月) 

欅平のすぐ下にある、黒部第三発電所の屋上で記念写真を撮りました。黒部第三発電所は、1936年(昭和11年)に着工し、1940年(昭和15年)に運用を開始しました。発電設備は、水車:立軸フランシス水車×3台、発電機:立軸三相交流同期発電機×3台で、有効落差:278.33m、最大使用水量:33.60立方メートル毎秒で認可最大出力:81000kWです。

 黒部第三発電所(・右:発電所屋上1955年7月)

見学当時の欅平には、何もなく自然のままで猿飛峡まで往復するくらいの、峡谷でした。

 黒部渓谷欅平

欅平を探索して、記念撮影です。

 欅平記念撮影

< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲示INDEXへ)
・カテゴリー別Index イベント総目次 2014年版2013年版2012年版2011年版2010年版2009年版2008年版2006・2007年版
<前回 イベント 東京写真美術博物館 冠松次郎と穂苅三寿雄写真展を見て想いでの黒部と槍を辿るその1
次回 イベント 東京写真美術博物館 冠松次郎と穂苅三寿雄写真展を見て想いでの黒部と槍を辿るその3

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イベント 東京写真美術博物館 冠松次郎と穂苅三寿雄写真展を見て想いでの黒部と槍を辿るその1

2014年05月14日 | イベント

kan-haru blog 2014 黒部と槍写真展会場入り口     

< 総合INDEX へ

黒部と槍写真展
戦前のわが国の著名な登山家の冠松次郎と、北アルプスで最初に山小屋経営を行った穂苅三寿雄を紹介する「黒部と槍」写真展が、東京都写真美術館で開催されましたので、過ぎし日の想い出を辿って4月27日に見てきました。
開催の東京都写真美術館(目黒区三田1-13-3)は、JR山手線恵比寿駅を下車して、線路沿いの動く通路を北に進み、道路を横断して恵比寿ガーデンプレス内の南側通路の奥に美術館の入り口があり、2階展示室で開催しています。

 黒部と槍写真展パンフレット

写真展の開催は、2014年3月4日から5月6日の、10時から18時まで開催しており、 月曜日が休館日です。主催は、公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都写真美術館、読売新聞社、美術館連絡協議会で、後援は公益財団法人日本山岳会、黒部市、松本市で、特別協賛が大伸社、協賛がニコン、ニコンイメージングジャパン、ライオン、清水建設、大日本印刷、損保ジャパン、日本テレビ放送網、東京都写真美術館支援会員の他、協力が山と渓谷社の各社です。
入場料は、一般が700円で、学生が600円で、中高生・65歳以上が500円ですが、第3水曜日は65歳以上が無料となっています。

 部と槍写真展入場券

出展作品
黒部と槍写真の出展は、大正時代から昭和1桁年代に撮影した写真で、冠松次郎の黒部渓谷を主とした71作品と、穂苅三寿雄の槍ヶ岳を主とした66作品が展示されています。

 黒部と槍写真展図録

・冠松次郎出展作品
冠松次郎は、1883年(明治16年)2月4日に、現在の本郷の質商の二男として生まれ、幼少から山に関心を持ち、火の見櫓などの高所から山を眺めていたと云われていました。1902年(明治35年)に初めて富士山に登り、日光や奥多摩の登山を始め、1909年(明治42年)に徳本峠から上高地を経て、槍ヶ岳、常念岳、白馬岳を登り、初めて日本アルプスに足を踏み入れました。黒部流域には1911年(明治44年)に白馬岳から祖母谷へ下って宇奈月に出たのが最初のことです。
黒部探検に乗り出して7年目の1925年(大正4年)8月に、鐘釣温泉を出発して棒小屋落合の上流に向かい、下廊下の未踏地を踏破遡行し、十字峡を発見して命名者となる。

 十字峡1925年(大正14年)8月

1921年(大正10年)7月の七谷超えの写真は、鐘釣温泉より下流で最も優れた風景である。現今は、日本電力の電車がトンネルを抜け、鐘釣温泉に至っている。

 七谷超え1921年(大正10年)7月

大正10年頃までの宇奈月は寂しいところであり、広い原にバラック式の湯小屋がたった1棟と、物売りの掛け茶屋があっただけで、冬には猿が山から餌を採りにおりてくるところである。

 上:宇奈月1921年(大正10年)8月、下:新鐘釣温泉1922年(大正11年)7月

・穂苅三寿雄出展作品
穂苅三寿雄は、1891年(明治24年)3月19日に、松本町巾上で菓子店の長男として生まれ、1905年(明治38年)に六九町の竹細工製造業の伯父の養子となる。1907年(明治40年)に徳本峠を越えて上高地に初めて入り、1915年(大正4年)に中房温泉より燕岳を登り、大天井岳を経て二ノ俣を下り槍ヶ岳に登頂して、さらに焼岳に登り徳本峠から松本に戻る。1919年に槍沢ババ平らに槍沢小屋を建て開業し、1921年坊主の岩小屋の下に大槍小屋を建設するが、翌年雪崩により全壊する。1925年槍ヶ岳肩の小屋を建てる。1954年槍ヶ岳肩の小屋本館を建設して、槍ヶ岳山荘と改称して長男の穂苅貞夫が山小屋の経営にあたる。
焼岳が活動し始めたのは明治40年頃からで、大正4年6月6日の大爆発で、山崩れにより上高地に大きな池が出来たと聞いて、その年の7月初めに見に行き、養老館(五千尺旅館の前身)は未完成であったが、そこに泊まった。

 焼岳大爆発、河童橋より1925年(大正11年)10月

徳本峠から秋の始めに、穂高岳を望んだ時、木の葉の多くは落ち尽くし、麓をめぐる針葉樹に混ざる落葉樹の黄葉が残されて、上高地を彩っていた。木の葉の落ち尽くした秋の山は、その輪郭が劃全としていて、ごつごつした岩石や深い渓底までも暴露されて望む事ができた。

 初夏の大正池と穂高連峰

穂苅が山岳写真を集中的に撮影していた時期は、1923年から1939年の間で、撮影に用いたカメラは、主としてキャビネ判の組立暗箱カメラでした。昭和に入ると、カメラも小型化したが、穂苅は精微な映像を求めて、サイズの大きいキャビネ判のガラス乾板にこだわっていました。

 夏雲の流れと穂高連峰、河童橋より

< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲示INDEXへ)
・カテゴリー別Index イベント総目次 2014年版2013年版2012年版2011年版2010年版2009年版2008年版2006・2007年版
<前回 イベント 日書展 第68回日本書道美術院教育部展が東京都美術館で開催
次回 イベント 東京写真美術博物館 冠松次郎と穂苅三寿雄写真展を見て想いでの黒部と槍を辿るその2

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな旅 樹齢1200年国内最古 周囲10メートルの根元を持つ国内最大級の藤を見るその2

2014年05月10日 | 小さな旅

kan-haru blog 2014 藤花園の東南の食事処・売店

< 
総合INDEX へ

牛島の藤
藤花園のパンフレットによると牛島の藤は、山藤に似ているが、つるは右巻で無毛である。この種の藤は、本州・四国・九州の山地にあるが、牛島の藤は優秀な園芸の変種で、花色は藤紫で、花房の長さは長いもので2メートルに達し、見ごろは4月下旬から5月上旬とあります。

 藤花園パンフレット

昭和を代表する抒情詩人とされる三好達治(19001964)は、牛島の藤がお気にりで、晩年、仲間たちと連れだって毎年のように粕壁(現、春日部)の藤を見に訪れていたといわれてます。

 牛島の藤
(写真拡大0503)

・藤花園回遊
臥竜梅の藤棚の裏を北方に進むと緋鯉の泳ぐ池があり、池端には樹齢500年の赤松が植えられています。

 池の畔の樹齢500年の赤松(写真拡大0503)

藤花園の池の縁から藤棚の裏を北方から見ると、樹齢1200年と600年の大きな藤棚に世界一を感じられます。

 北方から臥竜梅の藤棚を見る(写真拡大0503)

池に添って北に進む道辺には、いろいろな花を観賞できます。藤花園の北縁にはお休み処があり、テーブルと椅子が設けられたおり、ここで周囲の花木を見ながら一休みします。

 藤花園には各種の花が咲いています(
写真拡大0503)

庭園の散策路には、色とりどりの花が華やかに、落ち着いた古木の藤の花をひきたてています。

 藤花園に咲く色とりどりの花(左上中上右上左下中下右下:0503)

< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(2月分掲示INDEXへ)
カテゴリー別Index 小さな旅総目次 2010~2014年版2006~2009年版
<前回 小さな旅 樹齢1200年国内最古 周囲10メートルの根元を持つ国内最大級の藤を見るその1
次回 
小さな旅 奥久慈ドライブ 北茨城奥久慈下野宮寿昌庵で会席料理と三村りんご園でのりんご狩りその1

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな旅 樹齢1200年国内最古 周囲10メートルの根元を持つ国内最大級の藤を見るその1

2014年05月06日 | 小さな旅

kan-haru blog 2014 樹齢1200年の藤の花房

< 総合INDEX へ

5月に咲き誇る花は、つつじと藤です。2011年にあしかがフラワーパークの藤(「小さな旅 600畳の大藤 天然記念物指定樹齢145年を越える大藤棚のあしかがフラワーパークその1、2」)の観賞を想い出して、5月3日に樹齢1200年余り国内最大級の牛島の藤を見に行きました。

牛島の藤花園
牛島の藤花園(埼玉県春日部市牛島786)は、京急大森町駅からは品川駅で都営浅草線に乗り継ぎ押上駅にて、東武浅草ツリーラインの急行に乗り春日部駅で、東武野田線に乗り換えて藤の牛島駅を下車すると、10号道を北上し徒歩10分ほどで牛島の藤です。


 牛島の藤「藤花園」

平成26年度の藤花園の開園は、4月19日から5月8日までの期間中の8時~18時までです。入園料は、大人が1,000円(30名以上1割引)で、4歳以上小学生までが500円です。
 
 牛島の藤入場券 

藤花園の説明には、「当園は元真言宗連花院の境内なりしを明治7年当寺の住職藤岡好三氏其の筋へ出願なし、廃寺となり爾来所有者変わり現在にいたる、また、人々の言伝えによると1200余年前、弘法大師お手植えの藤とも聞きおよぶ。」とあり、蓮花院という寺は今の藤花園のことです。また、春日部市教育委員会は藤の伝説として、「むかし、柳原で農家の娘が長い間病気で苦しんでいた。旅僧から娘の病気に生垣の中にある藤を寺に納めるとよくなるといわれたので、藤を寺の境内に移し植えたところ病気は治ったという。この寺は蓮花院といわれ今はないが、藤だけが残されてそのあとをしのばせている。」と説明しています。
2万平方メートルの敷地内には、大小色ちがいのフジや中島、池、そしてアヤメ、ツツジ、五百余年の老松などを擁する庭園です。
 
 牛島のふじ藤花園絵葉書

牛島の藤は、1928年 (昭和3年) 01月18日に国の天然記念物に指定され、また、1955年 (昭和30年)08月22日には特別天然記念物に指定され、さらに、平成元年には新日本名木百選にも指定されており、入り口の石柱には文化財を大切にと記されています。
 
 
藤花園入門口(:藤花園正門、:文化財を大切に石柱、特別天然記念物牛島の藤正門0503)


門を入ると、左側に藤の花の案内板があり、それによると牛島の藤は、九尺藤・野田藤で、色は薄紫で最も長い花房は約2メートルとあります。案内板の右側には、樹齢600年の楠の奥に天然記念物牛島之藤の石柱が建立されています。
 
 藤の花の案内板と天然記念物の石柱(:藤の花案内板:天然記念物牛島の藤の石柱と楠0503)

牛島の藤には、創業文化5年の世界鷹小山家グループ小山景一氏経営の各銘醸庫より寄贈の酒粕を毎年寒肥として施肥しているので、見事な花房の活動力の源泉となっているとの説明版に記載されています。
 
  
樹齢1200年(左)と600年(右)の藤棚1(樹齢1200年(左)と600年(右)の藤棚樹齢1200年の藤の木藤に酒粕寒肥を施しているとの記載の説明板0503)

樹齢1200年の長寿の藤の大きな根回りには感嘆です。また、1200年もの長きにわたり咲き誇る植物の寿命の長さには驚くばかりです。

  
樹齢1200年と600年の藤棚(左上樹齢1200年の藤中上右上樹齢600年の藤左下中下右下樹齢1200年の藤の花房)

< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(2月分掲示INDEXへ)
カテゴリー別Index 小さな旅総目次 2010~2014年版2006~2009年版
<前回 小さな旅 湯河原梅林 遺跡のある「鍛冶屋」地区に崖崩れ対策として植えた4000本の梅林で観梅
次回 小さな旅 樹齢1200年国内最古 周囲10メートルの根元を持つ国内最大級の藤を見るその2

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 5月INDEX

2014年05月01日 | INDEX

kan-haru blog 2014 5月1日68版

< 総合INDEX へ

kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事検索のほか、カテゴリー別の登録記事の2006年3月から最新までの検索ができます。

K&A kan-haru 日記の見方について(←ここをクリックして参照してください。)

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次 
■印覧の14年4月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。

 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年! 
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次 
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編) 
      付 東京大空襲 ~あれから61年~ 
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編 
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて 
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次 
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次 
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔 
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
  ◇ 2006~2012年版2013~2014年版
 ■ 風景・風物詩 池上本門寺 満開の桜に染まる日蓮聖人霊跡の東国花の寺4番本門寺での花見 4月8日
 9 大森町界隈あれこれ イベント 目次
  ◇ 2006~2009年期版2010年版2011~2012年版2012~2014年版
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや 

  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第5回その1) 4月10日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第5回その2) 4月14日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第5回その3) 4月18日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第5回その4) 4月22日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第5回その5) 4月26日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第5回その6) 4月30日 

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版2010~2013年版 
22 小さな旅 総目次 
  ◇ 2006~2009年版2009~2011年版 
23 旅ものがたり 総目次
  ◇ 2006~2011年版2010~2013年版
24 秋葉原界隈 総目次 
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2011年版2012年版2013年版2014年版
 
26 ITと技術 総目次 
◇ 2006~2011年版2012年版
27 Weblog 総目次 

< 総合INDEX へ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする